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 エリーがベグダットのトレヴァー邸に連れてこられてから、幾日か経った。

 

 エリーに時間の経過を知らせるのは、エリーの入れられている棺桶の蓋が開けられ、内臓を抜き取られること以外にはなかった。

 

 そのためエリーは、自身がどれほどの間棺桶に閉じ込められていたのかはまだ知らない。

 

 そんなある日。

 

 エリーを生き地獄から解放するきっかけは、何の前触れもなく訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足音が聞こえる。

 

 カツンカツンという、鉄底のブーツが硬い床を叩く音だ。

 

 今の私はほとんど無音で、視界の一切を奪われて、ずっと動けずにいる。だから、自分が起きているのか眠っているのか判断できない。

 

 でもこの音が聞こえた時だけ、私は自分が今眠っていないということを自覚できる。

 

 これで何度目なんだろう。

 

 いつも通り何かの鍵を開けて、私の顔のすぐ前にある扉が開く。

 

 この瞬間は正直、慣れない。

 

 扉が開いたことで、冷たくて湿った空気が私の体を撫で上げる。その感触から、私は今服を着てないことを確認させられる。

 

 恥ずかしくはない。

 

 そんなこと言ってられない。

 

 でも誰ともわからない人に裸を晒してて、その人は私からの内臓を奪っていくような人だ。

 

 気持ち悪い。

 

 まともじゃない。

 

 ものすごく不快な感じ。

 

 どうやってこの状況から抜け出せばいいのか、まだわからない。

 

 だから私は、とりあえずこう思う。

 

 早く終わらせて。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 嫌に生々しい音がお腹から響いてきて、いつも通り内臓を持っていかれたとわかる。

 

 あとは扉を閉めて、何かの鍵をかけるだけ。 

 

 また私の体は再生して、また、今自分が起きているのか眠っているのかわからなくなるんだ。

 

 起きて、どうやってここから抜け出すか考えないといけないのに、何かいい案が思い浮かぶ前に意識が曖昧になってしまう。

 

 答えを出せなければ、きっと私は一生このままなんだろうね。

 

 ……あれ? 

 

 足音が聞こえる。

 

 私から遠ざかっていく足音が聞こえる。

 

 足音が階段を上っていくのがわかる。

 

 いつもは聞こえない音だ。

 

 冷たい風が、まだ私の体を撫でてる。

 

 もしかして、鍵も扉も閉め忘れた?

 

 だとしたら、きっと今しかないね。

 

 今を逃したら、たぶん本当に一生このままになると思う。

 

 私はここを出て、ゼルマさんの所に戻りたい。

 

 人間になって、マーシャさんの所に帰らなきゃいけない。

 

 ……やろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

 棺桶の蓋、エリーから見れば扉が閉まっているとき、エリーはほとんど動くことが出来ない。

 

 手足を杭に貫かれている時点で動けないのだが、拘束されていない体幹は、蓋が開いているか閉まっているかで可動域が変わる。なぜなら、蓋はエリーの体のすぐそばで閉まるからだ。

 

 つまりふたが開いている今は、身をよじることが出来るのだ。

 

 グッと力を入れて、左方向によじる。

 

 杭に貫かれた右肩が、ギリギリと引っ張られる。

 

 体を伝って筋繊維が千切れる”プチ……ブチ……”という音が聞こえ、同時に痛みも感じさせる。

 

 だがその程度の痛みは、ここ数日中に味わった苦痛に比べれば全く大したことが無いと言える。その程度の痛みでは、エリーの行動をためらわせることはない。

 

 さらに身をよじる。

 

 股関節と左肩の杭を支点に、右肩を前に突き出すように動かそうとするのだ。

 

 杭に貫かれた穴がさらに拡張される。

 

 筋繊維がさらに千切れる。 

 

 皮膚が引っ張られる。

 

 それでも身をよじる。

 

 気管に差し込まれた管を通して息を吸い、息を止め、腹にぐっと力を入れる。

 

