騎士
「緊張はしているか?」
私の横に立つ父上が、私に問う。
「いいえ、父上」
伯爵から侯爵に昇格した父上が、直轄の騎士団を設立する。今日はその設立日で、私が騎士団長となる。これから面倒な挨拶や式が行われ、私はそのすべてに出席しなければいけない。面倒だが、緊張はない。
先日騎士団の団員達との顔合わせを終えて、これから何人かの貴族たちに会って回る。今日会う貴族は王城の一室を貸し切って、私と父上を待っているそうだ。
「オイパール・トレヴァーと新設騎士団団長ゼルマ、参りました」
「お待ちしておりました。既に皆様お集まりです」
別に誰が待っていても関係ない。ああ、そう言えばリオード伯爵とやらにはしっかりと顔を覚えてもらえと父上が言っていたな。伯爵位でありながら、王弟殿下とともに内政を行う重要人物だとか。騎士団の仕事に関係あるのだろうか……考えるだけ無駄だな。父上の言うことに逆らう意味がない。
両開きの扉を抜けると、さほど広くはない部屋に3つほどの丸テーブル。その上には酒に料理。上品な香りを下品なほど体に振りかけた貴族が十数名。不快な空間だ。
面倒なことは真っ先に終わらせるのが私と父上の主義だ。リオード伯爵を見つけた父上についていき、部屋を横断して真っ先に挨拶に向かう。
「これはこれはトレヴァー伯……いえ、侯爵でしたな」
表面上にこやかに笑うこの男がリオード伯爵か。手を握りしめながら話しているあたり、父上をよく思っていないのだろう。
「リオード伯爵、ご機嫌いかがでしょうか」
「そのような言葉遣いはおやめください。ところで、そちらの方が?」
「ええ、娘のゼルマです」
”印象よく挨拶をしろ”父上にそう言われた以上、努力義務は果たさなければならない。
「この度吸血鬼討伐騎士団の長となります、ゼルマと申します」
リオード伯爵は眉をひそめている。吸血鬼討伐などという名前の騎士団など、普通ないのだから当然だ。
「おや、リオード伯爵なら知っていると思ったのですが」
にんまりと口角を上げ、父上が説明を始める。
「数日前から、あらゆる町や都市でヴァンパイアが目撃されているのです」
「なんと」
小さな声ではあったが、本気で驚いているようだ。本当に知らなかったのだろう。
「そしてヴァンパイアたちは、みな一様にこの王都に向かって移動し始めたそうなのです。発見できたヴァンパイアは十数体、そのすべてが王都を目指したのです」
「この王都に……いったい何が」
「わかりません。ですが指をくわえてみているわけにもいきません。先日王弟殿下にお会いし、このことをお伝えした際に、この騎士団の設立を認めていただきました」
父上は意地が悪い。王弟殿下ともっとも距離感の近いリオード伯爵にそれを言うとは。自分の方が王弟殿下に重宝されているというアピールにも聞こえる。意図してやっているなら、本当に性根が腐っている。
「表向きには夜間警備を行う騎士団ということになっていますが、リオード伯爵には知っていていただこうと思いまして、真っ先にご挨拶に伺いました」
ここに集まる貴族全員に面倒な説明をする必要はないらしい。夜間警備を騎士が行うというのもおかしな話だが、ヴァンパイアがどうのこうのと言うよりはいい。
「疲れたか?」
「はい」
長々と貴族たちに挨拶し、今後の活躍を期待するだのという心にもないことを言われ続けるのは疲れる。特にキエンドイという伯爵は酷かった。私に対して無感情というか、終始まったく関心が無いようだった。心が無いのではとすら思ったほどだ。
「明日も同じ部屋で何人かの貴族と挨拶を交わす。数日は忙しいが、それが終われば騎士団として活動できるようになる」
父上は全く疲れていないように見える。会う貴族全員から爵位が上がったことを賛辞されていたのだから、私と違って楽しめたのだろう。
