半ヴァンパイアは潜入する
早朝、誰にも気づかれず王都に降り立った痩せ型の男は、王都の北西側のある地区に向かっていた。
王都にはオリンタス山から太い川が流れており、川の水を上水とし下水道を完備した王都は、水の利用に困ったことがほぼなかった。
だが、その太い川は東から王都に入り南へと折れ曲がっているため、北西側のある地区のみは井戸の水を生活用水としなければならなかった。そしてその地区は他の地区と比べ水の利用に不便があるため地価が安く、王都の貧民階級がひしめき合っている地区でもあった。
痩せ型の男、ヘレーネにサイバと呼ばれた男の目的地は、まさに北西にあるその地区だった。
―”人を生きたままゾンビに変え、そのゾンビに噛まれたものもゾンビになる”。そういう毒だったな。
この薬はヘレーネのサディズム極まる趣味の副産物でしかなかったが、危険性は非常に高い毒であった。
―”生きたままゾンビに”というのがよくわからないが、要するに”死霊術を用いずに人間をゾンビのような何かにする”と言うことだろう。つまり、神官の浄化が意味を成さないわけだ。
上から王都を俯瞰していたサイバは、その地区にある4つの井戸の位置を把握していた。
―ヘレーネが言うには、この毒は原液で服用させれば即座に、希釈して服用すれば徐々にゾンビになるらしい、井戸に放り込む毒としては最高だな。
薄く笑いながら、サイバは最初の井戸にその毒を落とした。
ゾンビをネズミ算のように生み出し増やすための行動。それは王都の中で最も人口密度の高い地区で行われた。
もうこの井戸は使えない。解毒剤をヘレーネが作るか、入れた毒がなくなるまで水のろ過作業をくりかえすか……いずれにしても、もう取り返しはつかないだろう。
―すべては真祖復活のため……いや、これは復活した後のためか。
サイバは2つ目の井戸に向けて歩き始めた。サイバはこの地区の人間に破滅と死をもたらすことに、何の躊躇もなかった。
同日の夕方、裕福な姉弟に変装したホグダとエリーは、東門から王都への侵入を試みていた。
土気色の肌を白くぬり、ぼろぼろのワンピースから薄緑色のワンピースに着替えたホグダと、黒染した髪を後ろで縛り、ちょっといい生地の服で男装したエリーは、ちょうどいま検問を受けていた。
「ああ、おねえさんら姉弟かい? 名前は?」
「ホグダ・バートリー。こっちは弟のアラン」
ホグダは本名を名乗り、弟役のエリーのことは偽名で答えた。
「家名持ちってことは、貴族さん? あ、どうぞお通りください」
検問する兵士は、二人を貴族だと思うとあっさりと中に入れてしまった。
「ごしゅ、、ねえさん、普通検問はもう少し厳しい物じゃないの?」
癖でホグダをご主人様と呼びかけたエリーは、疑問をホグダにぶつけてみる。
「あのね、あたしも今来たところなんだからわかる訳ないでしょ。まぁギドが襲撃をかけてまだ日が浅いし、騎士や私兵をもってる貴族は王都に入れときたいんじゃない? あと後ろがつっかえてるせいかも」
ホグダも詳しいことなど知りはしないが、それっぽいことをエリーに返す。
「とにかく、その恰好してる時は”アラン・バートリー”って名乗るのよ。あと声をもう少し低くしなさい」
そんな会話をしつつ、目的地である王城付近の広場にやってきた。
「あとはギドの到着待ちね。アラン、ビンはちゃんと持ってきてるでしょうね?」
ビンとは血の入ったビンのことである。
「持ってきてるよ。あと2本ある」
ヴァンパイアレイジは血をしっかり摂った状態で使うよう指示されている。そして武器を持っていない今のエリーは、ヴァンパイアレイジなしで戦うには少々心もとない戦力だと言える。
つまり、ビン2本分のヴァンパイアレイジの効果時間が、実質的にエリーが戦える制限時間である。
「王城の警備も見える範囲で覚えなさい。誰にも気づかれずに入るのが目標よ」
「は~い」
エリーに緊張はなかった。”失敗したら逃げてもう一度奪いにくればいい””ホグダは神官以外には負けない””ギドが海賊船で突入してくれば、王都は動揺するから好きに動き回れる”など、なんとかなるだろうと考えられる要素がいくつかあった。
だが失敗する気もなかった。
「ギドにいろいろ教えてもらったから、潜入には自信あるよ。だから安心して?」
