蠱毒姫の秘密
マーシャはふわふわと無音で浮遊するギドを両手で受け止め、空っぽの眼窩を正眼に捉えた。
「どうでした? いい感じの何かはありましたか?」
「いい感じの何かってなんだよ」
「エリーを取り返すのに役立ちそうな何かです」
ギドは一瞬だけ考え、声を発する。
「あの拠点の構造は大体わかったぜぇ。エリーの居る部屋とか蠱毒姫のリビングとかな」
マーシャはグッとギドを掴む手に力を込めた。
「よくやりました。流石は骨なだけありますね」
「それ褒めてんのか? 言っとくが、普通のスケルトンには無理な芸当だぞぉ?」
「私はスケルトンというか、魔物全般に明るくないのですけど、どう凄いの?」
「あ~、アレだ。吾輩の頭蓋骨は吾輩の魂をとどめておく器なんだが、下あごの骨はソレに含まれねぇのよ。吾輩は下あごから生み出したわずかな魔力で浮遊してたんだ。すげぇだろ?」
「はぁ……」
「わかんねぇよなぁ……」
ギドはあからさまに落胆した声でそう言うと、声のトーンを落として続ける。
「エリーは、ヤバそうだった」
「エリーを見つけたのですか!?」
「ああ、見つけた」
食いつくマーシャに対し、ギドは努めて冷静に、見てきた物について語り始める。
「ありゃ、心がだいぶ参っちまってるなぁ。言われるがまま、成すがままって感じだった。抵抗する気力も体力も残ってないみてぇだ」
マーシャは肩を震わせ、怒りとも悲しみともとれないような表情で、静かに言った。
「そんな……一体どんな酷いことをされたというの……」
ギドは”あ~”と言葉を濁し、”落ち着いて聞けよ?”と前置きする。
「腹に6つぐらい縫った跡があった。見たところ起き上がることも出来そうにねぇ。それと……両腕も千切れてた」
目を見開き、言葉を失うマーシャに、ギドは続ける。
「ヴァンパイアとかハーフヴァンパイアの頃なら、腹の傷も千切れた腕も再生するんだが……人間になってるからなぁ、エリーは。仮に腹の傷が治ったとしても、腕がねぇ。一生誰かの手を借りないと生活できねぇ」
マーシャは、ゆっくりと目を閉じる。
1秒、2秒、3秒……
ギドは、マーシャがエリーの状態を受け入れるために必要な時間なのだと考え、静かに待った。
マーシャはうっすらと目を開け、そして
「レーネを殺します」
そう言い放った。
「待て待て。そんな決意は要らねぇよ。よく聞け。蠱毒姫は明日と明後日の2日間出かける。活性薬とか言う薬の材料を取りに行くらしい。その間にエリーを回収して、そのあとは……」
「そのあと、レーネに追いかけまわされることになるのですよね。レーネを殺してからエリーを回収した方が早いです」
「だから待て。無茶だから。人間が1人で蠱毒姫殺すとか無理だから。あれだ。王都に行けばいい。エリーの仲間のヴァンパイアが3人居るらしいからよ。そいつらに守ってもらえばいい。真祖も居るし、何とかなんだろ」
「……」
「いいな? 今夜は体を休めて、明日蠱毒姫が留守の間にエリーを助け出して、その足で王都に向かうぜぇ? 王都に着いたらエリーの名前出して、なんとか騎士団に駆け込むんだ。そこにエリーの仲間のヴァンパイアが居るからよ」
「……宿に向かいましょうか」
「わかったな? ちゃんと吾輩のいう通りにするんだぜぇ?」
「……」
「返事ろよぉ!」
マーシャは、ヘレーネへの猛烈な殺意を抱えながら、考える。
ヘレーネへの殺意は、自分のための物。
エリーのためを思うなら、ギドのいう通りにすべきだ。
そう理解しながらも、ヘレーネの命を奪う妄想が止まらない。
エリーの目の前でヘレーネを殺し、エリーに感謝されながら抱きしめる。
そんなどこまでも都合の良い妄想が、今のマーシャの理想だった。
昼間の旧都を、頭蓋骨を両手で抱えた、どこまでも昏い顔の女が歩く。
道行く者がギョッとしては距離を取るが、そんなことはマーシャにとってどうでも良かった。
どうすれば蠱毒姫を殺せるか。
それだけがマーシャの頭の中を埋め尽くしていた。
ふわりふわりと音もなく浮遊するギドは、夕方のスパイン領にある、ヘレーネの拠点の出入り口を眺めていた。
上方向への注意が比較的弱いというのは、人間もヴァンパイアにも共通する。
