言い訳
私の父は狂っていた。
私が生まれた時には、既に狂っていたのだろう。
そして父が狂った原因は祖父だ。
「わしは息子の育て方を間違えた。すまない」
それが私の聞いた、祖父の最期の言葉だった。
祖父はトレヴァー領の領民から、”無難な領主”という評価を受けていた。
慎重に考え、大きな変化を嫌い、領地を丁寧に扱って来た。
そんな祖父は自分の領地運営のやり方を、幼い父にも継がせたいと思ったらしい。
祖父は”視覚共有”というスキルを持っていて、そのスキルを父の教育に用いた。
視覚共有は他人の視覚を奪い、代わりに自分の見ている映像を相手に見せるスキルだ。
祖父は領主の立場や考え方を幼い父に理解させるため、自分の見ている世界を父に共有し続けた。
結果、父は狂った。
祖父と自分の区別がつかなくなってしまった。
彼我の混同というらしい。
父は自分と祖父を同一の存在のように思いながら育ったそうだ。
そして私が生まれ、母が早くに死に、そして祖父も死んだ。
祖父が死んだ日の父をよく覚えている。
呆然自失、という感じだった。泣いている私には目もくれず、祖父の死を受け止められないという表情だった。
父にしてみれば、自分が死んだということだったのだろう。
父にとっては、親ではなく自分の死だった。
表面上は祖父と自分を区別できていた父は、この日をきっかけに、私と自分を同一視し始め、その狂気を表に出すようになった。
機嫌がいい日は私と自分を区別できていたが、機嫌が悪い日や体調を崩した日は、全く区別できていなかった。
父は私の行動や発言が自分の考えと異なると、私を厳しく折檻した。
”なぜだ?”と何度も口にしながら苦痛を強いた。
父の考えなど幼い私にはわからなかったが、幼いなりに想像することが出来た。
父にしてみれば、自分の右手が勝手に自分の望まないことをやった、という感じだったのだろう。
自分の体が自分の意思に従わなければ、困惑する。
そして言うことを聞かない右手を叩き、正しく動くように躾けるだろう。
私は父の体の一部であり、勝手な行動も発言も許されない。
私はそういう風に理解した。
私の幼少期は、父の顔色を読み、考えを想像し、ただ従うだけの日々だった。
そうやって成長した私には、父の命令に逆らうだけの力は無かった。
父がどういう理屈でどんなことを望んだとしても、私は従うことしか出来そうにない。
ただ、1つだけ一自分の意思を通したことがある。
それは騎士になることだ。
父の様に狂うことが出来なかった私は、騎士になることで父のもとから逃れたのだ。
だが騎士になった後も、結局は父に従い続けた。
その結果が今の私だ。
私のことを信じてくれていたエリーを裏切り、1度は捕獲したヴァンパイアに騎士団を壊滅させられ、父が異形と化して死んだ。
父から逃れ、やっと手に入れた騎士団という居場所は、失われつつある。
エリーに恨まれ、こうして殺されかかっている。
父に正しい判断能力や責任能力が無いことくらい、身に染みてわかっていた。その上で従い続けたのは私だ。
私が1度でも父の命令に逆らっていれば、違った結果になっていただろう。
だから私の生い立ちや、私と父とで進めてきた計画の全てを話したところで、結局は変わらない。
すべてを話した後、私はエリーを見上げて、こう告げる。
「全ての原因は私だ。今話したことは、全て言い訳だ」
エリーは騎士団が壊滅したことや父が死んだことを自分のせいだと言っていたが、それは違う。
私が招いた事態だ。
「信じてくれないかもしれないが、私にとってエリーは、家畜などではなかったよ」
私は父上に逆らえなかった。
裏切ったことを今も後悔している。
「償いをさせてくれないか?」
私の望みは、それだけなんだ。
許しちゃいけない。
どんな理由が、どんな背景があったとしても、私は許してはいけないと思う。
「償ったって、許さない」
「許してほしくないと言えば嘘になる。だが許してもらえるとは思っていない」
ゼルマさんは私の目をしっかりと見てそう言った。
嘘には聞こえない。
嘘に聞こえないから、余計にイライラする。
最近の私はイライラしっぱなしだ。
「私じゃなくてよかったんでしょ?」
「何がだ?」
「トレヴァー侯爵のところに送るヴァンパイア」
「ああ、ヴァンパイアなら、誰でも良かった」
……じゃあ、やっぱり、酷いよ。
「私に言えばよかったんだよ。もう1人ヴァンパイアを捕まえなきゃいけないって」
「しかし」
「言ってくれれば、私、頑張ったよ。ゼルマさんのために行動したよ。私はゼルマさんが血を飲ませてくれなかったら、生きていけないんだよ? 言うこと全部、聞くに決まってるよ」
そうだよ。私はゼルマさんの言うことなら、きっと何でも聞いていた。
強く依存してるんだから、聞かざるを得なかった。
ゼルマさんなしじゃ生きていけない私には、ゼルマさんを傷つけたり、拒絶するなんて出来ない。
