グエン侯爵の依頼
エリーが記憶を取り戻し、ピュラの町に帰還してから、2か月が過ぎた。
エリーは相変わらず、ギドを連れて1日か2日で終わる雑用や討伐の依頼を繰り返し、マーシャはお針子の仕事をしていた。
もし2か月前と変化があるとすれば、エリーの髪が少し伸びた程度のことだろう。
前髪は目元を軽く隠し、もみあげは少々だらしなく頬を覆い、後ろ髪は肩にかかる程度だったはずが、背中の上の方にかかる程度だ。
”そろそろ髪を切りたいな”などと思いながらも”まだいいか”と先送りにした結果、今日もエリーの髪は少々ずぼらな長さで、毛先があっちこっちを向いていた。
そんなエリーはこの日、小人の木槌亭にて、ここ最近幾度も繰り返した問答をマスターと展開していた。
「エリーちゃん頼むよ。グエン侯爵の依頼、受けてほしいんだ。前にも言ったが、報酬も高いんだよ?」
渋い声とエリーが表現するマスターの声は、ここ最近は情けない声色ばかり出していた。
グエン侯爵の依頼。
それは1カ月前から進められている、グイドの交流特区化に関わるものだった。
現在ある交流特区から、約半数の亜人種を、国を横断してグイドに迎え入れる。
その際に起こるであろう、人種間の軋轢や問題に、出来るだけ対処してほしい。
そういう具体性の低く必要な日数も不明な、めんどくさい依頼である。
小人の木槌亭で囲っているエリー以外の数パーティは、誰もこの依頼に食いつかないのだ。
理由はただ1つ。
めんどくさそうだから。
彼らはめんどくさい依頼は極力受けず、慣れた簡単な依頼ばかりこなす。
冒険者の大半はそんなものである。
そしてエリーも冒険者である以上、このめんどくさいに決まっている依頼は避けることにしている。
もしエリーと他の冒険者達に違いがあるとすれば、めんどくさい以外に依頼を受けない理由があるかどうか、だろうか。
「何度も言ったじゃん。嫌だよ。何日も帰ってこれないじゃん。そう言う依頼を受けた時に限って、私は変なことに巻き込まれたりするんだよ。あとマーシャさんが暴走する」
そして案の定断られたマスターは、最終手段に出た。
「でもねエリーちゃん。他の依頼はもう無いんだ。エリーちゃんがすごい勢いでこなしていくのと、他の連中がその日暮らしのために受けたりしていて、簡単なのは出し切ってる」
これは小人の木槌亭最終奥義の”他の依頼は無いからめんどくさくてもこれ受けてね”である。
エリーはこれに対し、今まで回答を持たなかった。
エースだなんだと持ち上げられ、流されるまま受けたこともあった。
だが今のエリーには、この奥義に対抗するカードがある。
「そっか。じゃあ他のお店行ってみるよ」
これぞ秘儀”依頼が無いなら他のお店に行くね”である。
サラリとそのカード切ったエリーに対し、マスターの反応はとても顕著だ。
「ま、まま待って! エリーちゃんどこに行く気だい!? 嘘嘘! まだちゃんと依頼あるから! 向かいの書庫にある本の天日干しのお手伝いが!」
「雑用依頼じゃん。いいよ。またねマスター」
「えりーちゃぁああん!」
取り乱し、情けなさ5割増しのマスターをしり目に、エリーは背を向けて小人の木槌亭を出る。
あとに残ったのは、依頼を出し渋った結果自爆した、哀れな店主の姿だった。
「た、逞しくなったね、エリーちゃん……」
打ちひしがれつつも、エリーの成長を感じて零した一言を、エリーが聞くことは無い。
小人の木槌亭を出たエリーが次に向かったのは、魔女の入れ墨亭だった。
店の前を見張る浮浪者じみた男、チャグノフに合鍵を見せ、店に入る。
ただの狭くて汚い路地にしか見えない表とは打って変わり、きれいに掃除の行き届いた店内には、エリーの思った通りの人物が居る。
短く切りそろえられた赤い髪に、派手なドレスを奇怪に着こなす、筋骨隆々のリリアンだ。
「……ん? あらエリーちゃんじゃない♪ いらっしゃぁい久しぶりねぇ♪」
小人の木槌亭のマスターよりも渋い声は、今日のマスターと打って変わり、余裕と楽しさをにじませる。
そしてエリーといえば、いい加減リリアンの癖の強さに順応し始め、言葉遣いこそ敬語だったが、勝手に席に座って待つなど、順調に馴染み始めていた。
「そうでもないと思います。週に1回くらいは来てます」
「6日ぶりは久しぶりよ♪ コルワ呼んでくるわね?」
「はーい」
そしてエリーがふと振り返れば、真っ黒のローブにくたびれた槍を背負った男、ユーアと、ボロボロの神官服に大きな戦斧を背負った男、マイグリッド、そしてセバスターとアーノックが、同じ机を囲っていたりする。
王都の動乱が収まった後、ユーア、セバスター、アーノックはいつの間にかマイグリッドまで連れてピュラの町に帰ってきていた。
貴族からの依頼を多く扱う魔女の入れ墨亭で、彼らのようなタイプの冒険者が居場所を見出していることを、エリーは時々疑問に思ってしまう。
彼らの今日の目的はただ酒を飲むことだけのようで、テーブルの上にはグラス4つと灰皿が1つがあった。
そしてユーアのタバコが全員に1本ずつ強奪されているのも、エリーにとっては見慣れた光景と言えた。
