2年の欠落
マーシャの目覚めは、ふいに訪れた。
ビクリと頭が揺れたのだ。
「うわ! なんか飛んでる!」
パチッと音を立てて瞼が開かれた先には、エリーの下あごが見えた。
「何!? 誰!? ていうか魔物!?」
「え……吾輩がわかんねぇのかエリー!? ギドだ! お喋り頭のギドだ! そんな警戒すんなよなぁ」
「わかんないよ! 空飛ぶ頭蓋骨なんて知らない! 魔物でしょ!? それ以上近づいたら、く、砕くからね!?」
「おいおいマジかよ……」
エリーの平たんな胸の先には、エリーの顔の下側が見える。
後頭部には柔らかくも弾力のある2つの膨らみ。
マーシャはエリーと会話している相手がギドだとわかった瞬間から、会話の内容をすべて聞き流し、この状況を味わい始めていた。
「……あれ? 起きてる?」
下を向いてマーシャの顔を覗き込むエリーを見つめ返し、目を閉じ、エリーの太ももに優しく手を添える。
「あぁ、エリーの膝枕は初めてですね」
「え、あの、なんでみんな私の名前知ってるの?」
エリーの膝の上で、頭を置くちょうどいいポジションを探し、失いかけたまどろみの心地よさを思い出していく。
「知らないわけないじゃないですか。もう……冗談ばっかり」
「えぇ……」
困惑するエリーを放置しつつ、マーシャはエリーの膝枕を堪能する作業に邁進する。
会話は適当さを極めた。
「レーネはどうなったの?」
「レーネ?」
「ん、ふ、うぅん……ヘレーネのことですよ。蠱毒姫」
「兵士の人が殺しちゃったんじゃないかな。一応倒したけど、その後は知らない、です」
「そうですか。まぁエリーがこうしてちゃんと元気なら、もうなんでもいいです」
「あの……」
エリーは何か言いたそうにマーシャの顔を覗き込むが、幸せそうに目を瞑るマーシャに、何と言えば良いのかわからなくなっていた。
ギドはエリーに警戒され、近づくと砕くと脅された位置で停止し、エリーとマーシャのやり取りを冷静に見ていた。
そしてマーシャに声をかける。
「おいマーシャ。なんかエリーの様子が変だぞ。吾輩に近づくなだなんてエリーが言うわけねぇと思うんだが」
「この状況で普通な方がおかしいです。エリーも動揺してるんです。そんなことより、私にもう少しエリーの膝枕を愉しませてください」
「言っとくけどよぉ。この状況で一番おかしいのはお前だからな? マーシャよぉ」
エリーにきつめに警戒され、若干ショックを受けつつも、ギドはツッコみを入れた。
この人、なんで私のこと知ってるんだろう。
距離が近すぎる気がする。
というか目覚めた時に膝枕されてたら、普通起きるよね。
なんで幸せそうにそのまま眠るのかな。
足痺れてきたんですけど。
ふわふわ浮いてる頭蓋骨も私のこと知ってるみたいだし。
ここもピュラの町じゃないみたい。
色々おかしい。
私は確か、急に熱が出て、パーティの皆に謝って、宿のベッドで眠ったはずなんだけど。
わからない。
私1人だけが、今の状況を全く飲み込めてない。
どうしたらいいんだろう。
「あの、ここどこ?」
私が自然とそう聞いたのは、浮遊してる頭蓋骨だった。
それを聞くなら膝の上で寝てる人か、せめてこの町の人だと思うのに。
なんでだろう。
でも頭蓋骨は答えてくれた。
「ここは旧都だぁ。近寄っていいか?」
断るべき。
そうわかっていたのに、私の口は勝手に動いてた。
「いいよ。でも何もしないでね」
「逆に聞くけどよ、吾輩に何かできるように見えるのかぁ?」
「見えないけど、浮いてるし、何かできるんでしょ?」
「お喋り頭だからな! 喋るくらいできるぜぇ?」
怪しい。
スケルトンの亜種か何かなのかな。
でも不思議と怖いとは思わない。
何もわからない今、目の前にある不思議な頭蓋骨に頼りたいと思ってしまう。
私、どうかしてる。
「あの、ね。私、どうなったの? 私は今16歳のはずなのに、さっき蠱毒姫に私は18歳だって言われたりしたし、この人とか、あなたとか、私の名前知ってるし」
「なんだ、ただの記憶喪失か」
サラリと流してくれるね!?
