笛
カイル視点です。
今夜からまた以前のように、分隊に別れて各区を巡回することになった。
今夜の俺の分隊は北東区担当だ。
昨日までの盾や楔の装備はしてない。最初のころのように、全員鎧に剣の装備だ。ヴァンパイアに出会ったら、分隊長に配布された笛を鳴らしてこちらの位置をほかの分隊に伝えつつ、遅滞戦闘をして増援が来るまでの時間を稼ぐ手はずになってる。
4人でヴァンパイアと戦っても勝ち目が薄いかららしい。
「……休憩にするか」
俺がそう言うと、隊員たちがその場に座り込む。鎧が地面に当たってうるさいが、気にする奴はいないな。
本当なら”近所迷惑とか考えろ”って注意するところだが、面倒だ。
俺は大きな音が鳴らないようにゆっくり腰を下ろし、懐から食事を出す。
パサパサした携帯食料と水だ。
もうわざわざ王城前広場の分隊が届けてくれたりはしない。あそこが一番重要な場所だからな。
黙って携食をモサモサ食べていると、ナンシーの奴も携食をモサモサしながら寄って来た。
「ぶんたいちょ、ンムンム、なんか、ンム、元気ないね~」
「んぐ……飲み込んでからしゃべれ。色々飛んだぞ」
こいつは本当に貴族なのか疑わしい時が多々ある。所作や言動が貴族っぽくない。
「元気が無いのは俺だけじゃないだろ」
「そ~だね~。ぶんたいちょに元気な無いのは、だんちょに元気が無いから?」
そうかもな。
「最近はめっきりヴァンパイア現れないから、うちの騎士団としては不味い状況なんだろうな。ゼルマ団長も焦ってる」
ナンシーは俺の返事を聞いて、携食を一口をかじる。
モサモサと咀嚼しながら何か考えて、それから飲み込んだ。
「焦ってるのはちょっと違うと思うな~。前はイライラして機嫌悪かったけど、今はなんていうか~、無気力? みたいな?」
「ああ、確かにな」
「エリーさんが出てっちゃった日からそんなだよね~」
「……言われてみればそうだな」
「元気にしてるかな~。挨拶もなしに出てっちゃったけど、冒険者ってそんなに忙しいの~?」
「俺が知ってるわけないだろ」
エリーは騎士団に協力するのを止めて、冒険者稼業に戻ったらしい。
そう聞いている。
ゼルマ団長はそれ以降、ある意味穏やかだ。
ヴァンパイアが現れないことでイライラすることも無ければ、”探し出せ”とか”絶対に捕まえろ”なんてことを言わなくなった。
今夜から巡回を再開したのだって、俺が進言したことだ。あとリオード伯爵から何か言われたらしい。
理由はなんであれ、この巡回もゼルマ団長が自分で言いだしたことではない。
今日もなんだか変だった。
巡回に出る前、団長は全員にこう言っていた。
”危ないと思ったら逃げてもいい”
なんというか、前より随分甘い。
そんなことを言う人だったか? 俺たちを大事に思ってくれてるのは前と同じだが、何か変わったような気がする。
抜け落ちたというか、”もう全部やり切った”みたいな感じがするというか、とにかく変わった。
何がゼルマ団長を変えちまったんだ?
今のままの方がいいのか?
