半ヴァンパイアは殴打する
少々グロテスクな表現があるかもしれません。苦手な方はご注意ください。
確か、タザ、だった。ストリゴイの、サイバの仲間のタザ。王都でサイバと戦った時に一度だけ会った。ヴァンパイアレイジを使っても、多分勝てないって思った相手。そして今こっちに向かって歩いて来てる、赤いローブに顔を黒い帯で覆った人。あれがたぶん、”赤いローブの変な奴”だと思う。
とっさに窓から見えない位置に隠れて息をひそめる。私は息をひそめるけど、背負ってるセバスターは普通に寝息を立ててるから意味がない。
「セバスター起きて、早く起きて」
小さく声をかけてゆすってみたけど、起きない。このままだとたぶん危ないのに……
土を踏む音がわずかに聞こえる。1人分の足音が少しずつ近づいて来る。迷いなくこっちに来てる。
赤ローブの目的も、ストリゴイがなんでこんなところに居るのかも、全然わからない。わからないけど、ここであの赤ローブに出会うのはダメ。冒険者を殺すような人なんだから。
どうしよう。逃げてみる? セバスターを背負ったまま逃げ切れる? それともセバスターを地下室に隠して、戦ってみる?
ちょうど近くにあったガラス片を手に取って、鏡の代わりにしてタザと赤ローブの方を見てみる。
タザが居なくなってる。そして、赤ローブはこっちにまっすぐ歩いて来てる。
……タザが居ないなら、戦ってみるのも、ありかな。
赤ローブがこの家に着くまで、まだ少し距離がある。今のうちにセバスターを地下室に戻して、それから一階で待ち構えよう。セバスターが起きてくれたら2人で逃げられるんだけどね。
気配が動き始めた。
だが、家の中を移動しているだけで、外に出る様子はない。ならばドリーの行動に変更はない。近づいて、戦う。
可能な限り存在を知られず、5人冒険者を始末する。それがスージーの命令だった。ドリーは命令以上のことはしない。
一昨日に出会い、昨日戦い、一度も攻撃を当てられなかった冒険者がいる。金髪で武器を持たない男の冒険者だ。
おそらく気配の主はその冒険者だと推測したドリーは、たどり着いた家屋の入口に立つ。
床に積もった埃には2人分の足跡があり、そして家の中には初めて見る冒険者が立っていた。
刀身が分厚いショートソードを構えた、女の冒険者だ。
関係ない。要は冒険者5人を始末すればいい。冒険者であるなら、誰でもいい。
ドリーは太く長い袖をぱんぱんに張り詰めさせ、無数の剣の刀身を出した。
「ーッ」
声もなく驚いた。
赤ローブの異様に大きい袖が埋まるほどの剣がでた。どうやって持っているのか、そもそも人の腕があるのかもわからないけど、とにかく敵意があることだけはわかる。
うん、正体不明なうえ私を殺すつもりっぽいよね。ヴァンパイアレイジ、使っておこう。
体が軽く、感覚は鋭く、わずかに視界が赤く染まっていく。つい最近ヘレーネさんに血を飲まされてるから、すぐにヴァンパイアレイジが切れるようなこともない。ほぼ万全の態勢で赤ローブを見据え、ショートソードを構える。
いくつも飛び出した剣の内の数本の切っ先を地面にこすりながら、ゆっくり近づいてくる。大きさ、太さ、幅、全部バラバラの剣が袖からまとめて飛び出している姿は、一見すると恐ろしい。
でも、刃が多すぎる。あれじゃ斬れない。剣や刀は、一筋の刃に腕、足、体幹の力と遠心力を乗せるから人や物を斬れる。あんな風に刃が横に並ぶと力が分散して深く切りつけることはできないし、刺突も深く刺すにはすごく強い力が必要になる。脅威になるとしたら、大きさかな。
「ハァッ」
全力で床を蹴って肉薄する。私の全力に耐えられるように造ってもらったショートソードは、刀身が分厚くなってて斬るのには向かない。だから刺突。
ヴァンパイアに近づいた私の全速力で全力の刺突に、赤ローブは反応しない。相変わらず切っ先を地面にこすりながら歩いてくる。
獲った。
そう思った。
ショートソードの切っ先は赤ローブの胸の真ん中に吸い込まれる。
そして、”ガンッ”という音を立てて、赤ローブを家の外まで突き飛ばした。
「……ふ、い゛、」
そして、私の胸とお腹に、計5つの穴が開いていた。
コポコポというだらしない出血を経て、すぐに穴は塞がる。肺や内臓に空いた穴も、瞬く間に塞がったのがわかる。
「どういう、こと」
はっとして赤ローブを見る。
傷一つついてない。突き飛ばされた後に受け身をとったらしく、普通に立ってこっちに歩いてくる。そして、剣が飛び出してない方の袖から、長さや太さがばらばらの槍が何本も飛び出していた。よく見るとそのうちの何本かには、血がついている。たぶん私の血だ。
私の刺突が当たる瞬間、突き飛ばされながら槍を出して私を貫いた……ということかな。
最初から剣を何本も出したり、剣の切っ先を床にこすったり、よく考えれば私の注意を剣の方に引き付けるためにあえてそうしていた……? いや、単純に私の注意不足だね。右の袖から武器が出るなら、左の袖からも出ると考えるべきだった。もっとちゃんとしよう。
「もしかして、剣や槍以外も出せるのかな」
