墜落
「ふむ。すぐにヴァンパイアにしてやろう。間に合ってよかった」
真祖は私の方に手を伸ばして、触れようとする。私はとっさに半歩下がりながら
「待って! 違う!」
そう叫ぶように言った。こんなのは何かを頼むときの態度じゃないと気づいたのは、言い終わった後だった。
「ち、違う。私は人間にしてもらうために、来たの。ヴァンパイアにはなりたくない」
慌てて付け加えたけど、きっともう遅い。真祖が私を見る目は優しいままだけど、さっきまでとは何か違う。感情が抜け落ちたような表情になってる。
「……それはいかん」
ソファーに深く腰かけたまま伸ばした手をひじ掛けに戻した。
「人間にはしてやれぬ。今は余の言うことを聞くがよい」
有無を言わせない態度と声音で、私にヴァンパイアになれと言う。
思わず従いそうになる。
でもそれだけはダメ。私は魔物じゃなくて、人間になりたい。
「いや」
「駄々をこねるでない」
「いや……」
駄々をこねているつもりなんてない。私がちゃんと人間になりたい理由を言わないから、わがままを言ってるように聞こえるんだ。ちゃんと話せば人間にしてくれるはず。
「一緒に居たい人がいて、私がハーフヴァンパイアだって知っても、一緒に」
「ゆっくり話をしている時間はないのだ」
……なんで?
「こちらへ来るがよい。余の血を飲み、ヴァンパイアになるのだ。それからゆっくり話を聞かせてくれればよい」
真祖がもう一度私の方に手を伸ばして手招きをするのが見える。
「なんで、ヴァンパイアにならないといけないの? 人間にしてくれたら、それだけで、全部終わるのに」
「人間にはしてやれぬ。理由も後で話す。だから今はこちらに来て、我が血を飲むのだ」
そんなの嫌だよ。ヴァンパイアになりたくないって言ってるのに、人間になりたいって言ってるのに、私の望みは全部突っぱねて、嫌なことだけさせようとする。理由も教えてくれないし、私の事情だって聞いてくれない。
「……どうしても、こっちに来る気はないのか?」
低くゆっくりとした声で、脅すような問い方。そうだと言ったら、何をするつもりなんだろう。
……関係ない。
「ないよ。ヴァンパイアにするんでしょ? ヴァンパイアにはなりたくない」
もう何でもいい。何がどうなっても、私は人間になる。そう決めてきた。今日、今だけは失敗しない。
「……そうか。では仕方ないな」
「え、」
あっさりと真祖は要求を引き下げた。怒るなり、脅すなり、私に言うことを聞かせようとすると思ってたんだけど……
「名を聞いていなかったな。教えよ」
そう言えば、言ってなかった。
まただ。頼みことをするはずなのに名乗ることも忘れてた。人間になれるっていう思いと真祖に会うという緊張で、ちょっと冷静じゃなかった。
落ち着こう。
「エリー、です」
今さら恐縮して敬語になる。とってつけたような敬語なんて、意味がない。でも真祖はそんなこと気にした様子が無い。
「エリーだな。では少しだけ話をする故、聞くがよい。エリーにも深く関係することだ」
「……うん」
「この体はこの国の王の物だとは、先ほど言ったな。余はこの体を使って、この国を支配する。人間を支配し、彼らの血を糧にヴァンパイアやハーフヴァンパイアが住まう、我が子らのための国を作る。」
……どこかで聞いたことがある。そうだ、サイバが言っていたことだ。あの夜にヘレーネさんが教えてくれたことだ。ストリゴイの目的がそのまま真祖の目的になってる。
よく考えたら、当たり前だ。
真祖を復活させたのがストリゴイなら、ストリゴイの言うことを真祖が叶えてもおかしくない。復活させてくれたお礼とか、ヴァンパイアのためとか言って、真祖に言うことを聞かせてるんだ。
「余が完全に復活するには今しばらく時間がかかるが、そう遠くない先のことだ。そうなったとき、エリーは人間とヴァンパイア、どちらの側に居るべきかは言うまでもあるまい」
薄っぺらい。
当たり前みたいに国の支配がうまくいく前提で話してる。
そんな未来の話より、私の今の事情を聞いてよ。
