半ヴァンパイアは人間を目指す
長くなってしまったので、時間のある時にどうぞ。
さて、エリーさんを捕まえられましたし、ハーフヴァンパイアのルーツからお話しするとしましょう。
「ヴァンパイアと人間の間に子供ができたとすると、何が生まれてくると思います?」
私が問いかけますと、エリーさんはぼそりとつぶやくように答えてくださいました。
「ハーフヴァンパイア」
「と、思いがちですが違いますわ。ダンピールというヴァンパイアとも人間とも、ハーフヴァンパイアとも違う種が生まれます。一応付け足しておきますと、ハーフヴァンパイアは種として独立していますから別種からは生まれません」
後ろから抱きしめていますからエリーさんの表情は見えませんが、きっと放してほしそうなお顔をしているのでしょうね。
「それ、私が人間になれるとかの話に関係あるの?」
関係大有りです。もっと端的にお話すれば簡単なのですけれど、せっかくですからゆっくりお話ししたいですし、もったいぶりましょう。
「いいから聞いてくださいな。ダンピールは自身の血を操る術を持っていて、その血はヴァンパイアをたやすく死に至らしめることができたそうです。ですがダンピールは生物として少々不完全だったのですわ。血を飲まなければ死ぬ。日光に当たれば死ぬ。人間と同じ食事もしなければならず、ヴァンパイアと同等の筋力を持ちながら、皮膚や骨は人間と同程度の強度しか持たないという、大変デリケートな種族だったのです」
「筋力だけがヴァンパイアと同じ?」
少し違いますが、まぁいいでしょう。違いと言っても、皮膚なら日光に当たると毒素を作り出してしまう、人間と同じ強度の皮膚ぐらいの違いですし。
「はい。例えば、ダンピールが全力でこぶしを振り抜いたとしますと、空振りであっても腕の骨が砕け、皮膚が裂けてしまいますね。繊細な力の制御をしなければ、一挙手一投足に大怪我のリスクが伴うのです。全力で力を使った結果、意図しない自殺をしてしまうダンピールも多数いました。生まれてすぐの子供のダンピールなどは、全力で泣き声をあげたことで喉を深く傷つけ、自分の血で喉を塞いで窒息死する、なんて言うことも珍しくありません」
「その話本当?」
疑うのですか? 私エリーさんに嘘を言ったことはありませんよ? そんな疑いの目で見られると悲しくなってしまいますわ。それにしてもきれいなうなじにおいしそうなお耳ですわね。
「本当ですわ。信じてください」
「……」
「では続きを話しますね。生まれてすぐに死んでしまうダンピールを憂いた真祖は、国中のダンピールを集めて自身の血を与え、変質させました。その結果誕生したのが、ハーフヴァンパイアです」
「ふぅん」
「あの、大事な話をしていますから、ちゃんと聞いてくださいね? 締めますわよ?」
「……聞いてるから」
そんな青い顔しなくても、そんなに強く締め上げたりしませんわよ。ちょっと肋骨がミシミシいうくらいにしておいて差し上げますわ。
「なんでそんなに詳しいの?」
それはもちろん、見てきましたから……というのは言わないでおきましょう。年寄りだと思われたくありません。あえて無視します。ごめんなさいねエリーさん。
「つまり、ハーフヴァンパイアは真祖によって生み出された、ということです。私たちヴァンパイアの弟や妹のようなものですわね」
「もしかして」
気づきました?
