蠱毒姫の最期
まさか、この私が負けるとは……
こうやって地面に倒れ込むなんて、初めてかもしれません。
意外といい景色ですわね。
雲はちらほらありますけれど、きれいな夜空です。
体の倦怠感と相まって、眠ってしまいそう。
「エリーさん、お強いですわね」
自然とそう口にしていたということは、きっと私の本心なのでしょう。
初めて出会ったルイアの浜辺を思い出してみると、確かにあの時も強かった。
あの時はエリーさんを逃がしてしまい、今回は勝てなかった。
「ああ、どうしまよう。悔しくてたまりません。どうすればエリーさんは私の物になりますか? どうすれば私はエリーさんを手に入れられますか? どうすれば……」
きっと私は、悔しいのです。
悔しくて悔しくて仕方がないから、こうして情けないことを口にするのです。
視界が黄色く染まって、体に力が入りません。
血が飲みたくて仕方がない。
今まで何度も経験した、飢餓状態に陥ったようです。
「はぁ……私もとうとう終わりですか」
意外といい人生でした。
生まれ落ちてから今日まで、ほとんどの時間を楽しい事だけで埋め尽くしてきました。
エリーさんを見てみると、感情の読めない表情で私を見ています。
「エリーさん。せめて、手向けと思って、何か言ってくださらない?」
私への怨嗟。
あるいは憎悪。
きっと言いたいことくらいあるはずです。
それを聞いて死ぬとしましょう。
「えっと……」
そう言って考えるエリーさんの声には、怒気が感じられません。
どうしてそんなに普通の声で話せるのでしょう。
最後までよくわからな
「なんで私の名前知ってるの? というか、なんで襲って来たの?」
「……は?」
……は?
エリーさんの言葉に、間抜けな声を上げてしまいました。
飢餓状態の苦しさを全て忘れさせられるほど、場違いというか……ああ、何と言えば良いのでしょうね。
わかりませんけれど、藪から棒に何を言っているのでしょうか。
……ああ、もしかして。
「エリーさん、質問しても良いですか?」
「聞くだけなら」
「今、おいくつ?」
「16じゃないかな、多分。ちょうど今くらいの時期が誕生日のはずだし」
なるほど。
記憶が無いのですね。
ハーフヴァンパイアの特徴が出た日から今日までの生活史を失ったのでしょう。
まぁ精神的に随分痛めつけたので、何かしらおかしくなっているだろうと思っていましたけれど、そうですか。
記憶を消して正気を保つことを選んだのですね。
正気を保つために記憶を消した。
であればそれは、私の勝機にもつながりそうです。
ダジャレを言っている場合ではありませんね。
「エリーさん、私、実は、とある方に頼まれてエリーさんを襲ったのです」
「はぁ、そうですか」
捕まえることは出来ないにしても、なんとか逃げ延びてみせましょう。
「ですが私、エリーさんに負けてしまいました。命乞い、というほどの物ではないのですが、私にエリーさんを殺すように頼んだ方について、知っていることを全てお話します。その代わりに見逃していただけませんか?」
エリーさんは私のことを忘れている。
であれば、殺し屋を騙ってみることにします。
さて、どうなるか……
エリーさんは少し考える仕草をしました。
特別敵意や殺意は感じません。
エリーさんは人殺しなんて嫌がるタイプと見ていましたが、当たっていたようです。
「ん~、でも蠱毒姫でしょ? その髪とか、目も赤かったし。それに私がやらなくても、ほら」
エリーさんが指差したほうを見ると、4人の兵士さんが居ました。
彼らの背後には、うっすらとレイスの持つ靄が見えます。
「あ~、そうですか」
ジェイドさん、まだ無事でしたか。
それはもう滅茶苦茶に魔力で殴って蹴って、消し去ったものと思っていました。
私はエリーさんに殺されて死ぬわけではなさそうです。
ジェイドさんとあと……なんでしたっけ? 部下の3人の方が憑りついた兵士の方は、怪しく光る剣を抜き放って、私に近づいてきます。
因果応報というやつでしょうか。
殺される程度では済まないことをたくさんしてきましたけれど、こうなるのですね。
猛烈な悔しさの中、かつて殺した方々に惨殺される。
私らしいと言えるでしょう。
「は、はははは。そうですか! なるほど! なるほど! はぁ~♪ ……エリーさんがそれで良いなら、構いませんわ。見たくなければ離れておいた方がよろしいかもしれませんわね」
「そうする」
「ああそうそう。その路地裏で倒れている女の人は、エリーさんにとって大事な人なので、大事に抱えてからここを離れたほうが良いですわよ。私の大事な友人でもありますし」
「そうだね。よくわかんないけど、起きた時はあの人に抱きしめられてたから」
ああ、本当に全部忘れてしまったのですね。
ここ数十年で私のことを一番理解しているのはエリーさんだったのに、忘れてしまわれるなんて、なんだか寂しいです。
ですから、最期に言うだけ言っておきましょう。
「思い出してくださいね。私のこと」
「え?」
「私のことも、マーシャさんのことも……自分のことも」
「それはどういう」
ああ、ジェイドさん。そんなに見つめなくても逃げませんわ。
逃げられるなら逃げているところですけれどね。
「エリーさんは今年で18歳です。お誕生日おめでとうございます。そして」
ジェイドさんたちの剣が空に向かって振り上げられて、私めがけて落ちてきます。
嫌な笑顔ですわね。
憎たらしいです。
「さようなら」
最後はジェイドさん達ではなく、エリーさんを見ました。
まだ私の方を見ていて、困惑を表情に浮かべています。
私はいつも通りの笑顔を見せましたが、一瞬あと、兵士さんの足に遮られました。
振り下ろされた剣が体に刺さり、肺や内臓が抉られるのがわかりました。
……おかげで言えなかったではないですか。
”またいずれ”と。




