分隊長カイル
夕方になって目を覚ました。最近になって、朝日が昇るころに眠り夕方になると起き出すこの生活にも少しずつ慣れてきた。
寝間着のまま中庭に出て、洗濯され物干しにつられている自分のインナーを探し出して回収し、自分の部屋で着替える。
自分で洗うのは面倒だからさぼってしまうが、ちゃんと洗濯して乾かした肌着は着心地がいいな。騎士はみんな貴族だから、洗濯とか炊事はみんな経験がない。だから誰もやりたがらない。騎士団全員分の洗濯をしてくれたのは、先日団長と一緒に拾って来たエリーという女性だ。行く当てが無いらしいからと団長がうちの兵舎に住まわせ、雑用を押し付けている。
正直、自分で洗濯しなくていいのは助かる。巡回で冷えた体のまま、冷たい水を使う仕事はやりたくない。
着替えを済ませ、兜以外の鎧を身に着けた後は食堂に行く。巡回に行く前に軽食を摂っておかないと腹が空いて仕方がない。
長テーブルに並べられた椅子と、厨房を覗かせるカウンター。食堂のつくりはたいていの施設も変わらないらしい。騎士学校の寮の食堂もこんな感じだった。
「おはよう、エリー」
厨房でパンに切れ込みを入れているエリーに、一応声をかける。団長は洗濯だけじゃなくて、食事の用意もエリーにやらせている。学生時代にお世話になった寮母さんみたいだ。
「おはよ、夕方だけど」
俺と同じくらいの身長に、毛先が暴れまわっている長い茶髪……別にどこもおかしくはない。おかしくはないが、あの夜に見つけた時はもっとこう、小さかったように見えた。髪もこんなに長くなかった気がする。あの時は暗かったし出血していた。見つけた時の俺が焦っていて、ちゃんと見えていなかっただけだと思う。
エリーからコップ一杯の牛乳と豆と野菜が切れ込みに挟まったパンを受け取って、もしゃもしゃ食べる。エリーが来る前までは牛乳を飲むだけだったり、ただのパンをぎゅっと握って一口で食べるだけだった。そのころと比べると豪華な食事と言わざるを得ない。
どうでもいいことを考えるのは止めにして、食事に専念するとしよう。
うまいうまい。この豆はひよこ豆だな。甘じょっぱい味付けになっていて塩気がいい感じだ。
俺がテーブルでパンを貪っていると、分隊員のナンシーが対面に座る。
「ぶんたいちょー、今日うちらはどこの巡回?」
なれなれしいしゃべり方だが、俺の分隊はみんなこんな感じだ。分隊長とか分隊員とか言っても、大した違いじゃないしな。
「今日は北西区だよ」
「え~、北西区は不気味で怖いよ~。ぶんたいちょー、ゼルマだんちょーに言って変えてもらってよ~」
無茶言うな。
ナンシーに遅れて他の団員も次々食堂にやってきた。みんな同じようにエリーからパンと牛乳を受け取って急いで腹に詰め込む。もうすぐ仕事の時間だな。
俺はパンの最後の一口を放り込んで牛乳で流し込み。食器を返して、分隊員を集めて兵舎を出る。
今日の巡回は北西区。治安が悪く、物乞いばかりの不気味な区画。騎士団員のほとんどが、一番ヴァンパイアが居そうだと言っていた区画だ。気合を入れて行こう。
日が沈む少し前から、分隊3人とまとまって北西区を練り歩く。4人全員のガチャガチャという足音を立て、背中を預けあって死角を無くすように、それでいて不自然じゃないように歩く。
こんな物々しい4人組の前にヴァンパイアがのこのこと現れるとは俺も思っていない。だが万が一ヴァンパイアと遭遇したとき、1人ではヴァンパイアに勝てない。2人でもほぼ勝てない。3人でいい勝負ができるだろう。そして4人なら、犠牲は出るかもしれないが、きっと討伐できる。ゼルマ団長はそう言っていた。だから4人でまとまって行動する。
もし遭遇したら、分隊員3人のうち1人をゼルマ団長のところまで走らせ、俺を含む3人で足止めしながら応援を待つことになっている。誰を走らせるかは、分隊長である俺が状況を見て決める。
頭の中でヴァンパイアに遭遇した時のことをシミュレーションしながら道を進み、角を曲がり、時折分隊員の様子を見る。
隊列を乱さないまま、適度な緊張を保って目だけで周囲を観察しているな。この調子で巡回を進めたいところだ。
かなりの時間俺たちは北西区を巡回し続けた。もうとっくに日が沈んで、辺りはかなり暗い。しっかり警戒しながら進んできたから、まだ北西区の半分ほどしか巡回できていないな。ペースとしては悪くないが、集中力が落ちてくるころだ。ナンシーなんかは見ればわかるほど集中できてない。顔ごと斜め上の方を向けているな。どこ見てんだお前。
