不安定
騎士団の兵舎にたどり着いた私は、建物の屋根の上から降りて、ゆっくりと兵舎の正門に近づいてみる。
王都中がすごい騒ぎになっているのに、ここはあまり汚れたり壊れたりしてない。
嬉しいけど、油断はしない。
自分の足音を消して、音と匂いに意識を向ける。
……足音は、ある。
……血の匂いはしない、ような気がする。
そんなぼんやりとしたことしかわからないのは、私が集中できてないからか、周りの音や破壊された家屋の匂いがあるからかな。
たぶん両方。
私はあえて正門から入る。
キィ~ッという甲高い音を立てて門を開ける。
何も反応が無い。
兵舎の敷地の中は、大混乱してる王都から隔離されたみたいに静かだ。
私は少し怖くなって、焦る気持ちを押し殺すように、ゆっくりと兵舎の中に入った。
静かな兵舎の廊下を歩いて、やっぱり静かな自室を見て、執務室を見て……
「誰も居ない」
そう思った。
そんなはずはない。
だってここには、夜の間に捕まえたアドニス達と魔術師の人達と、ゼルマさんや騎士団の人達とジャイコブ達がいるはずなんだから。
こんなに静かなのが、すごく不安を煽って来る。
「なんで誰も……」
独り言を言う最中、ふと窓の外に、赤いのが見えた。
兵舎の中庭だ。
見えた瞬間、息が止まった。
改めて窓から中庭を覗き込むと、1体のドリーと目が合った。
ドリーに目なんか見当たらないけど、目が合った感覚があった。
恐怖は無かった。
兵舎に私の知っている人が誰も居なくて、ドリーが居る。
その事実が、私の頭の中をある思考に染め上げる。
”このドリーがゼルマさん達を殺したから、兵舎には誰も居ないんだ”
「あああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああ」
完全に我を忘れた。
奇声を上げて、窓を蹴破って中庭に降りる。
ガラスが割れる音や破片が刺さった痛み、着地の感覚。
全部が夢の中の出来事のように現実感が無くて、気にならない。
ドリが袖から剣の束を出したのが見えて、癪に障る。
全力でドリーに向かって突進して、思いっきり殴りつけた。
「このっ」
わき腹や腕を剣束の刃が掠めて、浅く斬られるのが、音でわかった。
痛みも感覚も無くて、刃が当たった音だけが体を伝って響いてくる。
だから無視する。
私はいつかの北西区でドリーと戦った時のように、がむしゃらに殴りつけていた。
馬乗りになって、剣の束を腕で弾きながら、指尖硬化した豹拳でただ殴る。
歯を食いしばって、息も止めて、ただ殴った。
八つ当たりじみた暴力に身を任せて、ひたすら殴った。
ヴァンパイアの膂力で殴れば、ドリーのやたら硬い体も簡単にへこむ。
それが気持ちよかった。
でも、どんなにへこませてもドリーは動き続けた。
それが腹立たしかった。
殴って、殴って、殴って、殴って……
しばらく殴り続けて、ようやくドリーが動かなくなった。
「ハァ、ハァ、は、ぁ……」
上がった息を整えて、改めてドリーを見下ろす。
ベッコベコにへこみまくってて、原形が無かった。
「ふふ……」
疲れた心にはそれが少しだけ面白くて、笑った。
笑って、やっと冷静になって、また考える。
ぼろぼろの王都の中で、兵舎だけはまだキレイで、でも誰も居ない。
だからみんなきっと生きてる。
どこか別の場所に移動したとかだと思う。
でもゼルマさんや騎士団の皆はともかく、ジャイコブ達は昼間は出歩けないから……地下室かな。
「じゃあこのドリーはたまたま入り込んだだけ?」
そうだよ。
兵舎はきれいだったじゃん。
戦った痕なんてなかったし、ジャイコブ達がドリー1体に殺されたりなんかするはずない。
「ふふ、ふふふ」
私はまた笑った。
こんな状況で笑ってしまうなんて、きっと私は今も冷静じゃないのかもしれない。
