透視のヴァンパイア
長くなってしまったので、お時間のあるときにどうぞ。
前話と時系列が少し前後しています。冒頭はジャイコブが現れる少し前です。
ある夜、1人のヴァンパイアが王都を訪れた。名前はアドニス。風貌は皮の上着に労働者が着るような薄汚れたジーンズのズボン、薄汚れてくすんだ髪と無精ひげ。赤い瞳にさえ目を瞑れば、誰が見てもただの貧乏な労働者階級の1人に見える。
彼が持っているスキルは透視。読んで字のごとく、ある程度の厚さの壁や障害物を見透かし、その奥のモノの輪郭を見ることができるスキルだ。
アドニスは真祖からの鼓動を感じ取ると、すぐに王都にやってきていた。そして自分たちが真祖に会いに行くを阻む、騎士団の存在に気付いた。
その後のアドニスの行動は、監視だった。
毎晩王城前広場に近い家屋に潜伏し、透視のスキルを使って壁越しに騎士団の動きを見る。窓から覗けば、光を反射し光って見える、赤い瞳が見つかるかも知れないと考えたのだ。
アドニスが監視する騎士団の前に、1人目のヴァンパイアが現れた。彼は騎士団の1人に化けて接近し、看破され捕獲された。
これではダメだ。騎士団が王城前広場から動いていない以上、今真祖に会いに行こうとすれば見つかってしまう。
アドニスの透視は、壁の向こうのモノの輪郭を捉えることができる。輪郭だけでは大まかな距離感がわかる程度であり、直接見るのと比べて得られる情報量が少ない。アドニスはまだまだ情報が足りないと感じ、このまましばらく監視を続けることを選んだ。
アドニスは王城前広場を監視するために潜伏する家屋を、毎回変えていた。透視スキルで家の中を覗き、誰もいない家屋なら最上。1人の人間が眠っている程度なら及第点という感じで家屋を選び、複数の人間が起きている家屋には潜伏しなかった。
だが起きている者が複数いる家屋であっても、例外として潜伏する場合がある。それは、家屋の中に居るのが子供だけの場合だ。
アドニスは大人の血より子供の血の方が好みだった。そんなアドニスが子供2人だけしかいない家屋を見つけたならば、潜伏するついでに食事もしようと考えて侵入するのは当然であった。
扉に手をかけ、ゆっくりとノブを回す。
カギはかかっていない。
不用心だな、とは口に出さず、ほくそ笑むことで顔に出す。
2階建ての木造建築で、王城周辺の家屋の割には古い。そして埃っぽい。アドニスは透視によって、今夜の獲物である子供2人の居場所を見つけ、静かに歩み寄った。
階段を上り、扉を開ける。
キィと耳障りな音と共に、アドニスは勢いよく飛び出した。部屋の中に座り込む、10歳にもなっていないような少年と少女をできるだけ静かに狩り獲るべく、凶碗を振るう。
……そしてアドニスの両手は、獲物のはずの少年と少女の顔の寸前でピタリと止まった。
「……だ、れ……?」
驚きのせいか、恐怖のためか、その声は鈴のようにか細かった。
「……俺はアドニス」
彼らに向けて突き出した手をひっこめ、2人の子供の前に立つアドニスは、
「お前らと同じ、ヴァンパイアだ」
少女を抱えて自分を見上げる、赤い2つの瞳を見下ろして、そう答えた。
アドニスが襲おうとした2人の子供は、ヴァンパイアだった。少年の方の名をフィオ、少女の方の名をフィアという。このご時世に珍しい、ヴァンパイアの双子の兄妹だ。
真っ白な息を吐きながら自分を見上げる2人を見て、そして改めてその部屋を見回す。
そしてベッドの上に眠る壮年の女を見つけた。
肌はヴァンパイアとほぼ同じくらい青白く、しわだらけになり、目は落ちくぼみ、そして息をしていない。ベッドには首のあたりに小さな血痕がある。
アドニスは問う。
「あれはどうした?」
すると、妹のフィアを抱きしめたフィオが、舌ったらずに答える。
「おばさん。僕らを買った人」
「買った?」
アドニスは聞き捨てならないセリフに聞き返したが、フィオはフィアを庇いながらアドニスを見上げる目を鋭く細め、さらに続ける。
「僕が殺した。あれは僕らの獲物だ。手を出すな」
「ふん」
アドニスは”ガキが大人ぶっている”と思い鼻で笑うと、フィオが殺したという女に近づく。フィオに手を出すなと言われていたが、もとからその女の血を吸うつもりなど無かった。
