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解放

少し長めです。

 ”私のもとで飼っていた”

 

 ”従順で大人しい”

 

 ゼルマさんが書いたであろう文章の中で、その2か所が、私に突き刺さった。

 

 そのペットの話でもするような書き方が、鈍器のように私の心をひしゃげさせた。

 

 人としてはもちろん、仲間とも思われてなかった。

 

 ゼルマさんにとって私はどこまで行っても魔物で、ただ利用していただけなんだと思い知らされる。

 

 ”ヴァンパイアと交戦の際、役に立ちました”

 

 この部分なんてまさにそうだ。

 

 ヴァンパイアを捕まえるために私を利用して、必要な数を集めるために、最後に利用し終えた私を捨てたんだ。

 

 ”お前は私の血を吸っても構わない”

 

 ”ヴァンパイアを討伐するのを手伝ってほしい。報酬として私の血と衣食住の保証、それからエリーがヴァンパイアであるという情報の秘匿を提示する。依頼期間はとりあえず無期限だ”

 

 ゼルマさんは私にそう言った。

 

 そう言って、私を利用したんだ。

 

 ゼルマさんは嘘はついてない。

 

 本当のことを言わなかっただけ。

 

 私の口が勝手に動いて、頭の中とは別のことをつぶやく。冷静に、推測できたことが口から漏れ出ていく。

 

 「……ああ、ここってゼルマさんのお家なんだね」

 

 私が勝手にゼルマさんを信じてただけ。

 

 血を飲んでもいいって言ってくれたから、それを勝手に味方になってくれるってことだと思ってただけ。

 

 「今まで捕まえたヴァンパイアも、私と同じようにここに連れてこられてたんだね」

 

 魔物は人間の敵なんだから、殺して当たり前。

 

 そんな常識を忘れてしまっていたんだ。

 

 私は従順な魔物だったから、殺さずに利用された。

 

 ただそれだけだったんだ。

 

 「そこで寝てる人は、ゼルマさんのお父さんのトレヴァー侯爵ってことかな」

 

 ゼルマさんにとって私は、ジャイコブやチェルシー、ギンラクと同じ、ただのヴァンパイアでしかなかったんだ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 ゼルマさんと過ごした時間を反芻する。

 

 床に座り込んで動かないまま、ゼルマさんが私に”お前は私の血を吸っても構わない”と言ってくれた時のことを思い出す。

 

 あの時の記憶が、嬉しかった思い出から、最悪の瞬間へと変わっていく。

 

 何度も思い出して、そのたびに記憶の中の風景が黒く染まる。

 

 記憶の中のゼルマさんの声が不快な音に、顔が私を蔑む表情に、仕草が攻撃的に変わっていく。

 

 私の中でゼルマさんが、”酷い人”に変わる。

 

 そんな時だった。

 

 「取った! 取ったぞ!」

 

 という男の人の声と共に、”パシャッ”という水音が聞こえてきた。

 

 手紙から視線を上げると、さっきまでベッドで眠っていた、赤い髪に赤いひげの男。ゼルマさんのお父さんの、トレヴァー侯爵が居た。

 

 私と目が合うと、慌てて後ずさる。

 

 まるで私のことが怖いみたいな反応だね。

 

 「時間切れだ! もう結晶は完成している! 今さら私に復讐に来たところで、もう遅い!」

 

 そう叫ぶトレヴァー侯爵の手には、赤くて丸い石が握られていた。

  

 机の上にあった水槽に浮かんでいた、赤い結晶だ。勢いよく水槽の中からひったくったみたいで、結晶を掴む手と服の袖が濡れている。

 

 「……それ、なに?」

 

 赤い結晶を指さして、聞いてみる。

 

 「これはお前たちの血嚢から作り出した純エネルギーの結晶だ」

 

 トレヴァー侯爵はそう答えて、その結晶を飲み込んだ。

 

 私はそれを、ただ眺めた。

 

 何の感情も湧いてこない。

 

 トレヴァー侯爵は結晶を飲み込んで、それから私を見据えた。

 