……休憩しすぎたな。
この先は後で考えよう。
「おいお前ら、休憩は終わりだ。巡回を続けるぞ」
俺がそう声をかけると、休んでいた隊員が立ち上がる。ナンシーも”よっこらしょ”とか言いながら立った。
うちの分隊内の会話が減ってきている。昔はもうちょっとおしゃべりな連中だったはずなんだが……
巡回ももう後半だ。俺も疲れて来てるし、隊員たちにも少し疲れが見える。
昨日までが楽だったせいか、体力が落ちちまったのかもしれないな。
休憩を終えた俺たちは、さらに北東区の巡回を続けた。
北東区のほとんどを巡り終えた頃、雨が降り始めた。
「くそ寒ぃ」
昼間も雨が降っていたせいか、今日はあまり気温が上がってない。その上また雨が降りやがった。
寒いに決まってる。
鎧に雨粒が当たってうるさいし、鎧の隙間から雨水が入り込んできて冷たいし、最悪だ。
もうすぐ春だって誰かが言ってたような気がするが、未だに吐く息が真っ白だぞ。どうなってんだ。
だが雨が降ったからって巡回を止めて引き返すなんて許されない。分隊員の士気は最悪だろうが、残りあと少しの辛抱だ。もうすぐ巡回を終えられる。
俺が後ろのナンシーたちに、”あとちょっとだ、頑張れ”とかなんとか言おうと思った、その時だった。
「カイルさん」
俺を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのある声だ。
声の方を見るが、真っ暗でよく見えない。
よく見えないが、輪郭はぼんやりと見えた。あのシルエットは見覚えがある。
「エリー、だよな?」
「うん」
やっぱりエリーだった。なんとなくもう会うことは無いだろうなと思ってたから、驚いた。
「久しぶりだな。さっきちょうどナンシーとお前の話してたんだよ。こんなところで、こんな時間に何してんだ?」
エリーは近づいてこない。俺たちと一定の距離を保つように突っ立ったままだ。
「カイルさんこそ、こんなところで何してるの? 巡回?」
「巡回だ。あの広場で待っててもヴァンパイアが現れないから、こうしてまた前みたいに、分隊ごとに各区を巡ってヴァンパイアを探すことになったんだ。北東区は俺、北西区はシド、南西区はイングリッド、南東区はゲイル。ゼルマ団長と一緒に広場にいんのはトーマスんとこの分隊だな。ラック分隊は相変わらず防壁の上だ」
「……いいの? 教えちゃって」
本当は口外無用なんだが……
「エリーだし、いいだろ」
「ふぅん?」
あ、そういえばゼルマ団長に元気なくなったのは、エリーが騎士団を出て行ってからだったな。
「なぁ、もし時間があるなら、ゼルマ団長に会って行かないか? 団長最近元気なくてさ、エリーに会えば元気になるかもしれない」
「ああうん。たぶん会うことになるんじゃないかな」
ふむ。もとから会うつもりだったっポイな。
「それより、ナンシーさんと私のこと話してたって言ってたけど、どんなこと話したの?」
ああ気になるよな。自分の知らないところで自分が話題に上がってたら。俺なんかうちの分隊員がほかの隊員に陰口言われてないかとか気になってるし。
「別に陰口とかじゃないぞ? エリーが急に騎士団を出て冒険者稼業を再開したからさ、エリーは元気にやってるかな~って話だ」
「……ああ、そういうことになってるんだね」
「ん?」
なんかおかしな反応だな。
俺が違和感を感じていると、エリーが何か動いたみたいだ。だがシルエットだけじゃよくわからん。少なくともこっちに来ようとしているわけじゃないみたいだ。
たぶん、後ろに振り返ったんだと思う。
俺に背を向けたエリーは、他の誰かと話してるみたいだ。暗くてどんな奴がいるのかわからないし、注意して聞かないと何て言ってるか聞こえない。
目を凝らしても見えないままだから、耳をそばだててみる。
「ん~、やりやすいような、やりにくいような、何とも言えない感じだね。あ、もう行っていいよ。でも殺さないでね」
なんか物騒な事言ってるな。一体何なんだ? さっきからなんかおかしいぞ。
「誰と話してるんだ? というかそこに誰かいるのか?」
「ううん、もういないよ」
もう?
エリーは俺が聞き返す前に、さらに続けて質問する。
「ねぇ、その首にかけてるのは何?」
「ん? ああ、これか」
こんなに暗いのによく見えたな。
俺は首にかけてぶら下げている笛を手に取って見せる。
「これは笛だ。ヴァンパイアに出会ったら思いっきり鳴らして、他の分隊に増援に来てもらうんだ。増援が来るまでは生存重視の遅滞戦闘をすることになってる」
「そうなんだ……鳴らさなくていいの?」
「いやなんでだよ」
ヴァンパイアに出会ったわけでもないのに鳴らすわけないだろ?
「それよりよくこの笛が見えたな、小さいのに」
こんなに暗いし、雨で視界は晴れないし、おまけにちょっと遠い。
「それによく最初に俺だってわかったな、みんな同じ鎧つけてるから、シルエットだけじゃ誰かわかんねぇだろ。エリーの目は千里眼か何か……」
……いやおかしい。
エリーはどうやって俺を判別した?
エリーの吐く息が白くないのはなんでだ?
思い出せ。
エリーの第一声はなんだった?
