ヒト以外の何かへ
エリーさんが私に鎮痛剤をねだる時は、私を何かしらの方法で愉しませるように言いました。
楽しませてくれたら、鎮痛剤を差し上げる。
そう告げてから、今日で5日ほど経ちます。
エリーさんは人を愉しませる芸事などは出来ませんし、起き上がること出来ず腕もないのでは、どうしようもないのでしょうね。
最初こそ何も言わずに、態度で甘えていたエリーさんですが、とうとう言葉でねだり始めました。
”痛いの、嫌”
”鎮痛剤、欲しい”
”お願いします”
そんなふうにねだりながら、モゾモゾと不自由な体で私の方に寄って来る姿が、大変無様で面白いのですが、同時に興ざめもしてしまいます。
そうは言っても、鎮痛剤を差し上げなかったことはありません。
エリーさんが楽しませてくれない時は、私が勝手に楽しむのです。
足で踏んでみました。
両の足首を持って逆さに釣って、お顔が真っ赤になるまで頭に血を登らせてみました。
優しく抱きしめて、抱きしめる力を少しずつ強くして、締め付けて、胃の中身を口から全て吐きださせてみました。
そうやって楽しんで、鎮痛剤を差し上げていたのです。
最後に鎮痛剤を飲ませて差し上げてから、そろそろ9時間。
今回はどんなことをして遊びましょうか。
私はほぼ1日中、何も考えないでボーっとして過ごす。
私に時間の経過を教えてくれるのは、ヘレーネさんが来た時だけ。
足音が聞こえてきて、だんだんと意識が覚醒してきて、私のすぐ近くにしゃがみこむヘレーネさんを見つけた。
「ヘレーネさん」
今はどこも痛くないから、普通に喋るのが辛くない。
でもヘレーネさんが来たってことは、また、鎮痛剤の効果が切れる頃なんだ。
また、鎮痛剤、貰わないと……
ヘレーネさんは、ヴァンパイア。
そんなの、みんな知ってる。
一般的に有名なヴァンパイアと言えば、蠱毒姫みたいなところがあるから。
そんな有名なヴァンパイアに媚を売るとしたら、どんな方法が思いつく?
私が思いついたのは、きっと誰でも思いつくような、簡単なもの。
「エリーさんは今日もぼんやりしてますわね? 以前はもう少し元気だったと思うのですけれど」
だって、何もすることないもん。
何もできないもん。
……ああ、でも、今は欲しい物があるんだった。
足で床を押して、背中を床に擦りながら、ズリズリとヘレーネさんに近づく。
痛くなくても腹筋は全然動いてくれないから、なかなか進まない。
それでもなんとかヘレーネさんの足元まで行く。
「虫の幼虫でも、もう少し機敏に動きますわ、エリーさん。今日は何をするんですか?」
もう疲れた。
足もうまく力が入らない。
「起こして?」
「はいはい」
ヘレーネさんの両手が脇の下に入り込んで来て、仰向けの姿勢から、ヘレーネさんと向かい合うように起こされる。
「それで、ここからどうするんですか?」
とりあえず密着したい。
腕があればしがみつくところだけど、二の腕の付け根までしかない。
腕を動かそうとしても、その二の腕の部分がグニャグニャ動くだけ。
だから足で体をヘレーネさんの方に押す。
「あら? 抱きしめて欲しいのですか? ……フフ、エリーさんんも甘えるのがうまくなってきましたね」
抱きしめられるのは嫌だ。
また吐くまで締め付けられる。
そっと抱きしめられると、ヘレーネさんの体の冷たさが気持ちいい。
ヘレーネさんの鎖骨当たりに鼻が当たって、ヘレーネさんの匂いがした。
首を動かして、右に傾けて、ヘレーネさんの肩に顎を置く。
手が使えないから首を軽く揺すって、シャツをずらして、首から肩を差し出した。
美味しいかどうか知らないけど、ヴァンパイアなら、これで喜ぶと思う。
「……なるほど。そう言えば吸っていませんでしたね」
左耳の近く”はぁぁぁっ”と息を吸い込む音がして、私の首筋に牙が刺さった。
痛くはなかった。
一気に深くまで刺さったような気がするけど、痛くないせいか、何ともない。
肌の下を牙がうごめいても、大丈夫。
なんだか悪い気分じゃない。
自分からヴァンパイアに血を捧げるって、こんな感じなんだね。
……血が抜けていく感覚がある。
痛くないせいで、その感覚がよりはっきりわかる。
このままヘレーネさんが満足するまで吸われるのかなと思ってたけど、そうはならなかった。
「ん? ……ンフフ」
ヘレーネさんは私の首から口を離して、”クチュクチュ”と口の中で私の血を転がしながら、またあの部屋に向かい始める。
私を抱きしめるのを止めて、私を仰向けに寝かせて、ヘレーネさんが私の上に覆いかぶさって来た。
「んべぇ……」
「うぁ」
私の顔に、さっき吸った私の血とヘレーネさんの唾液の混じったのを落としてくる。
私は顔を背けたけど、左頬の上にかかった。
生暖かくて、生臭い。
私が嫌そうな顔をしたら、ヘレーネさんはとても嬉しそうな顔になった。
「不っ味いですわ。とても飲めたものではありません」
「え……」
別に”美味しい”なんて言って欲しかったわけじゃないのに、”不味い”と言われるとショックだった。
「そうですねぇ……サンドイッチは食べたことありますよね?」