「エリーのため言っておるのだ。我が子のためを思う余を信じ、言うことを聞くのだ。エリーをすぐにヴァンパイアにしてやる。ハーフヴァンパイアより弱点こそ増えるが、ヴァンパイアの力はエリーの想像を超えているだろう。遠くない未来、今ヴァンパイアなったことを幸運だったと思うはずだ」
今私がヴァンパイアになって真祖の妄想する国が実現したとして、私はそのことを幸運だったと思う? 人間から血を吸い取ってヴァンパイアを養うような国に、私はヴァンパイアとして暮らすの? マーシャさんを傷つけて、血を奪って生きるの? そんなの幸運なはずない。
「……我が子よ、余の手を取ることを拒むか?」
真祖はまた、私に向かって手を差し出してくる。
そんな手、取らないよ。とったらきっと後悔する。
「人間にしてよ。国の支配もやめてよ。私は人間になれれば、一緒に居たい人を傷つけずに済むの。それだけでいいから」
「一緒に居たい人とやらは、人間か? 傷つけるというのは、吸血のことを言っておるのか?」
「うん」
すごく端的な感じにはなったけど、それでも、私の事情を話すことができた。それに一応理解も得られた。
「その一緒に居たい人とやらは、エリーに血を吸われることを嫌がるのか?」
……それ? 大事なこと?
「吸ったことが無いからわからない。でも、嫌だと思う」
確認する必要なんかないよ。血を吸われるなんて普通いやだよ。牙が刺さって痛いし、傷口から血を吸い出されるのはぞわぞわして気持ち悪い。血を吸われて喜ぶ人なんていない。
「そのような人間は我が子と共にあるに足らぬ。余の作る国でもっと良い相手を探すがよい。我が子はみな人間などより寛容で屈強だ」
「そうじゃないよ。私が一緒に居たいの。私が血を吸わなければいいだけなの」
「……ふむ」
真祖は私の方に差し出した手を引っ込めて、考えるようなしぐさをした。
今のうちに、私も考えないといけない。なんて言えば、真祖は私を人間にしてくれるのか、なんとかその答えを見つけないと、私はまた失敗してしまう。
「……我が子との会話は、どのようなモノであっても楽しい。だがこうも話が平行線だとつらくもある」
真祖はソファーからゆっくり立ち上がって、真正面から向き直る。立ち上がると威圧感があって、思わず数歩後ろに下がってしまう。
「だがもう時間がない。今すぐ答えよエリー」
右の袖をまくり、左手の爪で右腕をひっかいて血をダバダバと床に滴らせ、真祖は続ける。
「ヴァンパイアに、なれ」
何度聞かれても答えは同じ。
「いや」
私が首を横に振っても、真祖は手を私に向けたままだった。ボタボタと床に滴っていた血が、グルグルと渦を巻いて球状にまとまり、真祖の手のひらに収まっていく。
「……言ってもわからぬのなら、その身を持ってヴァンパイアの力を知るが良い」
真祖の手に集まっていた血が弾けた。ほんの一瞬、真っ赤な血の飛沫が私のいる方向に、放射状に超高速で飛んでくるのが見える。
一瞬耳が聞こえなくなって、強い衝撃を受けた。
ヒュウヒュウという音が聞こえて、自分が今外に居ること気づいた。
空中でグルグル回りながら落ちている。
視界の端に、さっきまでいた塔がうつる。壁に大穴が開いていて、私と一緒に壊れた石造りの壁が落ちて来てる。
遠ざかる夜空と、ぐんぐん近づいてくる石畳の地面を見て、私は自分の結末を悟った。
もう何をしても、何もかも遅い。
動けなかったなぁ……
もしあの血しぶきを躱せてたら、何か変わったかな。
ううん、見えてたはずなんだけど、体がついてこなかった。たぶんどうやっても避けられなかった。
体の感覚がほとんどない。血の飛沫が当たったところが熱いことしかわからない。
でも、これでよかったのかも。
ヴァンパイアになるくらいなら、ここで死んだ方がいい。
マーシャさんにもう会えないけど、ヴァンパイアとして会うのは嫌。
結局、何にもできなかったなぁ……
そこまで考えて
背中に強い衝撃を感じて
私はそれ以上何も感じず、何も考えられなくなった。