私はドリーの上から立ち上がって、ちょっとだけフラついて、地下室のある方に向かうことにした。
地下室の入口付近にはたくさんの足跡が残ってた。
皆はここに居ると私に教えてくれているようで、それを見た瞬間に憑き物が落ちたような感覚があった。
呼吸の仕方がわからなくなって、無理やり息を吸い込んで、吐いて、それから地下室に入る。
地下に向かう階段には、見知った人の背中があった。
こっちに背中を向けて階段に座り込む、ゼルマさんだ。
私に気付いて振り向いてくれた。
暗くても、どこも怪我してないのが見えた。
表情も相変わらずのムスっとした感じじゃなくて、どこか柔らかい感じだった。
心の底から安心した。
「やはりエリーか」
ずいぶん久しぶりに声を聞いた気がして、耳の奥がジンとする。
「……うん」
「大変な騒ぎになっているようだな」
「うん」
「昨夜エリーやカイル達が捕まえた魔術師やヴァンパイアは、この先の地下室だ。カイルやイングリッドも地下室に居るが、人数が多いからすし詰め状態だ」
「うん」
「ジャイコブとチェルシーとギンラクも地下室だ。捕まえてきたヴァンパイアの見張りを頼んでいる」
「うん」
私の聞きたいことを全部教えてくれて、その1つ1つに安心してしまう。
頬の筋肉が痙攣してきて、嗚咽が出そうになって、肩まで震え始める。
「……ゼルマさんは、怪我してない?」
声までは、まだ震えてない。
「ああ、見ての通りだ」
よかった。
ほんとに、よかった。
「何かして欲しいことはあるか? 私に限らず、騎士団やジャイコブらにも、手伝ってほしいことはあるか?」
今は声も震えていそうだから、首を横に振って答えた。
「そうか」
みんな無事だった。
ここに居れば多分比較的安全だと思うから、ここに居てもらいたい。
「……終わるまで、ここに居てくれる?」
なんとかそれだけの言葉を搾り出したら、いつも通りの苦笑が返って来た。
「ああ。まだ死にたくないからな」
よかった。
よかったって言葉しか出てこないけど、それで良いと思う。
私は地下室に降りる階段の途中で引き返して、また出口の方に向かうことにした。
ゼルマさんの視線を背中に感じるけど、もう何も言わないし、言われない。
私は結局冷静にはなれてないけど、ドリーを殴りまくってた時より気分がいい。
地下室から出て、そのまま兵舎を出る。
やることはまだ残ってる。
真祖の計画を止めるには、ストリゴイを倒す必要がある。
そこらじゅうで戦っているドリーを倒して、サイバとタザを倒して、真祖に計画を諦めさせないといけない。
自分の両頬をパチンと打って、気分を切り替える。
「よし! もう何でも来い!」
そう気合を入れた瞬間だった。
突然地鳴りのような音の壁が、私にぶつかった。
「ウッ、なにこれ!?」
思わず耳を塞いでしまうけど、それでもよく聞こえる。
音はどんどん高くなって、ようやく音の正体がわかった。
「ォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアァッ!」
巨大な咆哮だった。
北東区のどこかで、何かが吠えてる。
何が吠えてるのかは、すぐにわかった。
少し遠くの屋根の上で、骸骨が見えた。
「ギド……だよね」
建物よりも高い位置に、小屋くらいの大きさの頭蓋骨がある。
あんな大きなサイズのスケルトンは見たことが無いけど、きっとアレはギドなんだと確信できる。
「なんてわかりやすい。すぐに合流できるね」
ギドがあんな風に巨大になるってことは、きっと戦ってる真っ最中だと思う。
相手はサイバか、タザか、もしくはドリーがとんでもない数いるのかな。
戦ってるところに私が居たら、邪魔かもしれない。
「ギドに全部任せたら、きっとうまく行く。そんな気がする……でも」
私はギドを手伝うべく、巨大なスケルトンの方に向かって走り出した。




