暗い世界に落とされて
また少し酷い表現があります。
「久しぶりだな」
3人の男と1台の馬車を見て、王都北門の検問を行う兵士がそう言った。
トレヴァー領から建築資材が届き始めた最近では、仮設の門のすぐ近くで建築作業が行われている。作業を行うのは、トレヴァー侯爵の出した、北門と東門再建築の依頼を受けた冒険者達だ。
「1カ月ぶりですね」
そう答えたのは、3人の男の1人。御者の男だった。
「わかっちゃいるが、一応規則だからな。馬車の荷物と届け先、それからお前らの名前を聞かせてもらうぜ?」
頭をカリカリとひっかきながら、門番の兵士は自分の仕事を全うする。めんどくさそうではあるが、真面目に取り組むつもりはあるようだ。
御者の男はそんな門番に聞かれたことを1つずつ答えていく。
「荷物は美術品ですよ。今までと同じ、ちょっと御大層な棺桶です。届け先は北の町、トレヴァー領ベグダット。私の名は――」
一通り答えを聞いた後、門番は馬車の荷物を確認する。
それは金属製の横幅の広い棺桶、という感じだった。分厚さは棺桶にしては薄く、装飾はされていない。観音開きの蓋は南京錠によって施錠されていた。
そんな棺桶が無造作に置かれている。
「何度見ても美術品には見えないな」
「前にも言いましたが、中身の装飾に凝っている品だそうですよ」
「美術品とはいえ、棺桶ねぇ」
「王都の芸術家が作ったものらしくて、誰も買わなかったそうなんです。それを憐れんだトレヴァー侯爵が買い取ることにした。なんて言われてますよ。実際はどうか知りませんけど」
「中身は見せられないんだったな」
「それも前に言ったじゃないですか。かなり繊細な装飾らしくて、蓋を開けるときも慎重にしないといけないんです。開けて中身を検めてみます? それで装飾が壊れても私は知りませんよ」
そう言って御者の男が取り出した南京錠のカギを、門番は受け取らなかった。
「やめとく。侯爵の買い物に傷をつけたりしたら、どうなっちまうのか見当もつかないからな」
門番は不吉な想像を振り払い、馬車から一歩離れる。
「問題ない。通っていいぞ」
「ありがとうございます」
御者の男は礼を告げ、馬の様子を見ていた他の2人が馬車に乗り込むのを確認すると、手綱を振った。
門をくぐった瞬間から、彼らの表情は変わる。
人当たりのいい表情から、不安そうな表情へと。
ベグダットに着くまでの数日、彼らはとても憂鬱な気持ちで過ごすことになる。
馬車の荷物から聞こえる喘鳴に、1日中悩まされることになるのだから。
痛い。
エリーに許された思考は、それだけだ。
瞼と眼球を貫く釘の感触は、経験した者にしかわからないだろう。
肢体の関節を杭に穿たれる痛みと異物感に、慣れることはない。
エリーを閉じ込める棺桶は、馬車に乗せられトレヴァー領ベグダットに向かう。馬車の往く道は舗装されていない。
馬の樋爪が地面を蹴る。
車輪が土を踏む。
エリーはそれらすべての衝撃を、杭に穿たれた傷口で受け止めることになる。
車輪が小石を轢けば、杭が傷口をこすり上げ、杭の返しが新たな傷と痛みを与える。
馬車が少しでも曲がれば、遠心力によって体が左右に引かれる。それを支えるのも、杭に穿たれた傷口だ。
馬車が加速しても、減速しても、曲がっても、小石を踏んでも、停止しても発進しても、エリーに耐えがたい苦痛を与える。
傷口を拡張され、骨をコツンコツンと杭に叩かれ、生々しい音と共に傷穴を擦られる。
エリーが激感によって強制的に覚醒させられたのは、王都を出てすぐのころだった。
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ーーーーーーーっ」
限界まで口を開き、猿轡に戒められながら絶叫する。
振り切れた痛みは痛みとして知覚できなくなり、耐えられず、耐え方の分からない感覚へと変化した。思考が漂白され、思考の起点が失われ、傷以外のあらゆる感覚を奪い取っていく。
視力を奪われ、平衡感覚が消え、温度感覚が迷走している今のエリーには、ここが夢なのか現実なのかの区別をつけることはできなかった。
エリーの体は目覚める前から与えられていた激痛により、脂汗にまみれ、傷口に汗が沁みてはヒリヒリと焼け付くように痛む。
脳の処理できる限界を目前にするほどの激痛。
純粋な痛み。
不快感。
異物感。
