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焦り

 ソレがエリーを正面に捕らえた瞬間、エリーは弾かれたように飛び出した。

 

 一直線にソレに突っ込み、右手の豹拳を大きく引く。

 

 ソレはエリーが目の前に来るのを待ち構え、ソレは8本の腕でエリーを抱きしめるように動かした。

 

 捕まえてしまえばソレの勝ちであり、それ以外の勝ち方(食べ方)など知らない。

 

 だがエリーを捕まえることはできなかった。

 

 エリーは地を這うように身を屈めたのだ。

 

 ソレは一瞬、地面にほぼうつ伏せに横たわるように屈めたエリーを見失った。

 

 エリーはその隙を逃さない。

 

 地面に両手を突き、指尖硬化によって石畳に指先を埋め、掴み、つま先で地面を蹴り上げ、逆立ちをするように足を振り上げる。

 

 「ハァッ」

 

 振り上げた足の踵がソレの目を叩く。

 

 靴の踵から”ブチャ”という鈍い音と感触が伝わる。

 

 完全にソレの虚を突いた一撃だった。

 

 ソレの態勢を大きく崩し、仰け反らせる。

 

 エリーは素早く立ち上がり、改めて豹拳と貫手を作り指尖硬化を使う。

 

 ソレは3本の手で蹴り潰された目を押さえ、8本の足でたたらを踏み、グラグラと体を揺らす。

 

 ソレの晒した大きすぎる隙に、エリーは手加減も容赦もなく付け込んだ。

 

 ソレの目の前に立ち、肩幅より少し広く地面を踏みしめ、全力で腕を振るう。

 

 殴る。

 

 ヴァンパイアの膂力をフルに活かして拳をめり込ませる。

 

 刺す。

 

 指の付け根まで、皮膚も筋肉も腕も足も肋骨も背骨も、すべてを裁断し深々と突き刺す。

 

 殴る。刺す。

 

 繰り返す。

 

 殴る。刺す。殴る。

 

 歯を食いしばり、息を止め、

  

 刺す。殴る。刺す。殴る。

 

 目の前の気持ち悪い何かを殺し切るまで、

 

 刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。

 

 何度も、

 

 殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。

 

 何度も何度も、

 

 殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。

 

 何度も何度も何度も……

 

 刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る。刺す。殴る……

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ソレの体の傷口から、黒い液体が血液のように吹き出し、飛び散り、エリーを汚す。

 

 エリーは黒い液体を体中で浴び、雨によって洗い流され、地面に滴るのを感じる。

 

 汚らわしい血にどれだけ汚されても、エリーは攻撃の手を緩めない。

 

 いつしかソレは蹴られた目を押さえることを止め、がむしゃらに腕を振り回し始めていた。

 

 目はまだ見えていないようだった。

 

 ”まだ死なないのか”

 

 延々とソレへの攻撃を続けながら、エリーはそう思った。

 

 エリーはソレの振り回す腕を、極限の集中力と体捌きで全て躱し続ける。

 

 赤い目を閉じたままのソレには、確かに目の前にいて、生意気にも抵抗し続けている食べ物が、どこにあるのかわからない。

 

 既にヴァンパイアであれば飢餓状態を超えて死んでいてもおかしくないほど攻撃している。

 

 だがソレの体は再生し続け、再生速度が落ちるようなことも無い。

 

 じわじわとエリーの心に焦りが生じる。

 

 早く。

 

 滅茶苦茶に振り回される腕を避け、右腕を引き絞り、全力で突き出す。

 

 何度も繰り返した動作に、無駄な力がこもり始める。

 

 早く。

 

 大きく体を反らしてまた腕を避け、左腕を引き絞り、全力で突き出す。

 

 直線を描いていたはずの貫手の軌道に、歪みが生じ始める。

 

 早く。

 

 エリーの焦りは攻撃を繰り返すたびに少しずつ膨らんでいく。

 

 早く。

 

 一撃一撃が大振りになり、溜めの時間がわずかに伸びる。

 

 早く。

 

 エリーの焦りは次第にイライラに変化していく。

 

 早く。

 

 対するソレに変化はない。 

 

 トレヴァー侯爵の服の背中部分が、見る影もないほどズタズタになっているが、見えている肌も、多すぎる手足も健在だ。

 

 どれだけ傷つけても、即座に再生してしまう。

 

 早く。

 

 おびただしい量の黒い血を失っている。豹拳の与える衝撃は、ソレの内部を何度も破壊したはずだ。貫手の一閃で、出血を伴う大けがを数えきれないほど与えたはずだ。

 

 だがソレは未だ、元気に腕を振り回している。

 

 早く。早く。

 

 集中力が完全に途切れ、エリーは膨らみ切ったイライラに堪えられなくなった。

 

 食いしばった歯が開かれ、短く息を吸い込む。

 

 「……ッ! いい加減……」

 

 エリーは両手を引き、顔の近くに構える。

 

 そして左足を軸足とし、右足を膝を曲げるように上げる。

 

 「早く死んでよ!」

 

 エリーは膨れ上がった感情に身を任せ、全力の後ろ蹴りを放った。

 

 巨大な殺傷性を秘めたエリーの後ろ蹴りは、ソレの胴体との間の空気と雨粒を切り裂き、ソレの絶命に向けて一直線に突き進む。

 

 そして、その蹴りは届かなかった。

 

 「っくぅ……」

 

 たまたま蹴りの軌道上に在った1本の腕が、エリーの蹴り足の足首をしっかりと捕まえていたのだ。

 

 手のひらの面積だけで、全体重と脚力を乗せた蹴りを止められたエリーは、不安定な姿勢のまま驚いた顔でソレを見る。

 

