交換条件
前話と時系列が少し前後しています。今話は前々話の後です。
深夜の王都南東区。ほとんどの人は寝静まり、一部の店の客と店員と、後ろめたい何かを行う何者か達だけが活動する。そんなくの字に折れた川と防壁に囲まれた区画に、エリーたちが追うヴァンパイア、アドニスがやってきた。
アドニスの耳には、先ほど冷やかした騎士たちが自分を追う足音が聞こえている。足音から大まかな位置を把握し、建物を遮蔽物として姿を隠しながら南東区を進む。
いくつか路地を過ぎたころ、アドニスの進む先に、暗い路地に座り込み酒瓶を抱えた酔っ払いが居た。その酔っ払いはアドニスを見つけると、声をかける。
「おぉい」
「チッ」
”めんどくさい”とアドニスは思った。見られた以上殺しておきたいが、ここで殺すと自分を追う騎士たちに手掛かりを残すことになる。
だがそんなヴァンパイアを無視して、酔っ払いは話し始める。
「おい聞いてんのかぁ? ”酒が切れちまった”からよ、ちょいと買ってきてくれや」
「……あ、お前サイバか」
「符丁、忘れかけていたのか」
”酒が切れた”というのは、事前にサイバとアドニスの間で決められた合言葉だった。アドニスは目の前で座り込む酔っ払いが、サイバだと気付く。
「それより報告を聞かせてくれ」
サイバはスッと立ち上がる。酔っ払いのフリをし、強い酒臭さを纏ってはいたが、サイバ自身は酔っていなかった。そして先ほどまで自分が座り込んでいた石畳をひっくり返す。するとそこには、地下空間への入口が現れた。
「こんな場所よく見つけたな」
「秘密裏にここを作るのは大変だった」
”お前が作ったのかよ”と小声でつぶやきながら、アドニスはサイバと共に地下空間へを進む。そしてひっくり返された石畳を元に戻すと、そこはただの路地に戻った。
1本のろうそくが唯一の灯りの地下空間は、アドニスにとって居心地が悪かった。何せこの狭い地下の部屋には、サイバとアドニスの他にもう一人、筋骨隆々な大男が居るからだ。冬だというのに暑苦しさすら感じる。そしてその大男が自分より強いと感じられることが、アドニスの居心地を最も悪くさせていた。
サイバは酔っ払いの変装を解き、壁を背もたれにして片膝をついて座る。細身の体は隣に居る大男との対比で、実際以上に細く見えた。
「で、どうだった?」
サイバの言葉をきっかけにアドニスは話し始める。
「全滅させるなら面倒だ。少なくとも1人じゃ無理だろうよ。だがおちょくって逃げるくらいなら余裕だったなぁ。あの3人も協力して戦ってれば、余裕で突破できてただろうよ」
「3人……というのは、なんだ?」
大男が問うと、アドニスはサイバから視線を移し、大男を睨む。
「その前にまずお前誰だよ」
「俺は……タザだ。サイバの仲間、だ」
タザは狭い地下室の角を背に、窮屈そうに座っている。
タザを見ただけで自分より強いだろうとわかっていたが、アドニスは下手に出るようなことはしない。
「わざわざこんな強そうな奴連れてくるとか、1人でヴァンパイアと会うのがそんなに怖いのか? サイバさんよ」
「ああ、怖い。僕はそれほど強くもなければ自信家でもない」
挑発に乗らず開き直るサイバを見て、アドニスは舌打ちをしたくなった。真祖の仲間だとかヴァンパイアの味方だとかを名乗る怪しげな男を、うまく測ることが出来そうにない。
「それより、あの2人はうまく行ったのかよ。もし騎士共に見つかったり捕まったりしてたら」
アドニスは一度言葉を切り、そして普段は見せない本気の威圧をする。
「潰す」
アドニスから放たれた威圧感に、サイバは少し身を引いた。ゾワリと背筋を走る怖気は、サイバを緊張させるには十分だった。
だがタザは眉一つ動かさなかった。
「問題……ない。既に、真祖の……所だ」
「……そぉかよ」
アドニスは数日前、サイバと出会った。
アドニスはフィオとフィアの兄妹を真祖のもとに送った後、王都に来ている他の同族を2人ほど探し出している。吸血鬼討伐騎士団が王城前広場から居なくなる時を待ち、真祖のもとに行かせるつもりだった。
そんな時、サイバはアドニスに交換条件を持ちかけた。
サイバはアドニスが見つけ出した2人のヴァンパイアを真祖に会わせる。その代わりに、アドニスは騎士団を王城前広場から引き離し、また騎士団について知っている情報をサイバに伝える。
この交換条件を飲んだアドニスは、先ほど危険を冒して吸血鬼討伐騎士団を挑発し、王城前広場から引き離した。
サイバとタザは王城前広場から騎士団が居なくなったタイミングで、2人のヴァンパイアを王城に入れ真祖に会いに行かせたのだろう。
「で、先ほどの3人というのは?」