”カイルさん”って言って俺を呼んだんだ。俺の声を聞く前から、相手が俺だって確信してたってことだ。
俺はエリーのシルエットしか見えない。雨で濡れてるくせに毛先が元気にあっちこっち向いてるからエリーだとわかったが、それ以上は何もわからない。
着てる服も、色もわからん。
そんな状況で、どうやって俺だとわかった? もし俺の顔を見て判断したとしたら、目が良すぎないか?
「……俺たちが着てる鎧は、同じ規格のものだ。シルエットはみんな同じのはずだ」
普通に聞けばいいのに、嫌な予感がするせいで声が強張る。
「ぶんたいちょ? どしたん?」
相変わらずボケっとしたままのナンシーが会話に入って来るが、構ってられない。
「エリー、俺はどうしても気になるんだ。どうやって鎧を着た4人組を見て、俺を……俺の分隊だとわかったんだ?」
笛を持つ手に力が入るのは、なぜだろうな。
エリーはやっとこっちに向かって歩き始めた。
「やっぱり、ゼルマさんから何も聞いてないんだね」
ゆっくり向かってきながらそんなことを言う。
「エリーさん久しぶり~。どうかしたの~?」
やばい。ナンシーの奴が空気読めなさ過ぎて殴りたい。
わかれよ。この不穏な空気を読み取れよ。前に出ようとするな。
俺は俺の横からエリーに近づこうとするナンシーを制する。
「ちょ、ぶんたいちょ~? うちもエリーさんに会いたいんだけど~」
「ちょっと待て。エリーが俺の質問に答えてからだ」
そうだ。エリーがどうやって俺を判別したかさえわかればいい。それで俺が感じてる嫌な予感は霧散するはずだ。
何か俺が見落としてるような、暗くて視界が晴れない中で人を判別する方法があって、それをエリーが教えてくれたら、今の俺の行動は全部笑い話になる。
だが俺の気なんざ一切知らないナンシーは、何の危機感もなくエリーを見る。
「あ、エリーさん前髪切ったんだ~、うちもそっちのほうが似合……」
ナンシーが信じられない物でも見たような顔をするもんだから、俺もつられて同じ方を見た。
たった数歩の離れた距離に居るエリーは、ナンシーのいう通り前髪が短くなっていた。
そして同時に、怪しく光る赤い二つの目が俺たちを見ていることに気づいた。
……ああ最悪だ。もう頭ん中グチャグチャで気絶しそうだ。理解が追い付かねぇよ。
だが分隊長として、ここでパニックになったり怯えたりはできないよな。
俺は精一杯虚勢を張ることにする。
「……なるほど、そりゃ俺の顔くらい見えるよな」
「安心してよ。殺したりしないよ。何も知らないんでしょ?」
そう言って笑いかけるエリーは、俺が始めて見る笑顔だった。
今までは前髪が長いせいで口元しか見えなかったけど、そんな薄っぺらくて空っぽな笑顔は見たことねぇよ。
「ナンシー下がれ!」
俺は突き飛ばすようにナンシーを後ろにやり、手に持った笛を口に咥える。
そして思いっきり息を吹き込んで鳴らそうとした。
そんな時だ。
笛の音が、ほとんど同時に3つ聞こえた。
俺はまだ鳴らしてない。
音の方向からして、ここ以外の3区画の方からだ。俺たち分隊長が持っている笛の音だとはっきりとわかった。
「もう笛を鳴らしても、増援は来ないと思うよ」
エリーはゆっくりと、見せつけるように右手を上げる。肩を動かさずに肘だけを曲げ、顔の近くに指先を持ってくる。そして両眼で自分の指先を見下ろした。
「エリー、お前」
その先が続かない。色々言いたいことが、聞きたいことがありすぎて、それ以上言えない。
「あと、増援にも行かせない」
エリーの指先が黒く染まるのが見えた。柔らかそうな指が、角ばった黒い爪のように変化する。指先は歪んだ円錐のように伸び、鋭く尖っている。
「さっきも言ったけど、殺したりしない。他の分隊の皆も死なないと思うよ。だから安心して」
エリーはそこで言葉を切って、視線を指先から俺に、俺たちに向けた。
「私に負けてね」
エリーの声音は、最初俺に声をかけた時と何も変わらない。聞きなれたエリーの声だ。
だがその姿はもう、俺の知ってるエリーとは別人に見えた。
俺の目の前に居るのは、間違いなく、どうしようもないほど確実に、
ヴァンパイアだ。




