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閑話 エリーがいない町

 エリーが私のもとから突然いなくなるのは、これで2度目だ。

 

 1度目の時はずいぶん気を揉んだ。

 

 でも今回は違う。

 

 エリーはこの家を飛び出すときに、ちゃんと帰って来ると言ってくれた。

 

 だから私は、エリーがいつでも帰ってこれるように、この家で待つことにした。

 

 心配だし、突然飛び出したことにも少し怒りを覚えなくもないし、寂しいことに変わりはない。

 

 でもちゃんと帰ってくるとわかっているから、私は1度目の時と比べて落ち着いていられる。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 エリーが居なくても朝起きて、仕事に行って、エリーが帰ってきていないかと期待しながら家に帰る。

 

 それの繰り返し。

 

 「……」

 

 今日もエリーは帰らなかった。

  

 

 

 


 

  

 

 

 

 

 夜になって眠る時、エリーがもう帰ってこなかったらどうしようと、不安になる。

 

 きっと帰ってくると言い聞かせながら無理やり眠る。

 

 毎晩それを繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後悔もある。

 

 エリーはよく、目を黄色くさせていた。

 

 血を飲みたくて仕方がない時、そうなるらしい。

 

 私はエリーから血を飲ませて欲しいと言ってくれるのをただ待っていた。

 

 それが叶う前にエリーは家を飛び出してしまって、後悔した。

 

 血を飲ませてあげればよかった、と。

 

 そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、私はいつも通りの朝を迎えた。

 

 目が覚めて、寝癖を直して、着替えて、適当に朝ご飯を食べる。

 

 いつもの繰り返しを終えて仕事に向かうとき、いつもと違うことがあった。

 

 家を出たところに、犬がいた。

 

 茶色い毛並みで、垂れ耳の少し大きめの犬。

 

 大きいわりには痩せている。

 

 首輪もなく、大人しくじっとしている。

 

 私を見つけて、吠える様子もなく、私を見る。

 

 私は犬に詳しくないけれど、顔立ちからなんとなく子犬だとわかる。

 

 大型犬の子犬なのだとしたら、これからどんどん大きくなるのだろう。

 

 私は深く考えることなく、朝食の残りと水をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 私は犬を飼い始めた。

 

 あとから思うと、私はエリーがいない寂しさを、犬に構うことで埋めていたのだと思う。

 

 その犬に”エリー”と名付けてしまうくらいには、寂しかった。

 

 エリーの名前を犬につけることや、犬をエリーの代用として扱うことに、疑問や忌避感を覚えないくらいには寂しかったのだ。

 

 自分が思うより、私はおかしくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 朝は今までより早めに起きる。

 

 理由は簡単。

 

 「エリー、散歩に行きますよ」

 

 エリーは私が”散歩”というと私についてくる。

 

 犬のエリーはリードを付けなくても勝手にどこかに行ったりもしないし、吠えないし、噛みつかない。

 

 ずっとそばに居る。

 

 だから放し飼いにして、普段から家の中を好きに歩かせている。

 

 私が呼べば来る。

 

 しつけはしてないから、お手やお代わり、待てはできない。

 

 これから教えて行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 散歩に行って、朝ご飯を一緒に食べて、犬のエリーを置いて仕事に行く。

 

 早めに帰ってきて、散歩しながら買い物して、帰ってきてから夕食を作って一緒に食べる。

 

 待てとお手の練習をして、犬のエリーに抱き着いてみたり、顔をうずめてみたり、抱っこしたりして、体を洗って一緒に寝る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 犬のエリーと住み始めてしばらく経つと、エリーは色々と覚えた。

 

 「エリー、おいで」

 

 「エリー、お手」

 

 「エリー、待て」

 

 そして私は背徳感を覚えた。

 

 茶色い毛並みや大型犬の体格のせいか、エリーの面影を感じる。

 

 犬ではなく、私の大事な、ハーフヴァンパイアのエリーの姿に見えてしまうときがある。

 

 首輪をつけた犬のエリーが、私の足元にしゃがみこんで、お手をしたり、お座りしたり、たまに私の顔をペロペロと舐める。

 

 ”エリー”と呼ぶせいで、その姿が犬ではなく、エリーに見えてしまう。

 

 素直であまり甘えてこない態度が、より”エリーらしさ”を感じさせる。

 

 そこで私はようやく犬に”エリー”と名付けたことに罪悪感を感じ始めて、名前を変えようかと真剣に考えた。 

 

 エリーが家に帰って来た時、犬のエリーとエリーが同じ名前だからややこしくなるし、エリーはいい顔をしないだろうと気付いたのもその時。

 

 「バリー、シェリー……マリー……ああ、だめですね」

 

 私が考えた名前は、全部”エリー”に寄ってしまう。


 とりあえず、保留にした。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お座りしてお手をする犬のエリーが、首輪だけを身につけ、犬の垂れ耳と尻尾の生えたエリーに見える。

 

 最近こういう幻覚をよく見る。

 

 強い罪悪感と背徳感を感じる。

 

 そして少しだけ興奮する。

 

 「エリー、ごめんなさい」

 

 私のこの感情は、エリーに対してはもちろん、犬のエリーに対しても失礼極まりない。

 

 もしこの場にエリーが居たら、幻滅され軽蔑され、ごみを見る目で睨まれる気がする。

 

 早く何とかしないとダメだと思う。

 

 少なくともエリーが帰ってくる前に何とかしないと、本当に心の底から嫌悪されかねない。

 

 早く新しい、いい名前を考えることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日の朝、犬のエリーが苦しそうにしていた。

 