女の死体を確認し、死んだのがかなり前のことであるとわかった。首をぱっくりと切り裂いてみても、ほとんど血が出ないのだ。皮下脂肪はだらしなくこぼれ、ベッドを汚す。
部屋が寒いせいで腐ることなく、死蝋化している。そして血痕も乾ききっている。
フィオとフィアの兄妹は、おそらく長い期間この家屋に居た。このおばさんとやらを殺し、死体から血を吸うことで、一歩も外に出ることなく生き延びたのだ。というのがアドニスの推測だった。
この推測が正しければ、フィアという兄妹の妹の方が一言もしゃべらず俯いたままの理由もわかる。
「最後にこれの血を吸ったのはいつだ?」
アドニスが兄妹の方を振り返らずに問うと、フィオは逡巡した後に答えた。
「僕が1週間前。フィアは3日前だ」
、
アドニスはため息を吐いた。
ヴァンパイアは人間の生き血を吸って生きる。だが人間の死体の血は体に良くないのだ。
具体的には、死後硬直を終えた後の死体の血は、飲むと体調を崩してしまう。死後硬直の直後の血であれば腹痛程度で済むが、死後何日も経った死体の血を飲んだなら、体はそれ相応の不調を訴える。フィオは1週間前に飲み、不調を克服した後なのだろう。
そしてフィアは、今も不調を抱えている。フィアは喋らないのではなく、喋れないほど弱っているのだ。
「どうして外に出ず、この死体の血を飲み続けた?」
フィオは答えない。
”答えない”という反応により、アドニスはなんとなく事情を察した。
出られないのだろう。
ヴァンパイアとは言え、生まれてから10年も過ぎないような子供だ。そして2人はこの女に買われたらしい。その後どういう扱いを受け、この女、ひいては人間にどういう印象を持っているのか、アドニスは勝手に想像し、勝手に納得したのだ。
アドニスは2人の子供に向き直る。
「気に食わねぇクソガキだが、数少ねぇ同族ってことで助けてやる。ここ動くんじゃねぇぞ」
怪訝な目でこちらを見るフィオに、アドニスは不敵に笑って最後に一言付け加えた。
「ま、妹がそんなじゃ動きようがねぇよなぁ」
「ッ、うるさい!」
若い少年の怒りを背後に感じつつ、アドニスはその家屋を後にした。
数分後、アドニスはまたフィオとフィアの居る家屋を訪れた。
その肩に1人の哀れな人間を担いだまま、再び妹を抱きしめるフィオと対面する。
「ほらよ」
アドニスは肩に担いでいた人間をフィオの足元に乱暴に放る。フィオは足元に転がった人間を一目見やり、そしてアドニスを睨む。
「何のつもりだよ、おじさん?」
「おじさんはやめろよ、アドニスと名乗っただろうが。あと40歳未満はおじさんじゃなくてお兄さんだ」
アドニスはさらに続ける。
「ガキ、お前は問題ねぇかもしれねぇが、妹は血を飲んだ方がいい。死んだ後何日も経った死体から血を吸ったんだろ? 妹がしゃべれねぇくらい苦しんでんのはそれが原因だ。外に出て人間を狩ることができないお前は、妹を助けるために、俺に頭を垂れてこう言うしかない」
アドニスはニヤァッと笑う。
「”アドニスさんの獲物をわけてください”ってなぁ。ギヒヒヒヒヒヒッ」
その時のフィオの表情は形容し難かったが、アドニスを死ぬほど睨みつけたことだけは確かだ。
フィアは俯いていた顔を上げ、双子の兄のフィオが口元まで運んだ、哀れな人間の首筋に喰らいついた。
3日前から腹の奥、血嚢に巣食う得体のしれない苦痛から解放されるには、血嚢そのものを治癒し再生させるだけのエネルギーが必要だった。そしてそのためのエネルギー源である人の生き血を、必死に貪る。
アドニスに掴まり気絶させられていた哀れな人間は、フィアに致死量以上の血液を吸い取られ、意識のないまま絶命することになった。
そして十分な血を吸い終えたフィアは、声を押し殺して泣き、兄のフィオを抱きしめる。
「フィオ、フィオォ……おばさんは? 次はいつ、壊されるの?」
フィオはフィアの頭を撫で、アドニスに向けるのとは真反対の優しい顔で声をかける。
「フィア、憶えてないの? もうずっと前に、僕が殺したよ。もうあのおばさんは居ない。安心して」
兄妹の仲睦まじい様を見つつ、アドニスはフィオに告げる。