「あるよ」
「美味しいトマトとみずみずしいレタスとカリカリに焼いたベーコンに、マスタードのサンドイッチ。とてもおいしいですよね」
それは、きっと美味しい。
「うん」
「エリーさんの血は何といいますか……そのサンドイッチに、1摘まみの砂が混じったような、そんなお味なのです。美味しいはずなのに、食べ物以外の物が混じっていて、美味しくありませんし、飲み込むことが出来ない。そんな感じですわね」
ヘレーネさんはそう言った。
きっと、気分を害したよね。
首筋を見せつけられたら、ヴァンパイアだったら、血を吸いたくなる。
それなのに、吸った血が不味かった。
私の方から、血を吸ってって甘えたのに……
「やだ」
鎮痛剤をもらえないと、きっと痛くて仕方がないはず。
それが嫌だなって思う前に、そう言ってた。
「あらあら、何が嫌なのですか?」
私は素直に答えた。
「鎮痛剤くれないの、やだ」
「そうなのですね! ああよかった。ヴァンパイアの私がエリーさんの血に異物を感じたということは、だんだんと人間から遠ざかっているということなのですけど、それは別に良いのですね?」
「あ」
そこまで頭が回らなかった。
……言い訳、だね。
私は自分が人間じゃ無くなることより、痛みから逃げる方が大事なんだ。
いつの間にか、人間になれたっていう私にとってすごく大事だったものが、だんだんとどうでも良くなってきてるんだ……
とてつもなく嬉しそうなヘレーネさんは、椅子を私の近くに持ってきて、それに座った。
それから、片足を上げて、私の方に……
「うふふふふふ」
私のお腹を軽く踏みつけて、つま先で軽く押して遊ぶ。
「ぽよぽよですね。何度も開腹しましたもの。水の入った袋のように柔らかい」
痛くない。
でも体を足蹴にされたりすると、また何かが傷ついていく。
プライドとか、自尊心とか、尊厳とか、そんな何かが。
ヘレーネさんは私のお腹を踏むのを止めて、つま先でシャツの裾をまくった。
6本の縫合痕がある、私のお腹を見下ろす。
「……もう切り開くスペースはありませんが、まぁいいでしょう。活性薬でエリーさんの血嚢が活性化するというのは、確信が持てました。これからは、体がどう変化していくのかを見ることにしましょうね」
ヘレーネさんはそう言うと、そのまま足を私の顔の方に近づける。
サラサラの靴下越しにヘレーネさんの冷たい足が、左頬に乗った。
頬に着いた血と唾液を塗り拡げるように、ゆっくりと動き出す。
嫌だけど、言わない。
言っても意味がない。
ボーっとしている方が……
ふと、視界に白いものが映る。
「エリーさんも、味わってみますか? 自分の血がどれだけ不味いのか」
つま先を血と唾液でべっとりとさせてから、そのつま先を私の口に突っ込んでくる。
「歯を立てても良いのですよ? 私は気にしません。それより、舐めとってみてください」
言われるがまま、舌でつま先を舐めてみる。
嫌な味がする。
さっきから見えている白い物が気になる。
輪郭がはっきりとしてくると、その正体がわかった。
「ふぃ、ぉ?」
「ん? どうしました?」
ギドだ。
飛んでる。
部屋の中を、頭の骨だけのギドが静かに飛んで、私を見下ろしてる。
「ふぃあいれ」
見られてる。
こんな私を、ギドが見下ろしてる。
そう思うと、涙が出てきた。
最近は全く泣いたりしなかったのに。
ヘレーネさんがギドに気付いた様子が無い。
ギドに見られてようが、私が何か言おうとしてようが、問答無用で口の中のつま先を動かして遊ぶ。
つま先が舌を弾いて、上あごをなぞって、深く突き刺して……
「ん~、まだ体温は人間のそれですね。温かくて気持ち良いですよ?」
なんでギドがここに?
私を見に来た?
助けようと?
それとも、何か別の用事?
わからない。
だけど、見られたくない。
こんな私を、見てほしくない。
「あ、そうそう。私これから2日ほど出かけてきます。活性薬の材料が足りなくなってしまいまして、採ってこなければいけないのです。おとなしく、お利口さんにして待っていてくださいね?」
そう言い終わったヘレーネさんは、私の口からつま先を抜いた。
「……そうでした。おトイレとか食事とか、どうしましょう。1人じゃできませんよね」
ヘレーネさんは顎に手を当て、考える仕草をして、それからポンと手のひらを打つ。
「誰か1人攫ってきて、シトリンで人形にして、エリーさんのお世話をしてもらいましょう。エリーさんはどんな人にお世話してほしいですか? 男の人ですか? 女の人? 若い方がいいですか? お年寄りにします?」
一応聞いては来るけど、わかってる。
ヘレーネさんは私の答えなんて、期待してない。
「……」
「特に希望はないのですね。では適当に見繕って攫ってきますわ」
ヘレーネさんはそう言うと、私を抱えて元の部屋に歩き始める。
チラリと上の方を見ると、ギドはまだ私を見てた。
そしてヘレーネさんがこの部屋を出るとき、ギドが私から顔を反らして、どこかへフワフワと飛んでいく。
さっきまでは私を見てほしくないと思ってたのに、急に寂しくなってきた。
また、泣いた。