サイバはタザの問いを繰り返す。アドニスは”そう言えば聞かれてたな”と呟いてから答え始める。
「少なくとも3人のヴァンパイアがあの騎士団に掴まった。律儀に1人ずつ現れて、相手が人間だからと油断して、数の差を考えずバカ正直に戦って……というか、知らねぇのかよ」
「真祖は今いる場所から動けない。僕らが持っている情報は、君が送り届けてくれたフィオとフィアが齎したものしかない」
「お前は何してんだよ」
”真祖の仲間とか自分で言うのなら、その動けない真祖の代わりに情報収集くらいして当然だろう?”とアドニスはサイバを見る。
そんなアドニスに対し、サイバは疲れた表情を返す。
「僕もやることが多い身なんだ。タザはあまり表を歩かせられない。仲間の1人は自分の仕事に夢中。協力者は何をしているのかは知らないが、最近姿を見せない」
タザにはそれがスージーとヘレーネのことだとわかる。サイバ自身はザザイバールという考古学者に変装し、王弟ジークルードの相手をしている他に、真祖から自分のもとにヴァンパイアが集まらないことを相談されるなど、色々な事をこなしていた。
「捕まったヴァンパイア達がどうなったかは知っているか?」
「知らねぇ。死んだんじゃねぇの」
アドニスはサイバの質問にサラリと返す。そこには何の感慨もないように見える。嘆く様子も悔しがる様子も無いのは、アドニスが同族の死に慣れきっているからかもしれないと、タザは思った。
実際、人間が捕まえたヴァンパイアをわざわざ生かしておく場合はほとんどない。利用価値を見出す者はいるだろうが、それ以上に危険であり、それ相応の責任があるのだ。
自分の手で殺せるヴァンパイアが居て、あえて殺さず見逃したとする。見逃されたヴァンパイアは、生きるために確実に人間を襲う。それによるあらゆる被害は、ヴァンパイアをあえて見逃した者の責任と言える。
人間が殺せるヴァンパイアを殺さないということは、ある意味人間を攻撃するという裏切り行為に近い。そう言う背景がある以上、捕まったヴァンパイアの生存を期待することは無意味なのだ。
「その場で殺さずに捕まえたとなれば、もしかしたらと思ったんだが」
「殺す前に遺言を聞いてやるためだろうよ。他のヴァンパイアがどこにいるかとか、何しに王城に向かっていたのかとか。騎士様はお優しいからなぁ、ギヒヒヒヒヒ」
アドニスが皮肉言ったちょうどその時、地上から何人もの人の足音が響いてきた。アドニスを探す騎士団の足音だ。一塊にならず、4人ほどに別れてこの周辺を探し回っているようだった。
「やけにしつこいな。1人も殺さず逃げてやったってのに」
「ここは見つからない。それより、他に騎士団についてわかったことは?」
「ああ? そうだなあいつらはでかい盾を持った奴や……」
アドニスはサイバに、先ほど見た騎士団の戦い方を大まかに説明する。戦術そのものは単純であり、人間を見下して適当に戦うヴァンパイアを捕獲してきたこと。盾の分隊に包囲されなければ、おそらく戦術が機能しないことを伝える。
「……なるほど。わかった」
「わかったならこれでさよならだ」
アドニスは立ち上がり、入ってきた時のように石畳をひっくり返す。そんなアドニスに、タザが声をかけた。
「お前は……」
「あ?」
「真祖のところに……行かない、のか?」
アドニスはタザの途切れ途切れの話し方にイラッと来つつ、それを表情で表しながら答える。
「そのうち行く」
そっけなく一言で答え、アドニスは去った。地下空間から這い出すと、闇夜に溶けるように消えたのだ。
アドニスが去った後、サイバはタザに相談をする。
「タザ、真祖はどうするつもりだと思う? 自分の眷属を捕まえて殺す騎士団が居て、少なくとも3体のヴァンパイアが死んだ。それを知った真祖は、考えを改めるだろうか」
フィオとフィアによって、王城前広場でヴァンパイアを待ち構える騎士団の存在は、真祖の知るところとなった。真祖はその騎士団について調べるようにサイバに頼んだ。
だが、騎士団を殲滅することや解体に導くようには言わなかった。”ただ調べろ”という頼みだった。
「……さぁな。ただ……悲しむ、か……怒るかは、する、だろう」
サイバは”ふぅ”と息を吐き、最近抱えるようになった不安を吐露する。
「最近真祖と僕らの目的に、ズレが生じたように感じるんだ」
そんなサイバに、タザは変わらぬ態度で答えた。
「もう……後には引けない」
サイバにもタザにも、真祖をコントロールすることはできない。真祖が復活した以上、真祖の望む通りにしか物事は進まないだろう。
そう理解しているからこそ、サイバは、真祖の望みとストリゴイの目的が別の方向を向いた場合にどうするか、考えずにはいられなかった。
次話からエリーの話に戻ります。