変化と朝日
私の種族がヴァンパイアになっていた。それが理由なのか、私のステータスもいろいろと変わっていた。当たり前のように身体能力が大きく上がっていたし、私の体内には何やら新しい臓器があるらしい。
血嚢という臓器で、吸血した血液は胃袋ではなくこちらに溜まる。そして貯めた血液をエネルギーとやらに変化させる機能があるみたい。そのエネルギーで傷の再生とかを行えるようで、ハーフヴァンパイアのころはなかった臓器でもある。
あとスキルも変わっていた。指尖硬化はあるけど、ヴァンパイアレイジがなくなっている。ハーフヴァンパイアはみんな持っているスキルらしいから、ハーフヴァンパイアじゃなくなればヴァンパイアレイジもなくなるのかな。
ただ、ヴァンパイアレイジの代わりにαレイジというスキルがあった。どんなスキルなのかはわかんない。あと魅了というスキルもある。これは自分より下位の存在に対して使うと、自分に惚れさせて言うことを聞かせられるらしい。
なんというか、この変化は全部自分がヴァンパイアになったということを見せつけられるみたいで、嫌だな。
「……どうした? どこか悪いのか? 怪我は既に治っているはずだが……」
ちょっと長く水晶に触れてしまっていて、ゼルマさんに心配されてしまった。
「ううん、どこも悪くない。ちょっと念入りに確認してただけだよ」
そう、ちょっと確認しただけ。
もう、関係ない。
執務室を出た私とゼルマさんは、どこかに向かって兵舎の廊下を歩いていた。歩きながらゼルマさんが話しかけてくる。
「帰る場所はあるのか? どこか行く当ては?」
そんなの、ない。
なくなっちゃった。
「ない、かな」
今まで失敗と諦めばっかりしてきた。
ハーフヴァンパイアの特徴が出て、人間に戻りたいって思いながら、何にもしなかった。
ハーフヴァンパイアでもいいって思ってからは、マーシャさんの味方になりたいって自分の中で思って、それで完結して、どこかで満足してた。物事を深く考えなくなって、流されるようにストリゴイのいる王都にのこのこやってきた。
真祖なら私を人間に変えることができるって知って、今までハーフヴァンパイアでもいいなんて思ってたくせに、手のひらを返したみたいに人間になりたいって思って、ピュラの町を飛び出して、真祖の怒りを買って……
なりたくないって思ってたヴァンパイアに、なっちゃった。
今になって振り返ってみると、酷いね。欲しいものを欲しいと言うだけの子供みたいだ。結局なにも手に入れられなくて、それでも何も学ばずに欲しいって口にするだけの子供。
絶対に人間になるって決めて真祖に会ったのに、いざ会ってみれば気圧されて、なされるがままヴァンパイアになってしまった。
もう帰る場所なんてない。行く当てもない。
マーシャさんのところにヴァンパイアの体のまま帰れるわけがない。真祖にもう一度会ったところで、人間にしてもらえるとも思えない。
……じゃあ、もう何もしないほうがいいんじゃないかな。何を望んだって、私は私の望みを叶えられない。叶えられたことがない。
もうなんでもいい。
「あるように見える?」
「見えないから聞いたんだ」
自嘲気味に聞き返したら、ゼルマさんは呆れたような表情で答えてくれた。
「しばらくこの兵舎にいてもいい」
「いいの?」
”いいの?”なんて聞いてしまったけど、いいわけがない。ゼルマさんからしたら、私は夜中に倒れていた素性も知らない他人だよね。私は助けてもらっただけでも十分ありがたいのに、私のことをあんまり詮索しないまま、しばらくここに住んでいいと言い出した。ここまで来ると、もう親切というよりも……
「ああ、ちょうど人手が欲しいところだったんだ」
住まわせる代わりに、私に何かやらせたいらしい。ただ親切なだけで、しばらく住んでいいなんて言うわけないよね。