結構不安に思ってたのに……
まぁなんというか、うん。
あんまり実感ないけど、私が何か忘れてるんだね。
「あの、じゃあ今私が18歳って言うのは本当?」
「本当だなぁ」
「2年くらい記憶が無いんですけど」
「だなぁ」
「どうしたらいいの?」
「エリーはどうしたいんだぁ?」
そんなの決まってるよ。
「思い出したい、けど」
「やめとけ」
「え」
即断された。
普通ここは”思い出せ”っていうところじゃないの?
「あなたと私、知り合いなんでしょ? あなたのことも忘れてるよ?」
「そうみてぇだなぁ」
「私に自分のこと思い出してほしいって、思わないの?」
「そりゃ思うけどよぉ……思い出さないほうがエリーのためなんじゃねぇかなぁとも思うわけよ」
えぇ……
私、一体どんな2年間を過ごしてきたの?
気になる。
「私は思い出したい」
正直に気持ちを伝えてみる。
すると頭蓋骨は、当たり前のようにこう返してきた。
「そんじゃ思い出せばいいだろ。つか、そのうち勝手に思い出すんじゃねぇか? エリーが望もうが望むまいが、忘れていようが、過ごしてきた2年間は無かったことにはならねぇ」
「あ、うん。そう……だね」
「急に思い出そうとすんなよぉ? ああでも、そいつのことは思い出してやってくれぇ。マーシャって名前の頭のおかしい暴走女だ」
私は私の膝の上で気持ちよさそうに寝る女の人の顔に視線を落とした。
「マーシャ、さん」
「んぅ……エリー」
寝言で私を呼んで、また深く眠り始める。
「ちなみに吾輩の名前はギドな」
頭蓋骨がそう言うので、呼んでみる。
「ギドさん?」
「こそばゆいわ! 呼び捨てにしろぉ!」
「ギド、でいいの?」
「おう。これでもエリーと吾輩は結構長い付き合いだぜ? ま、エリーが忘れてる2年間で言えば、一番付き合いが長いのはマーシャだ」
「私変な人とばっかり付き合ってたんだね」
「吾輩は人じゃねぇけどな」
しまった。
心の声が口に出てた。
ギドは……うん。
ギドって呼んだ方がしっくりくる。
ギドは私の失礼な一言を完全にスルーして、テンション高めに仕切り始める。
「脅威も去ったことだし、王都に向かう必要も無くなったし、ピュラの町に帰るか」
「え、うん」
私は忘れている2年間の間に、他の町に引っ越したりしてないらしい。
「そうだ。ファマスさんやポーカさん、ピンさんに会わないと。私が熱が出たから休ませてって言ったあと、どうなったんだろう」
「あん? 誰だそいつらは?」
「私のパーティメンバー」
「エリーはもうパーティ組んでねぇぞ。パーティ解消して、そのあとはずっと1人で活動してた」
「嘘!?」
「嘘じゃねぇよ。エリーが自分で吾輩に言ったんだぞ」
「私1人で依頼こなしたことないよ!?」
「いやいっぱいあると思うぞ。忘れてるだけで」
「嘘ぉ!」
「嘘じゃねぇって……ああ、やっぱりさっさと思い出してくれ。面倒だ」
「ああ、うん。その方が良さそうだね」
うん。
わかってる。
2年分の記憶が無いって、想像以上に大変なことみたい。
知らない間に2歳も歳を重ねてるってことがまずショックだよ。
交友関係とかでギクシャクする未来しか見えない。
ああ、どうしよう。
不安になって来た。