半ヴァンパイアは訝しむ
クレアが満面の笑みでモンドに機械弓について話しているとき、エリーはずっとベッドにうつ伏せになったまま考えていた。
―ステラちゃんは来てないのに、なんでいるんだろう?
エリーは、隣の家の屋根の上から感じる気配に意識を集中していた。
―気配の感じというか、敵意の無さ、それから気配の位置。全部エラットさんっポイよね。
エリーは気配の主をエラットだと断定し、ベッドに横たわったまま思考を巡らせる。
―エラットさんはステラちゃんの付き添いって言ってたよね。自称だけど。となるとステラちゃんの代役で来たというクレアさんに付き添ってここまで来るのはおかしい? おかしいよね。
エリーの意識からほろ酔いのぽわぽわとした浮遊感が薄れ、少しずつ鮮明な意識に戻っていく。
―クレアさんはステラちゃんからモンドさんへの品を持ってきた。だからクレアさんがモンドさんに品を渡すまで護衛することが、エラットさんの仕事ってことになるのかな。でも普通、品を渡すクレアさんに品をちゃんと渡すように言えば済む話な気がする。わざわざ陰から護衛する必要あるかな? なんか違和感。
隣の家の屋根の上の気配は、先ほどから全く動いていない。まるで監視しているような印象を受けた。
―そもそもエラットさんはステラちゃんの付き添いなんだよね? ステラちゃん自身じゃなくて、ステラちゃんが送る品と一緒に来るのはやっぱりおかしい。エラットさんは付き添いって言ってたけど、実際のところは護衛なんじゃないかな。それでもちょっとおかしい気がするけど。
「ステラに、見舞いに行くと言っておいてくれ。明日か明後日か、エリーと相談して決めるが近いうちに行くと」
「はい。お嬢様も喜ぶと思います。それでは」
クレアがモンドに別れを告げ、玄関を開けて家を出る。エリーはずっとエラットに対する違和感の正体について考えていたが、答えは出なかった。
「エリー、明かり消すぞ」
―やっぱり気になる。確かめてこよう。
「うん、私はちょっと出てくる。すぐ戻るから寝てて」
「起きてたのかよ」
起きてたよ。ちょっとふらふらするから横になってただけだよ。クレアさんの相手は押し付けちゃったけど。
「うん。じゃあちょっと行ってくる」
エリーはグッと腕に力を入れて体を起こそうとする。が、まだ酔いが残っているのか、あるいは別の理由かは分からないが、うまく力が入らなかった。
―体が重い。夜なのに、おかしいな、なんでかな。
エリーには理由が解っていた。が、あえてわからないふりをした。そのまま重い体を引きずるようにして、ベッドから這い出ると、玄関を開けて家を出る。扉を閉めるとき、背後から”俺は寝るぞ”と聞こえた気がした。
ふらふらと、しかし毛皮の貴族亭から帰る時よりはしっかりとした足取りで、家のすぐ近くの狭い路地に入る。
「エラットさんでしょ? 居るのわかってるよ」
「……さ、さすがだね。エリーさん。ま、前よりは、うまく気配を隠したつ、つもりだったんだけど」
狭い路地の反対側に、いつの間にか人影がいた。その人影は自信なさげな口調と声色でエリーに返事をする。
「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「て、手短にね。僕ももう帰らないといけないし、き、君だって疲れてるみたいだから」
足音を一切たてずに近づいてくる人影は、エリーの予想通りの人物だった。相変わらず下半身はズボンをちゃんとはいているのに、上半身は黒いエプロンのような布一枚だけであった。
「んと、今日はステラちゃん来てないのに、どうしてここに来たの?」
エリーの質問に、エラットは間を置かずに答える。
「お嬢が頑張って作ったネックレスが、ちゃ、ちゃんと届けられたかを見ておきたくて。ク、クレア・シンフォードはユルク様が、き、き、昨日雇ったばかりの人なんだ。しっかりした人だとお、思うんだけど、一応、ね」
―てことは、エラットさんは新しく雇った人の仕事ぶりを確認するくらいの信用度というか、立ち位置なのかな。
「ちなみにエラットさんは、いつからステラちゃんの付き添いをしてるの?」
この質問にも、エラットは間を置かずに答える。
「3年くらい前からかな。お嬢がこ、交流特区、に、来たばかりのころから、付き添いをやってるよ。お嬢が今よりもっと小さかった頃は、僕のことを、エラ兄って呼んでくれて、ぼ、僕もお嬢のことを”スティ”って、呼んでたんだ」
エラットは聞いてないことまで答えていく。エリーには、エラットが自分とステラの仲の良さや一緒にいた時間の長さを自慢しているかのように聞こえた。
―3年前から今までずっと付き添いをしてたってこと? なら、ステラちゃんが迷子になった日は、どうして付き添ってなかったんだろう?
「ステラちゃんが迷子になった日は、お休みの日とかだったの? 私やモンドさんと会った時はいなかったよね」
やはりエラットは、間を置かずに答える。
「や、休みの日だって? と、とんでもない。毎日つ、付き添ってるよ。ぼ、僕はその日も付き添いをし、してたんだ。だけど、お嬢の脱走が、すす、すごく突然で、屋敷にいなくなったことにすぐ気づけなかったんだ。気づいたときは、あ、あ、慌てて探しに行ったんだ。僕じゃ見つけられなかった、けど」
―毎日……?
「えっと、エラットさんの言う付き添いって、外出時に同行するってことだよね?」
エラットは、”当たり前だ”とでもいうような表情で、この質問にも即答する。
「も、もちろんだよ。僕の場合は、か、陰ながらになる、けど……ま、迷子になったときに、い、い一緒にいないんじゃ、付き添いとしてはし、失格かもしれないけど」
と、肩をすくめ自嘲気味の苦笑いを浮かべる。
―……やっぱり、よくわかんないや。
「ああえっと、そう言うつもりで言ったんじゃないよ。答えてくれてありがと」
エリーはにこりと笑い、質問を終える。
「じゃ、じゃあ僕は戻るね。お嬢とな、仲良くしてあげてほしいな、特に、エリーさんには」
「私に? モンドさんじゃなくて?」
「と、友達は、何人いてもいいから。ど、同性の友達だって、大切だと思うんだ」
―そう言えばエラットさんに”ステラちゃんと友達になりたい”みたいなこと言ったっけ。
「そうだね」
―……ハーフヴァンパイアで良ければ、友達になるよ。
エラットはエリーの返事に満足そうな表情をすると、そのまま闇夜に消えるように去っていった。
エリーはクルリと反転し、つい先ほど出てきたばかりの家を見る。
―結局、違和感の正体はよくわかんなかったな。そう言えば、モンドさんにエラットさんのこと話してないや。帰ったらちゃんと……
家に向かって一歩踏み出した時、体から完全に力が抜けてしまう。エリーはその場に崩れ落ちるように座り込む。
―あれ……? あ。
久しぶりのその感覚は、唐突に襲ってきた。喉がカラカラに渇き、全身の力が人間の子供並みに弱くなり、犬歯が一目見て解るほど伸び、瞳が黄色く変色する。
―どうしよう……これじゃ帰れないよ。
それは長い期間血を飲まずにいたことが原因の、飢餓状態であった。