 エリーは拾い食いをしないから、何か変なものを食べたというのは考えにくい。

 

 何かの病気に罹ってしまったようだ。

 

 私はエリーを抱えて、畜産をしている知人を訪ねた。

 

 動物の病気に関する知識を持っているのは、治療院の人ではなく畜産を生業とする人だからだ。

 

 「ああ、よくある病ですよ。すぐに治ります」

 

 と言われ、2日ほど預けることになった。  

 

 病名も教えてもらったが、よくわからない。

 

 でも重い病気ではないとのことで、ホッとした。

 

 「この子のこと、よろしくお願いします」

 

 「任せてください。こんなに大人しくていい子は珍しいですから、治療も順調に進むとおもいます。名前はなんて言うんですか?」

 

 「えぇ、と」

 

 少し悩んだけれど、お世話になるのに名前を隠すわけにもいかず、”その子はエリーといいます”と答えた。

 

 「エリー君ね。可愛い名前だ」

 

 「く、君?」

 

 「ん? ああすいません勝手に君付けしちゃって」 

 

 「いえ、いいんです」

 

 私は平静を装いながら、犬のエリーの後ろ脚の付け根を覗き込んだ。

 

 (オス)だった。

 

 今までは勝手に(メス)だと思っていた。

 

 平静を装うのが大変だった。

 

 

 

 

 

 

 


 その日の夜。

 

 久しぶりの1人きりの家に寂しさを感じていると、来客があった。

 

 夜に訪ねて来る時点で、私の心から寂しさが消え、居ても立ってもいられなくなった。 

 

 親しい人も訪問をためらう時間だったからだ。

 

 こんな時間に来るとしたら、急な知らせだと思う。

 

 犬のエリーを預けた先で何かあったのかと、心配になった。

 

 あるいは、もしかしたら、来客ではなく、帰宅なのではないか。

 

 そんな期待もした。

 

 慌てて玄関に向かって扉を開けると、そこに居たのは

 

 「こんばんわマーシャさん、お久しぶりですわね。突然押しかけてしまって申し訳ありません」

 

 レーネこと、蠱毒姫ヘレーネだった。

 

 私は勢いよく玄関扉を開けた姿勢のまま固まった。


 「エリーさんはいらっしゃいますよね? 突然ですが、頂いて行きますわ」

 

 相変わらずの笑顔。

 

 突然現れて、私が困惑するようなことを言いだすのも相変わらず。

 

 でも、困惑した頭であっても、返すべき答えくらいはわかった。

 

 「ここにエリーは居ません。居たとしてもあげません」

 

 レーネは私の返答を聞いても笑顔のまましゃべり続ける。

 

 「そのようですわね。この家にはマーシャさん以外の気配がしませんもの」

 

 レーネはそう言って私の頬に手を添えグイっと顔を近づけてきた。

 

 「どこに居るのか、知っていますわよね?」

 

 「知りません。もうずっと帰ってきていません」

 

 「ここ最近、マーシャさんがこの家の中で、エリーさんの名前を呼んでいるのを知っていますわ。ここに帰ってきているのでしょう? エリーさんに犬の芸をさせるくらいには、うまく依存させたようですわね。(わたくし)のアドバイスはお役に立ちましたか?」

 

 レーネが壮大な誤解をしていることが解り、同時にレーネにこの家の場所がバレていることにも気付いた。

 

 「エリーは帰ってきていません。帰ってください」

 

 「帰ってきていますわ。ヴァンパイアになったエリーさんが最終的に頼れるのは、マーシャさんだけだと思うんです。それにマーシャさんが毎日エリーさんの名前を呼んでいるのですから、隠しても無駄ですわ」

 

 ヴァンパイアになった?

 

 エリーが? 

 

 いや、最終的に私を頼ってくれるのなら、それはそれでいい。

 

 ヴァンパイアだろうがハーフヴァンパイアだろうが、私の大事なエリーであることに変わりはない。

 

 私の側に居てくれるなら、それでいい。

 

 その程度で取り乱したりはしない。

 

 「いいえ、居ません。最初にも言いましたが、居たとしてもレーネにあげたりしません」


 「……わかりました。本当に今ここには居ないようですから、今貰おうとしても意味がありませんものね」

 

 意外にもレーネは引き下がった。

 

 蠱毒姫と呼ばれるヴァンパイアが、私の言うことに素直に従うことが、不思議だった。

 

 「また来ますわ。(わたくし)しばらくはエリーさんを探すためにピュラの町に居ます。今度お茶にお誘いしてもよろしいですか?」 

 

 「お茶って、なんでまた」

 

 「なんでって、私たちはお友達じゃありませんか。折角同じ町に居るのですから、遊びましょう?」

 

 これはチャンスだ。

 

 レーネは私の知らないエリーを知っている。

 

 それを聞くチャンスでもあり、レーネがエリーを諦めるように説得するチャンスでもある。

 

 「……そうですね。私たちはお友達。お茶くらい付き合います」

 

 「ふふふ、約束ですわよ?それでは、ごきげんようマーシャさん」

 

 レーネはそう言って、素直に去っていった。

 

 

 

 

 


 

 ひとまず、犬のエリーの名前は変えないことにした。

 

 レーネに勘違いをさせたままにするには、必要だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、あのレーネがとんでもない勘違いをしているというのは、少し面白いと思った。

犬の犬種や病気は創作です。

ゴールデンレトリバーみたいなのを想像して書きました。

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― 新着の感想 ―
[一言] マーシャさんがどんどん壊れていってる描写めちゃくちゃ興奮しました!!こういう展開大好物です!
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