疲労
チェルシーを背負った私は、ジャイコブを背負ったギンと一緒に北西区の集団墓地にやって来た。
雨雲越しの日光に焼かれながら、集団墓地の周りにいくつもある空き家の中の1つに転がり込む。
埃が積もった部屋の中には、ぼろぼろのベッドや破損した机やいす、棚、クローゼット、ベッド……色々あって狭い。
「ふぅ……」
お日様から隠れられて、とりあえず焦る必要が無くなって、一息つく。
あ~あ、また失敗したちゃった。
そう思ったけど、口には出さない。
チェルシーを背負ったまま、窓の全部を閉めて雨戸を下ろす。それから埃まみれのベッドにかかったシーツを取っ払って、落とせるだけ埃を落として、そこにチェルシーを寝かせる。
「ギン、ジャイコブもベッドに寝かせてあげて」
「ああ」
私のいう通り、チェルシーの隣にジャイコブを寝かせるギンを見て、それから床に座り込む。
埃が舞って不潔な感じがする。
それでもかまわず腰を下ろして、壁に背中を預けて、膝を抱えて座る。
肩が重い気がする。
座っちゃったせいか、もう動きたくなくなってきた。
ギンに色々やってもらおう。
「……ギン」
「なんだ?」
ギンは私の隣に腰を下ろした。
座ったばっかりで申し訳ないけど、色々お願いしよう。
誰か追ってきてないか警戒してもらって、周囲に人がいないか調べてもらって……あと、前みたいにストリゴイのタザや赤ローブのドリーって言うのが現れないか監視してもらって……
「ふふ」
笑っちゃった。
全部人任せだ。
「ちょっと疲れちゃった」
色々お願いするはずだったのに、私の口から出たのは、私の素直な想いだった。
「そうだな」
ギンは片膝を立てて座ってて、私の方は見てない。
私たちが入って来た、この家のドアの方を見てる。
……それでいっか。
私は膝を抱く腕に額を乗せて、目を閉じる。
長すぎる髪が垂れて来て、雨に濡れてるせいでちょっと冷たい。
「寝る」
「そうかよ」
たぶん、伝わったと思う。
ギンには私が寝てる間、不寝番をしてほしい。
「チェルシーとジャイコブが起きたら、何があってここに居るのか説明してあげて」
「俺もよくわかってねぇんだけど」
そう言えばそうだった。
広場で私が起こすまでギンは気絶してたもんね。
「んと……あ~、夜までここに隠れることにしたってことだけ、伝えてあげて」
顔を上げて説明しようと思ったけど、めんどくさくなってやめた。
「ん、わかった」
ギンの返事を聞いた私は、再び膝を抱く腕に頭を落として、目を閉じた。
私が目を覚ましたのは、その日の午後だった。
あまり眠れなかった。
座ったまま寝たせいかな。
立ち上がって腰を反らし、関節をほぐす。
締めきった埃っぽい部屋薄暗くて、気分が晴れない。
まぁ、私の気分が晴れないのは、部屋の雰囲気と無関係だと思うけどね。
ギンは私が立ち上がる少し前から私が起きたことに気付いていたみたいで、声をかけてくる。
「おはよ、エリー」
ギンはずっと起きていてくれたみたいだね。
「何もなかったぜ」
と、普段通りの感じで教えてくれた。
「そっか」
ベッドの方を見る。
叩いたりシーツごと埃を落としたりしたけど、まだ埃っぽいベッドの上には、チェルシーとジャイコブが寝ている。
私やギンが寝かせた時と、態勢が変わってない。
チェルシーとジャイコブはまだ目を覚ましてないみたいだ。
思った以上にアレに痛めつけられて、自力で目を覚ませないくらい消耗してるのかな。
心配になった私は、改めてジャイコブとチェルシーの瞼をめくる。
赤い。
飢餓状態じゃないなら、体の不調はすぐに治る……と思う。
チェルシーの肩を掴んで、揺すってみる。
再生や回復を終える時間は十分にあったし、この家に来てからは日光も浴びてないはず。
これで起きないなら、もうどうすればいいのかわからないよ……
