平穏
設立から壊滅するまでの間、騎士団は昼間に寝て夕方から早朝にかけて仕事をしていた。
でも今は仕事が無いから、みんな元の生活習慣に戻りつつある。
その生活習慣の戻り方が人それぞれで、お昼時に目を覚ます人もいれば、お昼時に寝る人もいる。
みんな好きな時間に起きて、ご飯を食べて、訓練してる。洗濯や買い物なんかも時間が疎らだ。
だからジャイコブがお肉を食べたいと言っても、私が食堂を使える時間がなかなか無かったりする。
でも今日は食堂が偶然空いてたから、使わせてもらうことにした。
ジャイコブを食堂のテーブルで待たせて、私はキッチンの奥から食材を勝手に持ってくる。
まず牛のお肉。
どこの部位かはわからないけど、筋が多くて脂肪が少ないやつ。
塊をそのままバットに乗せる。
そして野菜。
キノコがたくさん余ってるみたいだから、白いのや茶色いの、大きいのから小さいのまで色々持ってきた。
あと葉野菜もたくさん。
私もお腹空いてるし、2人分作ろうと思って2人分の材料を用意する。
食材をバットにゴロゴロと乗せてキッチンに戻って来ると、いつの間にかジャイコブのテーブルにギンとチェルシーが来てた。
ヴァンパイアだし、数日くらいは寝なくていいから暇だったんだね。
「……食べる?」
「食う」
「食べます」
私はさらに2人分の食材をとって来ることにした。
チェルシーは料理出来るらしいから、手伝ってもらうことにした。
そして具材を刻んで鍋に入れて汁物にしようと思うと伝えると、反対された。
「あの2人は肉が食べたいだけなので、切ったり煮込んだりする必要はありません」
チェルシーは牛肉の塊を掴んで、柵切りの一枚肉を切り出した。
「チェルシー達はこれくらいでいいでしょう」
と言って、残りの塊の方を半分に切り分け、そのままオーブンに入れてしまった。
味付けなし。お塩もなし。
「いいの?」
「良いのです」
チェルシーにきっぱりと言い切られてしまって、ふとジャイコブとギンの方を見てみた。
ジャイコブもギンも頬杖をついて、こっちをぼんやりと見てた。
「なかなかいい眺めだべ」
「グッと来るもんがあるな」
……ま、いっか。
チェルシーはアヒージョ? というのが食べたいらしいので、チェルシーの言う通りに調理してみる。
柵切りになったお肉、野菜、キノコを適当に切って、オリーブオイルのたっぷり入った鍋に入れて、岩塩と胡椒で味付けして火にかける。
チェルシーは私にあれこれ言うだけで、アヒージョ作りに関しては見てるだけだった。
「これでいいの?」
「いえ、ニンニクが足りません」
ヴァンパイアってニンニク食べていいんだっけ。食べないほうがいいと思ってたけど、食糧庫にあるかもしれないね。
「ニンニク食べても大丈夫?」
「何か問題ありますか?」
食べてもいいらしい。
「ううん、持ってくるよ」
刻んだニンニクも無事にお鍋に入れて、アヒージョが出来た。
オーブンに入れたお肉の塊も焼けた。
テーブルに座るジャイコブとギンの前には、お肉の塊の乗ったお皿を置く。私とチェルシーの前には、チェルシーの好きなアヒージョを置く。
ジャイコブもギンもお肉を目の前にして、口元を緩ませてる。
小腹が空いたジャイコブのために作り始めたのに、ギンの方が嬉しそう。
「もう食っていいか?!」
「いいよ」
私も食べる。
フォークでキノコとお肉を刺して、滴る油を軽く落としてから口に入れる。
「美味しい」
久しぶりに普通のごはん食べた。
舌がピリピリして、喜んでる感じがする。
「まずまずですね。チェルシーが作った方が美味しいです」
人に作らせておいて、なんでそんなに上から目線な評価なのかな。
「じゃあ自分で作ってよ」
「チェルシーは面倒なことをしたくありません」
「チェルシーがアヒージョ食べたいって言ったくせに」
チェルシーはツンと澄まして私の方を見ようともせず、チビチビとアヒージョを食べてる。
たぶん何を言ってもチェルシーはこのままなんだろうね。
そう思って文句を言うのを止めて、私もチビチビ食べる。
すると、チェルシーがクイッとジャイコブとギンの方を見た。
「それより見てください。あれが下賤で卑小で貧しい者の食事です」
「うん、まぁ、ね」
見えていたし聞こえていたけど、ジャイコブとギンの食べ方はかなり荒々しい。
ナイフとフォークを両手で逆手に持って、お肉に両方とも深々と刺して、口元に持ってきて齧りつく。
そんな食べ方。
齧る音とか肉の筋を引きちぎる音とかが聞こえて来て、よく言えば”食べてる”という感じが強い。
美味しそうに食べてるし、私たちしか見てないから別にいいと思うけどね。
人前ではダメかな。
「あにいぇんあお」
”何見てんだよ”って言ったのかな。
「なんでもありません。そのまま貪っていてください」
チェルシーはギンにナイフとフォークの使い方を教えるつもりはないみたい。
ちなみにジャイコブは一心不乱にお肉にかじりついてて、私たちの会話は全く聞いてない。
私はジャイコブとギンをなるべく見ないようにしつつ、自分のごはんを食べきることにした。
騎士団の兵舎に再び住み始めて、数日が経った。
今まで避けていたけど、そろそろ血を飲みたい。
というか本格的におなかが空いてきてて、飢餓状態間近な感じがする。
飲みたいじゃなくて、飲まなきゃいけない。
「ゼルマさんのところに行ってくるね」
チェルシーにそう告げた私は、自分の部屋を出て執務室に向かう。
廊下でナンシーさんとすれ違い、少しだけ気まずさを感じながら挨拶して、執務室に着いた。
扉をノックする。
「……」
返事は無い。
「ゼルマさん、入るよ」
やっぱり返事が無いけど、一応断ったということにして扉を開ける。
机、背の低いテーブル、ソファー。
部屋の間取りは変わってない。
そして誰もいない。
いつもここに居るイメージだったけど、今日に限ってはそうじゃないらしい。
扉を閉めて、廊下に戻る。
ゼルマさんが執務室以外に居るとしたら、自室かな。
また廊下を少し歩き、ゼルマさんの部屋に向かう。
ゼルマさんの部屋の扉をノックしても返事は無い。
「ゼルマさん? いる?」
やっぱり返事は無い。
扉を開けて部屋を覗いてみても、案の定ゼルマさんは居なかった。
……もしかして、逃げちゃった?
