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閑話 飼い犬とエリー

 簡単な依頼を毎日こなして、終わったら家に帰って来る。

 

 ヴァンパイアがらみの非日常が終わった後に訪れたのは、私にとっての日常。

 

 そして日常には悩み事が付き物だったりして、楽しいだけの毎日は訪れなかったりする。

 

 大きな悩み事はないけど、細々としたというか、慢性的な悩みがある。

 

 例えば、ふとした時に感じてしまう被虐的な快感とか。

 

 例えば、マーシャさんと犬のエリーのこととか。

 

 ふいの休日、家でのんびりしているとき、私はふとそういうことを考えてしまう。

 

 

 

 

 去年の冬、真祖が復活した影響を受けた私は、マーシャさんの家から飛び出して王都にやってきて、春の終わりごろまで帰らなかった。

 

 その間に、マーシャさんには2つの出来事が起きていた。

 

 1つは、このピュラの町で私を探しに来たヘレーネさんと会ったりしていたらしいということ。

 

 あんまりよくないけどとりあえずいいということにして、もう1つの出来事の方の話。

 

 マーシャさんが犬を飼い始めたということ。

 

 マーシャさんが言うには、私が居なくて寂しくて、この茶色い大型犬を見つけた時に私の面影を感じて、衝動的に飼い始めてしまったらしい。

 

 これはまぁ、突然飛び出した私も悪いし、私が怒ったりすることじゃない……かもしれない。

 

 でも、言いたいことはある。

 

 「マーシャさんにとって私って、犬なの?」

 

 「え?」

 

 「私が居なくて寂しくて、私の代わりに犬を飼い始めたってことだよね。それって、犬を飼うことで埋められるくらいの寂しさだったってことでしょ? つまりマーシャさんにとって私は、犬と同じくらいの大事さだったってことでしょ?」

 

 と、言ってみた。

 

 本当にマーシャさんにとっての私が、マーシャさんが飼い始めた犬と同じくらいの存在だったら、とても傷つく。

 

 だから確かめたかった。

 

 そう思って言ったみたら、マーシャさんは怒った。

 

 すごく怒った。

 

 「そんなわけないじゃないですか! 最初はエリーが居なくて寂しくて、なんとなくエリーっぽいなって思ったからエリーを飼い始めたというのは本当のことだけど、それで私の寂しさが全部埋まるわけない! エリーがエリーと同じだなんて思ってません! どうしてそんな悲しいこと言うんですか? 怒っているんですか? もしかして本気でそう思っているのですか? そう……私がどれだけ寂しかったか、今から教えることにしました。さ、ベッドに……」

 

 私と犬の名前が同じだからか、すごくややこしいことを言って怒られた。

  

 私がマーシャさんに飼われてるみたいになってて、すごく傷つくんですけど。

 

 しかもただ傷つくだけじゃないから質が悪い。

 

 「だって! あの犬に私の名前付けちゃってるじゃん! 同じ名前だからすごくややこしくなってるよ! しかもあの犬オスじゃん! ”エリー”は女の人の名前だし私も女なのに、オス犬につけるなんておかしいよ! あとなんでベッドに連れて行こうとするの!? 行かないから! まだお昼だから! 寝ないから!」

 

 私の疑問をぶつけたことがきっかけで、私とマーシャさんは言い合いをすることになった。

 

 私の発言がきっかけだけど、謝るつもりはない。

 

 私は悪くない。

 

 私が居ない間に飼い始めた犬に、私と同じ名前を付けたマーシャさんが悪い。

 

 「わかりました! じゃあ今日からエリーの名前はエリザベスです!」

 

 「なんで私の名前の方を変えちゃうのかな!? 普通犬の方を変えない!?」

 

 「ですから犬のエリーの名前をエリザベスにします!」

 

 「オス犬にエリザベスってつけるの?!」

 

 「そうですけど!?」

 

 「それは……いいの?」

 

 「飼い主である私がいいと言っているんだからいいの」

  

 今まで私はマーシャさんと言い合いの喧嘩なんてしたことが無かったから、冷静じゃなかった。

 