「チェルシー? 起きて、お願い」
「……ん」
起きた。
「よかった……」
心配させないでよ。
チェルシーは私の気も知らないで、ベッドに横になったまま私を見て、口を開いた。
「ここはどこですか? あと、なぜジャイコブがチェルシーと同じベッドに寝ているのですか?」
「あのね……」
「少し待ってください」
私が広場についてから今までのことを話そうとすると、チェルシーが待ったをかけた。
手でベッドのそばに立つ私に移動するようにサインしてから、チェルシーは足を曲げる。
「起きなさい」
「グェアッ」
「ちょっと、チェルシー?」
横に寝ているジャイコブに蹴りを入れて乱暴にたたき起こす。
ジャイコブは短い悲鳴を上げながらベッドから転げ落ちて、目を覚ました。
流石に可哀そうだよ。
床に落ちてキョロキョロと周りを見渡すジャイコブに構わず、チェルシーはまたベッドに横になる。
「はい、これで2回説明する手間が省けました。どうぞ」
「あ、うん。ジャイコブ大丈夫?」
「だ、大丈夫だべ。んだがここはどこだ? おらはなんで蹴られただか?」
大丈夫みたいなので、とりあえずギンを近くに呼んでから話そうかな。
正直まだ疲れてるし、気分が重い。
でも暗い雰囲気にはしたくないな。
私はあの私たちの手足が生えたトレヴァー侯爵の化け物を倒したこと。倒した後すぐに真祖が現れたこと。真祖は私を人間にしてくれなかったこと。朝になってたから、私とギンでチェルシーとジャイコブを担いで、北西区にあるこの空き家に転がり込んできたことを、出来るだけ明るく話す。
「あとジャイコブが蹴られたのは……なんでだろうね」
普通に起こせばいいのにね。
「おらそこが一番気になってるんだが」
「チェルシーに聞いてよ」
ジャイコブは蹴られたところををさすっていたけど、立ち上がってチェルシーに向かって蹴られた理由を聞き始める。
チェルシーはジャイコブを適当にあしらってる。
ふとベッドで目が覚めて隣にジャイコブが寝てたら……うん。私も一旦距離を置くかも。さすがに蹴り飛ばしたりはしないけど。
ジャイコブは体がおっきいし、なんなくおバカっぽいというか、見た目が欲望に忠実そうな感じだからね。
寝てる間に何かされたんじゃないかと思うかも。
でも言わないでおこう。
「で、これからどうするんですか?」
「え?」
現実逃避気味に空想していたら、いつの間にかチェルシーはジャイコブをあしらい終えて、私を見てた。
ジャイコブは……落ち込んでる。どういうあしらわれ方したんだろう。
ギンがジャイコブに近づいて、肩をもって頷いてる。慰めてるのかな。
「真祖に会って、人間にしてもらえなかったんですよね。どうするんですか?」
……チェルシーは逃げさせてくれないみたいだ。
考えたくなくて、ちょっと現実逃避してた。でも、ダメだよね。
「……うん」
さて、どうしようかな。
私が人間になるためには、どうすればいいのかな。
真祖が私を人間にするためには、何をすればいいのか。
考えないといけないね。
「真祖と戦って、勝って、言うことを聞かせるっていうのはどう?」
「勝てると思ってるんですか?」
言ってみただけですごめんなさい。4人がかりなら勝機はあるかもと思ってたけど、会ってみたら無理だとわかった。
なんか若返ってたし、鼓動も強くなってた。この案は言う前から無理だってわかってたよ。
「真祖のところに行って、時間をかけて説得するっていうのはどうかな?」
「やってみる価値はあるかもしれませんけど、説得できる自信はありますか? チェルシーなら真祖の言葉の全てに従ってしまうと思います」
……私もそう思う。私は真祖の言葉に何回か逆らって来たけど、気を抜くと従ってしまいそうになってた。ずっと真祖と一緒に居たら、すぐに逆らえなくなると思う。逆らい続ける自信は無い。
