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トレヴァー邸

 階段を上り切ると、木製の廊下に出た。


 廊下の壁には大きな絵画が飾られていたり、腰ほどの高さの台の上にきれいなツボが置かれていて、豪邸って感じがした。でも廊下やツボが置かれた台の上には埃が積もっていて、掃除が行き届いていない。

 

 しんと静まり返った暗い廊下は、少し不気味かもしれない。でも色々と麻痺している今の私にはなんてことない。

 

 誰もいないように感じるけど、ヴァンパイアの私には、たくさんの人間がうごめく気配が感じ取れる。

 

 私がさっきまでいた石造りの部屋の、さらに1つ上の部屋だ。

 

 「……こっちかな」

 

 廊下の左右を見渡すと、左の方に階段があるのがわかった。たぶんあの階段を昇れば、うごめく気配の方に行けるんだろうね。

 

 指尖硬化によって黒く硬く、尖ったつま先を階段に向ける。

 

 床を踏みしめるたびに小さく埃が舞って、足の裏に纏わりつく。

 

 何ともない。

 

 気持ち悪いとか、埃っぽいとか、そう言うのが気にならない。

 

 裸で汚れた姿のままでいることも、そのまま人がたくさんいる方に向かっていることも、今はどうでもいい。

 

 灰色の絨毯が敷かれた階段を上って、階を上る。

 

 あの石造りの部屋は窓が1つもなかったし、たぶん地下室だよね。だからこの階段を上り切ったところは2階だと思う。

 

 2階に上がると、さっきまでより強く気配を感じる。

 

 気配のある部屋の扉の前に立って、少し探ってみる。

 

 10人……くらい? の人がいる。

 

 呼吸が荒い人、落ち着いている人、何かを小声でつぶやいている人の音がする。

 

 でも歩いている音はしない。

 

 そして、濃い血の匂いがする。

 

 私は扉を開ける前から、この部屋の中もろくでもないことになっているんだろうって予想してた。

 

 大丈夫。

 

 どうせひどいことになってる。

 

 わかっているから、大丈夫。

 

 私は心の中で自分にそう言い聞かせて、扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋には、14人の人間と、大掛かりな何かの装置があった。

 

 まず人間。

 

 彼らは皆、目に針が刺さっていた。

  

 瞼の付け根から斜め上方向、額の裏側を貫くように2本ずつ、鉄の針が刺さっている。

 

 彼らの表情は呆けていて、理性を感じさせなかった。

 

 彼らの服装はまちまちだが、袖が切り取られ脇を晒している。

 

 そして両脇の下あたりには透明な管が刺さっていて、管の内側を走る赤い血液が見えていた。

 

 その管は全て1つにまとめられ、床に空いた大きな穴に吸い込まれている。

 

 14人のうち中年男性がほとんどだったが、壮年の女性も何人か混じっている。

 

 垂れ流した糞尿はそのままで、ひどい悪臭がした。

 

 誰1人動かない。

 

 ただ虚空を見上げるばかりで動かないその姿は、自身の衰弱を待っているかのように見えた。

 

 「……大丈夫、大丈夫、私は大丈夫だから……」

 

 エリーはそうつぶやき、彼らから視線を逸らした。次にエリーの視界に映ったのは、大掛かりな装置だった。

 

 その装置は精肉店にあるような、ミンチ機を巨大にしたもののようだった。

 

 装置の側面にあるバルブを回せば、装置に入れられた何かをひき肉に変えるものだと、見ただけで想像できた。

 

 エリーが扉の前で感じた、濃い血の匂い。それはこの装置から発せられている。装置の所々に赤い染みがあり、そして、ミンチが出てくるであろう場所の下に、大きなたらいのような、漏斗が置かれていた。

 

 かなり細かく砕かれた肉が血と混ざりあい、ドロドロになって溜まっている。

 

 漏斗の先は管になっており、その管も床に空いた穴につながっていた。

 

 管の行き先をぼんやりと眺めながら、エリーはゆっくりと思考する。

 

 ―あの管、あの人達から抜き取った血は……

 

 脳が警鐘を鳴らす。

 

 ―何のためにこんなこと……

 

 その先を理解してはいけないと、本能が訴える。

 

 ―この部屋の下には、何があったっけ……

 

 それでも、エリーは考える。まとまらない思考が収束し始める。

 

 ―ドロッとした冷たい血……

 

 もう止まらない。思考の着地点は、すでに見えてしまっている。

 

 エリーはゆっくりと、両手で口を覆った。

 

 「……私、何人分の命を飲んじゃったのかな……」

 

 エリーは既に、内からこみあげてくる吐き気に慣れきってしまっていた。

 

 嗚咽を漏らすこともなく、そうつぶやいた。

  

 エリーはこの部屋が何なのかを理解した。

 

 ここは人間をヴァンパイアの餌にする部屋だ。

 

 人間の脳の一部を破壊し、血を抽出し、死んだ人間をミンチにして出来上がった、人肉交じりの血を生み出すのだ。

 

 そうやって出来たおぞましい血を、食道に挿入された管を通して飲ませていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 エリーはその感覚を、1度味わったことがある。

 

 自分の常識や考え方が、逆さまになって壊れていくような感覚だ。

 