「ん゛んぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああっ」
エリーは釘を打たれたまま、目隠しの下で瞼を見開き、グルリと白目をむいた。瞼が縦に破れ、眼球に亀裂が入る。自分の皮膚が破れ眼球が抉れる、不快な音が脳に響く。
当然そんなことをしても痛みが増して自分を追い詰めるだけだ。だが、激痛に悶え暴れることすら許されていないエリーに、そこまで合理的な判断能力は残っていない。
痛みで筋肉が強張れば、それは痛みとなってエリーに帰って来る。杭が刺さっていない体幹をひねれば、肩関節と股関節の傷が引っ張られ拡張される。
それでもエリーは身もだえすることを止められない。
汗と傷口から垂れた血で棺桶の底が濡らされていく。
血生臭い匂いで満たされていく。
ただひたすら痛みを与えられ、喉が枯れるまでくぐもった絶叫を上げて悶え続けること。それだけがエリーに許された自由だった。
荷物台から聞こえてくる悲痛な喘鳴。
聞くに堪えないほど痛々しいそれに、男たちは耳を塞ぐ。
「こんなことをしているだけで、本当にこの国は変わるのか?」
そうこぼしたのは、先ほどまで御者をしていた男だった。
3人の男たちは交代で御者をしながらベグダットを目指している。今彼は荷物台のすぐ近くの座席に座って、ベグダットに到着するのをただ待っていた。
「侯爵は、何をしようとしてるんだ?」
彼らはかつて、王都がアンデッドに襲撃された際、親族や友人、恋人を失った者たちだ。トレヴァー侯爵が南東区で行った演説を聞き、事件の悲しみを、王家への復讐とよりよい国への変革を望む気落ちへと変えられた。
そんな彼らは、トレヴァー侯爵のもとに集い、トレヴァー侯爵の指示通り動き始めた。
最初こそやる気に満ちていた。
自分の手で国をよくする。
大事な人を失った悲しみを乗り越える。
そう言う前向きな気持ちに満ちていた。
だが今は、トレヴァー侯爵の指示通りに動くことに疑問を抱き始めた。
自らの望みと行動に齟齬が生じているような、違和感。
このままトレヴァー侯爵の指示に従っていていいのかという、不安感。
そしてこれまで3度繰り返し、今また行っている、運搬の仕事の辛さ。
護衛の冒険者すらなく、魔物に遭遇する危険を孕む数日間を、運んでいる荷物からの悲鳴を聞き続けながら過ごす。
精神的に大きな負荷がかかる仕事と言える。
”自分は何をしているのか?”
その問いに答えられる者は、トレヴァー侯爵しかいないだろう。
彼らは無事にベグダットのトレヴァー邸にこの荷物を運び終えたなら、トレヴァー侯爵に直に問い詰めることを決めた。
ベグダットの町が見えてきた。
3人の男は馬車から小さく見えるベグダットの町を見つけ、大きくため息を吐いた。
安堵のため息だ。
これでもう棺桶の中からの悲鳴を聞かずに済む。
魔物に怯えなくて済む。
そう言う安堵だ。
彼らの顔は、王都を出た頃に比べて相当やつれていた。頬はやせこけ、目の下の隈は、数日眠っていないことを容易に察することが出来る。
彼らが眠れなかったのは、エリーが昼も夜もなく悲鳴を上げ続けたからだ。
喉が枯れても悲鳴をあげ、声帯が擦り切れて出血しても悲鳴をあげ、自分の血でうがいをしながら叫び続けた。
「あ゛あ゛あ゛……ぁ」
「うるせぇよ! あともうちょっとなんだから静かにしてろよ!」
亡者のような悲鳴に、1人の男が怒鳴りたてた。
あまりのストレスにおかしくなったのだろう。怒鳴り散らす男を、他の2人は止めなかった。
ベグダットの町に近づくまで男は怒鳴り続けたが、エリーの悲鳴が止むことはなかった。だが声量はかなり小さくなっており、彼らの馬車はスムーズにベグダットの町に入ることが出来た。
馬車は町を進み、領主であるトレヴァー家の屋敷に向かった。
彼らは運んできた棺桶を屋敷の者に渡すと、こう言った。
「トレヴァー侯爵に合わせてくれ、聞きたいことがある」
すると彼らは、1晩ぐっすり休んでからにするように言われ、屋敷の客室をあてがわれた。
彼らは数日間ほぼ寝ていなかった。彼らは屋敷で1晩明かし、それからトレヴァー侯爵に会うことにした。
彼らは客室で眠った後、起き上がることはなかった。
ストーリー全体を通してここまで主人公を痛めつける作品は、あまりないんじゃないかと自分で思っています。
もう少しいい感じに描きたいのですが、自分の表現力の無さを実感するばかりです。
次話から六章に入ります。