理由
チェルシーが待ち構えていた通りは広く、障害物がない。エリーの後ろには何もなく、王城の方に続く道が続いている。チェルシーの後ろのには防壁があり、通りの左右には大きな家屋が並んでいる。さらに言えば人はみんな寝静まっているから人目もない。
邪魔をするものも、ヴァンパイアの力を見られて困るものもない。
エリーはカイルから勝手に借りてきた剣を構えて、メイドのヴァンパイアのチェルシーに距離を詰める。
ヴァンパイアの膂力をフルに使った突進は、かつてハーフヴァンパイアのエリーがヴァンパイアレイジを使った時のそれよりも数段速い。そしてエリーの意識も身体能力に合わせて加速し、初めての全力移動を完璧に制御して見せた。
だがエリーと対するチェルシーも同じくヴァンパイアだ。それもジャイコブと違って戦闘に慣れたヴァンパイアだった。
全力で近づき最速で剣を振るエリーに、チェルシーは冷静に対応する。チェルシーはまず剣の間合いに入る直前、一歩後ろに跳ぶ。
「っはぁっ」
目の前をエリーの振るう剣が通り過ぎるのを確認し、エリーの態勢から”単純な一撃”だったことを読み取る。フェイントも追撃もないことを確信し、下がった距離を埋め合わせるように一歩前に跳ぶ。
そしてチェルシーはフォージを屠ったときと同じ軌道を描いた前蹴りを放った。そのつま先は剣を振り切った体制のエリーの腹部に直撃し、斜め上に蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされたエリーは、空中で放物線を描きながら体勢を整えて地面に両足で着地する。チェルシーはフォージを血煙へと変えた攻撃と同じように蹴ったつもりだったが、チェルシーの予想に反してエリーは軽く耐えてしまった。
エリーが着地する場所とタイミングに合わせ、今度はチェルシーが一気に距離を詰める。そして半身になりメイド服のスカートを手で軽く引き上げ、右足による横蹴りの構えをとった。
着地直前でありながら、エリーはチェルシーの攻撃準備を赤い目で捉えていた。回避が難しいことを悟ったエリーは、回避ではなく反撃を試みる。
エリーが地面に向けて両足を伸ばし、少しでも早く地面に降り立とうとする。その際がら空きになる胴体めがけて、チェルシーは鋭い横蹴りを放った。先ほどの適当に放った蹴りより断然速く重い一撃は、確かにエリーの胴体を捉えた。
だが、胴体の中心を大きく反れていた。チェルシーの蹴りよりわずかに早く両足を地面につけたエリーは、わずかに体を右に反らすことができたのだ。エリーから見て左側に反れた蹴りは衝撃をまっすぐ伝えられず、破壊力の多くはエリーの体を左回転させる力に変化した。
「そこ!」
体を大きく左に回転させながら、右手に持った剣を左に振り抜く。反撃されることを予測していなかったチェルシーは自分に迫る刃を見つけたが、対応することができなかった。
右手はスカートを持ち上げ、左手は脇を閉めて体に張り付ける形。そして胴体は左足一本で支えられ横に倒している。そんな体制のチェルシーに、エリーの振るう剣は刃を突き立てた。刃は前側から右わき腹に斜めに入り、背中側から抜ける。皮膚、筋肉、内臓に深い切れ込みを入れ、チェルシーの白いメイド服を赤く染め上げた。
人間なら致命傷。だがチェルシーはヴァンパイアであり、自分の体の耐久力と再生能力をよくわかっていた。チェルシーは腹を切り裂かれながら伸び切った右足を引き戻し、もう一度横蹴りを放っていた。
エリーは自分の鳩尾から”ドスッ”という鈍い音と強い衝撃を感じた。2度目のチェルシーの横蹴りは、エリーの体の芯を正確に打ち抜いていた。エリーは剣を振り抜いた姿勢から体をくの字に折り、大きく後ろに蹴り飛ばされる。
だがまたも空中で体勢を立て直し、両足で石畳を踏みしめて止まる。前を見ると、チェルシーがゆっくりと足を下ろしている姿が見えた。
ここまでのわずかな戦闘の中で、エリーはチェルシーとの実力差をはっきりと感じていた。
―勝てないかも。一撃入れられたけど、ダメージは私の方が受けてる……と思う。
