記録
エリーさんを手に入れてから、3日目。
私のことを随分と怖がったり嫌がったりしてくださったのは、昨日まででした。
今日は怖がると言うより怯えてしまっている様子で、眠っていても私が近づくと目を覚まし、不自由な体で後ずさったり、体を守るようなしぐさをしたりするばかりです。
大事にします。
壊したりしません。
もし壊れてしまっても、すぐに直して差し上げます。
そう何度繰り返しても、エリーさんは怯えて逃げて、叫んで、最後には気絶するばかり。
私の予想を超えた抵抗や、こちらの虚を突くような発言、行動……
そう言う面白さは、もう期待できそうにありません。
でも、いいのです。
エリーさんは、それだけで面白い。
ハーフヴァンパイアからヴァンパイアになり、人間になった。
そう言う経歴だけで十分楽しめるおもちゃです。
人間の体に残った、機能していない血嚢。
その血嚢が活性化したら、体はどうなるのか……
気になってしまってどうしようもないのです。
……私としたことがいけませんね。
興奮しすぎて記録と日記の区別がついていなかったようです。
記録に戻りましょう。
今日は食事をさせてみました。
一度開腹したとはいえ、内臓に傷はつけていません。
なのでエリーさんの消化器官は問題なく機能している……というわけではないのでしょうね。
心理的な負荷のせいか、何を食べさせても吐き戻してしまいました。
肉はもちろん、パン、根菜、葉野菜、トウモロコシ、豆、それぞれを優しい味付けで少量ずつ用意していたのですが、全部だめでした。
優しく食べさせてあげたのに……
まぁなんといいますか……思い通りに行かないのも、楽しいのですけれど。
最初は確か、食べ物をスプーンで掬って、エリーさんの口に近づけたのでしたね。
エリーさんは丸2日ほど食事をしていないので、それだけで食べると思っていたのです。
空腹は人からプライドを捨てさせるらしいので、エリーさんが私のことを嫌っていても、がっついて食べるだろうとばかり考えていました。
ですがエリーさんは、むしろ顔を背けて嫌がりました。
この時は嬉しかった。
エリーさんには、まだ多少なりとも抵抗する意思があり、私には降らないというプライドがあるのだと……
まだまだ楽しめるのだと
エリーさん自身がそう教えてくれたのだと思い、嬉しかったのです。
その後、私はエリーさんの唇にスプーンを押し当てて遊びました。
イヤイヤと首を振るエリーさんで、遊びました。
どれくらい遊んだかは覚えていませんが、それなりに楽しめました。
私、物事がなかなかうまく行かないと、むしろ燃え上がってしまいます。
気付けばエリーさんの顎を掴み、無理やり口を開けさせて食べ物を口に押し込んでいました。
美味しかったのかどうかはわかりませんが、エリーさんの青ざめた頬に、少し紅が刺したように見えましたね。
エリーさんの心はともかく、体は栄養を欲していたのでしょう。
エリーさんがその後すぐに口に入れた食べ物を吐きだそうとするのは、予想していました。
口を手で塞いで、無理やり咀嚼させて、飲み込ませる。
少々強引にやりました。
一皿食べ終えるまで、かなり時間がかかりました。
口の中に食べ物が残っていないのを確認し、油断してしまったのです。
次のお皿を手に取るまでの数秒の間に、エリーさんは吐いてしまっていました。
体は栄養を欲していて、消化器官に問題はなく、体にいいものを食べさせたはず。
それでも吐いてしまった。
理由がわからず、困惑し、食べさせたものにアレルギーでもあったのかと、この時は思いました。
別のお皿を同じように平らげさせ、様子を見ることにしたのです。
ですがやはり結果は同じ。
何を食べさせても吐いてしまい、苦しそうにするばかり。
栄養の経口摂取は諦めざるを得ませんでした。
代わりに点滴を注入することで栄養補給を済ませました。
おそらく、精神的に食べ物を受け付けない状態だったのでしょう。
今後はしばらく点滴で栄養補給を行うことにしました。
活性薬について。
ヴァンパイアの肉体の性能は、血嚢の状態に依存します。
多くの血を飲んでも、弱った血嚢では大したエネルギーを作り出せません。
そこで作ったのが、この活性薬。
無理やり血嚢の機能を向上させ、肉体のパフォーマンスを限界以上に引き上げる薬。
シトリンが私の常套手段であり、この活性薬が切り札になるのでしょうね。
命を狙われ続けて早百数十年。
