施錠
兵舎に帰ってきた私は、眠る。
帰り血まみれになった服を脱ぎ、体を洗い、新しい服を着て、自分の部屋のベッドに横になる。
「はぁ……」
朝日が昇り、カーテンを閉め切った部屋の中がうっすらと明るくなり始めた。私にとっては危険な明るさの中で、目をつむる。
部屋の中だというのに、吐いた息が白い。ベッドの中にいるのに、寒い。
「ふぅ……」
さっきから呼吸が荒い。息が整わない。ここに来てから息が上がるなんてこと、初めてだ。
なんでもいい。とにかく眠る。眠るんだ。
眠る。
寝る。
戦って疲れてるから、休まないといけない。
疲れている? 疲労? ヴァンパイアの私が?
考えない。
考えない。
眠る。
疲れるなんて普通のこと。何もおかしくない。
とにかく今は眠る。
「っは、……はぁ」
もうみんな眠ったはず。
カイルさんたちも、もう寝るって言ってた。
捕まえたヴァンパイアは、今ごろ兵舎のどこかに幽閉されてるらしい。
私も眠らないと。
なかなか寝付けなくて、薄目を開ける。
部屋の中は眠るには少し明るい。最近になって見慣れてきた天井の模様が見える。
……いや、見えない。
よく見えない。
ぼやけてる。
熱でもあるみたいに、息が荒い。
風邪でも引いたみたいに、喉が痛い。
痛いし、熱い。
寝返りをうつのがだるい。
力が入らない。
「はぁ……」
無理だ。眠れない。
とうとう来たんだ。
ヴァンパイアになって2週間くらい経った。思ったより長持ちしたのかな。
とうとう限界が来た。血を飲まなかったから、飢餓状態になったんだ。
目を閉じる。今度は眠るためじゃなくて、落ち着くため。
飢餓状態で血を飲まなければ、どれくらいで死ぬんだろう。
きっと1日は持たない。半日も無理。精々数時間ってところだと思う。
つまり、夜になるころには、私は死んでいる。
「……誰かを襲って生きるより、この方がいいよ」
そうだ。一応扉に鍵をかけておこう。誰か起きてて、私の部屋にやってきたりするかもしれない。今人肌を目にしたら、私は噛みついてしまうと思う。
ベッドから抜け出して、ヨタヨタと歩いてドアノブを掴む。
ドアノブのすぐ下にある鍵に手をかけて、私の体は動きを止める。
今、騎士団のみんなは眠っている。起きているのはきっと私だけ。
鍵から手を離して、ドアノブを掴む。
今部屋をでて、騎士団の誰かの部屋に入って、ベッドの中で眠る人から血を吸う。
簡単すぎる。それだけで、私は楽になれる。
この衝動から解放される。
血を吸ったら吸われた人は起きちゃうから、何かする前に殺して、兵舎のどこかにいるチェルシーを探し出して開放すればいい。そうすれば、血を吸って殺したのはチェルシーってことになる。私は疑われない。
状況は整ってる。私にとって都合がいいようになってる。だから今すぐこの扉を開けて……
「ふふ」
自然と笑いが込み上げてきた。
カチャ、とドアノブから音がした。
私がドアに鍵をかけた音だ。
騎士団の誰かを襲って血を吸う? 私にそんなことできるわけない。それができるならこんな苦労してないよ。
「クフフ、フフ」
喉が渇いて、乾きすぎて痛い。それなのに、喉の奥で変な笑いが止まらない。
あー、気分が楽になってきた。これで私は、もう誰かの血を吸いたいなんて思わなくて済む。そう思うとすごく気楽になれる。
冷たい床をまたヨタヨタ歩いてベッドに戻り、横になってシーツにくるまる。
「くふふ……はぁ」
笑って、息が上がって、また笑う。
16歳になってハーフヴァンパイアの特徴が出た頃も、”いっそ死んでしまおうか”なんて思ったことがある。人間からハーフヴァンパイアになったのならその逆もあり得るかもっていう考えが浮かぶまでは、毎日考えてた。
当時はこんなに気楽な感じで考えてたわけじゃないけどね。
色々やった。大体うまくいかなかったし、考えが足りないこともあった。だけど、色々、やった。ヴァンパイアになってからも、助けてくれた騎士団に、ちょっとは恩返しで来たと思う。洗濯したりスープ作ったり、ヴァンパイアを2体捕まえるのを手伝ったりした。
だから、気楽。笑えてしまうくらい。
「ふふ、ふふふふ」
あ、なんだか涙出てきた。
何の涙かよくわかんない。
いつまでもこうしていたら決意が揺らいでしまいそう。
もうカーテンを開けてしまおうか。日光に当たれば、少しは寒さがマシになるかも。それにすぐ楽になれる。
またシーツをめくって、冷たい床に両足を下ろす。今は午前中だから、太陽は南東かな? 南と東、どっちの窓のカーテンを開けようか……
飢餓状態で感覚が鈍くなっていたせいか、自分でもよくわからない精神状態のせいかわからないけど、兵舎の廊下を誰かが歩く音に気付かなかった。
私に気付けたのは、その誰かが私の部屋の扉を開けようとして、閉められた鍵が立てた”ガチャ”という音だけだった。