それは無敵で最強の存在足りえるか?
目が覚めてから目を開けるまでの、夢と現実の間の時間。
ベッドやシーツが持っている心地いい温かさに、ぼやけた意識が薄い幸せに浸される。
でもベッドやシーツ以外の温かい感触と、自分の家や宿のとは違う匂いを感じ始めると、自然とパチッと目が開いた。
「……んえ?」
ゼルマさんの寝顔が目の前に飛び込んで来て、頭の中が冷たく冴えわたる。
なんで?
いや覚えてる。
血を吸わせてもらったんだ。
朝一番にグイドから飛び出して、午前中に王都に着いて、ゼルマさんの家を訪ねたら留守で、兵舎に行ってみようと思ったけど、ゼルマさんを見たら時間も場所も関係なく血を求めてしまう気がしたから、家の前に座って待ってた。
でその後家に入れてもらって、歯を触ってもらって、首筋に噛みついて……
そこからは憶えてない。
「ま、まさか」
そう思ってゼルマさんの肩に手を置いてみれば、ちゃんと体温を感じられた。
よく見れば呼吸で胸やお腹が少し上下してる。
大丈夫。
血を吸い過ぎたみたいだけど、貧血で済んだみたいだ。
あぁ、よかった。
自分がどれだけゼルマさんから血を吸ったのかわからなくて、焦った。
自制なんて利かないくらい吸血欲求が高まってたから、ほんとに致死量以上に血を吸ってしまったのかと思った。
寝起きで冷や汗までかいたよ。
「……はぁ」
ため息を吐いて、ゼルマさんの寝顔を改めて見てみる。
寝苦しそうな感じはしないけど、顔色は若干青い。
もう朝だけど、目覚めそうな感じもしない。
どうしよう。
このまま黙って家を出て、一晩中待たせてしまったギドと合流した方がいいかな。
ほっといても死にはしないだろうし……
……
「ああ、もう……」
私は頭の横をガリガリ掻いてからベッドを降りて、ゼルマさんの家のキッチンに勝手に向かった。
棚にあるのはパプリカにピーマンにニンニクにジャガイモと、野菜ばっかり。
私は勝手につるされていたエプロンを付けて、勝手に調理器具を取り出して、勝手に食材を切り始める。
自分の雑嚢から干し肉と干しキノコと、岩塩も使う。
いつもの塩味スープにゴロゴロとした野菜が出来上がる。
「出来た。というか作っちゃった」
なにしてるんだろう私。
勝手に人の家で人の食材で料理作って、何のつもりなの?
血を吸わせてくれたお礼とか?
その後一晩泊めてくれたから?
あぁ、自分にイライラしてきた。
イライラするなんて久しぶりだけど、モヤモヤする。
もういいや、帰ろう。
スープの入った鍋以外の調理器具を洗って。
それから自分の雑嚢を手に取って。
一回降ろして。
エプロンを
「良い匂いがする」
エプロンに手をかけたら、ゼルマさんの声が聞こえてきた。
起きちゃったし……
気まずいし……
ちょっとためらってから声のした方を見ると、案の定ゼルマさんが起き出していて、私を見ながらテーブルに就いた。
顔色は若干青いけど、ふらついたりはしてない。
元気じゃないにしても、普通に生活できそう。
昨日噛みついた吸血痕がチラリと見えて、私は顔を反らした。
「おはよう。あと、その、ご馳走様……お邪魔しました」
「せっかくだからよそってくれ。皿はそこの棚にある」
「ぐ」
な、なんで今日に限ってちょっと強気なのかな。
横目で顔を見たらニヤニヤしてるし、絶対私が気まずそうにしてるのを楽しんでるよね。
睨みつけ……るのはなんか申し訳ないし、でもこのまま突っ立ってたら
「あぁ、貧血でふらふらする。自分で皿によそおうとしたら、ふらついて鍋を倒してしまうかもしれないな」
あぁ、やっぱりそう言うよね。
ゼルマさんは私に断らせるつもりがない。
さっさと帰ってればよかった。
「わかった」
そう答えてからエプロンを付けなおして、お皿を出して、よそって、スプーンも出して、テーブルの上に並べて、それからエプロンを外す。
1人分しか作ってないし、そもそも一緒にご飯を食べるつもりもない。
「んー、いい匂いだ。いただきます」
食べ始めたゼルマさんを横目に見てから、ようやく雑嚢の肩紐を肩にかけた。
そして玄関に向かって1歩踏み出した瞬間
「ふわぁ……幸せぇ……」
ゼルマさんが昨日の私の真似をして
「わ、なっ、なぁあ!」
顔から火が出そうになった。
「あ、あ、何!? からかってるの!? やめてよ!」
バッと振り返って睨みつけると、ゼルマさんは満面の笑みで私を見てた。
本当に腹が立つ。
「違うさ。人に朝食を作ってもらうのは幸せだなと思っただけだ」
「じゃ、じゃあなんで昨日の私と同じセリフなのかな!?」
