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人間の真似事

 ジャイコブは切り落とされた両手の再生が終わると、こちらにジリジリと距離を詰めるエリーを見据え、そして襲い掛かった。

 

 人間の目では追えないほどの速度で直進し、右手に体重を乗せて思い切り振る。格闘術など修めていないジャイコブのパンチは、動作だけを見れば素人のそれと同じだった。だがヴァンパイアの身体能力をもって振り抜かれた拳は、圧倒的な破壊力を秘めていた。

 

 

 

 

 

 エリーはジャイコブの動作をしっかりと目で追っていた。こちらに突進するための一瞬の溜めや拳に体重を乗せるための上体の引き方、そのすべてをヴァンパイアの高い動体視力を持って見切っていた。

 

 エリーはジャイコブの動きに集中しつつも、過去にルイアでヘレーネと戦った時のことを思い出していた。

 

 ―あの時は、どうやって対処してたっけ……

 

 エリーはまず、この状況で最も不味い展開を考える。


 まず避けねばならない展開は、自分がジャイコブに負けることだ。もし負ければ、ジャイコブによってゼルマ達も殺されるなり大けがをさせられることになる。次に、自分がヴァンパイアだと露見することだ。人間以上の身体能力を見せたり、受けた傷が高速で再生するところを見られてはいけない。

 

 今度は持ち込みたい状況について考える。

 

 それはジャイコブを倒すこと。これ以上騎士団に被害を出さずにジャイコブを倒すことができれば、とりあえず危機を脱することができる。

 

 ―よし、まとまってきた。後はどうやって倒すかだけど……

 

 「むん!」

 

 ジャイコブの渾身の右こぶしを、エリーは後ろに下がって躱す。ジャイコブの動作を一つ一つをしっかりと捉え、次の動きを予測し、一歩先に行動することで、人間並みの身体能力のみでの回避を実現していた。

 

 ―大振りすぎるね。

 

 全力でこぶしを振り抜いたジャイコブは、すぐに次の動作に移ることができない体制だった。なによりエリーは今、ジャイコブの拳が届かない距離に下がっている。

 

 「っふ」

 

 エリーは短く息を吐き、ジャイコブの突き出された右手を狙って剣を薙ぐ。

 

 ―骨に当たると剣が負けちゃうよね。

 

 刃はまたも右手首へと進み、あっさりとジャイコブの右手首を切断した。だがジャイコブは今度はひるまなかった。

 

 「ふんぬぁ!」

 

 ジャイコブは無理やり体をひねり、左手でさらに追撃を放つ。だがうまく踏み込むことができず、攻撃の距離が伸びない。エリーは剣を薙いだ姿勢のまま上体を反らすだけで回避することができた。

 

 そこで、エリーは思いついた。

 

 ―やることはヘレーネさんの時とほとんど同じだ。予備動作を見て、避けて、隙を見て斬り付ける。

 

 人間並みの身体能力で戦うエリーと思うままに体を動かすジャイコブとでは、ジャイコブの方が有利と言える。発揮できる筋力やスピードはジャイコブの方が大きいのだ。

 

 だが五感の鋭さは互角。

 

 そして冒険者として2年以上体を動かし、魔物と、時にはヒトと戦ってきたエリーは、何年も幻視というスキルに頼って戦うことをしなかったジャイコブに対し、戦闘の経験とセンスで勝っていた。

 

 さらにエリーにもう一つ有利な点として、素手のジャイコブより剣の分だけ攻撃のリーチが長いというのもある。

 

 「はっ」 

 

 距離を詰めて拳を振り抜くだけのジャイコブに、またもエリーの斬撃が命中する。太ももを浅く斬り付け、肩を突き、指を刎ねる。

 

 「ぬぅああ!」

 

 冷静に考え観察しながら戦うエリーに対し、ジャイコブには焦りが生じていた。

 

 ジャイコブが拳を振りかぶる時には、既にエリーは拳の届かない距離に居る。そして拳が空ぶったタイミングで、こぶしの間合いの外から斬り付けられる。何度接近を試しても、拳が当たる気配がまるでないのだ。

 

 ジャイコブにはエリーの動きがかなり遅く見えていた。エリーの振る剣も目で追うことができるし、エリーが拳を避けるために下がる動きも、ジャイコブがもう一歩踏み込めば十分に距離を詰められるほどの速度に思える。

 

 だがジャイコブは剣を避けることも、距離を詰め切ることもできなかった。エリーの動きは、拳を振り抜くための溜めや拳を振り抜いた後のわずかな硬直に、正確にタイミングを合わせていた。

 

 

 

 

 

 ゼルマとイングリッドは、エリーとジャイコブの戦闘を驚きの目で見ていた。ジャイコブが拳を振り一歩踏み込む動きはわずかな残像が見える程素早い。エリーとの距離を詰める速度が速すぎて、短い距離を瞬間移動しているようにすら見える。

 

 拳を振り、距離を詰め、また拳を振る。その素早い攻撃を捌き切るエリーの動きは、ジャイコブの動きに対してあまりに遅いのだ。

 

 目で追えないほど素早く強力な一撃を繰り出し続けるジャイコブを、エリーは十分に目で追える速度で躱し続け、わずかな隙をついて反撃する。それは異様な光景だった。

 

 「なんなんですか、あれ……」

 

 「わからん……」

 

 ゼルマはいつの間にか近くに来ていたイングリッドにそう答えた。イングリッドにわかることは、ジャイコブのパンチが繰り出される前から、エリーは避ける動作を終えているということだけだ。どうやってそれを成し遂げているのかはさっぱりわからない。ゼルマにもわからないようだった。

