頼って来た力
「殺してやる」
そう聞こえて、ボーっとしていた意識が急速に覚醒した。
ヘレーネさんの声じゃなかった。
聞いたことのある声だった。
首と目を動かして周りを見る。
マーシャさんが居た。
この部屋の入口に立ち尽くして、見たことも無いような怖い顔で、私を見てる。
何て言った?
殺してやるって言ったの?
私を、殺したいって、思ってるの?
「……やだ」
「エリー、こんなになって」
死にたくない。
マーシャさんに殺されるなんて、嫌だ。
……ああ、きっと、前に会ったとき、酷いこと言ったからだ。
殺したいって思うくらい、傷つけたんだ。
「違うの。私、あんなこと思ったことない」
「大丈夫。わかっています」
マーシャさんから逃げたくて、這いずって後ろに下がろうとした。
腕が無いから、うまく行かない。
足でなんとか動こうとして、少しだけ後ろにズレた。
「アレは無理やり言わされて、あのシトリンていう、人に何でも言うことを聞かせる薬で、だからあんなこと言って、ごめんなさい。私マーシャさんのこと大好きなの」
「落ち着いてください。大丈夫です」
どんなに頑張っても、少ししか下がれない。
マーシャさんは静かに近づいてくる。
どんどん距離が縮まって、怖くてたまらない。
「殺さないで」
命乞いは生まれて初めてしたかもしれない。
「待ってよ。お願い、ね、待って」
涙が止まらない。
「死にたくないよ」
後ろの壁までたどり着く前に、マーシャさんに追いつかれてしまう。
私の顔に、マーシャさんの手が近づいてくる。
「大丈夫」
首を絞められる。
恐怖が振り切って、頭がおかしくなる。
パニックは、こう言う風に起きるんだね。
こんな時、腕があれば、きっと……
「もうやだあああ! もういやああああああ!」
ううん、きっと、何にもできないね。
腕をブンブン振り回そうとして、腕の断面から血が飛び散るのが見える。
思いっきり叫んだせいで、お腹の傷から血が染み出してる。
ジタバタと足を動かして、踵が床に何度も当たる。
「エリー!」
「なんで私ばっかりこんな目に合わないといけないの! なんで全部うまく行かないの! なんで、なんで、なんで……」
体に力が入らなくなってきた。
叫ぶ力も暴れる力も、嘘のように消えていく。
マーシャさんの手が顔に触れる。
あったかい。
「なんで、私、人間に生まれなかった……の」
エリーを抱き上げ、この部屋を出る。
階段を1段ずつ、慎重に登りながら、さっきまでのエリーを思い出した。
レーネに対して”殺してやる”と言ったつもりが、エリーに誤解された。
誤解を解く暇もなくエリーが気絶して、なんというかやるせない。
やるせないけど、エリーが私のことを大好きだと言ってくれたから、気分はいい。
私はエリーが大好きだし、エリーも私が大好きなら、両想い。
最高だと思う。
それにしても、エリーがあんな風にパニックに陥るところは初めて見た。
私の声も聞こえていないみたいだった。
可哀そう。
きっとレーネに色々と酷いことをされて、心が弱っていたせいだ。
一体どんなことをされたのか、あとで詳しく聞きだすことにしよう。
そして、レーネにされたこと以上の、いい事をして、嫌なこと全部忘れさせてあげる。
でも今は、エリーをここから連れ出すの差が先。
エリーが起きたら、またパニックになるかもしれない。
だからまだ気絶しててほしい。
なんなら王都に向かう途中でも気絶してていい。
私がお世話してあげる。
王都に着いて、ギドの言うなんとか騎士団にいるヴァンパイアに守ってもらっている最中も。
この先ずっと。
私がエリーを大事にする。
そんな生活を想像すると、いい気分。
レーネを殺したい気持ちすら、薄れてしまう。
これからはずっとエリーと一緒なのだから、他のことはどうでもいい。
「マーシャさん♪ また来てもいいと言いましたけれど、せめて1言くらいおっしゃってください。おもてなしの準備ができないじゃないですか」
ああ、最悪。
レーネだ。
ギドはどこで何してるのかしら。
レーネ、外出してないじゃない。
出入口の見張りをほったらかして、どこにいったの?
「もう帰るところですから、気にしないでください。勝手に入ったのは謝ります」
「んふふ。そうですか。でもエリーさんは置いて帰ってください。私の私物ですから」
私物?
何が?
エリーが?
……ああ、やっぱり、殺す。
大事に抱き上げていたエリーを降ろして、壁にもたれるように床に座らせる。
「あら素直ですわね。というかあんなに手ひどく拒絶されたのに、よくまた会いに来ましたね?」
「私とエリーは両想いなので」
私はここに来る前、喫茶店で軽食を頼んだ。
全然食べなかった。
お店には悪いことをしたと思う。
悪いついでに、食器として出されたナイフも拝借してきた。
今、ポケットにある。
「正直もう1度マーシャさんがここに来るなんて予想外でした。ああそう言えば、あのギドさん、もう旧都にはいませんよ? この拠点の周りをウロウロしていたので追い払いました」
「そうですか」
「あれ? 喜ばないのですね。本当なら壊してしまおうと思っていたのに、マーシャさんのお知り合いだからと見逃して差し上げたのですよ?」
「そうですか」
レーネに近づきながら、さりげなくポケットに手を突っ込む。
レーネは私ではなくエリーを見ているから、多分バレていない。
「あら、エリーさん出血してますのね。何かしました?」
「何もしてませんけど、私を見てパニックに陥ってしまって」
「ああ、なるほど。見たところ大した出血ではありませんが、一応止血剤を」
今だ。
私とすれ違う瞬間、逆手に持ったナイフを首に刺す。
これで死ぬはず。
「レーネェッ!」
躊躇わなかった。
思い切り腕を振りかぶった。
チラリと笑うレーネが見えた。
でも、止まらない。
殺したいという思いがきっと届くと信じて、振り抜いた。
「レーネェッ!」
マーシャさんの叫び声で、目が覚めた。
聞いたことも無いような怒声で、びっくりして、目を開けてしまった。
頭の中が真っ白のまま、ヘレーネさんに向けて、逆手に持ったナイフを突き刺しているマーシャさんが見える。
首に深く刺さっていて、血が出てる。
でもヘレーネさんは、笑ったまま。
わかってる。
「ぐ、ふ、ふ。ヴァンパイアは、それじゃ、死にませんよ?」
「そんな……嘘」
嘘じゃない。
あんなのじゃ死なない。
ヘレーネさんが、死ぬわけない。
……このままだとマーシャさんが、殺される。
そう思った瞬間全身が寒くなって、頭の中が”嫌”で埋まる。
「ぁって、まって! 待って!」
うつ伏せに倒れ込みながら、叫んでた。
体中が痛い。
そんなことどうでもいい。
マーシャさんが死ぬところなんて見たくない。
なんとかしないと。
私がピンチの時に頼って来たものは、何だった?
なんでもいいから、なんとかしないと。
ここにはジャイコブもチェルシーもギンも居ない。
ギドも見えない。
私は誰かに頼ることしかしてこなかった。
何かないの?
私には、もう何もないの?
「ぁ」
ヘレーネさんが首に刺さったナイフを抜こうとしてる。
マーシャさんは、驚いて後ずさってる。
私はほとんど無意識で、今まで何度も頼って来た力に縋った。
「ヴァンパイアレイジ」
IFエンドとか、書いてもいいですか?