 ソレには表情などない。目は縦に割れていて、瞼と呼べるものは無い。口に至っては歯が並んでいるだけで、唇もなく、歯はむき出しだ。

 

 だがエリーは、ソレが笑ったように見えた。

 

 ”ニタァッ”という、嫌らしい嗤いをそこに見た。

 

 ソレは未だに目を開けられずにいる。

 

 だがソレは今、エリーの片足を掴んだ。

 

 つい先ほどまで完全に見失っていた食べ物を、やっと捕まえたのだ。

 

 手放すまいと足首をつかんだ手に力を込める。

 

 手加減など知らないソレは、あっさりとエリーの足首の骨を握りつぶす。

 

 そしてもう1本、足を掴む腕を増やす。 

 

 足首をつかむ手のすぐ近く、ふくらはぎを掴み、こちらも強く握る。

 

 ズボン越しの弾力のあるふくらはぎの筋肉を握りつぶし、指の隙間から肉を零れさせる。

 

 「……ッ」

 

 エリーは自分の足が握りつぶされていくのを見て、顔をしかめた。

 

 だがエリーの様子など、目を開けていないソレにはわからない。 


 ソレは足を掴む腕をさらに増やす。

 

 膝を掴み、強引に引っ張りながら潰す。

 

 足を掴む腕に、エリーが捕まった足を取り返そうともがく感触が伝う。

 

 だが、逃がさない。

 

 さらに2本の腕を増やし、今度は太腿を掴む。

 

 ズボンの生地を破り、指先を太ももの肉の中にねじ込む。

 

 5本の腕を使ってエリーの右足を完全に掴んだ。

 

 やっと捕まえた。

 

 もう逃げられない。

  

 やっと食べられる。

 

 あとは残る3本の腕を使って、エリーの腹を引き裂き、血嚢を奪い食べるだけだ。

 

 血嚢の位置はわかっている。

 

 今掴んでいる太ももの近くだ。

 

 ソレは感覚で狙いをつけ、1本の腕を振り上げる。

 

 腹を狙い、血嚢を傷つけず、腹筋と邪魔な内臓を引き裂くのだ。

 

 ソレはジャイコブ、チェルシー、ギンラクにやったときと同じように、拳を振るった。

 

 足を掴む5本の腕に、肉が裂け、骨が折れ、皮膚が破れる感触が走る。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 だが腹を引き裂くべく振るった腕に、手ごたえが無い。

 

 空ぶったのだ。

 

 そして、掴んでいた足が急に軽くなったのがわかる。

 

 確信していた感覚を得られず、ソレはようやく目を開けた。

 

 自分の腕の5本は、今もエリーの足を掴んでいる。

 

 だが、その足は付け根から先が無かった。

 

 「はぁ……」

 

 少し離れたところからため息が聞こえ、そちらを見る。

 

 そこには右足のないエリーが左足1本で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後ろ蹴りを防がれ右足首を掴まれた時、エリーはまず自分の足を掴む腕を破壊することを考えた。

 

 だがソレは足を掴む手をどんどん増やしていった。

 

 不安定な体勢と、いくつもの自分の足を掴む手、掴まれるたびに破壊される右足。

 

 それらを見たエリーは、両手を振り上げる。

 

 豹拳を自分の右足の付け根に叩き込み、大腿骨を折る。

 

 貫手も同じく右足の付け根を裂き貫き、ズボンと足の両方に深い切れ込みを入れる。

 

 ソレがエリーの腹を引き裂こうと腕を振るう直前、エリーは思いきり体をひねった。

 

 切れ込みを入れ骨を折った右足を、自分でねじ切ったのだ。

 

 躊躇は無かった。

 

 体をひねった勢いのまま後方に跳び、左足1本で着地する。

 

 ”パチャッ”という音が鳴り、右足の付け根から”ビチャビチャ”と血が零れ落ちる。

 

 自分で足をねじ切り、つながっていた皮膚や筋肉を引きちぎる感触。

 

 トレヴァー邸で一度体験した感触だ。 

 

 それを思い出したエリーは、冷静になることが出来た。

 

 先ほどまでの焦りとイライラを消化し、スッと息を吸う。


 「はぁ……」

 

 ため息を吐き、ソレを見る。

 

 ”足を掴んだくらいで勝ったつもりになっていたの?”

 

 そう言いたげなため息だ。

 

 ソレは赤い目でエリーを見つけると、掴んでいたエリーの右足を投げ捨てる。

 

 自分の足が断面から血を零しながら転がっていく。

 

 そんな光景を見ても、エリーに動揺は無い。

 

 もう慣れている。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 まだエリーの右足は再生していない。

 

 エリーは膝を曲げ、両手を地面に突いた。

 

 指を指尖硬化によって固め、地面を掴む。

 

 エリーに向けて突進してくるソレから、右足が再生するまで逃げ切る。 

 

 「……そんなの簡単」

 

 猫の背伸びのように腰を後方に寄せ、エリーはつぶやく。

 

 地面に指を埋めて掴む両腕の力。

 

 左足の地面を蹴る力。

 

 そして体幹の筋肉をバネの様に使い、跳ぶ。

 

 ソレのすぐ横を一瞬で通り抜け、指を地面に埋めてブレーキをかけ、また別の方向に跳ぶ。

 

 跳んだ瞬間の最高速度は、ソレの目には追えなかった。

 

 右足が再生するまで、あと1分もかからない。

 

 それまでの間、エリーがソレに捕まらずにいること。

 

 それはエリーの思っている通り、簡単なことだった。

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