恨み晴らさで置くべきか
もう読んでくださっている皆様が忘れてしまっているであろうキャラクターが出ます。
第10部の「蠱毒姫は補充する」を先にお読みになられると良いかもしれません。
こう言うのを火事場の馬鹿力というらしい。
エリーが倒れ伏して、その上にまたがるレーネを見た瞬間、体が勝手に動いて、その辺に落ちていた大きな柱を持ち上げていた。
「エリーの上からどきなさい、レーネ!」
”ふんっ”と意気込むだけで、持ち上げた柱が”ブォン”と音を立てて振り回せた。
どうせ避けられる。
そう思った。
だけど私やギドを見て驚いた表情のレーネは、あっさりと柱に当たってゴロゴロと転がる。
柱がレーネに当たった瞬間、”うっ”と呻いたのが聞こえて、私は少し気分が良くなった。
レーネを殺せはしなかったけれど、一発殴ってやった。
なんだか今なら何でも出来そうな気がする。
体が軽くて、疲れを感じない。
でも重いから、レーネをぶん殴った柱を”ゴトリ”と落とす。
「マーシャ、エリーを連れてどっか逃げろ。吾輩が足止めするからよ」
「頭蓋骨に足止めなんて出来るのですか?」
「いいから行け」
高揚しているせいか、余計なことを言った。
でもギドの言う通りにすることにした。
レーネが起き上がってまたエリーに何かする前に、エリーと一緒に逃げたい。
あおむけに転がって動かないエリーに近づいて抱き上げる。
軽い。
思っていた以上にエリーの体が軽い。
肌は乾ききっていて、異様に熱い。
目の色とか歯の形とか、色々と変わってしまっているけれど、それでもやっぱりエリーだ。
「行きますよ、エリー」
「……」
エリーはまた動かなくなっていたけれど、息はあるし体温も高い。
私はエリーを抱き上げると、レーネに背を向けて走り出した。
チラリとギドの方を向くと、ギドはもう浮いていなかった。
地面に顎の骨を乗せて、口を薄く開けている。
「――――――――――――、―――」
何事か呟いているようだったけれど、聞き取れない。
ギドの周りの景色が陽炎のように揺らめいて、紫色の光が地面に広がった。
それ以上は見なかった。
ギドが何をしようとしているのか、私にはわからない。
だけど、ギドが私とエリーを逃がすために何かしようとしてくれていることはわかった。
だから私は、後ろは振り返らないことにした。
「任せました」
「おう。任せとけぇ」
エリーが居てくれるなら、エリー以外の全部はいらない。
そう思ったはず。
それでも今は、あの頭蓋骨が頼もしいと感じた。
ヘレーネはエリーを抱きかかえて逃げるマーシャを、追いかけなかった。
というより、追いかけられなかった。
地面の上でこちらを正眼に捉え、魔術を施行する頭蓋骨が、追いかけさせてくれなかった。
「へぇ……あなたはあの時壊しておくべきでしたわ、ギドさん」
「そりゃ残念だったなぁ。ちなみに吾輩はもう魔力切れだぁ。もう吾輩を壊しても遅ぇぞぉ?」
「そのようですわね……ところでそちらの方は? いえ、見覚えはあるのですけれど、名前も出会った場所も思い出せなくて」
ヘレーネはギドの背後に浮かぶ、半透明で輪郭が曖昧な男を見て言った。
ギドが用いた魔術は、死霊術の中でも初歩に分類される。
降霊の術。
レイスの召喚魔術だ。
「ジェイドっていうらしいぞ? ま、自我もほぼ無ぇだろうがよ」
ギドがそう言った瞬間、曖昧だった輪郭がくっきりと浮かび上がる。
初老の一歩手前の人相に、首元だけを着崩した隊長クラスの兵士の服。
一般的な長剣を携えたその男に、ヘレーネは見覚えがあった。
「ああ、確か去年にお会いしましたよね、ルイアで」
レイスと化したジェイドは、うつろな表情をヘレーネに向ける。
凍っていた時が動き出したように、ゆっくりと歯を見せる。
眉を吊り上げる。
「……蠱毒姫、ヘレーネ……俺の部下を、貴様、あの時、マルコスが、ゴドフリーが、エジンが、なぜ俺の部下町に薬が死んだどうして楽に死なせて人でなし悪魔死ね殺す仇を死ね死ね死ね殺す殺す殺す」
レイスとはいわゆる死霊だ。
ギドはヘレーネへの怨嗟の濃い人物を、レイスとして呼んだ。
その結果現れたのがジェイドだ。
怨嗟に狂ったようにヘレーネを呪うジェイドは、しかし狂い切ってはいない。
「マルコス、ゴドフリー、エジン、来い」
彼がそう呼べば、彼らは現れる。
信頼の厚い上司として長く兵士長を務めた彼が呼ぶのだから、同じ無念の中潰えた彼らが答えるのは必然だった。
ギドは驚きの声を上げる。
「おいおい、1体しか呼べねぇなぁとか思ってたが、こりゃいい。嬉しい誤算だぜぇ」
そしてヘレーネは、面倒なことになったと、浮かべている笑みを若干引きつらせる。
「あらあら、困りました。いえ本当に困っています。4人もの兵士さん、それも実体のないレイスだなんて……本当に厄介ですわ」
ギドは喜色に満ちた声で答えた。
「そうだろうなぁ! レイスには得意の毒も効かねぇし、ぶん殴ったって意味ねぇもんなぁ! 魔力込めて殴ったところで、大して効かねぇぞ? 何せお前への恨みが滅茶苦茶強ぇからよ」
レイスの特徴はギドの言った通りだ。
物理攻撃は意味が無い。
毒も効かない。
魔法や魔術で応戦するしかないが、怨嗟の強いレイスは、一気に消滅させないとすぐにダメージを回復する。
そして、一見強すぎるレイスだが、やはり弱点もあった。
怨嗟の対象が、死亡や気絶などで意識を失うと消えてしまう。
怨嗟の対象が、誠心誠意心から、自分の非を認めて謝罪すると消えてしまう。
神官の奇跡の光で、即座に消滅させられてしまう。
なにより、ヘレーネはこの弱点を知らない。
仮に知っていたとしても、魔力を込めて打つ以外の対処はしないし、出来ない。
「相性最悪ですわ」
「へへぁ! もう1回言っとくがよ! 吾輩にはもうこいつらを使役する魔力は無ぇ! 精々悪あがきするんだなぁ! ウヘヘヘヘェィア!」
ギドの最高のテンションに任せた、おかしな笑い声を皮切りに、ジェイドと3人の部下は、腰に下げた剣を抜いた。
実体のない剣を手に、彼らはふわりと浮かんでヘレーネへと向かう。
「いいでしょう。付き合って差し上げます。私、諦めるつもりはありませんわ」
ヘレーネは最悪の相手に対し、キュッとこぶしを握り、魔力を込めた。
ヘレーネ対ジェイド、マルコス、ゴドフリー、エジンの戦いを見守るギドは、ふと思った。
「もう吾輩動けねぇんだけど、どうやってエリーに合流したらいいんだ?」
既に魔力を使い果たし、戦線離脱状態のギドは、戦いを前にして暢気なことを呟く。
必死にレイスの霊体を殴っていたヘレーネは、それを聞いてイラっとした。