 「くはははは、もう今さらお前が何をしても無駄だ。4体分ものヴァンパイアの力を私は得たのだ! 老いることも死ぬこともない! 最高の力だ!」

 

 高笑いして、雄たけびを上げて、喜びを全身で表す。そんなご機嫌なトレヴァー侯爵は、ふと真顔になって私を見た。

 

 「なんだその目は? ずいぶんと痛めつけられたことを復讐しに来たのだろう? そしてそれは今叶わなくなった。だというのになぜそんな目で私を見ていられる?」

 

 「別に……」

 

 その言葉が口を突いて出てしまった。

 

 トレヴァー侯爵から感じる気配は、結晶を飲む前と同じ普通の人間のままだった。

 

 ”力を得た”なんて言ってるけど、そんな感じは全然しない。

 

 何かよくわからない理由で喜びまくっている姿が滑稽というか、しらけるというか、何の感動も湧かない。

 

 興味が無い。

 

 「そうか、まだわかっていないようだな。それとも苦痛に耐えられず気が触れているのか? まぁどちらでもいい。縊り(くびり)殺してやる。そうすれば嫌でもわかるだろう」

 

 何を言ってるのかわからない。

 

 話に付き合うつもりもない。

 

 「あぁ、そう」

 

 「チッ……そのなめ腐った態度、今に後悔するぞ!」

 

 トレヴァー侯爵は両足を大きく広げ、腰を落として、力を貯める。

 

 私はこの後どうなるのか、なんとなくわかった気がしたから、それを黙って見ていた。

 

 トレヴァー侯爵の肌に、黒い線が浮かび上がっていく。

 

 最初は薄い灰色で、だんだん黒くなっていき、最後には真っ黒な細い線が、見えている手や顔に何本も走っていた。

 

 「これが私の力だ! 行く……ゲハッ」

 

 トレヴァー侯爵が私に襲い掛かってこようとした瞬間、体に走っていた黒い線が一瞬で全部消えた。

 

 そしてトレヴァー侯爵は黒い液体を吐きだして、その場に倒れ込む。


 「……」

  

 私は何も言わなかった。

 

 何を言えば良いのかわからなかったし、何を言っても、たぶん何も変わらない。

 

 トレヴァー侯爵は、自分が吐きだした黒い液体の上で、首だけを動かして私を見た。

 

 ”信じられない”

 

 ”受け入れられない”

 

 そう言いたげな表情で私を見る。

 

 そうして、スッと瞳孔が開いたのが見えた。

 

 私の目の前で、トレヴァー侯爵は死んだ。

 

 私にとってその光景は、最初から最後まで現実感が無くて、理解が追い付かなくて、ただ漠然と受け入れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 エリーはトレヴァー侯爵の自室を出る。

 

 エリーは信じていたゼルマに裏切られていたことを知った。

 

 そんなエリーに、今帰る場所などは無い。

 

 王都の吸血鬼討伐騎士団に戻っても、当然ながら居場所などないだろう。

 

 ヴァンパイアのままピュラの町に戻ることなどできない。マーシャや見ず知らずの他人から吸血して生きることなど、エリーには選べなかった。

 

 そんなエリーに残っているのは、人間になるという目的だけだった。

 

 ―……1人じゃ、無理。1人で真祖に会っても、どうせまた、私の話なんて聞いてくれない。私の望みなんて叶えてくれない。

 

 エリーは自分が元居た、石造りの部屋に向かって歩き始めた。

 

 階段を降り、自分が入れられていた棺桶のある部屋にたどり着く。

 

 そこには蓋が開き、自分の手足が杭に刺さったままの棺桶と、蓋の閉まった棺桶が3つある。

 

 エリーにはもうその3つの棺桶の中身がわかっていた。

 

 エリーは一番近い棺桶に近づいて扉を施錠する南京錠を掴み、力任せに毟り取る。

 

 ”ギィ”と軋む音と共に蓋を開けると、エリーの思っていた通りの中身があった。

 

 ―確か、ギンラク、だっけ。

 

 エリーと同じように両手足を杭に穿たれ、喉と口から管を入れられたヴァンパイア。エリーが騎士団と共に最後に捕獲したヴァンパイアだ。

 