いや、それは無い。
と思う。
誰かに聞けば、ゼルマさんがどこに行ったか分かると思う。
さっきナンシーさんを見かけたし、聞いてみよう。
ゼルマさんの自室を出て、来た道を戻る。
執務室の前を通り過ぎ、誰ともすれ違わずに私とチェルシーの部屋のあたりまで戻って来る。
ナンシーさんはさっきすれ違った後、どこに行ったのかはわからない。
だからこのまま適当に歩き回ってみるつもりだったんだけど、私の足は私とチェルシーの部屋の前で止まった。
血の匂いがした。
血の匂いに気付いた瞬間はほんのりと、次第に濃く感じとれる。
無意識につばを飲み込んで、ゴクリと喉が鳴る。
私はほぼ無心で匂いをたどって、何も考えないまま私とチェルシーの部屋の扉を開けた。
「あ……エリーさん」
ナンシーさんを見つけた。
鎧も付けず、服の襟を大きくはだけて、チェルシーに首を噛まれたナンシーさんと目があった。
じっとりと汗ばんでいて、顔が少し呆けてて、体に力が入っていないように見える。
チェルシーはナンシーさんの首に噛みついたまま、チラッと私を見た。
でもすぐにナンシーさんの素肌に視線を落とした。
羨ましい。
そう思わなかったと言えば嘘になる。
チェルシーの視線の動きは、私なんかより血を飲む方が大事なんだと言っているように見えた。
ナンシーさんの血は、それくらい美味しいってことなんだろう。
チェルシーはほとんど音を立てずに血を吸ってたけど、口端から少しこぼしてしまっていて、ナンシーさんの肩に血の雫が伝った痕がある。
それがすごく艶めかしいというか、キレイに見えたというか。
美味しそうに見えて堪らなかった。
お腹の奥の血嚢がキュッとなった。
人がモノを食べてる様子をじっと見るというのは、あんまり褒められたことじゃないと思う。
だけど目の前の光景に圧倒された私に、はそんなことを思う余裕が無くて、チェルシーの吸血が終わるまで、ずっとそこで突っ立ったまま見入ってしまった。
「……そろそろ」
ナンシーさんが小さくそう言って、ようやくチェルシーがナンシーさんの首から口を離した。
私はそれを見て、ようやく我に返った。
「ご、ごめん」
「何を謝っているんですか? 見られて困るものではありません」
とっさに謝りつつ後ろを向いたら、チェルシーがそう言ってくれた。
「あの女に会いに行ったのではなかったのですか?」
おっと、目的を忘れてた。
「えっと、執務室にも自室にも居なくて、ナンシーさんはゼルマさんがどこにいるか知ってるかなと思って、探してた」
「あ、ウチ知ってるよ~」
……あ、知ってるんだ。
動揺したせいか、ナンシーさんの言葉を理解するのが一瞬遅れた。
振り返って、服をちゃんと着なおしたナンシーさんに、ゼルマさんがどこにいるのか聞いてみる。
「団長はね~、南東区の倉庫街に行ったよ」
「何しに行ったの?」
「さぁ? さっき4人組の人が訪ねて来てて、ゼルマ団長に南東区の倉庫街に来るように言ってたよ」
4人組? 誰だろう?
「どんな人だった?」
「庶民。男3人女1人」
私にはその4人に全く心当たりがない。
私とは無関係の用事かな。
「それで、ゼルマさんはその4人の言う通りに南東区の倉庫街に行ったの?」
「そ~だよ」
ふと、窓の外を見る。
閉め切った雨戸の隙間からは、かなり弱々しい日の光がうっすら見える。
夜になりかけの夕方って感じの時間だ。
「こんな時間に?」
「……こんな時間に」
怪しくない?
あー、嫌な予感がしてきた。