「妹はちょっと記憶が混乱してんだろうよ。情けねぇお兄ちゃんだだなぁオイ。そんなになるまで妹を苦しめるなんてよ」
フィオがアドニスの言葉に答えられずにいると、フィアはやっとアドニスの存在を認識した。
「……お、おじさん、ひっぐ……だれ?」
アドニスは”兄妹そろっておじさん呼ばわりかよ”と毒づき、フィアが泣き止み落ち着くまでそっとしておくことにした。
アドニスはフィオとフィアと出会った日から、行動を共にすることにした。
聞けばこの2人は2人を買ったという好事家の女、通称おばさんに買われ、虐待を受けていたそうだ。
そんなある日、真祖が復活し鼓動を発した。真祖の鼓動を受けた兄弟は、肉体性能がすこし強化された。それがきっかけとなり、フィオは妹を守るため、自分たちを虐待するあの女を殺害し、その死体の血を食料に今まで生き延びてきた、という事情があったらしい。
そして今もあの女に受けた虐待のせいで、フィオもフィアも人間に対して恐怖心を抱いており、満足に人を襲って吸血することが出来ないようだった。
アドニスが”普通この年齢のヴァンパイアは、自分の食事くらい自分で獲れるはずなんだがな”とからかうと、フィオはアドニスを睨みつけ、フィアは泣きそうな顔になった。
そんなヴァンパイアの兄妹を数少ない同族だからと連れまわし、また騎士団の動きを監視しながら、時折ヴァンパイアの生態などを気まぐれに教えるようになった。
アドニスは、フィオに嫌われている自覚がある。散々からかい、大人げなく責めたててきたのだから当然だと思っている。
だが何故かフィアはアドニスに懐いた。アドニスとしてはガキに懐かれても鬱陶しいだけだが、フィアと仲良くするとフィオが不機嫌になるのが面白かったため、フィアには比較的優しく接するようになった。
そんなある日、透視による監視を続けるアドニスにフィオが話しかけた。フィアはアドニスによく話しかけるが、フィオから話しかけることは滅多にないことだった。
「アドニス、さん」
「さん付けとか気持ち悪いな。生意気なガキの癖に大人ぶんな」
「くっ……」
「で、なんだよ。腹でも減ったか?」
「違う」
適当にあしらうように喋るアドニスに対し、フィオは苛立ちを押さえ、真面目に問いかける。
「アドニスも、あそこに行きたいんだろ?」
フィオが指差すのは、王城の塔の一番高い部屋だ。真祖の鼓動の発信源である。
「そうだ。だがあの騎士共が邪魔でな。城に忍び込むチャンスをこうやって待ってんだよ」
「僕らも同じだ。あそこに行きたい。だから……」
”だから”の後が続かない。しばらく待っても何も言わないフィオに痺れを切らし、アドニスは透視を止めて振り返る。
「だからなんだよ」
フィオは服の裾を握りしめ、アドニスの赤い目を見据えてこう言った。
「あそこに行くために、僕らに何か、できることない?」
「ねぇな。ガキは妹と遊んでろ」
即答だった。なんとなく何を言い出すかを事前に察していたアドニスは、かなり食い気味で即断する。
「……な、んぐっ」
思わず大声を出して抗議しようとするフィオの口を、アドニスはギリギリのところで塞ぐ。
「大声出そうとすんなやクソガキ。バレたらどうすんだボケ。寝ぼけてんのか、あぁん?」
フィオがジタバタと暴れるのを止めるまで取り押さえ、散々煽った後に開放する。解放されたフィオは額に青筋を立て激昂していたが、大声は出さなかった。
「お前なんかの手伝いをしようと考えるなんて、僕もどうかしてた」
フィオがそう吐き捨て、妹のフィアの居る別室に去るのを見届けたアドニスは、また壁に向かって透視を使い、騎士団の動きを監視する作業に戻った。
ある夜、アドニスの監視する騎士団のもとに、1台の馬車がやってきた。その馬車からは2人の人物が降り立ち、騎士団と何か会話をし始める。
「輪郭だけだとよくわかんねぇな」
いつも思っていることを今日に限り口に出した。そして、今なら窓から覗いてもバレないのではないかと思い至り、壁越しの透視ではなく窓から覗く。
騎士団の鎧を着た女と、騎士連中が8人と城の中に4人、町娘風の女が1人。馬車から降りたのは、貴族とメイド。
今は貴族と鎧を着た女が話し込んでいる。