 意識して下半身を見ないようにしつつ、ギンラクを観察する。

 

 オレンジ色の短い髪に、肌色が濃い。精悍な体つき。(ひげ)は生えていない。

 

 ―よく見ると若いね。私と同じくらいかな。

 

 血色も悪くなく、肌にはハリと艶がある。血さえ飲めていれば、このような状態でも健康でいられるのはヴァンパイア故、なのだろう。

 

 エリーは念のためにギンラクが生きていることを確認する。

 

 次に、笑みを浮かべる。

 

 微笑む練習をする。

 

 そして、可能な限り優しい声でこう言った。

 

 「今助けてあげるからね」

 

 エリーは右手の指に指尖硬化を使い、ギンラクの手足を根元から切断する作業を始めた。

 

 

 

 

 

 

 ギンラクを棺桶の拘束から解放したエリーは、最後に喉と口からそれぞれ差し込まれている管を引き抜いた。

 

 まだ両手足が再生していないギンラクを抱え、座り込んで頭を撫でる。

 

 「ひゅ……ぇ」

 

 「まだしゃべっちゃダメだよ。喉の穴が塞がってないからね」

 

 胴体と首だけのギンラクを仰向けにすると、ギンラクの両眼に打ち込まれた釘をつまむ。

 

 「この釘も抜いてあげるね。再生し終えるまでは、目を開けちゃダメだよ」

 

 釘をつまむ指先は、爪が無いせいか力が入れにくい。そこでエリーはまた、指尖硬化によって釘をつまんだ状態で指先を固定する。

 

 「痛いけど、我慢してね」

 

 そう声をかけ、釘を抜いた。

 

 目隠しをとると、穴の開いた瞼が再生していくのが見える。だが眼球の再生にはもっと時間がかかる。

 

 エリーは再生した瞼の上に手を置いて、温める。

 

 「ぁ、ぁんた、だれ゛、だ……?」 

 

 喉の再生を終えたギンラクが、そう聞いた。

 

 その声は震えていて弱々しい。目も見えず、手足はまだ半ばほどまでしか再生していない。そんなギンラクにとって、突然現れ自分を解放するエリーの存在は、不安を感じさせたのだろう。

 

 だが同時に、期待するような、すがるような、そんな気持ちも含んだ声色だった。

 

 そんなギンラクの問いに、エリーは安心させるような優しい声色で答える。

 

 「私は、エリーっていうの。ギンラクと同じ、ヴァンパイアだよ。ギンラクと同じようにここに連れてこられて、さっき抜け出したの。だから、助けてあげるね」

 

 「なんで、ぉれのな、まえ……」

 

 エリーはその問には答えない。

 

 答えない代わりに、抱きしめて撫でる。

 

 手足の再生を終えたギンラクがエリーの抱擁に逆らうことはなかった。

 

 足は床に投げ出し、両手でエリーの体を探し当てると、すがるように掴み、抱きしめる。

 

 ギンラクの眼球が再生を終えるまで、お互いにずっとそうし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―そろそろ治った……かな?

 

 エリーはギンラクの目が再生を終えるころを見計らい、あるスキルを使う。

 

 ―αレイジ。

 

 その瞬間、ギンラクは自分を抱きしめている存在が、自分より上位の存在であると感じた。

 

 真祖を親とするなら、この存在は兄のような存在。いや、声からして女性であることから、姉のようなものだと直感した。

 

 「目を開けて?」

 

 エリーは瞼に当てていた手をどけると、そう”お願い”した。

 

 ギンラクはそれに逆らおうという気が起きず、ゆっくりと目を開ける。

 

 見たことのない天井。

 

 薄暗く、灰色の壁。

 

 立ち込める生臭さや冷たく淀んだ空気。

 

 そんな周囲の状況の一切を超えて、自分の顔をすぐ近くで見下ろすエリーの微笑みが、真っ先にギンラクの視界に飛び込んできた。

 

 ギンラクは目の前のどこまでも昏く淀んだ微笑みが、自分の視界全てを覆い尽くしたように感じた。

 