 

 

 

 


 

 パンチは当たらない。ジャイコブがそう理解するまでに、ジャイコブは27回ほど切り付けられてしまっていた。服のあちこちが切り裂かれ、出血によって赤く染まっている。切り口から覗く肌に傷は残っていないが、血に染まった服は、ジャイコブが失った血液の量を物語っていた。

 

 まずい。さすがに傷を負いすぎた。

 

 そう思ったジャイコブだったが、顔には出さず、パンチを繰り出しながらエリーに声をかける。

 

 「あのおなごは、感が良かっただが、おめぇさんは目がいいみてぇだなぁ」

 

 「……」

 

 エリーは答えない。冷静にジャイコブの攻撃を捌き反撃しているが、答える余裕はなかった。ジャイコブは、エリーが限界まで集中してギリギリで戦っていると思った。

 

 ジャイコブはニヤリと笑い、左肩を浅く斬り付けられながらこう言った。

 

 「だが、こいつはどうだぁ!?」

 

 そう言って繰り出したのは、先ほどまでより数段速いパンチだった。

 

 ―速いけど、見えてる。

 

 エリーに焦りはなかった。エリーの体はパンチの予備動作が見えた時点で軌道から外れている。後は攻撃が空ぶった後の隙をついて、手前に出てきているジャイコブの右半身を斬り付けながら、次の動きを観察すればいい。

 

 案の定ジャイコブのパンチは空ぶった。だが体の動きは止まらない。

 

 大ぶりな軌道を描くパンチの勢いのままグルリと体を回し、ジャイコブは渾身の後ろ回し蹴りを放つつもりだった。

 

 エリーに初めて見せる蹴り攻撃。頭のいいジャイコブは初見の蹴り攻撃は対応されにくいと知っていた。今までずっと拳の殴打しか見せていなかったのは、このためであった。

 

 ジャイコブはパンチを空ぶらせながらエリーの動きを見ていた。特別おかしな動きはしていない。今までと同じように、パンチの軌道から外れて避けている。だが蹴りは届く距離だ。

 

 後ろ回し蹴りは体を反転させて放つため、ジャイコブは一瞬後ろを向く。だが勝利を確信したジャイコブは、一瞬とはいえ背中を見せることに不安を感じなかった。

 

 「そこだべぇ!」

 

 ”ブウォン”という大きな風切り音とともに渾身の後ろ回し蹴りが放たれた。

 

 

 

 

 

 だが、その攻撃も空振りだった。

 

 エリーは先ほどのパンチが速いだけで大した力が込められていないように見えた。だから必ずパンチの後に何かがあると悟り、あえて距離をとるのではなく軌道から外れる回避をした。

 

 限界まで体勢を低くし、転がる、跳ぶ、受け流すのどれにでも派生できるよう構えていたのだ。そしてジャイコブの後ろ回し蹴りは、エリーの頭の上を通過した。

 

 「どこに」

 

 下に注意を払っていなかったジャイコブは、一瞬エリーを見失った。そしてエリーはその一瞬を逃さなかった。

 

 「はああ!」

 

 気合を入れた横一閃。その一撃はジャイコブの後ろ回し蹴りの軸足、その足首を狙い撃ちにした。

 

 踵側から迫った刃はアキレス腱を裁断し、足首の関節を通り抜けて振り抜かれる。

 

 「うおわ」

 

 支えを失ったジャイコブの体はグニャリと揺れ、そのまましりもちをつくように倒れ込む。エリーは手首を返してもう一撃放った。

 

 「グバッ、ガ」

 

 その剣先はジャイコブの喉を切り裂いた。首の骨より前側だけをすっぱりと抉り、ジャイコブの気道、食道とともに左右の頸動脈に深い切れ込みを入れていた。

 

 ジャイコブは首から噴水のように血をまき散らし、再生の終わっていない足で地面を蹴り、がむしゃらにエリーから離れる。

 

 ジャイコブの首の傷は見る見るうちに再生を終えたが、切断された足はなかなか再生されない。そしてジャイコブの瞳は、赤色から濁った黄色へと変わっていった。

 

 

 

 

 

 エリーの選んだ勝利の方法は、今まさに実現した。 

 

 ヴァンパイアとなったエリーは、ヴァンパイアの再生能力に限界があることを知った。血嚢という器官が取り込んだ血をエネルギーに変え、そのエネルギーを消費して傷の再生行うのだ。

 

 首を深く切られようが、心臓を串刺しにされようが、エネルギーさえあれば傷はすぐに再生し問題なく動ける。だが傷の再生や失った血液の補充にはエネルギーを消費する。そしてエネルギーが底を突けば、飢餓状態になる。

 

 エリーはジャイコブが飢餓状態になるまで持久戦をするという方法を選んだのだ。

 

 「はぁ……はぁ……ありえ、ねぇだ……おらが、人間に負ける、なんて」

 

 ジャイコブは傷の再生が終わったあとも両手で首を押さえ、息を荒くして立ち上がるそぶりが無い。エリーを睨む瞳が黄色くなっている。その姿はエリーの知る飢餓状態そのものだった。

 

 ジャイコブが戦闘能力を失ったのを確信し、エリーはフッと肩の力が抜けるのを感じた。

 

 「……勝った」

 

 ため息のようにそうつぶやいた。

 

 エリーは一度も攻撃を受けないまま、正体を見破られずにジャイコブを打ち倒したのだ。

  

 それは、エリーの完全勝利と言える結果だった。

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