手のひらで踊る
エリーを求め、はるばるスパイン領の旧都までやってきたマーシャは、早速エリーとヘレーネを探し始めた。
ギドを抱え、かつての都、現在の観光地を練り歩く。
「すいません。蠱毒姫の居場所を知りませんか?」
目に着いた人に駆け寄っては、そう問うた。
「赤紫色の髪の女を見かけませんでしたか? ……そうですそうです。ヴァンパイアの……」
露店の店番に詰め寄っては、そう問うた。
そして、マーシャは情報を得られなかった。
人の頭の骨を抱えて、蠱毒姫を探す女。
時折その骨と目を合わせて、なにやら呟いている。
そのような者には関わりたくないのだろう。
あるいは、ヘレーネについて本当に何も知らないのか。
いずれにせよ、マーシャは旧都にやって来た後、エリーとヘレーネを追うための手掛かりを失っていた。
旧都の構造は他の町と異なっている点がいくつかある。
かつて都だった旧都の中心には、旧王城があった。
旧王城は小高い丘のような場所の頂上にあり、そこから城下町がなだらかな坂に沿って広がっている。
町の各所には階段があり、道は入り組み、屋根の上に通り道があったりと、非常にややこしい構造だった。
昼の景観は非常に良いものと言えたが、日当たりの悪さと道の迷いやすさも、旧都の特徴と言えるだろう。
丸一日をエリー探しに費やしたマーシャは、ギドを抱え、階段に座り込んでいた。
狭い道に小分けにされた階段は狭く、左右を建物の壁に塞がれ、道を下りきらなければ大通りには出られない。
マーシャがそんな場所に座り込んでしまったのは、宿の確保すらせずにエリーを探し回ったからだ。
成果は上がらず、休む場所もなく、飲食店に入ろうにも道がわからない。
孤独感と無力感が増し、狭くて暗い場所は、マーシャの気分をいっそう落ち込ませる。
観光地故か、日が落ちた後も、どこか遠くから喧噪が聞こえてくる。
それはどこか別の世界のことのように感じられた。
ギドは旧都に入ってから一切話さず、ただの頭蓋骨に徹していた。
それは単に、喋る頭蓋骨だとバレないためだった。
ギドが喋ろうが喋るまいが、頭蓋骨を抱えたまま歩き回るマーシャは目立ってしまう。
それでも少しでも目立たないようにと思っての沈黙だった。
そんなギドが、ようやく口を開く。
「なぁおい」
「なんですか。エリーの居場所以外は聞きたくありません」
ギドに怯えていたことなど忘れたかのように、マーシャは邪険に言い放つ。
ギドもいつもなら軽口を叩くところだが、今ばかりはそうもいかなかった。
「やべぇぞ。誰か来る」
「え?」
階段に座って項垂れていたマーシャが、ハッと顔を上げる。
狭い道の曲がり角に、人の姿はない。
足音もない。
だが、マーシャはその角から目を放せなくなっていた。
音もなく、影もなく、ヌッとその陰から現れたのは、ヘレーネだ。
角の向こうの死角から、赤紫の長い髪を揺らし、マーシャを見つけ、ニコリと微笑む。
「やはりマーシャさんでしたか」
「レーネ」
「私はもう薬師レーネではないのですけれど……愛称、ということにしましょう。はい。マーシャさんの友人のレーネです。私に御用がおありなのでしょう? 噂になっていましたわ」
ヘレーネの微笑みは深く、しかし目線は鋭い。
マーシャの抱える頭蓋骨、ギドを捉えていた。
「そちらの骸骨さんは、私が近づいてくるのに気づいていたようですわね」
ギドは一瞬考える。
ヴァンパイアの聴覚であれば、先ほどマーシャに声をかけたのを聞き取ることは容易だろうと。
であれば、今ただの骸骨に扮することは難しい。
「吾輩はギド。お喋り頭だぁ。お前が蠱毒姫だな?」
ギドの問いに、ヘレーネは嬉しそうに答える。
「初めまして、ヘレーネ・オストワルトと申します。ヴァンパイアですわ。ああ、今私、貴重な経験をしていますわね。お喋りできるスケルトンなんて、初めてです。ギドというお名前は聞いたことがあります。あなたがアラン・バートリーと共に王都を襲った海賊船長ギドですわね?」
「良く喋るなぁ。わざわざ会いに来たってことはよぉ。何かしら要件があったんだろぉ? 言えよ。ちなみに吾輩たちの要件は」
「エリーに合わせなさい、レーネ。折角私のところに帰ってこようとしていたエリーを、どこに連れて行ったの? 返してください」
マーシャはギドとヘレーネの会話にしびれを切らし、割り込んだ。