音もなく浮遊し、小さく、夕日に紛れる乳白色をしたギドは、偵察をしているのだ。
ヘレーネの外出を見届けるまで、ギドはいつまででも出入り口を見張る。
マーシャは少し宿で休んだ後、ヘレーネの外出を見届けたギドと合流するため、近くにある喫茶店で待機していた。
……ヘレーネの姿をギドが捕らえたのは、夕日が半分ほどを隠した頃だった。
紫色のドレスに、赤紫の毛髪。
1目で正体のわかりそうな姿のヘレーネは、ギドからはどんな表情を浮かべているのかわからない。
”どうせあの笑顔が張り付いてんだろうなぁ”と、ギドは思う。
「さて、人のお世話が出来そうな方を……」
そう呟いて、ピタリと動きを止める。
斜め上からヘレーネを見ていたギドに、嫌な予感が走った。
動きを止めたヘレーネは、静かに、何の前置きもなく、当たり前のように喋り始めた。
「ヴァンパイアは必ず1つ以上のスキルを所持しているというのは、ヴァンパイアハンターの常識なのだそうです。それなりに名の知れたヴァンパイアで、色々な方に目の仇にされている私ですから、私のスキルは何なのか、という議論も良く行われていたそうなのです」
ヘレーネの眼前には誰も居ない。
にもかかわらずヘレーネは、淡々と語り続ける。
それは目に見えない何者かとの会話のようにも見えたが、ギドはすぐに察した。
自分に向けて語っている。
「私は蠱毒姫。であれば、スキルは調薬に関わるものだという説が有力らしいですね。あとは毒を生み出すスキルという説もありました。面白い説では、私のスキルは毒の無力化で、自分に毒が効かないから、臆することなく毒物に触って毒薬を作ることが出来る、というのも聞きました……自分のことについての考察というのは、えてして面白いものですわ」
ギドはふわりと舞い上がり、上へと距離を取る。
ヘレーネに動きはない。
しかし、ヘレーネの語る内容だけは、ずっと聞こえていた。
「私の持つスキルは、魔力視、というものです。本来はある程度の密度を持たないと目に捉えられない魔力を、より鋭く、視覚で捉えることが出来るスキルです。魔法適正も魔術の知識も持たない私は、自分の魔力を見ることで、魔力を纏ったり体を強化したりできるようになったのです」
どこまでも高度を上げ、ヘレーネとの距離を取るギド。
ヘレーネが豆粒ほどの大きさに見える程まで距離をとったはずだが、しかし、ギドははっきりと見た。
ヘレーネがまっすぐと、ギドを見上げている姿を。
「見えていますよ? あなたの魔力。今も、無断で私の拠点に入ってきていたのも」
ギドがもし冷や汗をかけるなら、今頃は体中の水分が枯れるほどかいているだろう。
声が聞こえるはずのない距離にまで遠ざかったはずのヘレーネの声が、ずっと聞こえ続けている。
そして、見破られるはずのない偵察が、最初からバレていたことに、ゾッとする。
”活性薬の薬を取りに、2日ほど出かける”
あの発言が罠だったのだと気付いたが、もう遅い。
「やっべ」
エリーを助け出すどころか、自分の身が危うい。
ギドはヘレーネの居ない間にエリーを攫う作戦を諦め、逃亡へと移行した。
下あごから生み出し続ける魔力を使い、自分をマーシャの居る喫茶店とは真逆の方へと弾く。
とにかく逃げる。
マーシャと自分が無事なら、次があるのだ。
ギドはクルクルと空中で緩やかに回りながら、追いかけてくるヘレーネとの距離を知るために、チラリとヘレーネの居た方を見た。
「……は?」
ギドが素っ頓狂な声をあげたのには、理由がある。
ヘレーネの拠点の出入り口の近くで、紫のドレスに赤紫の髪をした女が、倒れていたのだ。
倒れている女の顔は、先日見たヘレーネとは別人に見える。
逡巡の末、ギドは結論に至った。
「影武者ってやつか!?」
「その通りですわ」
ヘレーネの答える声は、ギドの逃げている方向の先から響いてきた。
続いて”ドバァッ”という破裂音。
ギドは声のした方を確認し、呻く。
「やべぇ」
ギドが目にしたものは、2つある。
1つは、旧都の中に広がる、一軒家ほどの大きさの土煙。
もう1つは、超高速で飛来する、跳び蹴り姿勢のヘレーネの姿だ。