本能
腹が減った。
ソレが王都に到着したときに感じていた感覚は、空腹だった。
相変わらず真祖の鼓動が耳障りだが、なぜか王都の防壁に近づくにつれ、うるささや不快感がマシになっていった。
今はベグダットの町に居た頃よりも不快感が少なくなっている。
ソレはうるささが少し気にならなくなったことで、自身の空腹に気が付いた。
体を動かすたびに自らが減る。
動かさなくても減り続け、どんどん小さくなっていく。
―食べたい。
―何を?
―ナニカを食べたい。
脳を持たず、トレヴァー侯爵の脳を仮の頭脳としているソレは、思考をまとめることが出来ない。
―ウマソウ。
ソレの赤い瞳は、王城前広場にある3つの食べ物を見つけた。
東の方にもあるが、そこには1つしかない。
―たくさん食べたい。
ソレはより多くの食べ物を求め、北門から王城前広場に直行する。
「お?」
「なんだよアレ?! いやマジでなんなんだよ!」
「気持ち悪いですね」
広場に出たソレを出迎えたのは、こちらを見て唖然とする5つの何かと、食べ物たちの嫌悪の声だった。
だがソレは言葉の意味などわからない。
食べ物以外に興味はない。
ソレは手直に居たジャイコブにそのまま向かい、手を伸ばす。
「うわぁこっち来ただ!」
ジャイコブはソレから慌てて距離を置き、にらみつける。
ソレから害意を感じたジャイコブは戦闘態勢に入った。
ソレは構わずジャイコブを食べようと手を伸ばすが、ジャイコブはその手を払いのけ、全力で殴りつける。
ジャイコブの拳を受け止めた3本の腕が完全に折れ、すぐに再生する。ソレはまた少し自らが減ったように感じた。
―めんどくさい。
ジャイコブの手加減なしの拳を受け、抵抗され、ソレは骨付き肉を思い出した。
トレヴァー侯爵の記憶だ。
味はいいが、食べるのが少しめんどくさいと感じた食べ物だ。
この食べ物は骨付き肉に似ている。
ウマソウなのに、食べようとすると抵抗する。
―身だけ寄越せ。
チェルシーやギンラクも加わり、3体のヴァンパイアがソレを襲う。
ソレの多すぎる手足は一瞬の間に何度も折られ、もぎ取られ、はじけ飛ぶ。
そして瞬く間に再生する。
その度にまた自らが減っていく感覚を味わう。
―食べられない。
ソレはいきなり食べるのではなく、食べる前の下処理をすることにした。
10本の腕の内、動かせる8本を滅茶苦茶に動かし、殴る。
頭は殴らない。
殺してしまっては1回しか食べられない。
生かしておけば何度でも食べられる。
ソレはヴァンパイアの再生能力の高さを知っていた。
―なんでだ? わからない。
なぜ知っているのかはわからない。
ソレはジャイコブの腕を3本の手で掴み、1本の腕でジャイコブの腹を引き裂く。
「ふぎゃああああああ」
「おっさん?!」
「チッ」
ギンラクとチェルシーの攻撃に晒されながら、引き裂いた腹の中に腕を突っ込む。
―あった。
ソレはジャイコブの血嚢を掴み、引きちぎり、うなじにある新たな口に頬張った。
血にまみれた滑らかな表面と弾力のある内臓は、口に入れた瞬間から食道に流れ落ちた。
―うまい。
舌も無ければ味覚も持たないソレは、確かに美味だと感じた。
減った自分が少し増えたような満足感に味を占め、掴んでいたジャイコブをポトリと落とす。
「ぐ……」
ジャイコブは血嚢を抜かれたせいか、あっさりと意識を手放した。
―もうない。
ソレにとって今のジャイコブは、果肉をとり尽くした後の果実の皮のようなものだ。
もう興味はない。
―まだ足りない。
ソレは残る2つの食べ物に目を向けた。
やり方さえわかれば、チェルシーとギンラクの血嚢を喰らうことなど、ソレにとっては造作もないことだった。
適当に掴んで腹を裂けばいいのだ。
みかんの皮を剥いて食べるのと同じだ。
―うまい。
