王弟殿下は少年を憎む
ご主人様が船を直している間、私は船の上からあちこちを見張ってた。でも何にもなかった。
見えたものは、ふらふらと歩き回るゾンビみたいな人と、その人たちをすぱすぱと切り捨てていくスケルトンたち、それから王城の北の方の兵士さんたちが戦っている姿。
南の方はあんまり被害が出ていないみたいだね。兵士さんたちが川を防衛線にして隊列を組んでるけど、あんまり襲ってくる人はいないように見える。
「そろそろ直るわよ。ギドを呼んできてくれる?」
「了解」
―よしよし、こんな地獄絵図みたいなところからさっさと帰ろうそうしよう!
私は船を降りてギドのところに走っていく。
「ギドー! 船もう直るみたいだから、さっさとかえろー!」
ギドは返り血でベトベトの顔をグリンって回してこっちを振り返る。人間からしたら超怖いと思うよ。
「直ったのか?!」
―怖い顔してるくせに声がうれしそうだね。ギャップがすごすぎるよギド。
「もうすぐ直るってさ。早くいこ?」
「ああ!」
ギドと一緒に船に走っていく。ギドの部下のスケルトンたちも、私たちに合流して船の縄梯子を上り始める。
縄梯子を上り終え、ご主人様に声をかけようとしたとき、私たちが船に飛び降りた王城2階のバルコニーから声が聞こえた。
「貴様らぁ! ギルバートを奪うだけに飽き足らず! この王都を滅茶苦茶にしおって!」
―うわぁ王様の弟の人だ。結構強めに殴って気絶させたのに、もう起きたの? タフだね。
ご主人様が鬼の形相で王様の弟をにらみつけてる。
「ギド、さっさと船を出しなさい。こんなところから早く帰りたいわ」
「おう! 吾輩に任せてくれ!」
―ご主人様は王様の弟と言葉を交わすのも嫌なんだね。
「さっさと起きろギルバート! その者らを直ちに処断せよ!」
―王様の弟が何か言ってる。声をかけたくらいでギルバートが起きるわけ……ん?
王様の弟がバルコニーから何かを投げつけてきてる。船の上で寝ているギルバートを狙って投げてるね。
あれが命中するとギルバートが起きるのかもって思ったから、キャッチした。
「な! 貴様! 邪魔をするな!」
キャッチした物を見てみると、それはいっぱい装飾が施されたガラス瓶だった。
―たぶんこれ薬かな? 王様の弟の反応を見る限り、たぶんギルバートを起こす薬だと思う。
「抜錨! 左旋回!」
―あ、もう船動かしちゃうんだね。ギルバートを起こす薬なんか持って帰っても困るだけだし、返しておこうかな。
「これは返しておくね」
私はキャッチした薬をそのまま王様の弟に投げ返す。ちょっと強く投げすぎて、王様の弟の胸に当たってビンが割れちゃったけど。
「ん? 何してるのアラン?」
―ご主人様、怪しいビンを投げつけられたことの気づいてないのかな。
「えっと、お返し?」
ご主人様は”何言ってるの?”みたいな顔で私を見たけど、すぐにギルバートに寄り添うようにして座った。
「全速前進! 帰還するぜぇ!」
―ギドの部下って4人しか残ってなかったよね? なんでこんなにスムーズに船を動かせるんだろう?
