青年は抵抗する
お腹の奥が熱くて、お腹以外の全身が寒い。
目の奥がズキズキする。
でも飢餓状態は収まったし、力もちゃんと入る。
「ごめんなさい」
足元の、ついさっきまで私が血を吸っていた人に謝る。血を吸ったことじゃなくて、遺体を傷つけるようなことしてしまった、そのことを謝りたいと思ったから。許すことも罰することもしてはくれないけど、それでも
「ごめんなさい」
謝るだけ、謝っておく。
門番のおじさんの死体に背を向けて、全力疾走する。行先は言うまでもなくエラット。目標はモンドさんたちが殺される前に追いつくこと。
―目標とかじゃない。必ず殺される前に追いつくんだ……ヴァンパイアレイジ。
体にできた傷を治して、血を飲んでから改めてヴァンパイアレイジを使ったからだと思う。かなりの時間ヴァンパイアレイジの効果が続きそうだし、かなりヴァンパイアに近づけそうだ。
走りながらエラットを探してみる。周りを見てみると、全力で踏みしめた石畳にヒビが入り、通り抜けた通りに面した窓がガタガタと揺れてる。気が付けばゼラドイルの屋敷からかなり離れていた。
―とにかくエラットを……いやモンドさんたちを探したほうが早いか。
走るのはいったん中止して、周囲にモンドさんの気配がないか探ってみることにした。
「はぁ、はぁ、はぁ、重いぞ、じいさん」
「すまん」
「逃げ込めそうな場所はどこかにないのですか? このままでは追いつかれた時どうしようもありません」
屋敷を出て数分、メイドさんもユルク爺さんも俺より早く走っていたのだが、ユルク爺さんは歳のせいかばて始めてしまった。メイドさんと俺で肩を貸して走ってみたが、思うように速度が出なかったため、俺がおんぶして走っている。
ほぼ毎日のようにエリーが借りてきた重い槍や俺の2倍くらいの体積のあるダムボアを乗せた馬車を引いてきた俺だ。痩せたじいさん一人くらい何とかなると思う。思っていた。
だが、重かった。
走らなければ何とでもなる感じはある。だが走るとなると別なようだ。足腰にかかる負担の種類が違うせいだ。重いものを長時間引き続けるのと、ほぼ俺と同じ重さを背負いつつ地面を蹴って走るのでは使う筋肉が違うんだろう。
「爺さんどうなんだ? ワービーストの、店なら、どこでも受け入れて、くれるんじゃ、ないのか?」
走りながらしゃべるのもしんどい。呼吸が乱れまくるぞ。
「ただの賊ならともかく、エラットは危険すぎる。武装した集団が居る所ならともかく、普通の店や施設では犠牲者が増えるだけじゃ」
エラットってそんなにやばい奴なのか? いかれた奴だってのは見てわかったんだが。
「では冒険者の店ですね。ほかに思いつきません」
「兵士の、詰所とか、ないのか?」
「ありません。交流特区では兵士で町を守るようなことはありませんから、そもそも兵士というのがいません」
なんでだよ!
「兵士を持つ種族が武力をもってほかの種族を従えたりさせんための決まりじゃ」
お答えいただきありがとうよ。交流特区めんどくさいな!