何を話しているかは流石に聞こえないが、大まかに状況を掴んだアドニスは、フィオとフィアを近くに呼び寄せておく。
「なんだよ」
「なに? どしたの?」
不機嫌なのを全く隠さないフィオと、無邪気なフィア。そんな2人にも窓から様子を見させる。
アドニスと兄妹が見守る中、事態が変動した。
メイドが貴族を蹴り飛ばし、血飛沫に変えたのだ。そしてメイドは王城前広場を離れその場から逃亡した。
町娘風の女が真っ先に後を追い、それに続く形で騎士団8人が追いかける。
王城前広場には鎧を着た女が1人だけ。そして城の中に騎士が4人。
「……今しかねぇかもな」
アドニスは驚いて目を見開くフィオとフィアを両脇に抱え、静かに家屋を飛び出した。
「喋るんじゃねぇぞ。舌噛むからな」
アドニスは疾走する。
鎧を着た女の死角、つまり王城の反対側から広場に出ると、そのまま城に侵入した。
1度フィオとフィアを床におろし、王城の壁に対して透視を使う。
城の中に入った騎士4人の居場所、そしてその騎士に会わず真祖のいる塔へ向かうルートを見つけ出す。
そしてその場にしゃがみ、2人と目線を合わせて静かに話しかける。
「フィオ、フィア、俺が今から言う通りに動けば、真祖のところに行ける。1度しか言わねぇから、1度で覚えろ」
フィオは無言でうなずいたが、フィアは頷かなかった。アドニスの服を握り、問う。
「なんで? 一緒に来ないの?」
「俺は」
答えようとしたが、首を振る。
「良いから聞け。塔は中庭にある。中庭に通じる道は3つあるが、うち2つは騎士共が近いから使えねぇ。まず右に曲がって直進して、次の十字路を……」
アドニスは見つけたルートをフィオとフィアに伝え終える。
「わかったな」
「わかったよ」
フィオはこっくりと頷き、フィアはしぶしぶという感じで頷いた。アドニスが一緒に来るつもりが無いとと、ここでお別れになることを察したのだ。
「じゃあな」
短く別れを告げ、アドニスはその場を去る。
フィオとフィアはアドニスに伝えられたルートを忘れない内に、言われた通り進むため、アドニスに背を向けて王城の中を静かに歩き始めた。
アドニスは未だに当初の真祖に会うという目的が叶っていない。
1度は真祖のもとに向かうチャンスを得つつも、それを見逃したのには理由がある。
それは、数少ない同族をできるだけ失わないためだ。
あの騎士団は、あの後メイドのヴァンパイアを捕獲して戻って来た。さらにもう1人ヴァンパイアを捕獲している。あれはヴァンパイアたちにとって厄介な存在だ。
フィオとフィアの2人と過ごすうちに、アドニスの目的は、真祖に会いに行くことではなくなっていた。
あの騎士団の存在を知らずに真祖に会いに来るヴァンパイアを探し、安全に真祖のもとまで送ること。これがアドニスの新しい目的となっていた。
アドニスは騎士団の監視を止め、深夜の都を徘徊する。
どこかにヴァンパイアが潜んでいないか、今まさに王城前広場に向かおうとしている同族がいないか探しているのだ。
アドニスは1ヶ月ほどこの活動を続け、新しく2人のヴァンパイアを見つけ出していた。あの騎士団が王城前広場から居なくなる時を待つよう説得し、今もこの王都に潜伏させている。
そんなアドニスに、1人の男が声をかける。
「同族思いなヴァンパイアというのは、お前のことか?」
痩せ型の男だった。どこにでもいるような一般の労働者。人間だ。
「フィオとフィアは無事に真祖に会えたぞ、アドニス」
アドニスはその言葉を聞いて、全く安堵しなかった。全く嬉しく思わなかった。
「だれだよお前。自殺志願者か? ギヒヒ」
なぜなら、その男を信用する理由が何1つないからだ。
「ああ、自己紹介を忘れていた」
痩せ型の男は両手を上げて交戦の意思がないことを示し、名乗る。
「僕はサイバ。真祖の仲間で、ヴァンパイアの味方だ」
サイバと名乗る男をよく観察すると、印象を残さないように徹底した装いをしていることがわかった。着ている服は毎日目にするようなメジャーな古着。特徴を殺し切った声音。真面目でもふざけてもいない態度。
アドニスはこのサイバという男と仲良くなれる気がしなかった。
前話と時系列が少し前後しています。最後は前話の少し前です。