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魅了再び

 ギドにアレを潰されて再び失神したキャメルさんを、グイドでとった宿に連れ込む。

 

 女の私が見た目女の人のキャメルさんを連れてきたから、宿屋の人には何も言われなかった。

 

 一応男を連れ込んだことになるんだけどね。

 

 普通の宿屋さんだから、そういうことは禁止。

 

 そしてそういうことをするつもりも毛頭ない。

 

 ちなみにギドは私が借りた部屋の窓を開けた後、そこから忍び込むことになってる。


 微妙に建付けの悪い窓を全開にしてギドを呼び込んだら、キャメルさんは適当にベッドの上にでも転がしておいてギドに任せ、私は宿屋さんの水場へ移動する。

 

 井戸の横には桶があって、大き目の溝から下水へと水を流すことが出来る。

 

 ここなら気兼ねなく汚せるというわけだね。

 

 「ふぅ……」

 

 別に気負うようなことじゃないけど、久しぶりにやるからか、ほんの少し緊張した。

 

 この緊張は、我ながら謎だね。

 

 左腕の袖を肘まで捲り上げて、露出した左の前腕の、肘の近く。

 

 ふっくらしたところ。

 

 そこを口のすぐ前まで持って来て、”はぁ……”と小さく息を吸い込む。

 

 それから一息に、噛みつく。

 

 「んぐ」

 

 昔と違って牙が伸びたりはしないから、前歯が全部肌に食い込んだ。

 

 痛い。

 

 前と違って気持ちよくも無い。

 

 でも魅了が使えるようになるまで血に飢えないといけない。


 すでにちょっと涙が出そうなくらい痛いけど、我慢。

 

 皮膚の下で筋肉が蠢くのを歯で感じながら、鼻から少しだけ息を吸い込んで、もう一度一息に…… 

 

 ”グブチッ”という音が歯や顎を伝って、頭まで響いた。

 

 私は噛んだところを右手で押さえながらうずくまって、口についた血が地面にポタポタ落ちるのを見ながら呻いた。

 

 「イ゛ッ……たぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 普通に涙が出てきた。

 

 他に方法無いのかな。

 

 いやあるだろうけど、パッと思いついたのがこれだった。 


 ハーフヴァンパイアの頃に何回かやったことあったし。

 

 でも自分の血じゃ興奮しない。

 

 だから今になっても牙が伸びない。

 

 普通の人間の歯で血が出るまで腕を噛むと、こうなるらしい。

 

 生々しい噛み痕に血と涎がコーティングされて痛々しい。

 

 でも噛み痕が再生を初めて、あっという間に歯形は消えて、血と涎に汚れただけの肌が見えた。

 

 「ふぅ……はぁ……あぐ」

 

 もう一噛みして、この感覚をもう一度味わう。

 

 私は弱いから、きっとこれからも血に飢えて得られるこの力に頼ることになると思う。

 

 だから自傷に慣れておく必要がある、と思う。

 

 こうやって自分で自分を痛めつけて、血に飢えられるようになっておかないとね。

 

 肌と肉に食い込んだ歯を抜いて、ちょっとだけ前歯に舌先を這わした。

 

 「イッタぁ……それに、不味い」

 

 魅了が使えるようになるまで、あとどれくらいかかるかな。

 

 人目に着く時間になるまでには、使えるようにならないと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日が昇って、宿の従業員が起き出す頃、エリーは宿の水場でジャバジャバと水を撒き、自身が流した血液を洗い流した。

 

 その後ふらふらとした足取りで、ギドとキャメルの待つ部屋へと戻る。

 

 半開きの口に、わずかに傾いた頭、濁った瞳。

 

 そんな普段とは違う姿で現れたエリーは、相変わらず失神ししたキャメルの上に座るギドに出迎えられた。

 

 「遅かったなぁ」

 

 「ごめぇん……加減がわからなくて……どう? 魅了、使えそう?」

 

 「おぉ、なんかヤバそうって感じだぁ」

 

 エリーはフラリフラリと酔っ払いのような足取りでギドとキャメルに近づく。

 

 ギドはエリーが十分近づいてから、キャメルの上から避けて、壁に背中を預け、腕を組んで様子を見始めた。

 

