半ヴァンパイアは血を貪る
少しひどい表現を使ってしまったかもしれません。
エラットに思いっきりお腹を蹴られた私は、窓ガラスをぶち破って庭に飛び出した。ガラスの破片にまみれながら、庭をゴロゴロと転がる。
―い、痛い……腕しびれて、ガラスの破片であちこち切っちゃった……
エラットの蹴りをガードした両腕はびりびりとしびれ、手首から先がうまく動かせない。ガラス片は深く刺さったりしてないけど、切り傷を無数につけられた。
「マジか」
そんな声が聞こえて、正門の方を見た。
こっちをみて唖然としてるモンドさんがいた。思わず怒鳴るみたいに叫んじゃった。
「行って! 早く!」
―なんでまだ門のところにいるの?
私はもう5分くらい戦ってた、というかブンブン振り回されていろんなところに叩きつけられていた気がしていたけど、実際はほんの十数秒のことだったみたい。結構たくさん叩きつけられたと思うんだけど。
「あ、ああ!」
モンドさんはすぐに駆けだしてくれた。ユルクさんもメイドさんも見えなかったから、モンドさんが最後尾なのかな。
モンドさんを見送ったら、すぐにしびれたままの両腕を地面について、うつ伏せから四つん這いになる。
「く、ふ、」
―まだまだ時間を稼がないといけない。とにかく起き上がらないと……
「屋敷ノ外ニ出ラレタカ、デモマダ間ニ合ウ」
私はまだ起き上がれてないのに、屋敷の方から聞きたくない声が聞こえてきた。そっちに目を向けると、エラットが屋敷から出てきていた。
2足歩行する肉食獣みたいな姿で、上半身には黒いエプロンみたいなのだけ。下半身は破れて太ももから先を隠していない元長ズボンの恰好。さっきまで私をブンブン振り回して部屋中に叩きつけていた奴。
―時間、稼がないと……
エラットはふらつく足で立ち上がる私を無視して、モンドさんたちを追いかけようとしてる。このままじゃ不味い。
―よく考えたら、今ならヴァンパイアレイジ使ってもいいんじゃ? エラットしか見てないんだし。
そう思って、私はヴァンパイアレイジを使ってみる。そして感覚で分かった。これではだめだと。
―あ、ダメだ。傷を治すので精一杯みたい。
ヴァンパイアレイジの効果は、効果時間が続く限りヴァンパイアに近づくスキル。効果時間の長さやどれだけヴァンパイアに近づけるかは、発動したときのコンディションと時間帯に左右される。
今の私のコンディションは最悪だった。
血は何日も飲んでいない。
大けがはしてないけど体中傷だらけ。
最近は酔っても夜眠れなくて寝不足。
おまけにまだ日が出ている。日中でも効果はあるけど、夜の時より半減する。今の私じゃせいぜい治癒能力が上がって傷の治りを早まったところで、ヴァンパイアレイジの効果が切れてしまう。
―でも、使わないよりましかな。
ふらつく足がしっかりしてきて、混乱していた三半規管が正常になる。体中の打撲と切り傷が急速に治癒していく。目が赤く染まって、牙が伸びる。
ほんの数秒で打撲も切り傷も完治し
ヴァンパイアレイジの効果が切れ、飢餓状態に陥った。
―……え? なんで、まだ日の光を浴びてるのに。
日光を浴びれば飢餓状態は収まるはずなのに、西日を浴びているはずの私は飢餓状態になってしまっていた。
エラットは私目の前で颯爽と駆け出し、モンドさんたちを追いかけ始めた。
―あ、追いかけなきゃ……
力の抜けた足でエラットを追いかけるけど、全然思い通りに進まない。黄色くなっちゃった瞳では遠くがよく見えなくて、ちょっとぼやけてる。
それでも全力で追いかけようとしたのに、門を通り抜ける前に力尽きてしまった。
うつ伏せに倒れ込んで、門の近くにある草むらを見ながらぼんやり考える。
―このままじゃ、モンドさんたち追いつかれちゃう。モンドさん足遅いし、あんまり力つよくないし、戦ったことないし、負けちゃう……
体の傷は治ってるのに、ぜんぜん力が出ない。喉が渇きすぎて痛い。
―ヴァンパイアレイジ、使わなきゃよかったかな……このままじゃ、モンドさんたちの後私も殺されちゃう。今の私じゃ戦えないし、抵抗すらできない……ん?
緑色一色に見える草むらに、ほんのわずかに肌色が見えた気がした。
気になって、這うようにして草むらに入る。
「あぁ」
門番の人だった。首のあたりに奇妙な隆起がある。
―死んでる。首の骨が折れてる。
今朝会った時は、生きていた。鋭い目してて、ちょっと禿げてて、昨日の夕方見たときと同じように生きていたのに、死んでいた。
死人を見ても、血を吸いたいとは感じなかった。生き血を欲してるのであって、死人の血は欲しくないのかもしれない。
まだ血色のいい死体を見て、私は最悪なことを考えてしまった。
―朝あったときは元気に生きてた。いつ死んじゃったのかわからないけど、まだそんなに劣化してないんじゃ……
魔物であっても人間に混じってに生きてきた私には倫理観があるみたいで、その倫理観が絶対にダメだと言っている。
でも
―守るって決めた。それにモンドさんたちの次は、きっと私を殺しに来る。これは生きるため……
血を吸いたいと感じないというのは誘惑されないというだけで、痛いくらい喉が渇いてるのは変わらない。私の倫理観は、あっさりと渇きに負けた。
放り出された腕をつかんで、引き寄せる。
頭の中で”ダメ””それはダメ””いけないこと”という警告が鳴ってる。
―飲まないと守れないから、飲まないと死んじゃうから、だから、だから……
体温が抜けつつある腕、その手首に牙を突き立てた。
ブツリと牙が肌を突き破る感触が歯茎に伝わってきた。噛みついた腕は自分の腕よりゴツゴツしてて、太く感じる。
にじみ出てくる血の味は、よくわからない。それに心臓が動いていないから、吸いださないとほとんど出てこない。私は必死に吸い付いた。
ビンに詰められた血より少しだけ生暖かくて、舌触りはサラサラしてた。ビン詰めの血や自分の血はもっととろみがあったような気がする。
一口飲み込んで、お腹の奥がズキっとした。不快な疼きだった。ビン詰めの血は、もっとお腹の奥があったかくなって、それが全身に広がって、おいしかった。この血は美味しくない。
それでも、飲んだ。
必死に吸い付いて、唇の端からチュパチュパって耳障りな音を立てて、飲んだ。
”守るために””生きるために”そう言い訳して、胸の奥がもやもやして苦しいのを無視して、飲んだ。
お腹の奥の不快な疼き……もう疼きじゃなくて痛みに近いのを感じながら、飲んだ。
美味しくなくて、苦しくて、もやもやするだけで
もう、飲みたくない。