「父上、一つお聞きしたいことが」
「なんだ?」
気になることは一つどころではないが、とりあえず今は一つだけ聞くことにする。
「今後の戦果はいかようになるのですか?」
「騎士団の戦果は私の物だ。領地の金でお前の騎士団を運営するのだから当然だろう」
それはわかっている。
「そうではなく、”私の戦果”はどのようになるのですか?」
「ああ、言っていなかったか」
父上は思い出したようにそう言うと、こう続けた。
「それも私の物だ。それとなく私のところに持ってきなさい」
まぁそんなことだろうと思っていた。私が持っていても仕方ないのだから。
数日父上とともにあいさつ回りや設立の式を終え、やっと父上と離れて行動することができるようになった。
とはいっても一人になれるわけではない。部下である騎士団員たちと、兵舎で共同生活と仕事の毎日だ。
「ゼルマ団長。おはようございます」
「おはようではないぞカイル。もう日が沈む直前だ」
王都の夜間警備が、騎士団の表向きの目的だ。夜間に外から王都に来たものの精査、防壁を飛び越える者がいないかの監視、そして既に王都に来ているだろうヴァンパイアの捜索と討伐。これらを行うための名目が夜間警備なのだ。
今は夕方。ヴァンパイアにとっての早朝。気の早いヴァンパイアなら、そろそろ動き出すかもしれない。
カイルは団員の一人で、トレヴァー家の遠縁の貴族の三男。わずかに日に焼けた健康的な肌と赤い髪の、快活な青年だ。
だがこの騎士団の業務は夜間に集中する。きっとカイルの肌も白くなってしまうのだろう。
「ゼルマ団長」
声をかけられ、振り返る。カイルの分隊3人がそろってこちらに歩いて来ていた。
「北東区から順にシド隊、ゲイル隊、イングリッド隊、トーマス隊がそれぞれ巡回中です」
騎士団は4人で1分隊を形成する計6分隊で構成され、王都の各区画をローテーションで毎日巡回している。余った2分隊は、私のところと城壁の上に1分隊ずつ配置され、私の手と目の役割を果たしてくれている。今日はカイルの分隊が私のところに駐屯する日だ。
「いちいち言わなくてもわかっている。王城の周りはどうだった?」
私は王都の中心にある王城をあまり離れない。代わりに私のところに駐屯する分隊に警備をさせている。
「怪しい者は見かけませんでした。というか西日が差す間はこの辺りに連中は出ないと思われます。王城の周りは広場になっていますから見通しがいいですし、西日が差すので」
自信満々に報告するのは、さっきから一緒に居るカイルだ。警備を分隊の3人に任せていたくせに。
「……まぁ、異常がないならそれでいい」
ちょうど今日が沈んだ。本当なら日が沈んでから警備をさせればいいんだが、やる気満々の彼らは念のためだと言って出てしまう。
「それにしても、できればもう1分隊ほしいな」
「え? なんでですか?」
本音をこぼしてしまい、それをカイルに聞かれてしまった。
「鎧や武器の整備、インナーの洗濯と言ったことが間に合っていないだろう。私は不潔なのは嫌いなんだよ」
「ああ、なるほど。俺らはあんまり気にしてませんでしたが……というか、そう言うのは分隊じゃなくてメイドでも雇えば良いじゃないですか」
私も最初はそう思ったが、私たちの仕事にはヴァンパイアとの遭遇という危険が伴う。北東区にあるこの騎士団の本拠地がヴァンパイアに襲われた場合のことを考えると、戦えない者を置くのはためらわれる。
「予算のこともある。毎日欠かさず、自分で整備と洗濯をしろ」
私がそう言うと、カイルの分隊がそろって”え~”と不満を口にし始めた。
こう言う団長と団員の距離が近い騎士団は珍しい。だが、うちの騎士団はこれでいい。ヴァンパイアという、人間一人では勝てない相手を討伐するのが目的の騎士団なのだから、同じ騎士団の仲間との連携が何より重要となる。距離が近いに越したことはない。