 ベッドにうつ伏せに寝るキャメルを仰向けに転がし、ベッドの端に腰かけ、肩を掴んで優しく揺らす。

 

 ベッドがほんの僅かな軋む音を発し、キャメルの首も左右に揺れた。

 

 完全に脱力していた体から、わずかな強張りを見せた。

 

 エリーはすかさず、いつかのように優し気に名前を呼ぶ。

 

 まだ目を開けないキャメルに、微笑む。

 

 「キャメルさん」

 

 「……んぅ」

 

 煩わし気な声を上げたキャメルは、ゆっくりと薄目を開け、それからエリーの顔を見上げた。

 

 朝焼けの光が締め切られた窓のカーテン越しに、ほんのわずかな明かりとして投げ込まれた暗い部屋。

 

 閉め切られて制止した空気。

 

 急所を何度もつぶしてきた、壁に寄り掛かる黒ずくめの怪しい人物。

 

 仄暗い天井。

 

 そう言った情報を一足飛びにして、エリーの笑みがキャメルの視界に飛び込む。

 

 ハッと息を飲む。

 

 手足の拘束は今は無い。

 

 キャメルがそれを感じ取り、体を動かそうと思った瞬間。

 

 「おはよ、キャメルさん」

 

 エリーに目を見つめられ、名前を呼ばれた。

 

 「ぁ」

 

 攻撃しようとか、逃げ出そうとか、そう言った思考は一瞬で漂白された。

 

 キャメルの中に在ったエリーの存在が、そんな思考を許さないほど巨大化する。

 

 埋め尽くす。

 

 ヘレーネへの崇拝すら押しつぶす。

 

 何をしようとしていた?

 

 何がしたかった?

 

 そんなことすら考えられない。

 

 「おはよう」

 

 エリーに挨拶されたのなら、返さなくてはいけない。

 

 それが当然であり、疑う余地など、すでにキャメルの中にはない。

 

 目覚めの瞬間に微笑みかけてくれることが嬉しくてたまらない。

 

 キャメルにとってこの朝が、最高の目覚めとなった。

 

 キャメルはジィッとエリーの顔を見上げ、目を見つめ、幸せをかみしめる。

 

 魅了に絡めとられたキャメルには、それこそが今すべきことだった。

 

 キャメルの幸福は続く。

 

 「キャメルさん」

 

 エリーに名前を呼ばれ、嬉しくなる。

 

 「なぁに?」

  

 エリーと会話が出来て、気持ちいい。

 

 「お願いがあるんだけど、いい?」

 

 頼みごとをしてくれることが、誇らしい。

 

 「なんでも言いなさいよ」

 

 どんなことでも従って、褒めて欲しい。

 

 愛してほしい。

 

 心の底からそう思ったキャメルに、エリーの命令を断ることはあり得ない。

 

 「ヘレーネさんから私を守って欲しいの。私と会ったこととか、私が記憶を取り戻してることとか、どこで何をしてたのかとか、言わないで欲しい」

 

 守ってほしいと言われれば、守るしかない。

 

 その方法まで聞いたのなら、実行するしかない。

 

 「お安い御用ね」

 

 「あとね、ヘレーネさんの居場所がわかったり、私を狙って何かしようとしてるのがわかったら、教えて欲しいな。ピュラの町の小人の木槌亭っていう冒険者の店に、言伝を入れてくれればいいから」

 

 「あんたに直接言いたいんだけど」

 

 「じゃあ住所も教えてあげるね。でも来ちゃダメ。手紙か何かで私を人目のないところに呼び出して、そこで会って、直接教えて」

 

 「そう、わかったわ。でも緊急の時はあたしから会いに行ってもいいでしょ?」

 

 「それは……うん。仕方ないかな」

 

 「ンフフ。やった。緊急の要件……」

 

 エリーはキャメルが変に微笑むのを見下ろしながら少し考え、さらに続ける。

 

 「ヘレーネさんがどこかの町で騒動を起こしたり、起こそうとしてることがわかった時は、緊急の要件ってことで、直接キャメルさんから私を訪ねてね」

 

