半ヴァンパイアは追いかける
私を部屋の角に追い詰め、変な顔で笑うエラット。そのすぐ奥の机からこっちを見るモンドさんが見えた。
何か口を動かしてるけど、何言ってるのかよくわからない。たぶんユルクさんとか連れて逃げるつもりなんだろうね。頷いておく。
―ちゃんと守るから、逃げてて。
「ハァッ」
頷いた瞬間、エラットが鋭く踏み込みながら突きを放った。
―さっきまでより数段早いけど、突きにはいい加減慣れてきたよ。
角を背にしているから、後ろにも横にも避けられない。正面にはエラットがいて、斜め前や下に動けば対応されると思う。
―じゃあ上に避けるしかないよね。
まずその場でジャンプして、すぐに後ろの壁を蹴って今度は前方向に跳ぶ。すぐ下でエラットの槍が、さっきまで私がいた場所に突き刺さった音が聞こえてきた。
「え?!」
一瞬遅れて、エラットが自分の攻撃が避けられたことに驚いていた。でもそんなこと関係ない。
私がとんだ先には、書斎を照らす小さなシャンデリアがある。私はそれを掴んで、背中を下にしてシャンデリアを抱えるように天井に足を突く。そして天井からシャンデリアを引きちぎった。
スっと天井から落ちながら、エラットを探して首を動かしてみる。都合のいいことに、エラットは私のすぐ下にいた。あとモンドさんたちが走って逃げていくのも見えた。
「どこに」
―エラットが私を見失ってる。目の前で上にジャンプしたはずなのに、なんで上をみないんだろう。
ゆっくりと時間が過ぎていくような気がする。天井から自由落下してるのだから、こんなにゆっくり考える時間なんかないはずなのに、どういうわけか落ち着いてゆっくりと考えることができていた。
エラットがふと上を見上げ、シャンデリアと一緒に落ちてくる私を見つけた。シャンデリアにつかまったり、天井から引きちぎったりする音で気づいたのかな。その割には遅いけど。
―今気づいても遅いよ。
「ぁ」
驚いた顔をして何かを言おうとするエラットの顔面に、シャンデリアを思いっきり振りかぶって叩きつける。
―いい気味。人間……というかワービーストより、ハーフヴァンパイアの方が強いみたいだね。
私は自分の中で、ゆっくりと折り合いをつけ始めていたんだと思う。自分が人間や亜人種の敵で、人型の魔物なんだって、だから目の前の亜人種を攻撃してもいいって思うようにしてた。
「んがぁああああああああああ」
シャンデリアの角や、割れたガラス細工の破片が刺さった顔面を押さえ、もだえ苦しむエラットを見て、私はエラットを攻撃してもいい理由をいろいろと考え始めた。
―こいつはたくさんの人を殺した悪い奴で、私はモンドさんたちをこいつから守らなきゃいけないんだよ。そもそも私は魔物なんだから、亜人種であるワービーストを攻撃するのは普通。それにこの状況なら攻撃しても、誰も私を責めないはず。だから大丈夫……
「っぐ……よくも、ぼ、僕の顔を……」
ゆらりと立ち上がるエラットを見て、”悶えているうちにもっと攻撃すればよかった”なんて思った。
「お、お前は後回しだ。ジジイどもにや、屋敷から逃げ出されたら、困るから」
―私より先に、逃げ出したモンドさんたちを殺すつもり? モンドさんたちは守るんだから、そんなこと
「そんなことさせな……」
―……私は、魔物なのに、なんで人間なんか守ろうなんて……でもモンドさんは……
魔物の自分が人間であるモンドさんを守る理由を考えようとして、一瞬硬直した。当たり前のように守ると決めていたけれど、その前提につじつまが合わなくなっていることに、嫌悪した。
「そんなことさせない? もう僕に勝ったつもりなのかい? ワービーストを、耳と尻尾が生えた人間程度に思ってるからそんなこと言えるんだ」
私が内心でいろいろ考えてるのをよそに、エラットは一度もつっかえないままそう言い切った。そして、エラットの体がどんどん変化していくのを、私はただ見ていた。
エラットの体がめきめきと音をたてて肥大していく。肩幅は私の2倍くらいまで伸び、胸板も厚くなる。指の先から腕全体にどんどん太く硬い毛が生え始め、肘から先が巨大になる。足も肥大し、長ズボンが内側から破れ、太ももから先が露出する。その足は骨格から変化しているようで、膝は深く曲がっている。そして膝のすぐ後ろにもう一つ関節があって、そこから下に下腿が伸びている。
何より変化したのは、首から上だった。先ほどまで人間と変わらなかった首は異様に太く筋張っている。顔は鼻と口が前に伸び、口は大きく裂け、その顔は肉食獣のようにしか見えない。
「これが、ワービースト……」
巨大な肉食獣をむりやり人間の骨格に寄せ、2足歩行させたらこうなるのか。そんなふうに思った。
「ジカンガナイ」
「ふあ!?」
エラットがしわがれたような声でそういうのと、肥大化した右手に持っていた機械槍が私に向けて振り抜かれるのは同時だった。
私は初めて見る異様な体の変化に驚いて、ぼうっと突っ立っていたけど、獣のような姿に変身する前に比べて非常に雑な刺突だったからぎりぎり避けられた。後ろに倒れ込むような無様なよけ方だったけど。
尻もちをついてエラットを見上げる私には目もくれず、エラットは信じられないような速度で書斎を出て行った。
「っは、まずい!」
―あのままモンドさんたちを追いかけるつもりだ! あんなに早く追われたらすぐ捕まって殺されちゃう!