「はい、真祖ならハーフヴァンパイアを人間にすることも可能だと考えられます。ダンピールから吸血の必要を消し、日光への耐性を与え、ヴァンパイアには劣るものの高い再生能力と丈夫な体を持つハーフヴァンパイアへと変質させた真祖なら、おそらくハーフヴァンパイアを完全なヴァンパイアや人間に変質させることも可能でしょう」
というかほぼ確実に可能なのですけどね。真祖はダンピールをハーフヴァンパイアに変質させていましたが、ダンピール本人と両親が望めば人間に変質させていました。ハーフヴァンパイアも人間に変質させられると考えて間違いないでしょう。
「……」
疑っているというより、私のお話を吟味している感じでしょうか。
「ストリゴイの目的はご存じですか?」
「……確か、真祖の復活と、この国の支配」
「もうすぐ、真祖の復活が成されますわ」
真祖の復活はいいのですけど、国の支配は正直なところやめてほしいんですよね。真祖の支配するヴァンパイアの国なんて、面白味がなさそうです。
「……私には、もう関係ない」
「そうですわね。人間に『なりたかった』んでしたものね。もうなりたくないんですよね」
「なりたくないわけじゃ……目的はなに?」
「目的、ですか?」
「なんでそんなこと、教えるの?」
私の目的なんて一つしかありませんわ。
「その方が面白そうだからに決まってるじゃないですか。このまま放っておいたら、エリーさんはつまらなくなってしまいそうですから」
自分には関係ないとあきらめて、人間のふりをして細々と暮らすエリーさん。そんなの面白くありません。いろいろと片付いた後で、エリーさんは私のおもちゃになるのです。つまらないおもちゃには興味ありませんわ。
「ヘレーネさんを楽しませるつもりなんてない」
「まぁ! 初めて名前を呼んでくださいましたね! うれしいですエリーさん」
実はずっと名前を呼んでもらうのを待っていました。宿で呼ばれそうになった時は止めてしまいましたからね。
「さて、お話したいことも全部話し終わりましたし」
「じゃあ帰って」
「はい、帰る前に一口失礼しますね」
目の前にあるエリーさんのうなじ、ずっと気になってました。エリーさんを少し上に持ち上げて、ブツリと牙を埋め込みます。
「あ、ぐ……」
ああ、気持ちいいです。この牙を押し返そうとする柔らかな抵抗と、薄い脂肪の下にある筋肉に牙を埋める感覚は久しぶりですね。エリーさんの痛そうな声やわずかな苦みのある血のお味と一緒になって、私に悦びを感じさせてくださいます。これで栄養も摂取できるなら、歩くお弁当として一生連れまわすのですけどね。
「ん~、やはり栄養にはならなさそうですわね」
「じゃあ吸わないでよ」
「せっかくなのでもう一口」
「ふ、う……」
エリーさんがどうなるかわからない以上、今のうちに飲ませてもらっておきましょう。ハーフヴァンパイアの血なんて、今の時代滅多に飲めませんからね。
「ふぅ、少し吸い過ぎました? ぐったりしてますけど」
「うぅ……」
エリーさんたら目を回してしまっています。自慰行為ですでに出血した後でしたし、少し加減を間違えてしまったかもしれません。完全に貧血状態ですわね。
「ごちそうさまでした。またお会いしましょうね、エリーさん」
もうすぐ朝になってしまいます。長話しすぎたかもしれませんね。日が昇る前に帰ることにしましょう。
朝、マーシャさんと一緒に昨日まとめた荷物を持って、宿をチェックアウトする。ピュラの町まで行く馬車を探して、ちょっと多めのお金を先払いして、宿の玄関近くまで迎えに来てもらった。
荷物を馬車に積み込んでいると、マーシャさんが心配そうな顔で話しかけてきた。
「エリー? なんだか顔が青いですけど、どうかしました?」
ヘレーネさんに血を吸われて貧血なんだよ……とは言わないほうがよさそう。
「ちょっと寒いからかな。マーシャさんは寒くないの?」
「寒いですけど、昨日と変わらないと思いますよ?」
「そうかな。私は昨日より寒く感じるよ」
「ああ、エリーはちっちゃいですからね」
「まぁマーシャさんよりは背が低い……どこ見て言ったの?」
なんとなくマーシャさんの目が、私の顔より低い位置を見てる気がする。
「体が大きいと寒さを感じにくいらしいですよ。あと、私はエリーの胸のあたりを見て言いました」
正直だね?!