カイルの分隊が面倒だのもっと予算があればいいだのと言いあっているのは、見ていてほほえましい。父上と一緒に居る時には全く感じないような、温かい違う気持ちにさせられる。一通り眺めた後、私と共に駐屯する分隊への、いつもの命令を下す。
「カイル隊、兵舎に戻り全分隊への食事の用意をせよ」
「はっ」
私は巡回に参加せず、王城の近くで何かあったときに備えることになっている。そんな私に駐屯していても暇なだけなので、いつもこうして休憩時の食事の用意をさせている。4人分隊が6つあるのだから団員は24人、そして団長である私の分を合わせた計25食の用意だ。もちろん今から作っても間に合わない。食事の用意などと言ってはいるが、兵舎から携帯食料と飲み水を持ってくるだけだ。
カチャカチャと鎧の音を響かせながら兵舎に向かう。
ほどなくして、携帯食料と水筒が乗った荷車を引いたカイル隊が戻って来た。
「戻りました」
「ああ」
鎧を着たまま重い荷車を引いて疲れただろうから、少し休ませる。一休みして小腹が空くころになったら、各区を巡回する分隊に食事を持っていく。それまでは休憩だ。
「鎧重い」
「重いのは同感だが、ヴァンパイアを相手にするとなると脱げないよな」
「大体なんでヴァンパイアがここに集まり出したんだろうな」
カイル隊のメンバーは仲がいい。私に聞こえているのも構わず、休憩中だからとしゃべっている。別に咎めるつもりはない。
むしろ、そうしていてほしい。穏やかな時間を感じられて、落ち着く。瞼を閉じて冬の匂いと仲間の話声に意識を向けると、肩の力が抜ける。
もうしばらくこうしていたい……
石畳が叩き割られる音が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「構えろ!」
私が発破をかける前から、カイルの分隊は全員が抜剣して低く構えている。騎士としてしっかり訓練を積んでいるのがわかるな。
「カイル、音の方角はわかるか」
「あっちです」
私もわかっているが、確認をとる。分隊3人も同じ軽く頷き、自分が聞こえた方向がカイルの指差す方向に相違ないことを示している。
お互いの死角を補うように整列し、音の発信源にじりじりと近づく。
何か動くものはないか。目と耳を研ぎ澄ます。
王都とはいえ、真冬の夜に出歩く者は滅多にいない。特に王城付近では全くいないと言っていい。もし何かがいるのなら、最大限警戒しなければならない。
「……ゼルマ団長、あれ」
カイルに言われ、彼が示した場所を見る。
石畳に亀裂が走っている。
亀裂の中心に視線を送る。
手足を投げ出すように仰向けに倒れた女が、血だまりに浮かんでいるのが見える。
「団長?!」
とっさに走り出していた。今すぐ近づいて、生死を確かめなければいけなかった。
血だまりが広い、つまり出血がひどい。それにこの寒さの中、服がびりびりに破れてしまっている。もしまだ生きているのなら……
「……」
息はしていない。
だが脈はある。
「す、すぐに治療院に!」
「待て待て」
慌てて女を抱え上げようとするカイルを慌てて止める。
「兵舎の方が近い。私なら治療できる。私の鎧を頼む」
箇条書きのような言い方になったが、言いたいことは言えた。団長命令とは言わなかったが、カイルはすぐに頷いてくれた。
鎧を脱いで、彼女をゆっくりと抱き上げる。真冬の夜の寒さに晒され続けた鎧で、生身に触れてはいけない。出血によって下がった体温を余計に下げれば、それだけで死にかねない。カイルの服で体を包んで体温が奪われるのをできるだけ遅くし、兵舎へと走る。
「ほんとに、治療できるんですか?」
「ああ」
この女は助けられる。そこは問題ない。
問題があるとするなら、この騎士団が設立早々厄介ごとに首を突っ込んでしまったかもしれないということだ。