良いところで話をぶった切られたギドはシュンとしていたが、それはマーシャにもヘレーネにも伝わらない。
「もちろんです。エリーさんに会ってもらおうと思って、こうしてお迎えに来たのですから」
「……」
「なにか?」
ヘレーネがあっさりとエリーに合わせることを承諾したことを、マーシャは少し疑問に思う。
しかし、ここで断るという選択肢がないことに、すぐに気づいた。
「いえ。なんでもありません」
マーシャはギドを抱え、まるで自分の庭でも歩くかのように堂々と歩くヘレーネを追いかけるのだった。
下り階段は、石。
壁も石。
天井も石。
照明は、正体不明の発行する球体。
白い光が灰色の壁や床を照らす、どこか現実離れした場所。
それがヘレーネの本拠地だった。
ギドを抱えたマーシャは、ヘレーネの本拠地を案内される。
そして、1つの部屋にたどり着いた。
「こちらにエリーさんが居ます。どうぞ?」
「……ずいぶん素直に合わせてくれるのですね?」
「ええ。何も困ることなんてありませんもの。それに、マーシャさんは友人ですから」
ヘレーネの胡散臭い笑顔の奥に、どれだけの愉悦が秘められていたか。
それはマーシャにもギドにもわからなかった。
底知れぬ不気味さから逃れるように、マーシャは案内された扉に手をかける。
全く装飾の類の無い扉を開けた先には、やはりこれまで通りの部屋だ。
石を削ったような部屋と、正体不明の照明。
そして、椅子が2つ。
その1つに、エリーが座っている。
鉄製の椅子には手すりが備わり、エリーはその手すりを掴み、背もたれに体重をかけるように座っていた。
真っ白のシャツとズボン以外は身につけず、石の床を素足で踏んでいる。
「エリー!」
「あ、マーシャ、さん」
どこまでも無表情で、人形のように斜め下を向いていたエリーは、マーシャの声を聞き、顔を上げた。
どこか違和感のあるイントネーションと、淡々と発される言葉。
だがマーシャは、そのことに気付かない。
気付いていたとしても、気にしなかったのかもしれない。
後ろで今しがた開けて入った扉が閉まるのも気にせず、エリーに向かって走り出す。
「エリー……やっと会えました。ほんとに、心配を」
張り詰めていた感情が、じんわりと緩む。
「本当に、心配してたんです」
走るほどの距離ではないはずだが、なかなか近づけないような気がした。
気付けば、走っていたはずが、トボトボと歩み寄っている。
「エリー、会えて、よかった……」
エリーの座る椅子の対面にある、もう1つの椅子。
それを通り過ぎようとした頃、不安がマーシャを襲う。
エリーがマーシャを見ていないのだ。
目線はマーシャに向いている。
だが、その目は何も見ていない。
そう感じさせた。
「エリー?」
歩み寄る足が止まる。
マーシャがじっとエリーを見つめると、エリーは口を開いた。
「何しに来たの?」
マーシャは何も答えられなかった。
ほとんど休まず、ギドを拾った日からエリーを探して、会うことだけを考えてきた。
そしてやっと対面することが叶ったエリーは、マーシャを見ていない。
再会を喜べると思っていたはずの相手は、どこまでも冷たく、マーシャを突き放した。
声には嫌悪が乗っていた。
その事実が、マーシャを、硬直させていた。
何も答えられないマーシャに代わるように、エリーは淡々と言葉を紡ぎ始める。
「毎日毎日ベタベタくっついてきて暑苦しいよ」
「体中撫でまわされて、ずっと気持ち悪かった」
「私が嫌がってても、無理やり辛い物食べさせたり、からかったり」
「気持ち悪いよ」
「何かある度に私にあれこれ要求するの、いい加減鬱陶しい」
「ほんとに何しに来たの? 何の用?」
「私がマーシャさんと一緒に居る理由なんて、もう無いんだけど」
「同じ家に住んでたけど、私とマーシャさんは家族でも何でもないよ」
「もう会いたくない」
「私は、マーシャさんのところになんか帰らない」
「ヘレーネさんと一緒にここに居るから、邪魔しないで」
「帰ってよ」
「二度と来ないで」
エリーの居る部屋の扉の近くで、ヘレーネはマーシャが出てくるのを待っていた。
扉越しに聞こえてくるエリーの拒絶の声と、戸惑うマーシャの吐息。
それをただ聞き、愉悦に顔を歪める。