エリーは緊張気味のホグダに声をかける。
ホグダには強く緊張するだけの理由があった。”200年以上思い続けてきたギルバートを取り戻す”それが今日叶うかもしれないと思うと、どうしようもなく緊張した。
だが、事は思い通りには行かなかった。
「ゾンビだ! ゾンビがいるぞぉ!」
その叫び声は、ホグダをさらに緊張させた。自分の正体がバレたのかと思ったからだ。
「やば、アラン! 神官が来たらすぐやっちゃいなさい! あたしはまだ浄化されたくないわ!」
「ねえさんねえさん、たぶんねえさんのことがバレたんじゃないと思うよ? 結構遠くから聞こえてきたし」
エリーは声の聞こえてきた北西の方を見る。通りや出店がいくつかあり、人もたくさんいる。そしてその人々は、先の叫び声を聞いて困惑していた。
ホグダは一度冷静になると、どういうことか考え始めた。
ゾンビとは、死霊術で生み出す従僕の中でもかなり下位の存在である。それはアンデッドに分類されておきながら、肉体の腐敗によって自然に崩壊する存在だからである。だが、その腐敗がゾンビの知名度、危険度を大きく上げる要因でもある。簡単に言えば、腐敗したゾンビは歩く病原菌の温床であるからだ。
そしてそのゾンビが王都の中にいる。つまり……
「エリー! 今すぐ王城に入るわよ!」
「え? まだギドが来てないけど」
―というか偽名の設定はもういいの?
「いいから早く! 野良ゾンビはとても危険なのよ! ゾンビが本当に出たなら、民衆は協会か王城に逃げ込むわ。そうなるとギルバートを連れ出すのが困難になる」
「でもギドが困るんじゃ」
「骨しかない奴は気にしなくていいの!」
ホグダはエリーがゾンビの被害にあうこと、つまりエリーがゾンビの持つ病原体に侵されることを嫌がったのだが、ゾンビについて説明するのが面倒だったため、適当に理由をつけて話した。
”えぇ……”と、よくわかっていないエリーは、困惑しながらもホグダとともに王城に向かっていった。
「とまれ、城に何の用だ」
城の正面を警備する騎士が、エリーたちに要件を問う。
「王都にゾンビが出たそうです! 神官さんを呼んでください!」
ホグダは可能な限り普通の町娘を演じて騎士にすがる。
「ゾンビだと? どこだ、場所を行ってみろ」
騎士が聞き返すが、ホグダが答える前に
「ゾンビだあああああ」
「きゃああああああああ」
「神官を! だれか神官さんをよんでくれええええええええ!」
エリーたちが先ほどまでいた広場の方から、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
「早く!」
ホグダが急かすと騎士は踵を返し、王城に事態を知らせに走る。
「いくよねえさん」
「うわ、エ、アラン?!」
エリーは演技を終えたホグダを抱き上げ、ヴァンパイアレイジを使って王城に走る。
そのままある程度近寄ると、二階のバルコニーまで一気に跳躍する。
「ゾンビは神官たちが何とかするんでしょ? その間にギルバートって人攫っちゃおうよ」
ゾンビが出ようが作戦通りに進まなかろうが、エリーは気にしていなかった。ギルバートを攫うために来たのだから、少々状況が変わってもやることは変わらない。そう思っていた。
ホグダはエリーの言葉を聞いて、一度冷静になる。
”神官はゾンビの方に集中するだろうから、あたしやギドが動きやすくなるはず。でもゾンビの浄化なんて大した時間はかからないから、急ぐ必要がある”
そこまで考えると、ホグダはすぐに行動を始めた。
「アラン、ギルバートを探すわよ」
王城の誰かがギルバートのところに行く、そのあとをつけてギルバートを見つける。本来はそういう作戦であったが、今になってそれが回りくどいと気づいたホグダは自分で探すことにした。
「こっち」
エリーはもう一度ホグダを抱え上げて、王城の北側のバルコニーに向かって走り出した。
―ギルバートはあの時床とか壊してた。まだ修理は終わってないはず。
初めてギルバートに会った時の痕跡を求めて、王城の誰にも見つからずにエリーは進んで行く。
今王都で起きている惨状を見ないまま、ホグダとエリーは自分たちの目的のために動き出した。
プロットにゾンビパニックなんて書かれてないのに、なんでこうなったんだろう?