とにかく私たちはギルバートの奪取に成功し、そのままオリンタス山の根城まで帰還することができたのだった。
王弟ジークルードは、ギルバートを幽閉する部屋に向かう途中の廊下で目を覚ました。
「うっ、ぐ、あ。ここは……」
ジークルードはギルバートを連れ去ろうとしていた女と少年に会い、少年に殴られ気絶したことをすぐに思い出した。
「まずい、アレは代々我が王家が受け継いだ力だ。奪われてたまるものか!」
ジークルードは懐にある薬、ギルバートを目覚めさせる薬を握りしめ走り出す。
「とにかく、奴らの居場所を探らねば」
ギルバートを奪いに来た2人はすでに王城の外に出た後だと考えたジークルードは、2回のバルコニーから王都周辺を見渡して探すことに決め、階段を駆け上りバルコニーに向かう。
バルコニーから王城周辺を見たジークルードは、その風景に絶句した。
以前北門を破り襲撃してきた海賊船、破壊された東の街道の惨状と、大量の人の死体、ぶちまけられた血や内臓、ふらふらと歩く民を殺して回るスケルトン……
「貴様らぁ! ギルバートを奪うだけに飽き足らず! この王都を滅茶苦茶にしおって!」
海賊船の上にいる少年とスケルトン、そして横たわるギルバートのそばに寄り添う女を見たジークルードは、激昂し叫んだ。
ジークルードは、ゾンビ騒ぎもホグダとエリーがギルバートを奪うために起こしたようにしか見えなかった。ゾンビ騒ぎで王都を混乱させ、その隙を突かれた。そう感じた。
船の上の女と少年がこちらを向く。女の方はものすごい目つきで睨んでくるが、怒り狂うジークルードが睨まれただけでひるむことはなかった。
握りしめた薬を一目確認し、ジークルードはもう一度叫ぶ。
「さっさと起きろギルバート! その者らを直ちに処断せよ!」
ギルバートが船の中に隠されていなかったことを幸いと思い、ギルバートに向けて薬を投げつける。ギルバートは正気を失っており制御など不可能だったが、目を覚ましさえすれば暴れまわる。すぐ近くにいる女も少年もスケルトンも倒すことができる。そう考えた行動だった。
そして、投げつけたはずの薬は少年によって阻まれた。投げる直前にジークルードから目を反らしたはずだったが、視界の端で投げる姿をとらえられたのだろうか。
「な! 貴様! 邪魔をするな!」
ジークルードは怒鳴る。薬は一つしか持ってこなかったことが災いし、その薬を奪われた時点で、もうジークルードには何もできることがなかった。
何も思い通りにいかない。自分と兄が治める国の王都がスケルトンやゾンビなどに蹂躙され、何代も前から受け継がれてきたギルバートという王家の力を奪われる。ジークルードは頭を掻きむしりたくなるほどの怒りと屈辱を味わっていた。
「これは返しておくね」
ジークルードはふと聞こえた声と、自分に向かってくるビンに反応できなかった。
パリンと音をたてガラス製のビンは割れる。中に入っていた薬は、当然ビンが当たったジークルードの胸元に染み込む。
グニャリと視界が歪み、見えるものすべてがゆっくりと赤く染まっていく。心臓の音と呼吸の音だけが聞こえる。呼吸がどんどん荒く、心臓の音はますます激しくなり続ける。
ジークルードが体感しているものは、眠り続ける者を起こす薬を健康な人間に使った結果だった。
「う、うぐぅぅぁああああああああああ」
指先がどんどん赤く染まり、爪の中からダラダラと血が流れだす。脈が強く激しくなりすぎたため、毛細血管が血圧に耐えられなくなり内出血を起こす。鼻から、耳から、体のあらゆる末端や粘膜から血が流れ出る。
「はぁ、はぁ、あ、あのガキ……必ず……殺してやる……」
その場に倒れ込み、血の水たまりの上で悶えながら、ビンを投げ返してきた少年を憎む。バルコニーの手すりの隙間から、海賊船は東門に向けて進む海賊船が見えた。
「すべて……あの、ガキの、せいだ……何もうまくいかない……あのガキを、殺さなければ……!」
充血した目を見開き、ジークルードはゆっくりと立ち上がった。王城にいる軍医のところまで、体を引きずるように、壁にもたれながら進んで行く。
「まだ死なぬ……絶対に、殺すのだ……」
血まみれになり真っ赤に充血した目を見開いたジークルードの姿は、もはや人ではなく幽鬼のようだった。