和解のお茶
胸がざわざわして眠れない。どれだけゼルマさんに謝って、仲直りするための方法を考えてみても、不快感が消えてくれない。
シーツからそっと顔を出してみると、締め切ったカーテンの隙間から、部屋に光が差し込んでいた。
もうお昼だ。
別に1日や2日くらい寝なくてもいい。眠くもならないし、体が疲れるなんてことはない。ハーフヴァンパイアのころからそうだった。
でも、眠りたい。
眠って、罪悪感から逃げたい。
もやもやする。
再びシーツにくるまって色々考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
誰だろう。
ゼルマさんじゃないとは思う。さっき突き放されたばかりなんだし。
シーツから抜け出して、ササっと前髪に寝癖がついていないことを確認する。
「どうぞ」
私がそう言うと、扉が開いた。
入ってきたのは、ゼルマさんだった。
私の予想は外れてたみたい。
ゼルマさんはベッドに腰かけている私を見つけると、少し、微笑んだ。
ずいぶん久しぶりに見たゼルマさんの笑顔は、以前と比べてやつれているように見える。
私はどういう顔で、どう接したらいいんだろう?
「エリー、やっぱり起きていたんだな」
「うん、眠れなくて」
自分で思っているより、しっかりした声が出た。とっさにいつも通りの感じを出そうとした。
いつも通りなわけないのに。
何を言われるのか想像がつかなくて、本当は怖い。
でもゼルマさんは、微笑んだまま、柔らかい声で話し始めた。
「私も同じだ。眠れない」
「……」
「エリー、さっきは悪かった。エリーを殴るなんて、私はどうかしていた。すまなかった。許してくれ」
ゼルマさんはそう言って、頭を下げた。
「え、私、あの」
私は私が謝るつもりでいたから、動揺した。先に謝られるなんて思ってなかった。そもそも勝手にクリップボードを読もうとした私が悪いのだから、私から謝るべきだと思ってた。
先を越されたけれど、私も謝る。
「私の方こそ、ごめんなさい。執務室の書類を読むなって言われてたのに、忘れて読んじゃった。ごめん」
するとゼルマさんは、さらに謝り続ける。
「いや、読まれて困るものをソファーの上なんかに置いていた私が悪い。それにまず読むのを止めるように言うべきだった、いきなり殴るのはやはり間違っていた……エリー」
一通り謝って、私の名を呼ぶ。
「な、なに?」
「許してくれないか」
ゼルマさんはまた、腰を深く折ってそう言った。
でも、私がゼルマさんを許すというのはなんだか違うと思う。
「私もね、勝手にあの手紙を読んじゃったこと、許してほしい」
「ああ、私も殴ったことを許してほしい」
そう言って、お互いに下げた頭を上げ、顔を合わせる。
「ンフフ」
「ふふ」
なんだかおかしくなって、笑いあって、許しあえた。
気が付いたら胸のざわざわした感じも、不快感も、後悔もなくなってた。
心の底から安心してしまって、ちょっと力が抜ける。
ああ、よかった。
嫌われなくてよかった。
ゼルマさんと和解できた。
すごくホッとした。
嬉しかったし、胸に巣食っていた不安感が解消されて、代わりにあったかい気持ちになれた。
そのあとゼルマさんは私の隣に座って、ゼルマさん自身のことを色々話してくれた。
ゼルマさんはトレヴァー侯爵の長女で、爵位を継げる男の子、つまりゼルマさんのお兄さんや弟さんは生まれてない。だからトレヴァー家はいずれ、どこかほかの貴族の次男や三男を婿養子として、ゼルマさんと結婚させなければいけない。
でもゼルマさんは、そう言う政略結婚が嫌で騎士になった。お父さんのトレヴァー侯爵は、反対しなかったらしい。
よくある話なんだそうだ。貴族に生まれた女の子は、政略結婚を受け入れるか、出家してシスターさんになるか、体を鍛えて騎士になるか、どれも嫌なら家出や駆け落ちするかしかない。
騎士は結婚や妊娠で騎士の仕事が出来なくなると困る。だから結婚しない理由になる。
ゼルマさんは”それでもいつかは結婚することになる”と言っていた。ゼルマさんは一人娘だから、今のトレヴァー家の当主が隠居するまでには、否が応でも結婚して、トレヴァー家を存続させないといけないらしい。
「ちなみにゼルマさんは今幾つなの?」
「今年で26になる」
「そっか」
「行き遅れだ。笑ってくれ」
「笑ったりしないよ」
結婚するにはだいぶ遅い。
庶民の私にもわかる。
貴族なら大体10代で婚約を結び、成人すると同時に結婚するらしい。
「ちなみにエリーは幾つだ?」
「17だよ」
「サバ読み過ぎだ、私と大して変わらないだろ」
失礼な。サバなんか読んでませんけど。
「今はこんな体だけど、本当はもっと小さいんだよ? ヴァンパイアになってから、急に成長して……」
そこまで言って、気付いた。
「知ってるでしょ?」
「ああ、知っている」
なんというか、意地悪された。でも悪い気はしない。ニヤリと笑うゼルマさんを見ていると、安心する。最近のゼルマさんは笑わないしずっとイライラして不機嫌だったからかな。
「どうしてそう言う意地悪するのかな」
怒ってみたけど、声に怒気が全く含めてない。うまく怒った表情を作れてない気がする。
「悪かった。お詫びと言っては何だが、お茶でも淹れてやろう」
ゼルマさんはそう言ってベッドから立ち上がって、私を振り返る。
食堂に行こうってことかな。
「寝なくていいの?」
私がそう聞くと、ゼルマさんは首を縦に振った。
「いい。今夜は休みにする。皆疲れているだろうからな」
それからゼルマさんは私に手を差し出して、こう言った。
「茶より血の方がいいか?」
「ううん、お茶がいい」
私はゼルマさんの手を取って、ゼルマさんと一緒に食堂に向かった。
騎士団の団長手ずから淹れられたお茶は、嗅いだことのない香りがした。
何かのお花を香り付けに使ったんだそうだ。
私はゼルマさんと一緒に食堂の椅子に座って、お茶を飲む。
今はもう冬の中で一番寒い時期を過ぎてる。
それに今日はよく晴れているみたいで、お昼の今はあったかく感じる。
静かで、穏やかな時間。
兵舎の外は私にとっては危険な日の光に満ちているけど、この暖かさは冬の終わりを感じさせてくる。
気持ちいい。
「ん? 眠いか?」
ゼルマさんの声が聞こえる。
「んぅ、眠いかも」
「寝てしまってもいいぞ。私が部屋のベッドまで運んでおく。今夜は休みだから、好きなだけ眠れ」
「……うん」
頷きはしたけど、さすがに自分で部屋まで戻ろうと思った。
だけど眠気を感じるのは久しぶりだった。
久しぶり過ぎて、抗い方を忘れてしまったみたい。
視界が狭くなって、お茶を置いた机がゆっくり迫って来る。
コト、と額が机に落ちて、そのまま横を向いた。
ゼルマさんが見える。
机の上に置いた両手が、ギュっと握られている。
「あぇ? ゼルマさ」
”自分の分のお茶、淹れ忘れてるよ”と続けるつもりだったけど、私はそれ以上意識を保つことはできなかった。