青年は首を突っ込む
灰色の髪と短いひげを生やした爺さん。それが俺の目の前に座る、ユルク・ゼラドイルというステラの祖父だ。灰色の髪じゃなくて白髪だったら、たぶん普通の爺さんにしか見えなかったな。耳と尻尾はあるけど。
「モンド君、孫娘を助けてくれて感謝する。わざわざ我が家まで来てもらってすまなかったな。何かお礼をしたいと思っとる。なんでも言ってくれ」
高そうな机に、これまた高そうなソファーが3つ並んだこの部屋には、俺とユルク爺さん、そしてステラだけがいる。使用人はいないが、部屋の扉を出たところにいるみたいだ。
高そうなのは机と椅子だけじゃない。ユルク爺さんの着ている紺色のスーツも、窓ガラスにちりばめられた細工も、カーテンも、天井から釣られた照明も、全部高そうだ。たぶん俺が何を要求してもこたえられるだけの財力があるんだろうな。
「お礼はステラからもらうことになってますから、間に合っています」
あ~あ、断っちまった。ワービーストの持つ技術の中で、俺にできそうなやつを学ばせてくれと言うべきだったんだろうな。金でも良かった。なんなら交流特区からサジ村に帰るまでのあらゆる費用を出してくれとか、あ~あ。あ~あ。
「ふむ、ではこの話は一旦置いておこう。また後で改めてした方がよいじゃろうからな」
あ、やっぱりそうなるか。
ユルク爺さんは俺からステラの方に視線を移し、何か言いだした。説教するつもりなんだろうな。
「ステラ、どうして無断で外出したんじゃ?」
ステラは先ほどからずっとうつむいたままで、ユルク爺さんが問いかけても答えなかった。答えられないっていうのが正しいんだろうな。
「遊びに行きたかったのか?」
それ以外の理由があるのか? 俺には思いつかない。
「……そうです」
やっとステラが返事をした。うつむいたまま、両手を強く握ったまま答えた。ステラは話をするとき相手の目をしっかり見るタイプだと思っていたが、ユルク爺さんの方を見ようとしない。
「では、どうして次の日も外出したんじゃ? わしが帰るまでは外出しないよう使用人が伝えていたじゃろ?」
ステラはまた答えないしユルク爺さんの方を見ない。見ないのは、たぶん怖いからだろうな。
ユルク爺さんの顔は、真顔だ。声色だって、怒気こそ含んでいないが優しくはない。たぶんステラが答えられないのを解って聞いてるんだろうな。
「……ステラにはまだ、外出は早いようじゃな」
そうなると思ってたよ。
「早くないと思います」
俺が口をはさむと、ユルク爺さんだけじゃなくてステラまで俺の方を見てきた。正直金持ち年上のユルク爺さんに見られるのはちょっと緊張するが、口出しした以上もう引けない。
「むしろ遅いです。7歳くらいからうちの村では一人で出歩いたりしてましたし、俺は6歳から一人で歩き回ってました」
まぁ水くみやらの雑用で出歩いてただけだったけどな。
「モンド君、それは村での話じゃろう。ここは交流特区で、ステラはただ村人ではなくゼラドイルという家柄を持っておる。晒される危険の種類や度合いが違うと思わないかね」
おっしゃる通りだ。だが問題はそこじゃない。
「ステラは昨日、辻馬車を使って家に帰りました。その時のことはもう聞きましたか?」
突然話が変わったせいか、ユルク爺さんは一瞬”はぁ?”とでも言いそうなになったが、すぐに答えてくれた。
「辻馬車で帰ってきたことは知っとる」
「その時、金貨で料金を支払いおつりは受け取りませんでした」
それを聞いたユルク爺さんは、またしても”はぁ?”と言いたげな顔になった。
「銀貨80枚は損しとるじゃないか!」
ユルク爺さんはステラをびっくりした顔で見た。
「昔、ユルクさんはステラに絵本をたくさん買い与えたことがあったそうですね。そのとき、ユルクさんが金貨を出して『おつりはいらない』と言っていたのをステラは覚えていて、真似したようです」