何度か活性薬に命を救われたことがあります。
そんな活性薬を、エリーさんに飲ませてみました。
エリーさんの持つ機能していない血嚢を、再び活動させることが出来ると考えたのです。
結果は、思った通り。
飲ませてすぐ、エリーさんの目が赤く染まりました。
ですがそれも、10秒ほどで元の茶色い瞳へと戻ってしまいました。
ほんの一瞬しか効果が無かったようです。
本当ならもう一度お腹を開き、そのまま活性薬を飲ませ、活性薬が血嚢にどのような作用を与えるのかを観察したいところです。
ですがエリーさんの体は人間。
短期間に何度も開腹していては、体が持たず死んでしまうでしょう。
しばらく開腹はお預けです。
一日に1瓶飲ませ、瞳の色が赤くなる時間の変化を記録することにします。
余談ですが、エリーさんは活性薬を飲ませようとすると、最初だけは嫌がります。
ですが飲むように強く言うと、素直に口を開けてくださいます。
その時の怯えた表情に愉悦を覚えてしまいます。
人間であるということに強いこだわりを持っているエリーさんは、活性薬を飲むたびに絶望しているのでしょう。
活性薬を飲むたびに、自分が人間ではなくなっていくのがわかるのでしょうね。
エリーさんを手に入れてから、7日目。
日に日にエリーさんの抵抗は弱くなっていっています。
反応も鈍くなって、泣き叫ぶことは無くなりました。
泣きはします。
怯えもします。
絶望もします。
しかし、弱いのです。
そろそろ、頃合いでしょうか……?
2度目の開腹をしました。
1度目の開腹の傷はまだ癒えておらず、同じ場所を切開するのは避け、少しずらした位置から開きました。
腹筋もほんの少し治りかけていましたから、新たにもう一か所割り開いて、内臓を見てみます。
数日経口摂取をしていないせいか、消化器官が若干小さくなっていました。
そして、血嚢。
こちらは以前より艶があり、色が若干元の赤紫色に近づきつつあります。
皺も少し減り、弾力もわずかながらありました。
未だ機能しているとは言い難いようですが、少しずつ元の状態に戻っているようです。
私の予想通り、活性薬は血嚢を復活させつつあるようです。
エリーさんは相変わらず施術中に何度も呼吸をしなくなっていましたが、また意識を呼び起こし、血嚢の様子を伝えました。
最近ではこの時が最もいい反応をしてくださいましたね。
唯一動かせる首から上で、よく絶望を表現していました。
悲鳴は言葉にならず、見開いた眼は虚空を見上げ……
”もうやめて”と懇願する様は、私を高ぶらせてくださいました。
今後も開腹するときは、エリーさんに血嚢の経過報告をすることにします。
排泄、食事、そして体を清潔に保つために体を拭く。
それらは私がお世話しています。
どれも最初は強く抵抗されましたが、人間とヴァンパイアではどうしようもない力の差がありますから、どれも滞りなく済ませることが出来ました。
しかし、2度目の開腹で体力を使い果たしたのか、今日はほぼ無抵抗で体を預けてくださいました。
”何でもするから、人間でいさせて”
ずっとそう呟いていました。
もちろんお断りしました。
これからが楽しいのに、今やめるなんてとんでもない。
そう。
これからが楽しいのです。
それなのに、そう言うときに限って邪魔が入るのです。
なんでも、骸骨を抱えたマーシャという女の人が、この旧都で私を探しているようなのです。
骸骨を抱えた人なんて目立つに決まっていますから、こちらから何かするまでもなく情報が入ってきました。
チラリと姿を見てみましたが、案の定マーシャさんでした。
執念深いというか、執着心が強いというか……
エリーさんはもう私の物なのに……
私の数少ない友人である、エリーさんのことが大好きな、あのマーシャさんのことですから、放っておけばずっと私とエリーさんを探し続け、いつしかこの場所も探し出されることでしょう。
そうなると、私を討伐しようとする冒険者さんや兵隊さんがたくさん来ることは目に見えています。
であれば、どうするべきなのかは明白でしょう。
エリーさんに合わせ、諦めてもらうのです。
エリーさんは活性薬さえ飲まなければ、今のところ人間です。
対処はもう思いつきました。
明日、マーシャさんをこちらにお招きし、エリーさんに合わせましょう。
きっと楽しいものが見られるはずです。
いいえ。
面倒ごとも楽しむのが私の主義ですから。
楽しめるようにするのですわ。