「どうしてそこを見て言うのかな」
「それはエリーが傷つくと思うので言いません。身長とのバランスが取れた大きさだと思います」
く……もっと背の高くていろいろ大きい人になりたかった。というか今日のマーシャさん容赦ないね。私、なにか悪いことしたのかな……
ピュラの町までの短い時間。マーシャさんはやたらと私にくっついて来た。
「寒いなら温めてあげますね」
と言って、それはもう激しく抱き着いて放してくれない。私たち以外の人は御者さん以外居ないから、マーシャさんがはっちゃけてしまったんだと思う。
私の頭に腕を回して、グイグイと肩のあたりに押し付ける。そのまま押し倒す。もぞもぞ動いて一時も落ち着かせてくれない。
貧血も相まって、すぐに飢餓状態に陥ってしまう。
……マーシャさんは私がハーフヴァンパイアだって知ってるはず。でも、人間でいてほしいと思ってる。なのに、どうしてこういう血を吸いたくなるようなことをしてくるのか、わからない。
まるで
まるで意図的に私を飢餓状態にさせているような
そんな気さえしてくる。
違うと解ってる。
単純に寒がっている私を温めようとしてくれている。
それだけなんだよね。
おかしな考えは捨ててしまおう。
血を吸いたいなら、自分の腕を噛めばいいんだ。
マーシャさんの見てないところで、ひとりの場所で、落ち着くまで待てばいい。
「エリー?」
「な、に?」
マーシャさんはもぞもぞ動くのをやめて、私を呼ぶ。
「血を吸いますか?」
「っ……吸わないよ」
あまりに唐突に、そう聞かれた。
私の目が黄色くなってるのに気が付いて、血を吸われるんじゃないかと心配になったんだね。一瞬頷きかけたけど、ちゃんと答えられてよかった。
「そうですか」
安心してね。
ピュラの町に帰ってきた。
帰ってきてすぐは、なんだかすごく久しぶりに感じた。王都にいってから1ヶ月も経ってないんだけどね。
マーシャさんは職場の服屋さんに復帰したし、私も小人の木槌亭に行って1日2日で終わる仕事を優先して受ける日々を送り始めた。
魔女の入れ墨亭には、たまに顔を出している。トレヴァー伯爵のところで、門の修理と下水道調査の依頼を受けたのと、ユーアさんと悪人2人は今も王都に居ることを報告した。そのあとは、依頼を受けるためじゃなくてコルワさんに会うために行ってる。
コルワさんが言うには、サマラさんがそろそろピュラの町に来るらしい。今年の冬は行商をお休みして、魔女の入れ墨亭でゴロゴロするんだそうだ。
「叔母様もエリーに会いたいそうです。ですがいつここに来るかわかりませんから、たまに顔を出してくれると嬉しいです。ついでに依頼を受けてくれると父も喜びます」
とのことだった。貴族からの依頼はたいてい長期の仕事が多いから受けたくない。
ちなみにリリアンさんは相変わらず大胸筋の溝を谷間と言い張って見せつける感じのの恰好だった。寒くないのかな。
マーシャさんの少しずつ過激になっていくスキンシップに耐え、腕を噛んで飢餓状態を一晩凌ぎ、小人の木槌亭で依頼を受け、たまに魔女の入れ墨亭に行く。そんな毎日を送る。
これでいい。
この日常に、ハーフヴァンパイアはいない。
ヘレーネさんもストリゴイもいない。
あの日、ルイアへの護衛依頼を受けた時に崩壊した日常を取り戻した。
これでいい。
でも、きっといつか破綻する。
私が人間じゃない以上、人間の町の中で人間に扮している以上、いつか必ず正体が露呈する。
そうわかった上で、こんな日々がずっと続いてほしいと思った。
でも、私が思っていたのとは別の形で、その時はやってきた。
朝、東の防壁から太陽が半分顔を出したころ、私は小人の木槌亭に向かうべく家をでる。
いつも通りの朝。
ただいつも通りじゃなかったことが1つあって、それはマーシャさんがこんなに早くから起きていたことだった。
「エリー、今日も*****んですか?」
「え? なに?」
よく聞こえなかった。
「ですから、今日も仕事に行くんですか?」
「あ、うん。行くつもりだけど、何か用事?」
「最近お互いずっと仕事ばっかりだったので、たまにはまた一緒に買い物でもと思いまして」
「もう、そう言うのは早くいってよ」
今日は昨日受けた依頼の続きをしないといけないから、買い物には行けない。その代わりマーシャさんの働く服屋さんが4日後に休みがあるそうなので、その時に買い物に行く約束をした。
この時からおかしかった。ハーフヴァンパイアの聴覚が、人の声を拾い損ねるなんてありえない。噛んだり言い間違えた声でだったとしても、声そのものが聞こえないなんてことは異常なんだ。
3日ほど後、朝の小人の木槌亭でマスターに声をかける。
「おはようマスター」
「おはようエリ***ん」
マスターの渋い声が、よく聞こえない。
何を言ってるのかはわかる。ほぼ毎朝聞いていた”おはようエリーちゃん”と言ったんだと思う。