一見ほぼ互角に見える戦闘だったが、実はかなり優劣がはっきりとしていた。
エリーの初撃の際、エリーが構えた剣を振り切るまでの間に、チェルシーは一歩下がり、フェイントや追撃が無いことを確認し、一歩進み、攻撃していた。エリーが1つの動作を終えるまでに、チェルシーは4つの動作を終えているのだ。
チェルシーがエリーの着地に合わせて攻撃したときは、チェルシーは横蹴りの態勢を整え、蹴りを放ち、足を戻し、もう一度蹴るまでの間に、エリーは体をわずかにずらして剣を振った。2回攻撃したチェルシーに対し、エリーは1回しか攻撃できていない。
この差は肉体の性能ではなく、戦い方の違いによる物だった。
「いつまで人間のフリしてるんですか? というか、なんで戦うんですか?」
再生を終えた腹部をさすりながら、チェルシーはそう聞いた。
「人間のフリなんてしてないよ。誰も見てないのに」
エリーは自分が人間ではないことを看破されたが、驚きはしなかった。騎士団のいる王城の広場から見えない位置まで行った瞬間から、ヴァンパイアの持つ人間以上の身体能力を発揮していた。そしてジャイコブの時とは比べ物にならないほど激しく動く戦いをした。誰が見てもエリーが人間ではないとわかるし、チェルシーには戦いの最中に前髪が上がって、赤い目を見られている。
「ではなぜ剣など使ってるんですか? それは人間の武器で、チェルシーたちが使うには脆すぎるはずです」
―確かに私たちにとって剣は脆い。ヴァンパイアの骨の方が剣より硬いから、下手に斬り付けると剣の方が折れる。折れなくても刃こぼれする。
「それになぜチェルシーと戦うのですか? ヴァンパイア同士で戦う必要ないです。一緒に真祖の所にいきましょう?」
改めて戦う理由を問われる。
チェルシーは、あわよくば戦わずに済むかもという思いで問うた。先ほどまでの戦いはチェルシーに有利に進んだが、チェルシーはエリーを強く警戒していた。
チェルシーはエリーに3発ほど蹴りを打ち込んだが、エリーは一度も悲鳴どころかうめき声すら上げなかった。戦闘中にエリーが発したのは、斬り付ける瞬間の声だけだった。そのことからチェルシーは、自分が思っているほどダメージを与えられていないと考えていた。
そしてその質問は、エリーを少し考えさせた。
―戦う理由……そうだね。改めて考えると、無いのかもしれない。
ゼルマの制止を無視してまでチェルシーを追いかけた時、エリーはなぜそうしなければいけないかなど考えていなかった。正体不明の危機感と使命感に駆られただけだ。
エリーにはチェルシーの目的が、ただ真祖に会いたいだけだとわかっている。もしエリーがチェルシーを、誰にも見られないように真祖に会わせられれば、エリーの望みの”あと幾日かの平穏な時間”は守られる。だがエリーは、そうしたくないと思った。
「なんで戦うかって……敵だからだよ」
「同じヴァンパイアじゃないですか」
「騎士団の敵」
「それを言ったらあなたもあの騎士団の敵じゃないですか」
―そう。私もゼルマさんたちの討伐対象。でも私は、それでもいい。助けてもらったし、住む場所も貸してくれた。だから、今のうちに恩返ししておきたい。
エリーは自分の中でようやく答えが出たような気がした。自分が完全に騎士団の味方とは言えず、人間でもない自分がチェルシーと戦う理由を、今になってようやく見つけたのだ。
エリーは心のモヤモヤが晴れたように感じ、少し笑って答えた。
「そうだね」
エリーは先ほどチェルシーが言った”人間のフリ”について考え始めた。チェルシーを追い始めてからは人間のフリをしていたつもりはない。だがチェルシーはエリーが人間のフリをしていると言った。そして剣を使うことにも疑問を呈した。
―あ、戦い方だ。剣なんて使わなくていいんだ。
チェルシーが自分より手数が多い理由、それは単なる戦い方の違いだ。エリーはそれに気が付いた。
剣を放り投げ、左半身を引き、低く構える。
エリーは剣以外の戦い方を知っている。そしてヴァンパイアであることを隠す必要がない以上、その戦い方を制限する必要がない。
エリーは久しぶりに、スキルの使用を決めた。
―指尖硬化。