 そして、右肩を一気に振り抜いた。

 

 棺桶の外に突き出された右肩には、その先が無い。

 

 肩から勢いのない水鉄砲のように血を吹き出しながら、エリーはまず一歩、開放に近づいたことを実感する。

 

 右腕を肩から引き千切る感覚は、綿の塊を二つに千切る様子を連想させた。

 

 ”ブチリ”と一気にちぎれてくれればいいのに、尾を引くように、切り離される最後の瞬間まで、体の繊維が細くなりながらもつながり続けていた。

 

 ズタボロの傷口は数秒で出血を止め、再生を始めた。

 

 じわじわと再生が進む感覚が焦れったくて仕方がない。だが急かせるものでもない。

 

 エリーはじっと待った。

 

 そして数分経った頃には、エリーの右腕は再生を終えていた。

  

 爪が短すぎることを除けば、完璧な再生だ。どこも傷ついておらず、長さも太さも体に合っている。

 

 エリーは再生した右腕で、まず喉仏のすぐ下から気管に突き刺さっている管を掴んだ。

 

 数秒で覚悟を決め、一気に引き抜く。

 

 形容しがたい不快感を伴なったが、管は抜けた。

 

 エリーはまたしても再生を待つ。


 喉の穴が埋まるまでの十数秒を、エリーは耳を澄ませて過ごした。

 

 ふいに、先ほど内臓を持って行った人物が戻ってきているような気がしたのだ。だが足音はしない。

 

 「ふ、ぇ……へぇぅぅう」

 

 やっとまともに、真っ当に息を吸って吐く。すると今まで出したことのない音が出た。

 

 エリーは次に、口から食道に差し込まれている管を抜こうかと思ったが、それは最後にすることにした。

 

 手足の再生にエネルギーを使うのだから、血の補給は可能な限りしたいと考えたからだ。

 

 エリーの次の行動は、指尖硬化を使うことだった。

 

 今まで何度もしてきたように、貫手の形で指尖硬化を発動する。

 

 そして右手の指先を、左肩にあてがう。

 

 「ふぅ」

 

 短く息を吸い、刺す。

 

 左肩をその先から切り離すまで、何度も刺す。

 

 ビチャビチャと汚らしい音を立てて血をまき散らすが、それでも刺し続ける。

 

 硬化し尖った指先が棺桶の底を叩き、やっとエリーは左肩を腕から切り離すことが出来た。

 

 背中に生ぬるい血の感触を感じながら、左腕の再生を待つ。

 

 口の管から冷たくドロリとした血を飲み続け、エネルギーを補給する。

 

 エリーは出血と鉄に触れ続けること、そして冷たい空気に体を晒すこと。これらによる体温の低下を感じながら、体の奥の血嚢が燃え上がるような感覚を味わっていた。

 

 今までにないほどエネルギーの消費と生産が激しいのだ。

 

 両腕を解放したエリーは、ゆっくりと手を顔に近づける。

 

 目隠しと、瞼と眼球を貫く釘を探り当て、爪が短すぎる指先で摘まみ、引き抜く。

 

 「はあ゛あ゛、ふう゛う゛ぅ」

 

 ”ズロロ”という音がエリーの脳に響く。

 

 穴の開いた瞼と釘の間に、血と、眼球内部の体液と、涙が混じったアーチが垂れ下がる。

 

 そしてエリーの脳に”ジュクジュク”という音が響き始める。

 

 眼球の再生が始まった。

 

 瞼の穴はすぐに塞がったが、眼球がその機能を取り戻すにはまだ時間がかかりそうだった。

 

 エリーは眼球の再生は待たず、最後に残った足を切り離すことにした。

 

 片足ずつ、股関節と大腿骨の間に刺さる杭の肉を指尖硬化した指で切り裂いていく。

 

 両手でザシュザシュと刺して、血をまき散らしながら切断する。

 

 そうしてようやくエリーは、棺桶の拘束から抜け出すことが出来た。

 

