気付かない
王都下水道に無数にある、管理されていない小部屋の1つで、占術士が魔術師の長シュナイゼルのローブの端を掴み、引っ張る。
「今夜ヴァンパイアが長を訪ねて来るよ」
「そうか……いや待て、もう1度」
「今夜ヴァンパイアが、長に会いに来るよ。会った方がいいよ」
占術士はいつもこうだった。
誰も見ていない時に占い、伝えるべき者にだけ占いの結果を伝え、解釈を任せる。
それが占術士のやり方だった。
「信じよう」
1度は聞き返したが、シュナイゼルはいつかと同じように占術士に向かって頷いた。
シュナイゼルが信じているのは、自分が師であるホグダから教わった死霊術と、11人の仲間の魔術師の2つに尽きる。
だからこそ、たった1人の占術士の言葉をそのまま信じた。
仲間の魔術師がそう言うのなら間違いない。
特に占術士の言葉には、絶対の信頼を置いていた。
シュナイゼルは今までその言葉を信じ続け、その信頼はただの1度も裏切られたことが無い。
だから今日も同じように、当然に、当たり前に信じるのだ。
シュナイゼルはその日の夜、その時を待っていた。
自分を訪ねて来るヴァンパイアに心当たりもある。
真祖が囲っているヴァンパイアだろう。
真祖が自分に何か伝えたいことがあり、眷属に伝言を託した。
そんなことだろうと思いながらも、占術士が言うのだからきっと重要なことなのだろうと、気を引き締めていた。
最近というか、交流特区からピュラの町に戻って、マーシャさんと再会した頃からの自分を振り返ってみる。
……泣きすぎじゃない?
というか確実に泣き癖が付いてる。
私は今17歳で、今年で18になる。
15で成人を迎えた日から、そろそろ3年が経とうとしてるわけだ。
泣いてしまうくらいの出来事を体験したとはいえ、大人にしては泣きすぎだと思う。
むしろ以前よりよく泣くようになった気がする。
マーシャさんに泣かされ、ヘレーネさんに泣かされ、ゼルマさんの前でも泣いた。
それにチェルシーに前髪を切ってもらった時も泣いたっけ。
他にも1人の時に何回か泣いた気がする。
「いやほら、泣くのって別に悪い事じゃないし」
独り言で言い訳した。
そして下水道の中は思ったより声が響く。
シュナイゼルさんに聞かれてたらどうしようと、言ってから思った。
よし、呼んでみよう。
「シュナイゼルさーん」
それなりの声で呼んでみたら、思った以上に、さーん、さーん、さぁん……と反響してしまった。
そして返事があった。
「……その声はエリーか?」
久しぶりに聞いたけど、この声は間違いなくシュナイゼルさんの声だ。
「そうだよ……どこ?」
居場所を聞くと、灯りを持ったローブ姿の男の人が現れた。
髪の毛が伸びていたけど、やっぱりシュナイゼルさんだね。
「ここだ。その姿はなんだ?」
シュナイゼルさんは私を見て片眉を下げる。
最後に会ったとき、私はまだハーフヴァンパイアだったから年齢相応の背丈だった。
今の私を見て、疑問に思うのは当然だね。
でも声とかで私がエリーだってことは疑ってないみたい。
「色々あって、ヴァンパイアになったらこうなった」
「……そうか、貴様のことか」
「ん?」
「なんでもない。話は奥で聞く。ついてくるがいい」
「はい」
シュナイゼルさんについていくと、扉があった。
下水道の壁に、唐突に扉がある。
「ここは何の部屋なの?」
「この下水道は我々が生きた、約200年前に造られた。ここはその時の労働者が寝泊りしたりするための部屋だった。ここ以外にも複数ある」
「今は誰も使ってないの?」
「我々が使っている」
なるほど。
シュナイゼルさん達の寝泊りする部屋ってことね。
この辺りにはシュナイゼルさん以外の気配、全くしないけど。
扉の向こうは、石造りの正方形の部屋だった。
灯りは備え付けられてなくて、シュナイゼルさんの持ってるランタンだけが光源。
家具の類は何にもないね。
シュナイゼルさんは部屋の中心にランタンを置き、ランタンの側に座り込む。
「では、要件を言え」
ここで話を聞いてくれるみたいだから、私もランタンの側によって、床に直接座る。
座り心地はよくない。
私はシュナイゼルさんに、騎士団が下水道の調査に来ることを伝えた。
調査と言いつつも、内容は下水道の魔物退治。
以前に私は、ユーアさんやセバスター、アーノックと一緒に下水道に降りた時に、スケルトンやカラスや空飛ぶ剣、大きなネズミと遭遇した。
冒険者として依頼を受けて下水道に降りたから、そこで出会った魔物については正直に報告しなきゃいけなかった。
もちろんシュナイゼルさんに関することは報告してない。
それで今になって、下水道に魔物が住み着いてるのは不味いってことになって、騎士団が魔物を討伐しに来ることになった。
順を追って説明したら
「わかった」
と一言返って来た。
「騎士団が下水道に来るのはいつだ?」
「あ、ごめん聞いてないや」
聞いてくればよかった。
それがわかんないと困るよね。
「ごめん」
謝ると、シュナイゼルさんは首を振った。
「知らせてくれただけでも助かっている。我々は今夜中にここを出よう」
シュナイゼルさんは、下水道にスケルトンやネズミを複数残し、シュナイゼルさんを含む12名の魔術師は下水道を離れると言ってくれた。
魔物を残して行くのは、不自然さを無くすためだそうだ。
下水道に巣食う魔物を対峙しに来たのに、下水道で魔物と出会わなかったというのは不自然だからね。
でも空を飛ぶ剣やカラスは重要な戦力なので残せないらしい。
「行く当てはあるの?」
余計なお世話かも知れないけど、聞いてしまった。
シュナイゼルさんは初めて会ったときと同じように、灰色のローブを着てる。
シュナイゼルさんの仲間の魔術師も同じ格好なら、誰がどう見ても怪しい集団になる。しかも下水臭い。
行く当てがあるかどうか、正直心配になった。
でもシュナイゼルさんの答えは、私の予想を超えたものだった。
「王城に行く。我々はクレイド王とは顔をつないでいる。何とかなるだろう」
王と顔をつないでいる?