 後から思うと、完全に着地点を見失ってるような気がする。

 

 そして冷静じゃなかったのは私だけじゃなかった。

 

 「エリー」

 

 「なに?」

 

 「仲直りしましょう。私にとってエリーは、もう何て言っていいのかわからないくらい大事なんです。それをわかってほしくて、つい怒鳴ってしまいました。すみません」

 

 「うん。私もごめん。変な言いがかり付けちゃった。怒鳴ってごめん」

 

 「それじゃベッドに行きましょうか」 

 

 「うん。行かない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな感じで、犬のエリーはエリザベスになった。

 

 私としては、犬と同じ名前って言うのはちょっと嫌だったから、まぁ良かった。

 

 いや別に同じ名前でもいいんだけど、マーシャさんが犬に私の名前を付けたことが気に入らなかったって感じかな。

 

 「私が、マーシャさんの、犬……」

 

 気に入らなかった。

 

 それは確か。

 

 ただ、私も少し歪んでしまっているというのも、自覚してる。

 

 ヘレーネさんの隠れ家に連れ込まれて、毎日毎日痛みと苦しみと恐怖と絶望と……いろんなもので心を滅多打ちにされ続けた私は、歪んでしまった。

 

 ちょっと痛いことをされたり。

 

 動けないようにされたり。

 

 見下ろされたり。

 

 足で踏まれたり。

 

 そう言うことに悦びを見出してしまう。

 

 いわゆるマゾヒズム。

 

 チェルシーの言う、被虐趣味。

 

 たぶん私はあの時、自分の正気を守るために、そう言う趣向に目覚めてしまった。

 

 そんな私は”マーシャさんに犬扱いされる”というシチュエーションに、仄かな興奮を覚えてしまいそうになる。

 

 むしろ犬の名前がエリザベスになってホッとしている一番の理由は、この被虐趣味のせいかもしれない。

 

 マーシャさんが”エリー”って呼んで、お手とかお代わり、伏せなんかを命じているのを聞いてしまうと、私の中の倫理観と歪んだ悦びがせめぎ合ってしまう。

 

 今はせめぎ合っても倫理観が勝るからいいけど、いずれ倫理観が負ける日が来てしまう気がする。

 

 そうなったら、私はダメになる。

 

 「ダメに、なりたい。ダメにされたい……」

 

 今だって倫理観がボロ負けして、とんでもないことを口走ってる。

 

 家に1人で居るからって、倫理観がやる気を出してくれない。

 

 そろそろマーシャさんがエリザベスの散歩から帰ってくるから、それまでに私の中の倫理観に、持ち直してもらわないと困る。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 いざマーシャさんを目の前にすると、流石に倫理観が私の歪んだ趣味を圧倒してくれる。

 

 「エリー、ザベス、お手」

 

 散歩から帰って来たマーシャさんは、躾けの習慣として色々とエリザベスにやらせてる。

 

 エリザベスもその習慣を覚えてるみたいで、ちゃんと全部に答えている。

 

 大きな犬だから、狂暴な性格じゃなくてよかったと思う。

 

 エリザベスは吠えない。

 

 私には軽く噛みつくけど、マーシャさんには噛みつかない。

 

 私がお手って言って手を出すと、噛む。

 

 痛くないくらいの力加減だけど、怖くないわけじゃない。

 

 私が夜寝ようとすると、私のベッドの上に飛び乗ってきて、寝るのを邪魔してきたりする。

 

 マーシャさんにはそんなことしない。

 

 マーシャさんにだけは素直なエリザベスが、私はちょっと気に入らなかったりする。

 

 私が若干睨みつつマーシャさんとエリザベスの戯れを見ていても、エリザベスは気にした様子が無い。

 

 「お代わり」

 

 「伏せ」

 

 「お座り」

 

 「ちんちん」

 

 「ごろん」

 

 エリザベスは全部ちゃんとできた。

 

 だからマーシャさんはニコニコ笑顔で撫でて褒める。

 

 「よくできました。いい子ねエリー、ザベス」

 

 「ぅ……」

 