 ひな鳥のすり込みのように、ギンラクの中でエリーの存在が巨大化する。

 

 エリーはまたしても、黙ってスキルを使っていたのだ。

 

 そしてそのスキルは、相手の目を見て名前を呼ぶことで完成する。

 

 「ギンラク、これからよろしくね」

 

 その瞬間、ギンラクはエリーの魅了に絡めとられた。

 

 エリーはαレイジによって上位ヴァンパイア化し、下位存在であるただのヴァンパイア(ギンラク)に、魅了のスキルを使ったのだ。

 

 これでもう、ギンラクはエリーの言うことに逆らえない。

 

 エリーにどのように扱われても、幸福に感じる。

 

 ギンラクがエリーのことを蔑ろ(ないがしろ)にしたり、意図的に傷つけたり、裏切ったりすることは絶対に無くなったのだ。

 

 その魅了は、真祖の鼓動をはるかに上回る強制力を持って、ギンラクを虜にした。

 

 「……姉貴?」

 

 ギンラクはポロリとそう言った。

 

 エリーに対して最初に抱いた印象が、口を突いて出たのだ。

 

 それを聞いたエリーは、笑う。

 

 「え、姉貴? 何それ、フフフフ……私はギンラクのおねえさんじゃないよ?」

 

 ギンラクはその光景を、不思議な感覚で見上げていた。

 

 エリーの笑顔が愛おしい。自分の言葉を嗤われているのに、不思議と心地いい。おかしなことを言ったことが恥ずかしいのに、エリーを笑わせることが出来たと思うと嬉しくなってしまう。

 

 ひとしきり静かに笑ったエリーは、ギンラクに微笑みかける。

 

 「ギンラクってちょっと呼びにくいから、”ギン”って呼んでもいい?」

 

 「……好きにしろよ」

 

 あだ名の提案。親しい者同士で呼び合うもの。エリーはギンラクにとってほぼ初対面でありながら、その提案はエリーと自分が親しい証拠であるように感じて、ギンラクの心を喜びで彩った。

 

 ギンラクは照れくさそうに顔を背け、そっけなくそう答えた。 

 

 その仕草は薄暗く、血生臭く、お互い血と汗に汚れた現状に全くそぐわない。

 

 もし第3者がその場にいたなら、強い違和感を覚えたことだろう。

 

 エリーは完全に再生の終えたギンラクを抱きしめるのを止め、立ち上がる。ギンラクもエリーを離すが、その仕草に名残惜しさを感じさせた。

 

 エリーは立ち上がったギンラクに、最初の”命令”を下す。

 

 「あと2人、私たちと同じように捕まってるヴァンパイアが居るの。開放するのを手伝ってくれない?」

 

 ギンラクがエリーに逆らうことはない。だがギンラクが”わかった”と口にする前に、エリーは一言付け加える。

 

 「お願い、ギン」

 

 つい先ほどつけられたあだ名で呼ばれ、ギンラクの心は悦楽に満たされる。

 

 そしてその嬉しさを隠すように、ギンラクはぶっきらぼうに答えるのだ。

 

 「しょ、しょうがねぇな! 姉貴に頼まれちゃ、断れねぇからな!」

 

 「だから私は姉貴じゃないってば」

 

 そう言って笑うエリーを見たギンラクは、頬を染めて顔をそむけた。

 

 そんなギンラクに、エリーは追撃を放つ。

 

 「名前で呼んでよ。”エリー”って」

 

 視界の端に映るエリーの仕草、声、そしてギンラクに言った言葉。

 

 それらは凶器となってギンラクを襲った。

 

 ギンラクはよくわからない高揚と心臓を締め付けられるような感覚に耐え切れず、鼻血を吹き出した。

 

 「ンブハァッ」

 

 「ギン!?」

 

 仰向けにぶっ倒れたギンラクが立ち直るには、しばらく時間がかかりそうだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] エリー本当に可愛いです!!! 心がどんどん壊れて行っている描写が本当にいいです(´ω`)毎回楽しみにさせていただいています!
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