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清めの溺死刑

 賞金首ゼルマ・トレヴァーが捕獲された。

 

 捕まえた者の身元は不明。

 

 日時も曖昧。

 

 しかし、その短めの赤髪や顔立ちは、間違いなくゼルマ・トレヴァーのものだ。

 

 捕まえた者が不明のため、賞金は出ない。

 

 ゼルマ・トレヴァーが捕まったことが復興中の王都に広まって、2日目の夕方。

 

 ゼルマ・トレヴァーの死刑が行われる。

 

 

 

 

 

 

 


 

 王都中央付近の河川には、麻袋を被った執行人とマイグリッド、そして、ボロ1枚を身にまとい、両手足を麻縄で縛られ、両膝を突いて項垂れるゼルマの姿があった。

 

 死刑執行には高位の神官戦士が取り仕切ることになっていたが、王都の神官戦士はマイグリッドしか生き残っていないため、彼はしぶしぶ引き受けたのだ。

 

 死刑……とは言っているが、要は公開処刑である。

 

 王都の崩壊によって生活が出来なくなったりと、不満を抱えた民衆たちへの娯楽の提供。

 

 不満の爆発を防ぐためのガス抜き、留飲を下げるためのエンターテイメントだ。

 

 「これより、ゼルマ・トレヴァーの死刑を執り行いやが……行います」

 

 マイグリッドはあらかじめ渡されていた台本を堂々と読み上げる。

 

 身振り手振りなど無く、突っ立ったまま片手に持った台本をただただ大声で読むのだ。

 

 「罪深き彼女の救済は、清めの聖河との同化によって完成する」

 

 清めの聖河などと言ってはいるが、実際は普通の河だ。

 

 オリンタス山から王都の中心付近に続き、そこから南に折れる、上水として利用されている河は、正式な名前をオリンタス河という。

 

 マイグリッドの持つ台本はそのオリンタス河を聖河と呼びなぞらえ、この娯楽を形の上では救済と呼んでいた。

 

 「まずは彼女の罪について……彼女、ゼルマ・トレヴァーは、この王都を守る騎士団の団長を務めていた。彼女は王都に巣食うヴァンパイアを狩り獲る役目を負っていたが、ヴァンパイアを討つことなく生け捕りにし、彼女の父オイパール・トレヴァーと共に邪悪な実験を繰り返していた」

 

 と、そこまで読んだマイグリッドは、ざっと周囲を見渡してみた。

 

 マイグリッドとゼルマ、執行人の背後には、オリンタス河が今日も穏やかに流れている。

 

 そしてその河川の周りには、ゾッとするほど昏い目をした者、歪んだ笑みを浮かべた者、泣いている者、そして退屈そうにマイグリッドの話を聞いている者が居る。

 

 そして皆一様に、角材を手にしていた。

 

 マイグリッドは鼻からため息のように息を吐き、また台本に目を落とす。

 

 「また彼女の父オイパール・トレヴァーは、生け捕りにしたヴァンパイアの食料として王都の罪なき者を攫い、死に至らしめている」

 

 そこを読み上げた瞬間、マイグリッドはゾッとした。

 

 その場の空気が一瞬にして瘴気に包まれたような感覚があったのだ。

 

 マイグリッドの感想はただ一言。

 

 気持ち悪い。

 

 だがその感情は表に出さず、台本の続きを読む。

 

 「この者の穢れた魂を浄化するには、聖河との同化がふさわしいと結論が出た。よってここに、救済を執行する」

 

 最後の一分まで読み終えたマイグリッドは、執行人に合図を送る。

 

 執行人が手にするのは、T字の木材だ。

 

 木材を手に動かないゼルマへと近づき、構える。

 

 そしてゼルマにだけ聞こえる声で

 

 「俺を恨め」

 

 そう言い放ち、突いた。

 

 トスッという軽い音がわずかに鳴り、ゼルマの体がオリンタス河へと投げ出される。

 

 清めの聖河との同化とは、一言で言えば溺死刑だ。

 