「そんな昔のことを」
「ステラは外出経験がほとんどないみたいですね。ユルクさんと一緒に出掛けたという、ほんの数回しか経験がない。だから買い物のやり方をユルクさんからしか学んでいないんです」
辻馬車に金貨を支払った話を聞いて、たぶんユルク爺さんは”なぜそんなことをしたんだ?”と思ったはずだ。だが原因はユルク爺さんにあるとしっかり伝えておく。
「ステラが外で遊びたいといったことはありましたか?」
「な、なかったと思うが」
「たぶん、絵本を買い与えたからですよ。それも大量に」
「どういうことだ?」
「絵本を買ってもらったら読まなきゃいけない。そう言う風にステラは思ったんですよ。だから絵本を全部読んでいないのに遊びに行っちゃだめだと思っていたんじゃないですかね」
どうして外で遊びたいと言わなかったのか、本当の理由は知らないし解らない。だが、ステラを外出禁止にさせないためには、ステラには外出する理由がありますよと、そう言う風に話を持っていくしかない。
「ステラは外で遊んだことがないから、知らない道を歩くときは帰ってこれるよう道を覚えておくとか、馬車や肉などの商品の相場、金の使い方とかを全く知らないんです。俺が8歳のころはちゃんと買い物できてましたが、ユルクさんはどうでしたか?」
「わしも、できておったな……」
だろうな。普通はそうだ。
「それに8歳ですよ8歳。普通に外で遊んだりしたい年ごろです」
「そうじゃな……」
よし、共通の認識ができたところで本題に入ろう。
「ステラには外出が必要です。外出経験がないから迷子になるし、お金の使い方が大雑把すぎるんです。一人で外出させるのが危険なら、付き添いや護衛に誰かを付ければいい。このまま外出させなければ、ずっと世間知らずのままです」
いい感じに話を持って行けた。これならステラを外出禁止にしたりしないだろう。
「一人無断で外出したり、言いつけを破って次の日にも外出したことは咎めるべきですが、外出はむしろさせるべきです」
ステラがちょっと嫌そうな顔でこっちを見た。御咎めなしになるかと期待してたのか? 叱られるべきところは叱られて来い。
「そうじゃな。モンド君の言う通りじゃ。じゃが、付き添いか……いや、よし分かった」
ユルク爺さんは真顔で俺の顔を見る。
「ステラはこれから外出は自由じゃ。ただし付き添いとして一人付け、一緒に行動することにする」
なんで俺の顔見ながらそれ言うんだよ。ステラを見て言えよ。
「モンド君、ステラは君のところに何かお礼をしに行くのだろう。よろしく頼む」
何をよろしくしろって? お礼を受け取れってことなら言われるまでもなく受け取る……と思うぞ。
「はい」
……終わった。あ~緊張した。よその家の事情に首突っ込むとか、野暮なことしたかもな。
目に入るものすべてが高級なお屋敷は、俺には居心地が悪くて仕方なかった。たぶん家主のユルク爺さんに偉そうなこと言ったのも居心地が悪い理由の一つかもしれん。
俺はゼラドイル家の馬車で家に送ってもらうことになった。ステラとユルク爺さんが玄関まで見送ってくれて、俺は馬車に乗りこんだ。
モンドが乗った馬車が見えなくなるまで、ステラは玄関で見送っていた。ユルクも、ステラがなかなか見送りをやめないので、となりで一緒に見送っていた。
馬車が見えなくなると、ステラはくるりと踵をかえし、自分の部屋に向けて走り出した。
「ステラ、廊下を走るんじゃ……聞いておらんか」
というユルクの声も、ステラの耳には入らなかった。ステラは、自分でもよくわからない感情を内に秘めていて、この感情は何をすればいいのか、何をすれば落ち着くのかわからず、困惑していた。
だが、その表情はとてもうれしそうなものだった。