「最っ高ですエリーさん。本当に最高に気持ちいいです。私は今、人生で一番愉悦を感じています。ああ、楽しみですわ♪ もう、もう、ああ、く、ふ、くふふふふふふふふふ」
全て思い通り。
計画通り。
子供が悪戯を成功させたときのような、楽しい、嬉しいという感覚が、ヘレーネの胸を支配していた。
声を殺して笑い、肩を震わせて、愉悦を味わう。
どこまでも、どこまでも、ヘレーネは自分の悪意がエリーとマーシャを侵していくのを愉しんでいた。
エリーがマーシャを拒絶するたびに、笑みが深くなる。
マーシャとギドは、現状でエリーを助けようと動ける唯一の存在だというのは、予測がついていた。
そのマーシャを、エリー自身に拒絶させる。
それはもう、どうしようもなくなるということだ。
ヘレーネがエリーを独占することを、邪魔するものが居なくなる。
それを実感する。
嬉しくて仕方がないのだ。
ヘレーネが時間を忘れて愉悦に浸り、どれほどか経った頃、1人分の足音に気付く。
部屋の中からだ。
そして、扉が開いた。
力無く扉を開けたのは、いかにも心神喪失状態といった表情のマーシャだ。
だらりと垂れた左手には、ギドが無造作に掴まれていた。
ヘレーネは歪んだ笑みを引っ込め、いつもの笑顔を張り付ける。
「もうよいのですか?」
「……」
マーシャは何も答えない。
「エリーさんを連れて行かなくて、よいのですか?」
「……」
マーシャは何も答えない。
だが、マーシャが何を望んでいるのかはわかっている。
「そうですか。では、出口まで案内しますね」
ヘレーネはフラリユラリと足元のおぼつかないマーシャを、拠点の外まで連れ出した。
マーシャは一度エリーの居る部屋を振り返ったが、それ以上何かをすることも無く、大人しく連れ出される。
そして別れ際、拠点を去ろうとするマーシャに、ヘレーネは声をかける。
「ああ、マーシャさん、1つだけよろしいですか?」
「……なに?」
「私が旧都に居ることや、この拠点の場所は、内密でお願いします。出来れば静かに暮らしたいのです。エリーさんも居ることですし……」
余計なことをしゃべると、エリーがどうなるかわからない。
そう伝えた。
「わかっています。誰にもいいません」
マーシャは疲れた顔でそう言い切る。
そして
「また来てもいい? エリーに会いたいので」
そう問うた。
その質問はヘレーネを少し驚かせたが、態度には出なかった。
「構いませんわ。でも、その時は1人でお願いしますね?」
「ええ」
ヘレーネの前から去るマーシャの背中には、喪失感がありありと浮かんでいるように見えた。
ヘレーネはマーシャを見送るのを止め、拠点へと戻る。
「……会いたい、ですか。そうは言いつつも、もう来ることは無いのでしょうね」
拠点内の自室にある、シトリンの解毒剤を手に取りながら、ヘレーネはそう呟いた。
夜明け前、城下町の細く、狭く、薄暗い階段で、マーシャはまた座り込む。
ギドを階段の脇に適当に置き、両手で顔を覆う姿は、酷く儚げだ。
沈黙を貫いていたギドは、ようやくマーシャに話しかけた。
「……ありゃあ、エリーの本心じゃ」
「エリーが私にあんなこと言うわけがない」
そして、あっさりと割り込まれる。
「お、おぅ。多分だが」
「レーネ……蠱毒姫のことですから、恐らく、何かの薬で操られていたとか……ああ、もしかしたら、ああいう風に私を拒絶するように脅されていたのかもしれません」
「……吾輩に」
「私がギドを持っていたのに反応をしなかったということは、薬で操られていた説の方が有力ですね。ギドがエリーの仲間なのだとしたら、私だけ拒絶してギドに反応が無いなんておかしいもの」
顔を手で覆うのを止めたマーシャは、スッとギドに目線をやる。
「あるいは、あなたがエリーの仲間だというのが嘘なのかも」
「おいおい! 吾輩は海賊船長ギドだぜぇ? アラン・バートリーと一緒に王都を襲ったスケルトンだ。アランの仲間の吾輩がエリーの仲間じゃないわけねぇだろ?」
「なぜです?」
「アランの正体がエリーだからだ。知らなかったのか?」
「初耳ですが……まぁ、いいです。とりあえず、レーネがエリーを私に返すつもりがないことはわかりました。どうやって奪い返すか考えましょう」
「おう! とりあえずどっかで休め」
「そうですね。流石に疲れました」
マーシャは両手でギドを抱え上げ、立ち上がる。
疲れたという割に、足取りはしっかりしていた。