 いい加減その”エリー、ザベス”ていう呼び方を止めて欲しい。

 

 私+ザベスっていう犬みたいになってるから。

 

 ちょっとむかつく。

 

 ほんのちょっとだけ、胸がキュンとしてしまう。

 

 私はどうしたらいいのかな。

 

 私にどうしろっていうのかな。

 

 マーシャさんが最後にやらせた”ごろん”ていうのは寝ころべっていう躾け。

 

 エリザベスは本当にごろんと寝ころんでて、マーシャさんはエリザベスの首とかを撫でまわしてるんだけど、エリザベスは自分のほっぺをマーシャさんの手に擦り付けて甘えてる。

 

 それがマーシャさんにとってはかわいいらしい。

 

 「エリザベスはかわいいわねぇ?」

 

 「くぅ……」

 

 こんな時だけちゃんと名前を呼ぶのはなんでなのかな。

 

 私はかわいくないってことかな。

 

 私より、その犬の方が可愛くて大事なのかな。

 

 胸が苦しい。

 

 締め付けられる感覚とキュンとする感覚が同時に来て、息が詰まる。

 

 マーシャさんは私をどうしたいの?

 

 このままだと私どうにかなっちゃうよ?

 

 もう手遅れかもしれないけど……

 

 一通り撫で終えたマーシャさんは、台所に向かう。

 

 散歩のついでに買って来た食材で、夕飯を作るみたい。

 

 私も手伝うことにする。

 

 

 

 

 

 


  

 


  

 夕食の後、食器を片付けた後は暇になる。

 

 暇というか、体を洗って寝る前にリラックスする時間。

 

 マーシャさんが私とスキンシップをしたがる時間でもある。

 

 2人掛けのソファーに横になって独り占めしていると、ヌッとマーシャさんが現れる。

 

 いつものこと。

 

 そのまま私にしなだれかかるように乗っかって来るのも、いつものこと。

 

 ちょっと重い。

 

 マーシャさんは私と違って色々大きいし、身長も高い。

 

 ハーフヴァンパイアのころならともかく、人間に近い状態の今の私には少し重い。

 

 抜け出せそうにない。 

 

 足なんかはマーシャさんの両足に挟まれてるから、動かせない。

 

 体の動きを制限されたり、ちょっと重くてすこし苦しかったり……そう言うのは、ちょっと……

 

 私の倫理観に頑張ってもらわないと困ることになる。

 

 私が歪んだ性癖と格闘していても、マーシャさんは止まらない。

  

 私にのしかかったマーシャさんは、そのまま両手で私を撫でまわし始める。

 

 シャツの裾から手を差し込んで、わき腹を撫で上げる。

 

 もう片方の手は私の胸の上に置いて、時々怪しい動きをしたりする。

 

 マーシャさんの顔は私の反応を見逃すまいと、真上から私の顔を見下ろしていたりする。

 

 スキンシップにしても、ちょっと過激だと思う。

 

 特に胸に手を置くのはやめて欲しい。

 

 自分の小ささを意識させられるし……

 

 あ~、私、あと5~6年で身長は伸びるみたいだけど、胸は成長しないのがわかってるから、余計に心に来る。

 

 マーシャさんの大きなのと比べてしまうと、もっと心に来る。

 

 なんだか辛くて、すこしだけ気持ち……何でもない何でもない。

 

 これ以上考えちゃダメ。

 

 「ねぇマーシャさん」

 

 「なぁにエリー」

 

 「どうしていつも私の上に乗るの?」

 

 「エリーがすぐに逃げ出せないようにするためです」

 

 あ~、なるほど?

 

 「逃げたりしないよ」

 

 「え~?」

 

 ”え~?”ってなに? 

 

 信じてないの?