「ヴァンパイアを捕まえて人質にするのはどうかな。私を人間にしないと、このヴァンパイアを殺しちゃうよって脅せば」
「エリーにそう言うのは向いていません。あと真祖を怒らせるようなことはしないほうがいいでしょう。その案は却下です」
う~ん、まぁそうだよね。
そもそも真祖に人質が通じるとは思えない。真祖なら人質を一瞬で開放して、その後私を捕まえてしまいそうな気がする。
もう、どうすればいいのかな。
わかんないよ。
「ギン、どうすればいいと思う?」
「エリーの好きなようにしたらいいと思う。なんでも言えよ」
そう言ってくれるのはうれしいけど、今は何か案を出してほしいよ。
「ジャイコブはどう? 何かいい案ないかな?」
「んぁ? おらエリーに従うだよ。なんでも言ってくれ」
ジャイコブは話を聞いてないっぽい。半分寝てたって顔してる。
「2人とも一緒に考えてよ」
「無駄ですよ」
私がそう言うと、チェルシーにバッサリとそう言い切られた。
「そこの男2人にそういう助言を求めても無駄です。魅了されていますから、エリーの望みなんてどうでもいいんです。エリーと関わって、感情を向けられて、言うことに従うことが出来れば何でもいいのです」
チェルシーは私の目を見てそう言い切った。
ギンもジャイコブも、チェルシーの言うことを否定しない。ジャイコブに至っては当然とばかりに頷いてる。
……なんだろう。急に寂しくなってきた。あと、罪悪感も出てきた。
なんでかな。
「……チェルシーは違うの?」
「チェルシーも知らなかったんですが、魅了のスキルを持つ者は他人の魅了を受けないようです」
そうなんだ。チェルシーは魅了のスキルを持ってるから、私の魅了が効いてないんだね。
言われてみれば、チェルシーは私に魅了のスキルについて教えてくれたりしたっけ。あと、言ってもないのにギンとジャイコブが魅了を受けてるってことを知ってたね。
「チェルシーは、その……」
「なんですか? 真祖に言うことを聞かせる方法なんて、チェルシーは知りませんよ」
「そうじゃなくてね。チェルシーは、なんで私に協力してくれるの?」
私は以前、真祖に会いに行こうとするチェルシーを止めた。そのせいでチェルシーは騎士団に捕まって、あの棺桶に入れられて、長い間監禁されて血嚢を奪われ続けた。
私のせいで、長く苦痛を味わった。
魅了が効いてないなら、私の言うことを聞く理由がわからない。
恨まれててもおかしくないのに。
チェルシーは私の質問に、一言で答えてくれた
「放っておけないからです」
「う、うん。そっか……なんで?」
なんで放っておけないって思ってくれてるのかは、教えてくれなかった。
考えないようにしてた問題が、実はもう1つある。
考えたくなくて、口にしなかった問題。
でもジャイコブがあっさり口にしてしまって、無視できなくなった。
「腹減ったべなぁ」
「だなぁ」
そう、お腹が空いている。
ジャイコブだけじゃない。
私も空いてるし、ギンも空いてるみたいだし、チェルシーも空いてると思う。
「おめぇらも空いてるだべ? んだば夜になったらおらが人間獲ってきてやるだよ」
ジャイコブは少しだけ猫背を直して、胸を張ってそう言った。
キメ顔で私をチラッと見てる。
……ああ、どうしよう。
”血を吸うな”とは命じられない。
命じてもチェルシーには意味がない。
でも、私のせいで人がヴァンパイアに襲われる。
そう思うと、私はもう、ダメになりそうだった。
この3人が人を襲って血を吸うのは、私の責任なんだ。
ああ、もう、無理かも。
空元気は続かない。
私は頼ってほしそうなジャイコブに謝る。
「ごめんジャイコブ。でも、それは私がやるよ」
何のあてもない。
都合よく血の入ったビンが4つ転がってるなんて、ありえない。
私にそう言わせたのは、ただの責任感と罪悪感だった。