「店の、場所は?」
「ワービーストの冒険者の店は毛皮の貴族亭のみです」
「この際どの種族でも構わん」
「では南東にあるエルフの冒険者の店に行きましょう。こちらです」
おいおい、いままで行き先を決めずに走ってたのかよ。
細い路地の角を曲がって、T字路を曲がり、また路地を走る。
「広い、道には、でないのか?」
「エラットは人目の有無など気にせず襲ってくるじゃろう。奴が邪魔に感じれば無関係の者も手にかける。広い道に出てはならん」
そんなこと言ってる場合かよ。
「メイドさん、なるべく、広い道で向い、たい」
「かしこまりました。こちらです」
「待て! わしの話を聞いておらんのか」
「少しでもユルク様の危険を減らすためです」
メイドさんは俺に賛成らしい。むしろ自分の命が狙われてるのに、見ず知らずのやつの心配をしてるユルク爺さんの方がおかしい。あ、俺もメイドさんも狙われてるんだっけ? よし、早く大通りに行こう。
また路地を走り、曲がり、突っ切る。
「も、モンド君!」
爺さんが何か言いだした。耳元でそんな大声を出さないでくれ、びっくりするだろ。
「来たぞ! 奴が、エラットが後ろにおる!」
「うそだろ……」
思わずそうつぶやいた。そして首だけ振り返ってみる。全身毛むくじゃらの肉食獣が、二足歩行で追いかけてきていた。だがそいつが身に着けているエプロンみたいな服は、エラットが着ていた物のようだった。サイズ感がだいぶ違うが。
そいつとの距離は、まだ30メートルくらいはあるだろうか? だが俺たちより早い。曲がり角は壁を走るようにして曲がり切り、直線で一気に近づかれる。
正直、信じたくなかった。俺としては、”エラットはエリーが倒しているだろうけど、念のため避難しておくか”くらいのつもりだった。さっきエリーは窓ガラスぶち破って飛び出してきてたけど、それでもエリーが勝つだろうと、どこかでまだ楽観視していた。
「エリーが」
かなりのショックを受けた。エラットが俺たちを追いかけ始めて、どれだけの時間がたったかは解らない。だが追いかけてきているということは……
エリーが負けて、もしかしたら殺されているかもしれない。ということだ。
追いつかれたら、どうする? 俺に何ができる? エリーが負ける相手に俺が勝てるとは思えない。爺さんだって無理だ。メイドさんなら? 無理に決まってる、あてにするならもっと強い奴……
俺は何考えてんだ。この期に及んで他力本願か? 今までさんざんエリーに頼っておいて、エリーが居なくなった瞬間ほかのやつを頼るのか? 誰か強そうなやつに、自分じゃ何にもできないから助けてくれって頼むのか? それはダメだ。ダメだし、今はそれじゃ生き残れない。
「モンド君、わしを下ろせ! わしの命は捨てて構わん! 孫だけは助けてやってくれ、そのためにわしを置いていけ!」
うるせぇ!
「私が時間を稼ぎますから! ユルク様を連れて逃げてください!」
なんで誰か犠牲にする前提なんだよ! もっと生きようとしろよ! あとお前ら気が散るから黙って走れ。
後ろからどんどんエラットの足音が近づいてくるのがわかる。どんどん追い詰められていくような感覚だ。プレッシャーってやつか? だが一旦無視だ。周りをよく見ろ。何かできることはないか?
今いる路地にあるのは、空の酒瓶が3本、草、砂利、水たまり、壁。ぱっと見でわかるのはこれくらいか。じゃあ今あるもので精々あがいてやるよ。
「メイド、爺さんを、代わってくれ」
「は、はい」
投げ渡すようにユルク爺さんをメイドさんに放る。息が苦しくていろいろ略したけど、伝わったみたいだ。爺さんはメイドさんにお姫様だっこされている。あまり見ないようにしよう。
走りながら酒瓶を3本拾い上げ、さっと振り向く。エラットとの距離はもうほとんどない。あと数秒で槍が届く距離になっちまう。
「おらぁ!」
「ナニヲ!?」
両手に一本ずつ持った酒瓶同士を叩きつけ、細かいガラス片をエラットに向けてばらまく。酒瓶をそのまま投げつけるより範囲が広いし、足とかに破片が刺されば足止めになる。
手元に残ったビンはエラットの足元に投げつけて叩き割る。飛び散った破片で怪我すれば御の字。地面に残った破片は、奴の足の裏を切ってくれたらいいなって期待を込めておく。
これだけやったら振り向くのをやめて、全力でメイドさんや爺さんの方に向いて走る。エラットが酒瓶の破片でどうなったか気になるが、確認する余裕があるとは思えない。
だがまだ俺は追いつかれていない。追いつかれるまでできるだけ抵抗してやるぞ。
一本になった酒瓶を握りしめながら、メイドさんの後を追って角を曲がった。