ぼんやりと彼ら4人の談笑を眺めていると、店の奥からコルワが現れた。
リリアンのドレスに感じの似た服装に、ボブカットの黒髪が揺れ、エリーを見つけて笑いかけながらカウンターに立つ。
「こんばんわ。何か飲む?」
「ううん、いい。私酒癖良くないかもしれないから」
「エリーって酔うとどうなるんですか?」
「さぁ? グエン侯爵と飲んだことあるけど、よく覚えてない。でもお酒は控えるように言われちゃった」
「へ、へぇ。侯爵とお酒飲んだんですか。すごいですね」
「今思うと、自分でもよく飲めたと思う。庶民が貴族と飲むなんて、普通ないよね。会ってから日も浅いのに」
「私だったら緊張して飲めなかったと思います」
「今の私でもそうなると思う」
週に1回は顔を合わせるようになったエリーとコルワは、それなりに打ち解けている。
カウンターに頬杖を突きながら、奥の4人とはまた違う談笑が繰り広げられるのはいつものことだ。
だが今日のエリーは、談笑の前に仕事の話を振る。
「ところで、1日か2日くらいで終わる仕事ないかな。出来れば討伐系」
「ん~、無いですね」
「無いの?」
「うちは貴族からの依頼が多いですから、面倒なのばかりですよ。その分御給金は高いですけれど、日数のかからない依頼はあまり無いんです……そう言えば、エリーはグエン侯爵の依頼、受けないんですか? エリーなら受けるかと思っていたのですが」
”ここでもその依頼の話か”とエリーは若干うんざりしつつ答える。
「数日で終わるなら受けたいんだけどね。私が長くピュラの町を離れると、暴走する人が居て」
「暴走?」
「暴走。1人で蠱毒姫に特攻するくらいの暴走しちゃうの」
「それは大変そうですね」
「大変だよ」
”ふふ”と軽く笑いあうと、コルワはもう少し話を深く掘り下げる。
「ところで、グエン侯爵はもう1つ、別の依頼も出しているんです。それは知っていますか?」
「え、知らない。どんな依頼?」
「交流特区からグイドまでの護衛です。と言っても、少し変則的な依頼なんです」
「変則的な依頼?」
エリーが聞き返したことで、コルワは詳細を話し始める。
要約すると、以下の通りだ。
交流特区からグイドまでの道中には”ブラフォードの森”という森林地帯があり、その森を抜ける間だけ亜人種や荷車を護衛してほしい。
ブラフォードの森を通らないルートもあるが、グイド以外の町、つまりまだ交流特区化されていない町の近くを通ることになり、グイドと他の町との間で無用の軋轢を生む可能性がある。
そのためブラフォードの森を抜ける道以外の選択肢はほぼない。
そしてブラフォードの森の中で、亜人種や護衛の冒険者が幾度か襲撃され、行方不明になっている。
冒険者には亜人種らがブラフォードの森に入ってから抜けるまでの間の護衛と、道中襲撃された際の襲撃者たちの制圧を依頼する。
ということだった。
「うわぁ、めんどくさいというより、もう関わりたくないレベルでヤバそうじゃん。国際問題とかになるんじゃないの? よく知らないけど」
「実際になりかけているようですよ。クレイド王国が亜人種を国の中に招き入れたのは、亜人種を国内で皆殺しにするためなんじゃないかって糾弾されているそうです。国王様も少し短慮だったのではないかと思いますね」
「あぁ、うん」
「ご家族を全て一度に亡くされて大変な時期に、今まで避け続けていた亜人種との交流を進めるなんて……よくわかりませんけれど、きっと何かお考えが御有りなのです。きっと」
「そうだね」
「そう言うわけで、割とクレイド王国の存亡にかかわる依頼なんですけど、受けますか?」
「受けません」
「グエン侯爵から、もしエリーが店に来たらこっちの依頼を受けさせろと言われています」
「私は魔女の入れ墨亭に来なかったことにしてください」
「仕方ないですね。1つ貸しです」
グエン侯爵とは、ほぼ1年ほど前に色々と関わったこともあり、出来れば依頼を受ける形で返礼がしたい。
そう言う気持ちはエリーにもある。
しかし、エリーは今の穏やかな生活に楽しみを見出しており、出来る限り現状を維持したい。
内に秘める欲求や吸血への衝動も、最近は鳴りを潜めていた。
本当は自分がちゃんと人間になれているのではないかと錯覚しそうな程、エリーの今は静かで穏やかだ。
それを守りたいと思うことを、エリーは良しとしたのだ。
エリーは頭の中で整理を終えると、気持ちを切り替えて別の話題を振る。
「そう言えばサマラさんは今どのあたりに居るの?」
「グイドです。他国の文化の流入を果たしたグイドは、行商人にとって宝物庫みたいなものですから」
別の話題のはずが、またグイドの話に逆戻りしそうになっていた。
エリーは話が逆戻りしないよう、話題の方向を少し変えて進める。
「どんなのが売れるんだろうね?」
「私にはわかりませんよ。どんな品が持ち込まれたのかすら見ていませんから」
「それもそうだね」
いつの間にか、エリーとコルワは依頼とは無関係の談笑を始めていた。
エリーもコルワも依頼がどうのというのは頭から外し、リリアンを交えて姦しくするのが、エリーにとって楽しいと思えた。
冒険者なのに依頼を受けないとはこれいかに。