尊厳とかプライドとかいう、気持ちのいいもの
割と作者の趣味全開なので、胸糞注意です。
エリーさんのお世話をしてお部屋から出た後、嫌な予感と共にじんわりと血の匂いを感じ、急いで部屋に戻ってみました。
するとエリーさんが両手を自分のお腹の縫合痕に突っ込んで、血嚢を潰そうとしていたので、思わず両手を蹴って、根元から千切ってしまいました。
我ながら恥ずかしい。
ついカッとなるとは、こういう感じなのですね。
生まれて初めての体験でした。
しかし、腕が無いと本当に何も出来なくなるでしょうね。
痛みを我慢すれば、這って移動するくらいは出来たかもしれないのに……
腹筋が使えないだけでほぼ寝た切りのエリーさんが、さらに何も出来なくなってしまいました。
まぁこれはこれで良いとしましょう。
いずれヴァンパイアの再生能力を取り戻せば、失った両手も切り裂かれた腹筋も再生するでしょうし。
私の予想では、血嚢が活性化し、活性薬なしでも常時活動するようになれば、ヴァンパイアの能力の一部、再生能力くらいは手に入れられるはずなのです。
問題があるとすれば、この予測が外れる可能性もあるということでしょうか。
ヘレーネさんは私のお腹を縫い合わせた後、私を見下ろして、ジィっと何かを考えてる。
千切れた両腕の断面が、じわじわと痛みを訴え始める。
麻痺していた痛みの感覚が、戻って来たらしい。
加速度的に増していく痛みが、どこか遠くに感じられて、不思議と辛くない。
それより、少しうれしいというか、気持ちいい。
私は両腕が無いから、私に酷いことをするヘレーネさんに抵抗できない。
抵抗しない、理由が出来た。
ボロボロになっていく自分を自覚するたびに、楽になれる。
もっとダメになってしまいたい。
「……痛いのは嫌、なんでしたっけ?」
そう聞かれた。
嘘を吐くと、あとで何されるかわからないからって言い訳して、素直に答える。
「ぅ、ぅ」
声が出ないから、首を縦に振る。
意識ははっきりしてるような気がしてたけど、そうでもないらしい。
色々麻痺してて、首を動かした感覚は無かった。
首、ちゃんと振れてたかな。
「そうですよね。普通、嫌ですよね」
ヘレーネさんはそう言って頷いて、私を抱き上げた。
体が動かないし、腕もないから、抵抗できない。
だから抵抗しない。
ヘレーネさんは私を抱き上げたあと、そのまま歩き出した。
この部屋を出るのは……マーシャさんに酷いこと言った、あの日以来だ。
ヘレーネはエリーを抱え、拠点の中のある一室へと向かった。
窓が無く、壁も床も天井も石であることを除けば、その部屋はいたって普通だ。
椅子があり、机があり、ゆったりとしたソファーがあり、棚には観葉植物と小物が置かれ、机の上には上品なティーセットまでそろっている。
ヘレーネに抱えられたエリーは、首をキョロキョロと動かしては部屋の内装を見回していた。
そんなエリーの耳元で、ヘレーネは優しくささやく。
「お腹の傷は、痛いでしょう? 腕の断面も痛いですよね。かなり乱暴に蹴り飛ばしてしまいましたから、傷口が荒くなってしまいました。」
ふいにそう問われたエリーは、ヘレーネとは目を合わせないまま、こっくりと頷いた。
「痛いのは嫌なのでしたら、鎮痛剤を差し上げても良いのです」
ヘレーネはソファーにそっと腰を下ろすと、エリーを足元の床に座らせた。
エリーが後ろに倒れないよう、両肩に手を添え、自分の膝ほどの高さにあるエリーの顔を見下ろす。
優し気な声と表情は、エリーの心に染み込むように、溶かすように、エリーへと注がれる。
その優しさが、エリーの体への好奇心から来るものであるとわかっていながら、エリーはその優しさに縋る。
「……欲しぃ」
諦めと絶望の中、エリーはどうしようもないほど、ヘレーネとの関係性がはっきりしていることを自覚している。
ヘレーネは、エリーの体の中にある血嚢に興味があり、エリーを思うままに扱うことが出来る。
対するエリーは、ヘレーネに逆らう術はない。
主従よりも一方的な、所持者と所有物の関係だ。
エリーもヘレーネも、現時点でその事実をよく理解している。
その上で、ヘレーネはエリーに、選択肢を与えて遊ぶことを思いついたのだ。
「そうですねぇ……それでは、少し甘えてみてください」
「それ、は、どういう……?」
「私に甘えてみてください。私がいい気分になったら、鎮痛剤を差し上げます。別に要らないのなら、甘えたりしなくてもよいのですよ?」
そう笑いかけるヘレーネの中にあるのは、嗜虐的な愉悦と、観察したいという欲求に満たされていた。
ヘレーネはエリーにとって自分が、絶対に相容れない相手であることを知っている。
嫌いで、関わりたくなく、怖い相手であると理解している。
そんな相手に、媚びを売ることを提案したのだ。
媚を売り、プライドを捨てれば、痛みから逃れさせる。
そう言う提案だ。
