邂逅
王都まで、ヴァンパイアレイジを使った私が全力疾走すれば1時間ほどで着く。今は街道を反れて一直線に向かってるから、もう少し早く着くはず。
もう音は聞こえない。ピュラの町を出た時はまだほんの少しだけ聞こえていたけど、今はもうザラついたあの音しか聞こえない。これが真祖が復活した影響だってことはなんとなくわかってる。
ヴァンパイアにはどんな影響が出てるんだろう。ハーフヴァンパイアの私には、この音とヴァンパイアレイジが勝手に使ってしまうという影響が出てる。ヴァンパイアにはもっと強い影響が出てるんじゃ……
そんなこと考えなくていい。私には関係ない。
王都の防壁が見えてきた。夕方にピュラの町を飛び出して、ちょうど今日が沈んだ。思ってたより遅い到着になるかな。街道を反れずに来た方が早かったかも。
どんどん防壁が近づいてくる。
あと少しで、王都に入る。
あと、少しで……
音が聞こえる。
自分の足音と、息遣いと、風を切る音。
王都の防壁のすぐ近くまで来た時、私の耳が正常に音を拾うようになった。ちょっとびっくりした。
「もしかして」
指尖硬化を使ってみると、ちゃんと使えた。もしかしたら真祖の影響を受けなくなったのかと思ったけど、そんなことなかった。耳が聞こえるようになっただけで、今でもヴァンパイアレイジは使いっぱなしみたい。きっと今も私の目は真っ赤に染まってるんだと思う。
でも、構わない。音が聞こえていてもいなくても、やることは変わらない。
人間になるって決めた。失敗ばっかりしてきたけど、今回だけは成功させるんだ。
思い切り地面を蹴って、防壁に飛びつく。ぎりぎり飛距離が足りて、両手を引っ掛けることができた。
指先に伝わる振動で、誰かが防壁の上を歩いているのがわかる。少なくとも2人いて、1人は私から遠ざかり、もう1人は近づいて来てる。音の感じから鎧を着てるのもわかる。こんな時間にこんなところを、鎧を着て歩くなんて、意味がわからない。
片手の薬指と小指だけで防壁に掴まって、指尖硬化を使ったまま近づいて来てる人が遠ざかるのを待つ。暗い場所では指尖硬化で黒くなった私の指は見つけられないし、壁にピッタリ張り付いた私の体は、のぞき込まないと見えない。簡単にやり過ごすことができた。
タイミングを見て、防壁の内側に一気に降りる。家屋の屋根に着地したら当然大きな音が鳴ると思うけど、それも大丈夫。降りる場所も考えてある。私は北西区の集団墓地に降りる。あそこは柔らかい土ばっかりだから音もしないし、人目もない。
トサリ、とわずかな音を立てて土の上に降り立つ。誰にも見られなかったと思う。
着地してしゃがんだ体制から立ち上がった時、鼓動を感じた。
穏やかな”トクン”という音。私の心臓の音じゃない。
これはたぶん、真祖の鼓動だと思う。なんとなくわかる。心地いい、落ち着く音。私を誘うような、導くような音。
誘引されてる。はっきりと鼓動の発信源がわかる。
王城にある塔の一番高い部屋が、この鼓動の発信源。
ここから3キロくらい離れてるのに、こんなにも明確に場所が伝わって来る。
あそこに、真祖がいる。
もし真祖の居場所がわからなければ王都中を探し回るつもりだったけど、これだけ居場所をアピールしてくれるならその必要はないね。すぐに向かおう。
王城に向かう途中で、鎧を着た人を何人か見つけた。今の私の目は赤いから、きっとヴァンパイアだと思われてしまう。会わないようにしよう。
もし私が集団墓地に降りた時に、あの鎧の人がその場にいたら危なかったかも。
また鎧を着た人たちを見つけた。鎧の胸の装甲に、白い十字架が描かれてる。今度は王城の周りの広場にいるけど、一体何のためにこんな寒い夜に見回りなんてしてるんだろう。王城に入るのは無理みたい。
でも大丈夫。素直に城の中から行こうなんて思ってない。それに少しだけど、城の構造は知ってる。
都合よく鎧を着た人が4人ほど離れた隙に、城に近づいて壁をよじ登る。バルコニーの窓を破れば中に入れるけど、今は屋根の上に行って塔に向かう。
思った通り、塔の入口を見つけた。中庭にある塔の根元に、普通に木製の扉がある。
「……はぁ」
白い息を吐きながら扉を引いてみると、鍵はかかってなかった。中は螺旋階段になっていて、足音は聞こえない。