 泳げないように両手足を縛った罪人を河に落とし、溺死させる。

 

 当然罪人は溺れまいと暴れ、息を吸おうと水面へ顔を出す。

 

 そして河の周りを取り囲む民衆が、角材でその罪人を水底めがけて突き落とすことになっている。

 

 溺れようとしている罪人を角材で打ち、沈め、死に至らしめるのだ。

 

 窒息ではなく打撲が死因となることは珍しくない。

 

 そしてそれは、ある種の娯楽だ。

 

 罪人に怒りや憎しみを向ける者の、鬱憤を晴らすための処刑法だ。

 

 今河の周りで角材を持って待機している者も、待っている。

 

 ゼルマが縛られた手足をばたつかせ、必死に息を吸おうと水面に顔を出すのを、今か今かと待っている。

 

 思う存分叩き、痛みと苦しみと絶望の中で死を迎えるように。

 

 あるいはこの名ばかりの聖河によって、一刻も早くゼルマが救われるように……

 

 処刑の終わりは、罪人の死体が川に流されて王都を抜けるまで続く。

 

 生きていれば角材で打ち、死んでいれば、早く河を流れるように押す。

 

 夕刻に始まったゼルマの死刑は、ちょうど王都の防壁が太陽を隠すころまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリンタス河は王都の生活用水として使われる上水でもあった。

 

 いくら流れがあるとはいえ、王都の外まで死体が流れ切らず、残ってしまう場合がある。

 

 死体の腕や足の一本でもどこかに引っかかれば、疫病の原因にもなりうる。

 

 また名ばかりとはいえ聖なる河であるオリンタス河を汚染しないためにも、死体は最後に回収される。

 

 王都の南の防壁から、さらに少し南。

 

 河の側にテントの張られたそこには、ゼルマの死体を回収するための職員が待機している。

 

 その日の職員は、なにやら鎧を着た者と、小柄な女の子だった。

 

 その女の子がじっと河面を眺めていると、黒い影がスゥっと王都の方からやってきて、テントで日陰になっている河の淵を掴んだ。

 

 両手で淵を掴み、ザバリと上体を河の外へと押し出す。

 

 「ブハッ……フィ~、案外長かっただぁ」

  

 小麦色の肌に濡れたボロを張り付かせた、猫背の大男。

 

 ジャイコブだ。

 

 ゴロリと地面の上に仰向けに転がると、顔の水を雑に払い、テントの方に目をやる。

 

 地面を踏みしめる足音が1つ、近づいていたのだ。

 

 ジャイコブの頭のすぐ近くにしゃがんだのは、目立たないような服を着たエリーだった。

 

 その後ろには、旧吸血鬼討伐騎士団、現試作戦術騎士団の面々が見える。

 

 「お疲れ様、ジャイコブ。ありがとね」

 

 エリーは青紫に染まった空を背景に、ジャイコブの顔を覗き込んで微笑む。

 

 ジャイコブは一瞬だけ何も考えずにエリーの顔を見上げていたが、スッと手を動かし、エリーの両頬をがっしり掴んだ。

 

 「あ~、何度見てもちっちぇだなぁ」

 

 「ふぇ? はんではおふかうの(なんで顔掴むの)?」

 

 「あ~、ちっちぇ。ちょっと力入れたら、潰しちまいそうだべ」

 

 「あに()? ほひかひておほってう(もしかして怒ってる)?」

 

 ジャイコブはエリーの顔から手を放すと、ゴロリとうつ伏せになってから立ち上がった。

 

 そして肌に張り付いたボロをベリベリ破いて脱ぎ捨てると、ジャイコブが普段着にしているつなぎ服を持ってきたタイラーの方に向かう。

 

 その時エリーはバッとよそ見をして、ジャイコブのジャイコブは見ないようにしていた。

 

 それを見たタイラーは、いそいそとつなぎ服に足と腕を通すジャイコブを半目で見た。

 

 「なぁジャイコブ。女の前でいきなり裸になるのはどうかと思う」

 