 最後に、口に刺さる管を引き抜くと、手探りで棺桶の形を把握し、抜け出した。

 

 そしてエリーは眼球の再生が終わるまで、座り込んで待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なかなか終わらなかった目の再生が、たぶん終わった。

 

 まだ目を開けてないから確証はないけど、もうジュクジュク言わなくなったし違和感もない。

 

 ただ、ちょっと怖くもある。

 

 大けがしたことはあったけど、目を怪我したことはなかった。だから再生した後、ちゃんと見えるかどうかなんて知らない。

 

 でも、確かめないと始まらないよね。

 

 私は私が入れられていた鉄の箱から抜け出して、冷たい床に座り込んで、両(てのひら)を顔の前に持って行って、ゆっくり瞼を開けた。

 

 ”ニチャ”っていう音が鳴って、赤みがかった自分の手のひらが見えた。

 

 「……ふ、う」

 

 ちょっと視界が赤いけど、見えた。

 

 安心してため息がでる。

 

 赤みがかってるのは、たぶん涙に血が混じってるからだと思う。瞬きすればそのうち無くなるよね。

 

 とりあえず周りを見てみる。

 

 私が居るのは石造りの大部屋だった。

 

 部屋に生活感は全くなくて、台の上に刃物や手袋が置かれてる。

 

 あとは私が入れられていた鉄の、棺桶? みたいな箱が4つある。

 

 そして、私臭い。

 

 手足は再生したばかりだからきれいだけど、胴体や顔は血や汗やらがべっとりついてて気持ち悪いし、生臭い。

 

 髪だってカピカピしてる。後ろ髪が特に酷い。

 

 でも私以上に生臭いのは、私が入れられていた鉄の箱だ。

 

 4つある鉄の箱の中で、私が入っていたやつだけ蓋が開いてる。両開きの蓋が開いてて、中から濃い血の匂いがする。

 

 自分の血だから全くおいしそうには感じない。

 

 中に入ってるものなんて想像がつく。

  

 それでも、見なければいいとわかっているけど、なんとなく気になって、箱のすぐそばまで這って行ってしまった。

 

 覗き込んでしまった。

 

 そこにあったのは想像通りのモノ。

 

 私の四肢。

 

 千切られた断面からだらしなく血を滴らせてる腕。

 

 杭が刺さった分長さが延びた足。

 

 箱の底に広がる血の水たまり。

 

 わかっていたから大丈夫なんて思ってたけど、やっぱりショックだった。

 

 「う……ぉえええぇ」

 

 箱から大げさに体を背けて、吐いた。

 

 さっきまであんな手足がつながってた。

 

 あんなに出血した。

 

 それでも生きている。

 

 トカゲのしっぽみたいに。

 

 いや、トカゲのしっぽの何十倍も速く、両手足が再生した。

 

 ふざけてるとしか思えない。

 

 ヴァンパイアは本当に化け物だ。

 

 そう思うと、本当に自分が人間になれるのか不安になる。

 

 「……で、ない……」

 

 胃が締め付けられてるのを感じるけど、ほとんど何も吐き出せなかった。

 

 さっきまで飲んでいた、あのドロドロした血は、もう胃袋の中にはないみたいだ。

 

 目から入ってきた不快感を口から吐きだせなくて、ムカムカして、気持ち悪い。

 

 胃液と胃酸だけ逆流したせいで、喉が焼ける。

 

 あ~あ、見なければよかった。

 

 色々麻痺してる自覚はあるけど、それでも吐くくらいにはキツイよ。

 

 ……でも、もう大丈夫。

 

 あと少ししたら、もう大丈夫。

 

 これ以上の嫌な事なんてもうないはず。

 

 だから今だけ頑張ろう。

 

 何がどうなって私がこんなところにいるのか、ちゃんと調べないとね。

 

 それが終わったら、早くゼルマさんの所に戻ろう。

話があまり進まない部分に2話も使ってしまいました。

次から話を進められたらいいなと思います。

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