「カイル分隊長」
閑静な夜の北西区にガッシャガッシャと鎧の音を響かせながら、イングリッド隊のタイラーが俺たちの方に走ってきていた。手には水筒を8つも抱えている。
いったん休憩するか。
「よしお前ら、飯の時間だ」
タイラーが持ってきた8つの水筒の内訳は、温かいスープの入った水筒4つと水の入った水筒4つだ。前まではパサパサの携帯食料4つと水の入った水筒4つという味気ない感じだったが、今は暖かいスープにありつける。
ありがたいな。
タイラーは水筒を配り終え”じゃ”と一言言って帰っていった。イングリッド隊はゼルマ団長と王城付近に駐屯だったから、あいつは団長や隊のみんなとスープを飲むんだろう。
俺たちは他に誰もいない路地に座り込んで、全員でスープを飲む。あまり騒がしくはできないが、団員たちとあれこれおしゃべりする時間でもある。
「これ牛乳?」
おいナンシー、お前も一応貴族だろ。なんでシチュー知らないんだ。
「シチューな。牛乳を入れて作るスープみたいなもんだ。野菜が溶けるまで煮込んであって濃厚だな」
「あのエリーって人が作ったんでしょー?」
そうらしい。兵舎に住んでいるエリーは夜に巡回したりはしないが、生活習慣を騎士団に合わせている。俺たちがこうやってヴァンパイアを探し回っている間、エリーは兵舎で洗濯したり、今飲んでいるスープを作ったり、作ったスープを飲み水と一緒にゼルマ団長のところに持って行ったりして、昼間は寝ているようだ。仕事は違うが、働く時間は俺たちと同じだな。
「給料とか出てるのか?」
なんとなく気になっただことがそのまま口に出てしまった。
「エリーって人のこと? あの人の衣食住は騎士団のお金や設備で満たしてるんだし、出てないんじゃない? 雇ってるわけじゃないんでしょー?」
「だろうな。行く当てが無いから騎士団の兵舎に住んでるんだろ?」
言われてみればその通りな気がしてきた。いや本当のところは知らないけどな。あとでゼルマ団長に聞いて……いや、別にどっちでもいいか。
「ところでぶんたいちょー」
「なんだ?」
真面目な顔でナンシーが俺を見ながら聞いてくる。珍しいこともあるんだな。
「この巡回って意味あるの? こんなふうに巡回してても、ヴァンパイアがうちらから遠ざかったり隠れたりするだけなんじゃない?」
それ、今気づいたのか。俺は配属初日にゼルマ団長にそのことを聞いたぞ。
「今はそれでいいんだよ。そのうち手掛かりが見つかるはずだからな」
ナンシーはよくわかっていないようだから、もう少し詳しく説明する。
「俺たちは王都に入って来る、あるいはすでに入ってきてどこかにいるヴァンパイアを探してる。ヴァンパイアを直接見つけ出せるならそれでいいが、それが難しいのは最初からわかってる」
「ならもっとこう、ローラー作戦みたいな感じで建物全部しらみつぶしに探したりした方がいいんじゃないの?」
「いろんな町でヴァンパイアが見つかって、そのヴァンパイアどもがみんな王都に向かって移動を始めたってことは、一応機密事項なんだよ。だからそんな大掛かりな捜索はできない」
「じゃあどうしようもないじゃん。巡回とか無駄じゃん」
無駄とか言うな。ちゃんと理由があるから。
「ヴァンパイア自身は潜伏できても、隠しきれないものがある。ヴァンパイアは人間の血を吸わないと生きていけないだろ?」
ここまで言うと、ナンシーもなんとなくわかったみたいだ。”ああなるほど”という顔をしている。
「血を吸った痕跡を完全に消すのはほぼ不可能だ。吸血された人間を殺すか連れ去って監禁するか、いずれにしても行方不明者が出る。抵抗されれば音がするし、暴れた跡が残る。そういう痕跡や情報を手掛かりにしてヴァンパイアを探すんだ」
俺の話を聞いたナンシーは、腕を組んでコクコクとうなずいた。
「わかったー。つまりうちらがやってる巡回はどうせ見つけられないヴァンパイアを探す無駄な行為じゃなくて、ヴァンパイアの情報を集めるため地味な調査ってことねー」
大体あってるが、言い方に悪意を感じる。”どうせ”とか”無駄”とか言うなよ。
カイル分隊はその後少し会話をした後、水筒を片付けて立ち上がった。
すぐ近くの建物。その2階の窓から彼らを見下ろす2つ赤い瞳に気づかないまま、彼らはカチャカチャと鎧の音を響かせながら歩き始めた。