 「あらいいの? それならすぐにでもヘレーネ様の居場所、探しに行くわよ?」

 

 エリーは微笑みを深くして、頷いた。

 

 「うん。私すっごくヘレーネさんのこと怖いし苦手だし、天敵みたいに思ってるの。ヘレーネさんはもう一度私を捕まえて、あの酷い実験の続きをしたくてたまらないんだって思うと、今でも泣いちゃうくらい怖い。だから、チャンスがあれば、今度こそ……」

 

 「今度こそ、なに?」

 

 深めた笑みをさらに深め、軽い冗談でもいうような声色で、エリーは言った。

 

 「今度こそ、殺しちゃうの」

 

 エリーはそう言い切った。

 

 キャメルはそれを聞いて、やはり嬉し気に笑った。

 

 「それがあんたの望みなのね。叶えられたらうれしいのね。あたしに手伝えることなのね」

 

 「うん」

 

 「わかったわ」

 

 

 

 

 一部始終を見ていたギドは、会話の終わりまで静かに見守っていた。

 

 「魅了のスキルヤベェわ。こんな簡単に寝返らせられるって、まじでヤバいぜぇ」

 

 太陽が完全に顔を出し、蝋燭なしでも十分に明るくなった部屋には、既にキャメルは居なかった。

 

 ベッドの上で悶々としているエリーは、ギドの言葉を聞いてはいたが、反応しない。

 

 「なぁ、なんでそんなに落ち着かねぇんだ? 魅了を使うのがそんなに嫌だったのかぁ?」

 

 そう問うと、エリーはのっそりと顔を上げ、ギドの方を見た。

 

 「それもあるけど、なにより血が飲みたい。ほんとにおかしくなる。もう帰っていいかな」

 

 「あぁ? そりゃダメなこたぁねぇと思うけどよぉ」

 

 モンドから依頼の報酬をもらってないとか、グイドから交流特区への復路の護衛はしなくていいのかとか、あと絶賛グイドを観光中のステラやユルク、クレアやスコットはほっといていいのかとか、色々とある。

 

 あるにはあるが、ギドにはエリーが、もうどうしようもないくらい血に飢えているように見えた。

 

 グエン侯爵からは金貨がジャリジャリ入った袋を報酬としてもらっているし、さっさと帰ってもいいような気もしていた。

 

 「帰るかぁ?」

 

 「帰る。というか王都行く」

 

 「だなぁ。血の伴侶だっけ? 人間の血って言うより、ゼルマの血が飲みたいんだもんなぁ。難儀なもんだぜ。その辺の一般人を襲えばいいのによぉ」

 

 「それやったら私、自分のことものすごく嫌いになっちゃうよ。すっごい後悔すると思う。今もあんまり好きってわけじゃないけど」

 

 「めんどくせぇから吾輩みたいに完全に悪人側になっちまえよ。自分が自己中心的に生きることを許せれば、楽になれるぜぇ? もう諦めて襲っちまえ。この宿の店主とか店員とか、結構肌艶が良かったぜぇ?」

 

 「や、やめてよ。ギドにそう言われたら、ほんとにそうなっちゃいそうになるよ。ギドが良いって言ったからって言い訳して、悪いことなんでもやっちゃうよ」

 

 「吾輩やご主人様と一緒に王都を襲って、王家の秘宝を盗み出した極悪人アラン・バートリーが何言ってやがる。エリーも立派な悪人だぜぇ?」

  

 「ヤメテやめて!」

 

 再びベッドの上で頭を抱えるように蹲ったエリーを見て、ギドは思う。

 

 「こりゃ酷い。飢餓感が強すぎてちょっとおかしくなってる。さっさと血ぃ飲ませたほうが良いなぁ」 

 

 ギドはエリーの代わりにエリーの荷物をまとめて準備を整え、チェックアウト出来る時間より少し前に、窓から宿を出たのだった。

スマホ壊れたり仕事に遅刻したり、さんざんな日々を送っていて投稿が遅れました。

待っていてくださった方々、誠にごめんなさい。


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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱりエリーは自傷では気持ちよくなれないのですね!! エリーが魅了をかけるシーンは前回も含めて、謎にドキドキしてしまいます(*´Д`)
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