 だがジャイコブは悪びれた様子もなく、サラリと返事を返す。

 

 「気にしねぇべ。おらたちはいっぺんみんなで風呂に入ったことあるだしな、今更隠す意味ねぇだよ」

 

 よそ見をしていたエリーが慌てて振り向いた。

 

 「ちょっと! なんでそれ言うの!?」

 

 「お? 隠したほうが良かっただか?」

 

 「当たり前でしょ!? 私が誰とでも混浴するみたいに思われるじゃん!」

 

 「おらエリーはその辺きにしねぇと思ってただ。あん時も特に恥ずかしがったりしてなかったべ?」

 

 「あの時はほら! 私もちょっと色々おかしかったから」

 

 「そうなの?」

 

 「そうだよ!」

 

 エリーとジャイコブが言い合っている中、タイラーはそっとジャイコブに問う。

 

 「なぁ、そのみんなってさ、チェルシーも含む? チェルシーとも一緒に風呂入ったの?」

 

 「んだべ。おらとエリーとチェルシーとギンラクの4人で入っただな。そう言えばみんなで風呂に入ったのはあの1回きりだったべな」

 

 また一緒に風呂に入りたい。

 

 もっと言えば裸が見たい。

 

 そんなニュアンスを感じ取ったエリーは、やはり慌てて釘を刺した。

 

 「もうしないからね!」

 

 だがタイラーとジャイコブは、もはや男2人だけの会話の方に興味が移っており、聞いていなかった。

 

 「マジか。チェルシーの裸見た? どうだった?」

 

 「んあ? 見たべ。でもおらエリーの方ばっかり見てただから、あんまり覚えてねぇべ」

 

 「今はともかく、ヴァンパイアのころは大人な感じだったもんな。でもエロさで言うとチェルシーの方が」

 

 「む、確かにそうだべ。次はチェルシーの方をよく見る……と、目玉潰されるだな。おらは再生するが、タイラーは再生しないべ?」

 

 「そりゃそうだろ」

 

 「んじゃ、覚悟して見るんだべ。おっぱいでけし、目を潰されるとしても見る価値はあると思うだ」

 

 エリーは男の猥談について行けず、色々と諦めてテントの奥の方に引っ込んでいた。

 

 日が完全に沈み切るまでは王都に帰れず、魅了が解けている今、ジャイコブに猥談を止めるように訴えても聞かないだろうと思ったのだ。

 

 加速度的にエスカレートしていく猥談から逃げた先には、ゼルマが居た。

  

 テントの最奥で暇そうにしているゼルマを見ると、エリーは外のことを頭から追い出して、隣に座り込む。

 

 「……うまく行ったみたいだな」

 

 「うん。ゼルマさんは死んだことになったよ」

 

 エリーは最初こそ目を合わせなかったが、ゼルマの視線を感じ、そちらを見る。

 

 ゼルマよりわずかにエリーの方が身長が高かったはずだが、今はエリーの方が低い。

 

 見上げた先にあるのは、こちらを見降ろすゼルマだ。

 

 若干伸びた髪は、茶色に染まっている。

 

 先日ギンラクに運ばせた木箱の中は、王城内にあるヘレーネの部屋から拝借した薬だった。

 

 染髪薬というラベルが貼られていて、頭に振りかけると髪の色を茶色にする薬。

 

 水や油に触れても色が戻ったりはせず、髪の色を元に戻す薬だけで元に戻るという代物だった。

 

 ヘレーネの赤紫の髪を茶髪にしていたのがこの薬で、人間のゼルマにも同様の効果があったのだ。

 

 これでゼルマは変装できる。

 

 そこまで思いついた時、エリーは悩むことなく行動していた。

 

 真祖に頼み、染髪薬をありったけゼルマのもとへ運び、実験し、そしてジャイコブに日焼け止めを塗る。

 

 エリーにとってそれはゼルマのためというより、エリー自身のやりたいことであった。

 