 ヴァンパイアになっても、人間を襲うようなことはしない。

 

 どれだけ血が飲みたくても、我慢できる。

 

 自分の正体を知った上で、血を飲んでもいいと言ってくれたゼルマ。彼女以外からは血を飲んでいない。

 

 自分のために無関係の人を傷つけたりしない。

 

 そのはずだった。

 

 だがエリーは、自分が何人もの人間の命を犠牲にして生きていることを、目の当たりにした。

 

 今生えている両手足は、彼らの命を吸って出来たエネルギーで再生させたのだと、理解した。

 

 「もう、出よう」

 

 エリーはこの部屋に背を向け、扉を開け、廊下にでると、振り向かずに扉を閉じた。

 

 泣くことも吐くこともしなかった。

 

 今までそうやって耐えてきたはずだったが、今回はそのどちらもしなかった。

 

 ―こう言うのに、慣れてきちゃったのかな。

 

 エリーは自分の感情が死んでいくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はしばらく、その場に突っ立ってしまった。

 

 なんというか、頭が働かなくて、何も考えられなくなってた。 

 

 でももう大丈夫。

 

 ちゃんと考えられる。

 

 私は大丈夫。

 

 目を閉じて、この部屋以外に人の気配がないか探ってみる。

 

 私から内臓を持って行った人がいるはず。

  

 その人はきっと、あんな風にはなってない。まだ他に、人がいるはず。

 

 「…………あ」

 

 気配を見つけた。

 

 1階の、ここから少し離れた部屋に、1人分の気配がある。

 

 「すぅ……ふぅ」

 

 深呼吸して、そっちに向かう。

 

 私はもう、何のためにそうするのかわからなくなってる。

 

 それでも私は、気配のする方に向かって歩くのを止めなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 さっきと同じように、扉の前でもう1度気配を探る。

 

 聞こえてくるのは、深く落ち着いた呼吸。 

 

 眠ってる?

 

 まぁ起きていてもやることは一緒。

 

 部屋に入る。

 

 その後どうするかは考えてない。

 

 ドアノブに手をかけて、静かに押し開く。

 

 造りがいいせいか、扉が軋む音はしなかった。

 

 光源は壁に備えられたランプだけの、雑多な部屋が見える。

 

 床は汚れた雑巾や紙で散らかってるし、壁は本棚があって手狭に感じる。しかも本棚は全然整頓されてなくて、なんというか汚い。

 

 机の上には、赤い石みたいなのが浮かんでる水槽と、フラスコとかの実験器具が置いてある。

 

 きっとろくでもないことしてるんだろうね。

 

 机から目を反らすと、ベッドがあった。


 男の人が寝てる。

 

 赤い髪の毛、赤いひげ、こけた頬。口を開けて寝てて、疲れてるんだろうなって感じ。

 

 あとたぶん体調が悪い。だってこの人は全然おいしそうに見えないから。

 

 きっとこの人が、私のお腹を切り裂いて内臓を持って行った人だ。

 

 そう思うと、何かよくわからない感情が浮かんできた。


 あんなに酷いことをした人が、どうしてベッドでのうのうと眠ってるの?

 

 私をあんなに痛めつけて、たくさんの人の命を奪っておいて、この人は何してるの?

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 許せない。

 

 

 

 

  

 

 

 私の足が、自然とその人に向かう。

 

 無意識に、両手の指に指尖硬化を使う。

 

 自分が何をするつもりなのかわからない。

 

 また1歩、その人に近づく。

 

 あと1歩で手が届くというところまで近づいたとき、視界の端に何かが映った。

 

 視界に映った何か手紙だとわかって、私の足はベッドに向かうのを止めた。

 

 だってその手紙には、見覚えがあったから。

 

 ゼルマさんがいつも持っていたクリップボードに挟まれていた手紙と、同じ家紋の印があった。

 

 ベッドで眠る男の人へのよくわからない衝動は、もう無くなっていた。その手紙がどうしても気になってしまって、私の足は本棚に向かって行った。

 

 何通もある手紙が重なっている中で、1番上にある手紙を手に取って、開く。そして手紙の内容に目を通してみる。

 

 

 

 

 

 ―ご所望のヴァンパイアを送ります。今回のヴァンパイアは王城に向かうつもりも、我々に歯向かうつもりもなく、騎士団の活動開始直後から私のもとで飼っていた者です。名前はエリー。持っているスキルはわかりません。昨夜城に向かうヴァンパイアが現れたのですが、取り逃がしました。父上は次のヴァンパイアが現れるまで待ちきれないだろうと思ったので、このヴァンパイアを最後に送ることにします。

 エリーは腕が立ちます。これまで捕獲した3体のヴァンパイアと交戦の際、役に立ちました。従順で大人しいですが、扱いには十分注意してください。

 父上、私にはもう、これ以上の協力は出来かねます。あと1体でいいとのことでしたので、そのヴァンパイアで最後とさせてもらいます。隊員が命がけでヴァンパイアと戦っているのに、討伐以上の危険を孕む捕獲を命じ続けることはできません。

 

 ゼルマ・トレヴァー

 

 

 

 

 

 私は立っていられなかった。

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