「うん、何でもするよ」
本当になんでもするつもりでそう言った。私はもう自分の意思で何かをするのが嫌になっていて、誰かに言われたことだけしていればいいのなら、それがどんなことでも良かった。
「ほう? なら、何でもしてもらおうか。辛くて大変な仕事だぞ。覚悟しておけ」
ゼルマさんは不敵な笑顔を私に向けてそう言った。
ゼルマさんが私を連れてきたのは、四方を壁に囲まれた中庭のような場所だった。壁が高くて、見上げてみると夜空をとても狭く感じる。あと、ゼルマさんが少し寒そうにしている。
そんな中庭の片隅に置かれた、2つの水を張った桶と大量の肌着が積まれた籠。それが私の仕事道具らしい。
洗濯用の石鹸を手で温めて水に溶かし、肌着を石鹸水につけてジャバジャバと洗いながら汚れを探し、汚れがあれば落ちるまでそこを優しく擦って洗う。洗い終わったら水で濯いでから物干しに引っ掛ける。これを籠に入れられたシャツやパンツ、靴下の全部に行う。
これがゼルマさんの言う、辛くて大変な仕事だった。
「どうだ、辛いだろう? 嫌なら早めにここを出ることだ。外でいい男を見つけるか、仕事を探し出すんだな。それまではここで寒い中洗濯をしてもらうからな」
ゼルマさんはそう言い残してどこかに行ってしまった。一見意地悪に聞こえるけど、行く当てを見つけるまではここに居ていいって言ってくれたんだと思う。親切すぎるというか、私にとって都合が良すぎる気がする。
確かに人間なら真冬の水を使う仕事は辛いし、量が多いから大変だと思う。でもヴァンパイアの私には別に辛くも大変でもない。手がしもやけになることもないし、20人分でも30人分でも、洗濯くらいでは時間がかかるだけで疲れたりしない。
……考えない。関係ない。言われたことだけ、してればいい。
どうせ簡単な仕事なんだから、丁寧にやろうかな。石鹸を水に溶かすなんていう贅沢な使い方は初めてで、ちょっと楽しいしね。
全部の洗濯物を物干しに引っ掛けたころには、だいぶ日が昇ってきていた。一仕事終えた後に見る真冬の朝焼けは、高い壁越しでもとてもきれいに見えた。物干しに引っ掛けた洗濯物にお日様がちょっとずつ当たり始めて、洗濯物の光の当たった部分がきらきらしてる。
もう少しここに居たら、私は日光を浴びることになる。今の私はそれだけで死ぬんだろうね。
……いっそこのまま日に焼かれてしまおうかな。どうせ何もできないなら、別に生きてる意味なんてないのかもしれない。それにこの国から一人ヴァンパイアが消えることにもなる。悪くないかも。ヴァンパイアがいなくなって悲しむ人なんていないだろうし、ちょっと日光浴すれば簡単に……
「エリー」
さわやかな朝焼けを見ながら自殺について前向きに考えていると、ゼルマさんの声が聞こえてきた。
「私は寝るから、お前も寝ろ」
「え、今から寝るの?」
ここの騎士団は今日はお休みなのかな。
「ああ、私たちは夜間警備が仕事だからな。日が出ている間は寝る時間なんだ」
そう言えば、夜間警備騎士団って言ってたっけ。それでさっきまでは兵舎に誰もいなかったんだね。今20人くらいでここに向かって来てる気配の主は、団員さんたちってことかな。
頭から日光浴という単語を消しながらゼルマさんの方に向かう。
「エリーの部屋は、まぁあの部屋でいいだろう」
”あの部屋”というのは、私が最初に寝かされていた部屋かな。そのまま使っていいってことだと思う。
ゼルマさんの後ろをついて歩いている兵舎の廊下には、南側の窓から朝日が差し込み始めている。私はちょっと確かめたくなって、歩きながら手の甲を差し込んでくる光に晒してみた。
……燃えることも、溶けることもない。でもちょっとしびれるような、嫌な感覚がある。なんとなく体に悪そうな感じ。
やっぱり今の私にとって日光は危険らしい。
なんとなく、胸が苦しい。