 「髪も伸びてきたし、色も変わってるし、あとはゼルマさんが普段着ないような服を着て、ちょっとお化粧すれば、大手を振って生きていけると思う」

 

 「化粧か……私はあまり詳しくない」

 

 「私が教えてあげる。印象を変える化粧のやり方知ってるから」

 

 「そうか、では教わるとしよう。ところで、私が着ないような服とはどういったものなんだろうな」

 

 「かわいい服かな。ゼルマさんいっつもパンツスタイルだし、思い切ってミニスカートとか」

 

 「キツイだろ。年齢的に」

 

 「そんなことないとおもうけど」

 

 「からかうのはよせ」

 

 「からかってない。前と同じ感じの服着てたら怪しまれるかもしれないよ?」

 

 「……まぁ、そうだな」

 

 エリーと会話しているゼルマは、会話の内容より、エリーの態度の方に意識を向けていた。

 

 そんなゼルマは、まだ確証は持てずにいたが、1つだけ思うことがある。

 

 人間になったエリーは、ヴァンパイアだった頃の記憶や出来事を、どこかで割り切ることが出来たのかもしれない。

 

 そうでもなければ、自分のためにここまでしないだろう。

 

 償う。

 

 恩を返す。

 

 ゼルマにはまだ生きる理由があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はゼルマさんに聞いたんだ。

 

 ずっと賞金首として隠れながら生きる。

 

 本当に処刑される。

 

 ゼルマさんは死んだことにして、別人として生きる。


 どれがいい? って。

 

 そうしたら、別人として生きたいって言ってくれたから、こうした。 

 

 処刑の時間も、方法も、私たちが死体回収役になったのも、真祖に頼んで実現してもらった。

 

 ボロをきたゼルマさんをジャイコブに見せて、幻視でゼルマさんの姿を模してもらって、ゼルマさんの代わりに河に落ちて、このテントまで泳いでもらった。

 

 こうしてみると、ジャイコブはほんとにいろんなことが出来るんだなって思う。

 

 河に落ちてすぐに両手両足の麻縄を引きちぎって、一度も水面に顔を出さずに川底を泳ぐ。

 

 そんなことできる人間は居ない。

 

 今頃王都の河の近くでは、一度もゼルマさんを角材で叩けなかった人がたくさん居るんだろうね。

   

 ともかくこれで、ゼルマさんは死んだことになった。

 

 これで良いのかな。

 

 ぼんやりと日が沈むのを待っていると、色々と考えてしまう。

 

 今考えてもしょうがないのに。


 考え事をしたせいで、会話が途切れてた。

 

 だからゼルマさんが私の顔を覗き込んで来て、少しだけ驚いた。

  

 「エリー」

 

 「な、何?」

 

 ゼルマさんの顔が真剣で、目の前に会って、じっと見られる。

 

 近いよ。

  

 突然何?

 

 身構えてしまったのは、私のせいじゃないと思う。 

 

 ゼルマさんは私が内心で慌ててるのに、しっかりと私を見て、もっと顔を近づけて来る。

 

 顔を反らしたり目を閉じたり、出来ない。

 

 怖いというより緊張する。

 

 耐えきれない。

 

 「あの、ほんとに、なに?」

 

 ドキドキしてしまって、何を言われるのかわからないのが不安で、早く要件を言って欲しくてそう言ったら、要件はたった一言だけだった。

 

 「ありがとう」

 

 「ぁ、あ、うん」

 

 なんとか生返事を返すと、ゼルマさんは私の顔を覗き込むのを止めてくれた。

 

 頬と耳が熱くて、燃えそう。

 

 「はぁぁぁぅん」

 

 うつむいて力を抜くと、胸の中の何かが、へんな声になって出て行ってしまった。

 

 しばらくは何も考えられそうにない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 【ドキドキしてしまって、~早く要件を言ってほしく手そう~】の「手」が誤変換だと思われます。 素晴らしい作戦ですね!やはりジャイコブ有能ですね!あとドギマギするエリー可愛いです(´ω`)
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