でも、言葉の一部が聞こえない。石畳を箒で掃いた音と虫の羽音が混じったような音で、かき消されてしまう。
「今日1日で終わるお仕事ある?」
「あるよ。*用依頼だけど、いいかい?」
「どんな依頼?」
「****んのとこ**でな、庭の花**の花を雪が**だすまえに屋根のあ**************」
「えっと、ごめん。長くて覚えられそうにないから、依頼書をみせてくれない?」
「おいおいエリーちゃん、前はも****依頼内*を一発で覚*ら*てたじゃ***」
「ごめんね」
「い*、いい*だ****」
マスターは笑って依頼書を見せてくれたけど、全然頭に入ってこなかった。
私の頭の中は、それどころじゃなかった。
大丈夫、そのうち治る。きっと治る。大丈夫。おかしいのは今だけ。
明らかにおかしいのに、それを認められなかった。もうこのころは、一日中あの音が聞こえていた。マーシャさんと居るときも、仕事の最中も、食事中も、腕を噛みながら朝を待つ時も……聞こえていない時なんてなかった。
でも、この日常をもう一度失うのが怖くて、認められなかった。誰にも言えなかった。
次の日の午後。私はマーシャさんと2人で買い物に来てた。楽しい時間になる、はずだった。
私の頬を掴んで、怒った顔のマーシャさんが見える。
「エ****、*****」
「ごめん。ごめんね。ごめんね」
何を言ってるのか、わからない。ザラザラという嫌な音の間に、怒ったマーシャさんの声が一瞬だけ聞こえる。とにかく、謝らないと。
「****て、ね**********」
「ごめんなさい」
何について怒ってるかわかってないのに謝ったって、余計に怒らせるだけ。でも、ごめん。ほんとに、わかんないよ。
「*が***て!」
「ごめん、なさい」
「か**……**み*!」
「本当に、ごめんなさ」
口だけで謝る私に、マーシャさんは本気で頭に来たらしい。私の腕を掴んで、どこかに連れて行く。
「ごめんなさい」
「************ら」
「ごめんなさい」
「あ***********ば」
一緒に買い物してたはずなのに、マーシャさんは私の腕を引っ張って急いで家に帰ってきてしまった。私のせいだ。
マーシャさんは靴を脱ぐこともしないまま、マーシャさんが高いお金で買った姿見の前に私を連れてきた。
「鏡を見て! 目がおかしいです!」
今日になって初めて、マーシャさんの声を全部聞くことができた。
「あ……」
でもまたあのザラザラという嫌な音だけが聞こえるようになった。
そして、姿見に映る私の目は、真っ赤に染まっていた。
まるでヴァンパイアレイジを使っているときのような、赤い瞳。
そっか、マーシャさんは怒ってたんじゃないんだ。
私の目の色が赤くなってるのを見て、心配してくれてたんだ。
自分の指を見る。
指尖硬化を使ってみる。
第二関節と第三関節のちょうど中間くらいを境に、指が黒く変色する。関節が固まる。指先に爪が埋没して、指先そのものが鋭く尖る。
問題なく指尖硬化が使える。
たぶんこれ、ヴァンパイアレイジを使ってるんだ。私の意思と関係なく。
私が気づかなかっただけで、今までずっと、あの耳障りなザラザラとした音が聞こえる時はヴァンパイアレイジが発動してたんだ。だって、マーシャさんの声がちゃんと聞こえた一瞬は、瞳が赤くなってなかった。
「*****、*****し****か?」
「ごめんね」
なんとなく、わかる。
こうなった原因は、真祖が復活したことだと思う。
たぶん、真祖はヴァンパイアやハーフヴァンパイアに、何かしら影響を与えるんだ。なぜかわからないけど、そう思う。
私の場合は、ヴァンパイアレイジの強制使用とこの耳障りな音。
「*か*、な*であや***で**!」
「ごめんね。ちょっと出かけてくる。今日は帰れないと思う。もしかしたらしばらく帰れないかも。でも、ちゃんと帰って来るから、待ってて」
「*****てる***か! ど*****し*い*****! こた**!」
「ごめんね」
ほかになんて言えば良いのかわかんない。とにかく、ごめん。
私を引き留めようとするマーシャさんを振り切って、ショートソードだけ持って家を飛び出す。
夕方のピュラの町を、全力を出さないようにゆっくり走る。マーシャさんは頑張って追いかけてくれてたけど、追いつけなくて途中で私を見失った。もうかなり寒い時期だから、ちゃんと家に帰ってあったかくしててほしい。
でも、一晩中探してくれそうな気もする。もしそうだったら、ちょっと嬉しい。
門を抜けて町を出たら、街道を反れて王都へ一直線に全力で走る。
ずっとヴァンパイアレイジを使ってるから、たぶんすぐに王都に到着すると思う。そうしたら、もうすぐだ。
真祖は王都に居る。真祖に会って、人間にしてもらって、ピュラの町に帰るんだ。
マーシャさんに、人間になったよって、伝えるんだ。
次話から五章になります。