そしてエリーは、それをすぐに理解した。
「……クフフ」
その上で、飲んだ。
すぐ近くにあるヘレーネの膝に頬を当て、靴下の上からこすりつける。
ヘレーネの足に、頬ずりをしたのだ。
たどたどしく弱々しいかったが、ヘレーネはその感触より、自分の足に頬ずりするエリーの姿を、目で楽しんだ。
「悩まないのですね。お腹の痛みの方は、今日までずっと耐えてきたと思うのですけれど……」
ヘレーネは笑みを深める。
愉悦という感情が、先ほどまで感じていたモヤモヤをかき消していく。
その感覚が、気持ちいいと感じていた。
そして、エリーも……
「エリーさん、自分が何者なのか、そろそろ自覚しましたか?」
そう問いはするものの、返答はなかった。
エリーはチラリと上目遣いでヘレーネを見上げ、またすぐに視線を落とし、頬ずりを続ける。
反抗的ともいえるその態度は、逆にヘレーネは悦ばせた。
「人間的な感覚や道徳観念は、捨ててしまった方が楽ですわ。もうエリーさんは私のおもちゃなのですからね」
そう前置きし、問いを続ける。
「嫌いな私に甘えるのも、もう悔しくはないでしょう?」
エリーは答えない。
「こんなことで傷つくようなプライドは、もうないでしょう?」
死んだような目で、甘え続ける。
「私に媚を売るなんて、人としての尊厳が許さないでしょうけれど、もうそんなものは捨ててしまったのでしょう?」
エリーは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに再開する。
エリーは全ての質問に反応しなかった。
だがエリーの答えを、ヘレーネはわかっている。
「私に甘えてみてください。私がいい気分になったら、鎮痛剤を差し上げます。別に要らないのなら、甘えたりしなくてもよいのですよ?」
痛いのが嫌だと伝えたら、そう言われた。
どうせ私が甘えるのを嫌がったって、どうにでもなるくせに。
マーシャさんに合わせた時みたいに、あのシトリンとか言う薬で、好きなように操れるくせに……
ズキっと胸が痛くなった。
すごく嫌だと思った。
それなのに、体が勝手に、動いてた。
目の前にあるヘレーネさんの足に、顔を当てて、こすりつける。
犬にでもなった気分。
大事な何かが、ズタズタになっていく。
体の傷が痛いのと、大事な何かがズタズタにされるの、どっちがマシなんだろう。
わからないけど、もう止められない。
甘えるって、こうすればいいの?
誰かに甘えるのって、こんなに辛いことだったっけ。
誰かに媚を売るって、こんなに傷つくことだったんだ……
「人間的な感覚や道徳観念は、捨ててしまった方が楽ですわ。もうエリーさんは私のおもちゃなのですからね」
……そうだ。
私は自分を人間だと思ってるから、こんなに辛いんだ。
「嫌いな私に甘えるのも、もう悔しくはないでしょう?」
悔しいのに、その悔しさがどこか遠い。
よくわからないまま、意識のどこかが楽になっていく。
「こんなことで傷つくようなプライドは、もうないでしょう?」
ズタズタにされていく大事な何かって、プライドのことかな。
せっかく人間になれて、これからはちゃんとした人間として生きていくんだって決めてた。
それが、私のプライドだったのかな。
だとしたら、もうズタズタのボロボロだよ。
「私に媚を売るなんて、人としての尊厳が許さないでしょうけれど、もうそんなものは捨ててしまったのでしょう?」
尊厳……
それがあるから、こんなに辛いのかな。
すごく惨めで、胸の奥が痛い。
……あ、ちょっと気持ちいい。
このまま尊厳とかプライドがボロボロになって、ズタズタにされて、無くなってしまえば。
きっと楽になる。
気持ちいいって思うのは、私がそうなることを望んでるからなんだ。
もっと、もっと
私を壊して……
お酒に酔ったような感覚に任せて、ボーっとヘレーネさんの足に頬ずりしていると、ふいに体が持ちあがった。
「ぅ?」
おかしな声が出て、自分がヘレーネさんに持ち上げられたのだとわかるまで、少しかかった。
「なかなか気持ちよかったですわ。お約束通り、鎮痛剤を飲ませて差し上げますわね」
ヘレーネさんは指に茶色の粒を乗せて、私の口に指ごと突っ込んでくる。
ヘレーネさんの指が私の口の中を探るようにクルリと一周回って、それから舌の上に粒を置く。
”ちゅぽっ”って音と一緒に指が抜けて、代わりにどこからか取り出した水の入ったコップが口に近づけられる。
私はヘレーネさんの膝の上に乗ったまま、成されるがままにお水で粒を流し込んだ。
「お薬が効くまで、大体10分ほどかかります。10時間ほどで効果が無くなりますから、その前にまた、遊びましょうね?」
ヘレーネさんの笑顔は、しょっちゅう見られる。
だけど今の笑顔は、これまでのどの笑顔より、満足そうだった。
釣られて私も、少し笑った。
前書きの胸糞注意は、もう今更かもしれませんね。