腹8分目には少し足りない。6から7分目と言ったところだ。だがソレは一旦満足することが出来た。
空腹をある程度満たしたソレは、ここに来た最初の目的を思い出した。
―うるさい。
ソレは音源である真祖のもとに向かうべく、8本の脚での王城に歩き始める。
すると4つの何かがソレの前に立ちふさがった。
「---っ!」
「--------っ!」
何か叫んでいるが、ソレには何の意味もない。
ソレにとっては等しく価値が無い。
ソレはハエでも払うように腕を振るう。
その度に立ちふさがった何かが宙を舞う。
4つほどソレを繰り返し、残りの1つを見つけ、ソレは動きを止めた。
「……父上、なのか?」
ソレはもう1つの自分をみつけた。
まとまらない思考がさらに散らばる。
不完全ながらも、自我と呼べるものがソレにはあった。
もう1つの自分を見つけたせいで、その自我が混乱したのだ。
自分がいる。目の前に自分がいる。自分が2つある。2つ目が目の前にある。なぜだ? 自分は1つだ。2つはいらない。不老不死。うるさい。1つになる。領を守る。食べる。うるさい。冷たい。自分はいくつある?女だ。娘だ。私だ。うるさい。うまかった。なぜだ?侯爵ってなんだ?これはなんだ?食べる。1つになる。欲しかった。私たちの望みだ。うるさい。自分が2つある。自分は1つだ。不老不死。私はなんだ?お前は私だ。自分。食べる。うるさい。娘。いらない。1つになる。私。ほしい。食べた。腹が減った。食べた。自分は1つにする。うるさい。
食べる。
ソレは腕を伸ばし、硬直したままのゼルマを掴む。
異形と化した父親がヴァンパイアの内臓を喰らい、トーマス達を殴り飛ばす。そんな光景に気圧されたゼルマは、ソレに掴まれるまでピクリとも動くことが出来なかった。
そして両腕を掴まれた時、心の底から恐怖を感じた。
父親の後頭部から自分を見つめる赤い瞳。本来うなじの位置にあるおぞましい口腔。それらが目の前に迫る恐怖に、ゼルマは耐えられなかった。
「やめてくれ!」
腕を掴む手から逃れようと腰を引き、眼前の赤い目から遠ざかろうと背を反らす。
奥歯がガチガチと鳴り、膝が震え、涙が止まらない。
恐怖に負けたゼルマは体勢を崩し、無様に尻もちをついてソレを見上げる。
ソレはゼルマに覆いかぶさる。16本の四肢を取り籠のように広げて地面に突き、真上からゼルマの顔を見下ろす。
ゼルマは逃げ場を失った。
「父上……何をする気なんだ……? 父上なのだろう?」
異形を父と呼ぶ。
ゼルマは部下もヴァンパイアも同様にあっさりと蹂躙したソレが、自分にだけは手を上げない。そうあってほしいと、わずかな望みに縋った。
そんなゼルマに向けて、ゆっくりと顔を近づける。
だが親愛のハグをするわけではない。
ソレは口を大きく開け、ゼルマの右肩を鎧の上から咥え込んだ。
「やめてくれ! やめて! やめ……ああああああああああああああああああ!」
鎧を押しつぶし、鉄板を割り、鎧の下のインナーごとゼルマの肌を潰し、骨を砕く。
食べて1つになる。
それがソレの欲することだ。
「父上、どうして……」
ソレが力なく呻くゼルマに構うことは無い。
噛み締めるたびに血が染み出し、肉の繊維が千切れる感触を歯で受け止め、骨の歯ごたえを味わう。
ソレが鎧ごとゼルマの右肩を食いちぎろうとした、そのときだった。
「気持ち悪い」
純粋な嫌悪の声が聞こえた。
背後に1つ食べ物がある。
満腹にはまだ足りない。
ソレはゼルマから口を離し、食べ物を見やる。
美味しそうな食べ物だ。
食べ方もわかっている。
味も知っている。
ソレが食べることを躊躇することは無い。
食べかすを抱えて何やらブツブツと言っていた食べ物が、立ち上がってノコノコと近寄って来る。
「指尖硬化」
ソレはエリーを食べて腹を満たすことを決めた。