それなのにゼルマさんは、私に何も言わずに裏切った。
私は諸手を挙げてゼルマさんに全部を預けてたのに、ゼルマさんは私に、大事なことを全部隠したままだった。
それが一番許せない。
「すまない。言い訳にしかならないが、私も焦っていた。焦りすぎて、視野が狭まっていたんだ。ヴァンパイアを待ち構えるばかりで、探しに行くという選択肢が見えていなかった。エリーを頼るという選択肢も」
ああだめだ。
ゼルマさんは、私の目をしっかりと見て、ゆっくり喋る。
責める私に言い返したり、はぐらかしたりするつもりが無いんだ。
全部の非を認めるゼルマさんと、責める私とでは、私の方が弱い。
「な、なんなら、私に夜、1人で王都を歩かせればよかったんだよ。私のことを人間だと勘違いしたヴァンパイアが襲ってくるかもしれない。私を囮にすればよかったんだよ」
「……ああ、そういう選択肢もあったのか」
「私に本当のことを話す必要も無かった。適当なこと言って、騙して、ヴァンパイアを捕まえてこいって言えばよかったんだよ」
「だが、それで」
「それでよかったんだよ!」
利用されてたとしても、それでよかった。
「ゼルマさんに殴られた時、すごく怖かった。ゼルマさんの実家で、ゼルマさんの手紙を読むまで、ずっとゼルマさんのところに早く戻りたいって思ってた」
……どうしよう。
泣きそう。
泣いちゃダメだ。
ゼルマさんに泣いてるところを見られたくない。
「利用されても、隠し事されててもいい」
どこに力を入れたら涙が溢れないのか、今すぐ誰かに教えて欲しい。
「裏切られるより、ずっと、ずっとマシだよ」
「エリー……」
なんで私の方が泣いちゃうのかな。
私がゼルマさんを責めてるはずなのに。
顔を見られたくなくて、ゼルマさんの顔の横に付いた手で顔を覆って、そのまま上を向く。
「す、捨てられるのが、こんなに辛いなんて、知りたくなかったよぉ」
結局私は、肩を震わせて泣いた。
「騙して、利用するなら、最後まで、ずっと、騙し続けてよ」
溢れかえった感情は、ゼルマさんへの怒りとか憎しみとかじゃなくて、悲しみに変わってしまった。
「ひどいよ、こんなの」
それ以上は言葉にならなかった。
抱えきれなくなった感情が、涙と震えと、嗚咽に変わって溢れ出す。
ゼルマさんにまたがって、見られながら、子供の様に泣いた。
許せない。
でも恨めない。
感情をぶつける先を失って、結局泣いて済ませてしまう。
我ながら甘いというか、弱いというか、情けない。
やっと泣き止むことが出来た私は、ゼルマさんの上からどいて、立ち上がる。
「ゼルマさん」
ゼルマさんの左手を引っ張って立たせる。
顔は見れない。
「なんだ?」
私が泣いたせいかな。
ゼルマさんの声が、すごく、優しい。
「ギンたちに飲ませる血が無くて、困ってるの」
「……ああ、わかった」
ゼルマさんは、それだけで私が何を言いたいのか察してくれた。
情けないけど、私はゼルマさんを頼るしかないみたいだ。
「騎士団は今、何の仕事も使命もないんだ。それに、ヴァンパイア4体を相手に勝てる状態でもない」
ん? それってどういう……
「だから来てくれ。血も寝床も、普通の食べ物もある」
「……ゼルマさんはいいかもしれないけど、他の皆は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなかったら、私を煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「ふ、ふぅん?」
大丈夫かな。
「じゃあもし大丈夫じゃなかったら、ゼルマさんを人質にとって逃げるからね」
「私に人質の価値があるかどうかはわからないが、いいだろう」
ゼルマさんは騎士団の皆にも、トレヴァー侯爵の企みなんかを全部話したらしい。だから団員の皆はゼルマさんに不信感を持ってるとも聞いた。
でもだからと言って、ゼルマさんに人質の価値がないとは思えない。
「とりあえずエリー」
「なに?」
「王都に戻らせてくれ」
……あ、ゼルマさんを抱えて防壁を飛び越えないといけないじゃん。
今は顔見られたくないのに。
しょうがないので、顔だけそっぽを向いて両手を広げる。
「……はい」
ゼルマさんは私の右手に背中を預け、左腕を首に回す。
私は左腕でゼルマさんの膝を抱え上げる。
抱っこしてしまった。
おんぶで良かったじゃん。
「あまり激しく揺らさないでくれ。右肩が痛む」
はいはい、わかってるよ。
私は思うだけで返事もせず、ゼルマさんの顔を見ないようにして、王都の防壁に向かって走り出した。
初期のプロットでは、ここで憎しみに狂いゼルマを殺すことになっていました。
ですが投稿主の中で、エリーはそういうことをしないキャラになってしまっていて、もうずいぶん前に初期のプロットを外れていることもあり、こうなりました。
主人公の闇落ちが大好きな方には、申し訳ないです。