一瞬理解できなかった。
王って、クレイド王のこと?
つまり真祖?
「シュ、シュナイゼルさん。王って、真祖のこと? 真祖に会ったの?」
「そうだ。真祖を知っているということは、貴様も会ったのか。つまり、おそらく貴様がハーフヴァンパイアからヴァンパイアになったのは、真祖に会ったことが原因だな」
困惑する私に対して、シュナイゼルさんは落ち着いたまま私の変化について言い当てた。
無関係だと思っていたシュナイゼルさんと真祖が、つながりを持っている。
私はそのことについて、問い詰めずにはいられなかった。
私はシュナイゼルさんから、真祖の計画を聞いた。
魔術師、亜人種、ヴァンパイアの順に、緩やかに時間をかけて人々に受け入れさせる。
シュナイゼルさん達はその計画に協力することになっている。
シュナイゼルさんから全部聞いたとき、私は、色々な事を考えた。
「ヴァンパイアの祖であり不老不死の王、真祖を復活させることが僕たちの目的だ。復活した後この国を真祖に支配してもらう。ハーフヴァンパイアのお前にとってもいい話だろう? 真祖が支配すれば、ヴァンパイアもハーフヴァンパイアもこれまでよりずっと生きやすくなるはずだ」
いつかの夜、サイバが私に言ったこと。
「この体はこの国の王の物だとは、先ほど言ったな。余はこの体を使って、この国を支配する。人間を支配し、彼らの血を糧にヴァンパイアやハーフヴァンパイアが住まう、我が子らのための国を作る。」
いつかの夜、真祖が私に言ったこと。
この国とはつまり、人間の国、クレイド王国。
どっちの言い分も、国を支配して、ヴァンパイアのための国を作るってことだった。
私はそれを聞いて、勝手に、人間をヴァンパイアのために虐げたり、ヴァンパイアのために無理やり血を集めたり、いっぱい殺したりすると思ってた。
ヴァンパイアの国を作るために、どんな方法をとるかなんて、知らなかった。
マーシャさんや小人の木槌亭のマスター、私の知ってる、大事な人達が、犠牲になると思ってた。
でも、そうじゃないのかもしれない。
「……最初から、真祖に逆らう必要なんてなかったのかな」
自然とそう口にしていた。
「逆らったのか? よく無事だったな。あの化け物、眷属にだけは優しいらしい」
そうだね。
優しい、のかな。
私を無理やりヴァンパイアにしちゃったけど、それは私が言うことを聞かなかったから。
ヴァンパイアのことを子供だと言ってた。
自分はヴァンパイアの親や味方だとも言ってた。
口調は、優しかった。
怖がったり、嫌がったり、敵意を持ったりしていたのは、私の方だけだった。
真祖に反発する必要は無かったのかもしれない。
ヴァンパイアのままじゃマーシャさんには会えないけど、今聞いた真祖の計画が終わった後なら、会ってもいいのかもしれない。
人がヴァンパイアを受け入れてくれた後なら、マーシャさんは魔物である私を受け入れてくれるかもしれない。
どれだけ先のことになるのかはわからないけど、真祖に無理やり人間にしてもらうより、ずっと現実的な未来だと思う。
……私は人間になれないけど、誰かを傷つけることなく生きられるのなら、それでいいのかもしれない。
「シュナイゼルさん、今夜中に王城に行くってことは、真祖に会いに行くってことだよね」
「そうなるな」
「……私も一緒に行くよ」
長い長い六章ももうすぐ終わります。
あとは閑話を入れて、もしかしたらあと1~2部追加して終わります。