「偶然だ」
「嘘! からかってる! 絶対!」
「すまない。あんまりにも幸せそうに、それも私の耳元で言ってくれたものだから、耳に残っていたようだ」
「うぐぐ、ぐ」
謝ってはいたけど、顔は満面の笑みで、なにより言葉の後に”ふふふ”なんて屈託なく笑うもんだから、もう何て言って怒っていいかわからない。
からかわれた怒りと昨日の自分がしでかした羞恥に、私はもうどうにかなりそうだった。
吸血の終わりに言ったことは”血を飲んで幸せになりました”とか、”私はあなたの血で幸せになっちゃいます”とか、そう言う風に聞こえなくもないというか。
ちょっと言葉の裏を考えれば、そう言う風に聞こえてしまうというか。
恥ずかしくて仕方ないけど、実際思ったことがそのまま口に出ちゃってたんだと思うと、否定しようがないというか。
「も、もう行くからね!」
「ああ、悪かった。あと、ありがとう。おいしいよ」
急に素直というか、いきなりお礼を言われてしまって、私はこのまま黙って家を出ればいいのか、一言くらい言ってから家を出ればいいのかすらわからなくなる。
本当にゼルマさんは私の心を乱してくる。
「ま、また、血、飲ませてもらいに来ると、思うから」
「ああ……そうだ、ついでに兵舎にも寄って行ったらどうだ? あの3人も暇なようだから、会いにいくと喜ぶだろう」
ジャイコブにチェルシーにギンね。
会っていこうかな。
「うん。それじゃ」
「ああ」
ゼルマさんに軽く手を振ってから、私は玄関扉をくぐって家を出る。
思った以上に長居した気がするけど、もう気にしないことにする。
とりあえず少しゼルマさんの家から離れて、ギドを呼んでみる。
「ギド~?」
「呼んだかぁ?」
何気なく呼んだらすぐに角から現れてくれた。
「待たせてごめんね。どこに居たの?」
「ゼルマの家の屋根の上だぁ。気付いてなかったのかぁ?」
あぁ、うん。
今は気付けないかな。
「いっぱい血を飲んだから、今の私はほぼ人間なの。聴覚とか嗅覚とかも人間並みだから、ギドの気配を察知するのは難しいよ」
というと、ギドは左手のひらを右こぶしで打って”なるほどなぁ”みたいな仕草をした。
頭だけの期間があったせいか、身振りが大げさだね?
「そりゃそうだなぁ。不便じゃねぇかぁ?」
「う~ん、嬉しい不便って感じかな。今の私は」
「ほぼ人間だろぉ? ちゃんとした人間じゃなくても嬉しいもんかぁ。わからなくもねぇけどよ」
嬉しいに決まってるよ。
血を飲みたいって欲求が無いだけで解放感がすごい。
誰にも理解してもらえないかもしれないけど、血を一杯飲んだ後、服や荷物を重く感じたり、鋭すぎた五感が落ち着いたりすると、私は心の底から嬉しくなれる。
弱くなったって言うより、元に戻れたッて感じがする。
「でもアレだなぁ」
「何?」
「今のエリーだと、通り魔とかにあっさり殺されそうだぁ。吾輩の居ない時はちゃんと警戒しとくんだぞ? あと知らない人について行ったらダメだァ。それから人気のない場所は通るんじゃねぇぞぉ?」
「子供扱いしないでよ! それに通り魔になんか殺されたりしませんから! 刺されたって再生するし、再生にエネルギー使う分、血に飢えて強くなっちゃうんだから返り討ちにできるからね」
「それもそうか。つか、怪我すればするほど強くなるってこたぁ無敵じゃね? 誰が相手でも負けねぇんじゃねぇかぁ?」
「あ、ギドもそう思う? 私も実はそうなんじゃないかと思ってたの。本気で殺し合いしたら、私に勝てる人なんていないんじゃないかな!?」
「だなぁ! どんなに怪我しても痛くて血が飲みたくなるだけで、どんどん強くなるもんなぁ! ヤベェ。実はエリー、吾輩より強いかもしれねぇぞぉ?」
「ギドより強いって、もう無敵じゃん!」
「おう! 無敵よ無敵! 最強だぁ!」
「最強だぁ!」
気付くと私はギドと2人で小躍りしながら路地を歩いてて、そのまま大通りに出てしまった。
”最強だぁ!”なんて言いながら路地から私と全身黒づくめのギドが出てきたら、注目されると思う。
というかされてる。
最高潮のテンションは一瞬で凍り付いて、私とギドは目立たないように背中を丸めて大通りに紛れ込んだ。
私の横で若干シュンとしながら歩くギドに、私もシュンとしつつ聞いてみる。
「はしゃぎすぎたかな」
「間違いねぇ。2人そろって大はしゃぎしちまったぜぇ」
私たちは2人そろってシュンとしたまま、騎士団の兵舎に向かってとぼとぼ歩くことになった。
足りえません。