 

 「エリーはいつも、ちょっとしか撫でていないのに嫌がっていたじゃないですか」

 

 「マーシャさんが近いから、血を吸いたくなっちゃってたんだよ。もう吸血衝動なんてないから」

 

 嘘だけど。

 

 私はマーシャさんのことが嫌いだと思ったことは無い。

 

 マーシャさんが私に触りたいなら、別に嫌がったりしない。

 

 吸血衝動さえなければ、好きなだけ触ればいい。

 

 「……」

 

 私は当たり前のことを言ったつもりだったけど、マーシャさんはポカンとしてしまった。

 

 「どうしたの?」

 

 「……じゃあもう、私は我慢しなくていいんですか? いっぱい撫でたりしてもいいんですか?」

 

 「い……」

 

 ここで”いいよ”と言うのはどうなんだろう?

 

 なんだか、私がマーシャさんに触ってほしいみたいな風にきこえたりしないかな。

 

 うん。

 

 言葉にする前に考えてよかった。

 

 「好きにすればいいじゃん」

 

 そっけなく顔を背けて言った。 


 別に触ってほしいわけじゃないよ。

 

 でも触りたければ好きなだけどうぞ。

 

 と、伝わればいいだけど。

 

 「あの、本気なの?」

 

 え、何の確認?

 

 触っていいかっていう確認かな。

 

 いつも好き放題撫でてるくせに、こんな時だけ確認するなんて……

 

 普通同性でも無遠慮に胸に手は置かないし、シャツの中に手を入れて直にわき腹を触ったりはしないんだよ? 

 

 今さら確認するなんて、どうしちゃったの?

 

 よくわからないけど、私は胸の上に置かれたままのマーシャさんの手が、気になった。

 

 ちょっとボーっとしてきて、思考や会話の脈絡が途切れる。

 

 確か、エリザベスはこんな感じに…… 


 「こう……?」

 

 私はぼんやりしたまま、両手で胸の上のマーシャさんの手を取って、顔の近くに持ってきた。

 

 それからエリザベスがしてたように、マーシャさんの手のひらにほっぺたを、耳の近くを、マーシャさんの手ではなく自分の首を動かして擦り付けてみた。

 

 こうやると、マーシャさんはかわいいと思うらしい。

 

 あれ?

 

 まるで私が、マーシャさんに”かわいい”って言って欲しいみたいだ。

 

 急に恥ずかしくなってきた。

 

 「あ……エリー、そんな……」

 

 私を見下ろすマーシャさんの顔がみるみる赤くなって、目が充血し始めてる。

 

 本能的に怖くなった私は、マーシャさんの手に頬を擦るのを止めた。

 

 「あ、いや今のは何でもないよ」 

 

 「あの、私も初めてですけど、気持ちよく出来るように頑張ります。私癖の強い友人が何人かいるので、知識だけはあるんです」

 

 「ん? うん……何の話?」

 

 「じ、直に触ります。エリーは大きさを気にしているみたいですけど、小さい方が私の好みですし、それに小さい方が何かと気持ちいいと聞いたことがあります」

 

 「あの、よくわかんないけどその手を止めて? どこ触る気?」

 

 「上と下です」

  

 「ズボンの留め金外そうとしないで! 待って! マ、マーシャさん何するつもりなの?」

 

 「エリーが悪いんです。もう止められません。エリーが私をたきつけたんですし、好きにしていいんですよね? 私はもう止まりませんけど、それは私ではなくエリーのせいなの……ッ」


 と、言い訳みたいなことを言い始めたんだけど、マーシャさんが鼻血を出したのでそれどころではなくなった。

 

 「マーシャさん!? どうしたの? 体調悪いの!?」

 

 「違います……あの……エリーが、かわいくて……興奮しました」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 その後鼻血の処理をしたり、体を洗ったり、エリザベスに邪魔されながら寝たりしたけど、私の機嫌は終始良かった。

 

 妙な満足感が私を優しくしたみたいで、私の上でごろんをするエリザベスを、なぜか撫でながら寝た。

割とこの話を書きたいがためだけにマーシャに犬を飼わせました。

今後もちょくちょくエリザベスを登場させたいとは思っていますが、どうなるかわかりません。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱり犬のエリーちゃんは名前変わっちゃいましたか!一緒に暮らすとなったらどうなるのかなと思ってました!(^^)! 記憶を取り戻したエリーとマーシャさん、なんだかんだ相性良いような気がして…
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