「……」
なにも答えない。当たり前だけど、こっちがいろいろ警戒してるってことが伝わればそれでいい。きっと私の傷がすぐに塞がったことにも驚いているだろうし、揺さぶりになると思う。
赤ローブは”ジャコンッ”という音を立てて、飛び出していた剣や槍を袖の中にしまう。どう考えても入るわけないのに、それはもうあっさりと袖の中に片づけた。腕どうなってるんだろう。
「フッ」
武器が出てないうちに攻撃してみることにする。もう一度床を蹴って前に向かって跳躍する。一気に家屋を出て、そのままの勢いでもう一度刺突、と思わせて……
ショートソードを逆手に持ち替え、全力で投げる。投擲槍の要領で、私の手から赤ローブまで一直線描くように投げつける。
さっきの刺突が全く効いてなかったことからして、たぶん斬撃含めて刃物の攻撃は効かないと思う。だからこの剣投げも意味がない。
でも、打撃は効くかもしれない。だから、指尖硬化で指を豹拳の形で固めて、さらに一歩踏み込む。
予想通り私の投げたショートソードは、また”ガンッ”という音を立てて弾かれた。まだ赤ローブの袖から武器は出てきてない。
ギドに教わった通り、まず右足で踏み込むのと一緒に突く。そして腰を回し、左足の踏ん張る力を込めて、左を打ち込む。
またしても”ガン”という音が鳴る。鎧を殴っているような感覚。だけど少しへこませた。たぶん効いてる。
「……」
赤ローブは悲鳴も上げないし痛がらない。だけど少しほんのわずかによろめいた。殴打を繰り返せばきっと倒せるはず。もう一度殴る。今度は普通に殴るんじゃなくて、ボディを下から掬うように……
「ふ、っ」
少しだけ息を吸って、お腹に力を入れる。開いた距離を詰め、今度は左から斜め上にえぐるように、叩く。
左手の指の第二関節が、さっきより深くめり込んだ。きっと服の内側に鉄板でも仕込んでるんだろうけど、それでもこれは効くはず。
……鉄板くらいなら、指尖硬化した貫手で貫けるんじゃないの?
そう思ったけど、今から一度指尖硬化を解いて、指を動かして、また指尖硬化で固めて、そらから攻撃するのは無理。とりあえず予定通り右の豹拳で殴って吹き飛ばす。
赤ローブがよろめいているうちに腰を落とし、また下からえぐるように右こぶしを振り上げる。
またよろめいた。効いてる! 鉄板越しでもちゃんとダメージがある! このまま倒す!
もう一度殴る。あいた距離を詰めて、また殴る。
殴る。距離を詰める。
殴る。殴る。
壁際に追い詰め、殴っても距離があかなくなる。
殴る。
殴る。
殴る。殴る。
殴る。殴る。殴る。
息を止めっぱなして苦しくなってくる。でもまだ大丈夫。ヴァンパイアレイジを使ってるんだから、あと10分くらい止めてられるはず。
殴って、殴って、服の内側に仕込んである鉄板をへこませ続ける。
どこを殴っても生身の感触が無い。それでもいい。とにかく殴る。
殴る。
殴る。殴る。
殴る。殴る。殴る。
殴る。殴る。殴る。なぐ……
「……あ、が」
”ドパァッ”という音と一緒にお腹に激痛が走って、体の動きがぴたりと止まってしまう。
「は、あ゛、あ」
恐る恐る、視線を下に下げる。
赤ローブの袖から、騎馬兵用のチャージランスが飛び出してる。
そのチャージランスが根元深くまで
「う……そ」
私のお腹に刺さっている。
「んぐ、、、おぇえ」
久しぶりの血液が食道を逆流する感覚に耐えきれなくて、お腹に刺さったチャージランスに吐血を振りかける。
「ッグ、くは……このっ」
刺さりっぱなしはまずいと思って、痛いのを覚悟して、左手でチャージランスを叩き折る。かなり深く刺さっていたチャージランスは支えがなくなって、私の背中側から自重でずるりと抜け落ちた。
「ァアアアッ」
赤ローブはその隙を逃さず、最初に出していた大量の剣で、私を横なぎに吹き飛ばした。
視界がグルグル回る。上も下も右も左も、ぐちゃぐちゃに回って、それから、空が見えた。
墓場の方に飛ばされたみたいで、背中に土の感触がある。
全身の感覚がなくなっている。
不思議に思って上体を起こそうとすると、左腕が言うことを聞かないことに気が付いた。
吹き飛ばされた時に、大量の剣の刃が叩きつけられたのが左腕だったらしい。
上腕が骨まで裂けている。肘も変な方向に曲がっているし、前腕も尺骨が断ち切られるほどの裂傷を負っていた。
「あ」
怪我を自覚したせいか急に痛みを感じるようになった。激痛で頭がガンガンするし、出血してる感覚もある。
でも、
「あぁ、ぁぁぁ、ぁあ」
叫び声が出なかった。
お腹のど真ん中に、手のひらほどの大きさの穴が開いているせいだ。
自分の体内を見る体験なんて、したくなかった。
声がでない。
頭の中はがグチャグチャになって、血の気が引く感覚を感じてた。
それから私は
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動けないまま
土の上で横になったまま
何もできないまま
自分の体の惨状を見て、本当に狂ってしまいそうなほどの恐怖を感じていた。