私も立ち上がって全力でエラットを追いかける。廊下の角を曲がったすぐそこにエラットはいて、今もどんどん私から離れて玄関に向かってる。
「ふっ」
さっき部屋の角でやったように、廊下の角で思いっきりジャンプしてからもう一度壁を蹴って前に跳ぶ。
今自分は武器を持ってないとか、下手に間合いを詰めると危ないかもしれないとか、そんなことは考えずに全力で近づく。
「おおおりゃあああああああ」
「ナ! モウ追イツイタダト!?」
玄関のすぐ近くまで行ったエラットの背後に着地して、後ろから組み付いて転ばせる。必死になりすぎて普段出さないような奇声を発した。
獣のように変身したエラットの体は、かなり大きい。その巨体がバランスを崩し、すぐ近くの壁に激突したせいで、ぶつかった壁が崩れてその先の部屋に転がり込む。
―とりあえず、時間稼げた。このまま背中に組み付いてもっと時間を
その先は考えられなかった。エラットが巨大な左手で私の足を掴んで、引き離したせいだ。
エラットは足を掴まれ逆さまに釣られた私をブンブン振り回し、そのまま私を部屋の壁に叩きつける。
「はあ゛っ」
とっさに頭だけは腕で守ったけど、背中と後頭部を守る腕を壁に強かに打ち付けて悲鳴が漏れる。
次はうつ伏せになるように床に叩きつけられる。
「う゛」
今度も頭、というか顔は腕で庇えたけど、掴まれていないほうの足の膝が床にぶつかって滅茶苦茶痛い。
天井や家具にも何回も叩きつけられて、なんとか頭への強い衝撃と首を変な方向にねじることだけは防ぎ続けた。
―体中、痛い。頭に、血が上りすぎて……グワングワンする……
「イイザマダナ、エリーサン」
「ふ、うぅ……」
エラットはぐったりする私の片足をもって、逆さまに釣りながらそう言った。
―今度は、いったいどこにぶつけるつもり……?
すごく痛いし気持ち悪いし悔しいけれど、私をブンブン振り回してる間エラットはモンドさんたちを追いかけない。それにハーフヴァンパイアの私の体は頑丈なはずだから、そう簡単には死なないし気絶もしないと思う。だからこの状況はある意味私にとって有利なのかもしれない。もちろん私の感じる苦痛を除けば、だけれど。
ふわりと、体が浮いた感じがした。ぼんやりしだした意識で、エラットが私を軽く上に放ったのだと一瞬遅れて理解した。
目の前を見ると、エラットが空中に浮いた私めがけて蹴りを放とうとしてるのが見えた。なんとなく、自分が頭から下に落ちていくのやエラットの蹴りの速度が遅く感じた。
―あ、やばいかも……あの蹴り、たぶん本気で殺す気だ。槍使わないんだ……?
自分が魔物なのかとか、モンドさんたちを守る理由とか、そんなことは頭からすっぽり抜け落ちていた。ちょっと暢気なことを考えてるなって思いながら、蹴りが当たる場所を考え始める。
―お腹、蹴るつもりかな。
足は地面につかず、手はどこもつかめない。回避しようがなかった。
私はぐったりしてる自分の体に無理やり命令して、全力で腹筋に力を入れる。腕もお腹の前で交差させて、ガードの体制をとる。
「ッハァ!」
その直後、私はお腹を腕ごと蹴り飛ばされ、背後にあったガラス窓をぶち破りながら外に飛び出した。