靴は革製で柔らかいから、石の階段を上っても”トス、トス”という足音しか立たない。聞こえるのは自分の足音と、吐息と、外の風の音だけ。
「もうすぐ……」
もうすぐ真祖のところに着く。そう思うと、嫌な感じで緊張する。真祖が私の要望をかなえてくれるとは限らない。そもそもなんとなくわかるってだけで、絶対にこの先に真祖がいるなんて保証なんてない。
寒いと感じるのに、冷たい汗が止まらない。
息が上がる。
でも、行くしかない。
人間になるには、そうしないといけない。
「はぁ、はぁ」
螺旋階段が、長い。もうずっと上り続けてる気がする。
早く人間になりたいのに、足が重い。
螺旋階段を何段も何段も上って、やっと終わりが見えた。
塔の入口にあったのと同じような木製の扉が、あと数段上った先にある。
私は足を動かして、壁に手を突きながら扉の前まで行った。
扉の奥から、王都に入ってからずっと感じている、あの鼓動を感じる。ドクンドクンとうるさい私の心臓が、扉の奥から響いてくる落ち着いた音に同調していく。
入っても、いいのかな。大丈夫かな。
今さらそんなことを思ってしまうくらい厳かな空間が、この扉の向こうにある気がする。
「入るがよい」
その声は、扉の前で一瞬立ち尽くした私に対してのものだと思う。低く、若くはない男性の声だった。
ドアノブを回して、一歩踏み出して、その部屋を見た。
塔は石造りだったのもあり、部屋の壁も床も天井も石を敷き詰め固めたもののようだった。壁には正方形の窓が開いていて、カーテンだけが備わっている。硬くてデコボコした床の上には、丸テーブルと椅子が3つ、それとどこからどう見ても高級品とわかる、真っ赤なソファーがあった。
その真っ赤なソファーには、黒くて短い髪の、初老の男が座っていた。足を組んで、私を見定めるような赤い目でこっちを見てる。
「よく来たな。お主が最初だ」
この人が真祖なんだろう。もうなんとなくじゃなくて、はっきりわかる。ソファーに座る真祖は、私やマーシャさんや、ヘレーネさんとは違う、全く異質なモノに感じる。
あと、真祖の顔になんとなく見覚えがある。
「国王様?」
以前王弟ジークルード殿下に会ったことがある。黒くて長い髪をオールバックにしたおじさんだった。覚えている限り、王弟殿下の顔立ちは、今私と目が合っている真祖の顔によく似ている。王弟殿下と兄弟だと言われれば、納得してしまうほど似ている。
「体はジャンドイルという国王の物だな。そんなことより、近くに来るがいい。もっと近くで顔を見せるのだ」
体は国王の物、ね。他人に乗り移るとかそう言うスキルを持ってるのかな。
頭の中ではそんなことを考えていたけど、体は恐る恐るという感じで真祖のところに歩を進める。部屋に入る前までは、正直怖かった。でも今は恐怖をあまり感じない。初老の男性が相手なのに、包容力を感じる。
本当なら出会ってすぐに”私を人間にして”と言うつもりだったのに、真祖の言う通りにしたくなってしまう。なんとなく、目の前の真祖という存在に全部をゆだねてしまいたくなる。言うとおりにしていれば、辛いことや苦しいことや痛いことから守ってくれるような、そんな気がしてしまう。
……いやだ。
「どうした? 怯えずともよい、余はお主の味方であり、親のようなものだ」
あと数歩で手を伸ばして触れ合える距離というところで、私は止まった。真祖は緩く微笑んだ顔で、私にもっと近づけと手招きする。
「早く来るのだ、我が子よ」
そう言われて止まっていた足が、無意識に一歩踏み出した。
どうしよう。なんて言って人間にしてもらえばいいのかわからない。そもそもなんて呼べばいいのかもわからない。
この期に及んでそんなことを考えるくらいには、私は真祖に気圧されてしまっている。
また私の足が止まる。今度は目の前には真祖がいて、ソファーに座ったまま私の顔を見上げ、それから全身を一通り見まわして、目を見開いた。
「ハーフヴァンパイア……生き残っていてくれたのだな。もう途絶えたものと思っておった故、気づくのが遅れた」
返事しないといけないよね。でもなんて言えば良いんだろう? いやそんなことより、私は人間にしてもらいに来たんだから、ちゃんと言わないと……
「あの、私を」
「ふむ。すぐにヴァンパイアにしてやろう。間に合ってよかった」