1話 『洗面台で』
あいつがいなくなった空間。
俺は未だに凡人という言葉が頭から離れなかった
何度もエコーして聞こえるそいつは少なからず俺を傷心状態にさせている
そもそもたかが血液型診断で俺が出した言葉に対して凡人という言葉が返ってきただけだ
俺が本当に凡人だと思って妹は笑うのか?いや、そんなの断言できるものなんかじゃない
俺が凡人なわけないじゃないか
俺がどんなけ優しくてイケメンで他人思いなやつか……
ーー自分で思っていて恥ずかしいな
妹に対して言い返す言葉はどんなに頭を絞っても見つからなかった
だが、そんな気持ちが俺の体の奥底からメラメラと燃え上がる妹への対抗心が密かに膨れ上がっていた
ぜってぇ妹の足元をすくってやる!
そう思った結果、なんともくだらない結論を出してしまった
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洗面台の前に手を置くと必然的に俺の顔が鏡に映し出された
少しひげが伸びてしまっている。俺は綺麗さっぱり剃りたい主義なんだが
寝起きだからか、髪の毛はボサボサに跳ねまくっている。
黒髪短髪にするとモテる、という噂を耳にして試しに興味本位でやってみたが、こうにも寝癖が悪くなるとモテる以前に面倒だ
まぁ、もうその髪型にして三ヶ月も経つけど効果は今ひとつを通り越して効果なしだ
「ひでぇツラしやがって」
鏡に映る自分の顔を見て、俺は皮肉そうにそう言った
イケメン、なんていう言葉は断じて俺には似合わない。どちらかというと中の下ぐらいの顔つきだと思う
髪型も発揮ししないし、パジャマだから今はよくわからないけど私服のセンスは皆無だ
彼女いない歴=年齢の俺はそもそもあまり女の子とという生き物に興味がなかった
髪型を変えたのは単なる興味本位であってモテたからと言って付き合う、なんてばからしいことはしないだろう
それに、話はそれるが低血圧な上に眠気が治らない
低血圧な人は朝に弱いとはまさにこのことだ
それも踏まえて俺はだらしないやつで対してかっこよくもない普通の男たちどもとあんまり変わらないのだ
どちらかというと少しやさぐれているが
「それにしても、本当に眠いわ。いつもよりも2時間も早く起きることになったからな。低血圧な人は朝に弱くて本当に嫌になってくるよ」
眠気のあまり目をこする。顔を洗ってもその睡魔は俺を襲ってきた
俺と睡魔の聖なる戦いがいまここで始まる!さぁ、ゴングがもう少しでなるぞ
3、2、1、試合開始!
「お兄ちゃん」
「うお!?」
右肩に伝わる少しの体温、そして少しの感触。そんな力だから触ってきた相手が華奢な体つきなんだということはすぐにわかる
そして、『お兄ちゃん』という言葉が聞こえて、先刻の声の主はすぐにわかった
「急に出てくんなよお前!」
「お兄ちゃん、さっき低血圧な人は朝に弱いって言った?」
俺の注意の声は妹の耳の中を右から左にすり抜けていって完全に無視された
要するに聞き流された。部屋での会話の時のように
「ーーん?また俺の言葉は無視されたけど、まぁ低血圧な人は朝に弱いとは言った。俺もそれにあたる人なんで本当に困っちゃうよね」
そう言うと横で制服姿の妹がやれやれとでも言っているかのように小さく嘆息した
その姿は俺にとって、とても意味深な行動だった
「な、なんだよ。何か言いたいことでもあるのかよ?」
「はぁー。バカで間抜けななお兄ちゃんが何にも知らないんだと思うと呆れてきちゃって」
「なんだと!俺がバカで間抜けでゴミなお兄ちゃんだと!?」
「ゴミまでは言ってない。まぁ、自分でも認めてるんだったらそれでもいいけど」
うわ、こいつまじで腹立つ。
制服に着替えてるってことはいまから髪型直しに来たんだろ。
さっさといつものツインテールに変えて洗面台から出て行け!むなくそが悪い
「こんの、てめぇ!」
と妹に言ったが刹那、俺の口は一本の人差し指で抑えられた。
あれだ、『静かにしましょうね』という意味を表すあのポーズだ。
それを妹に、しかも俺の口を使われていた
「ーー!?」
妹が話を戻して、俺に言った。それはもちろん俺に対して衝撃な言葉だった
「低血圧な人は朝に弱いって、医学的にはまったく根拠のないものなんだよ」
「え、それまじ?」
「うん。だって低血圧な人でも早起きな人はいるし、高血圧な人でも朝寝坊する人はいるでしょ?」
確かに正論だ。だが、それは医学的にまったく根拠のないものとは言い切れないことだ
そもそも現代社会で低血圧な人は朝に弱いという言葉はかなり浸透している
そんなことが否定されたいま、その言葉だけでは信じがたいものだ
「まぁ、そうだが。それだけで断定することはできないだろ。そもそも医学的に根拠がないとか言ってたけど今のは全く関係ないものだろ」
「まあまあ、ちょっと話を聞いてよ」
そう言われて俺は少し妹の話を聞いてみることにした
気になる話題だし、妹は妹で髪型を直し終わったみたいで時間には余裕があるんだろう
とにかく聞いてみることにしよう
「そもそも血圧とは血液が血管を勢いよく流れるときにかかる血管への圧力のことで、心臓が収縮し血管に最も圧力がかかる時の数値が『最高血圧』、収縮した後心臓が広がって一番低くなった時の数値が『最低血圧』である」
妹すごすぎ、と内心思っている。
あんな言葉全く知らなかったぞ俺。大学生だっていうのに
妹におれは感服しそうだよ。いつか足元をすくってやるとかなんとかぬかしてたのに
「そして、最高血圧が90mmHg未満が『低血圧』、最高血圧が140mmHg以上、最低血圧が90mmHg未満が『高血圧』と呼ばれるんだよ」
「お、おう」
もう一回言う。妹すごすぎ
「それで低血圧は大きく三つに分けられるんだけど、それらはすべて医学的には朝の弱さに全く関係はない。」
「低血圧が三つに分けられるってなんか病気ってことなのか?それらすべてに当てはまらないってどういうことだよ」
「まぁ、聞いてよ。いまから、お兄ちゃんに大事なことを話すから」
「???」
意味深な発言に言葉を出せずに頭を抱えて悩んだ。妹のすごすぎる前置きに本題が今から話される
とにかく聞いてみようじゃないか
「朝の弱さで一番の原因に考えられるのは自律神経の乱れだ。人間は起きているときには交感神経、眠るときは副交感神経が優位に働く。この神経が12時間ごとにしっかりと入れ替われば眠くなり、朝になれば起きられるようになる。つまり、」
「つまりーー?」
ゴクリと一息飲んだ
いつもよりも妹が開く口がゆっくりに見えて、耳へと一瞬にして言葉が伝わった
「その神経の優位がうまくいっていないと寝起きが悪くなるんだよ。わかった?お兄ちゃん」
なんかよくわからんが、妹の言っていることは正しいんだろう。なんちゃら神経が影響しているなんて思いもしなかった
妹は将来医療関係の仕事にでも就きたいのだろうか
「栄養バランスの良い食事をとったり、適度の運動などをすれば快適な朝を迎えられるようになるよ」
「お、おう。今回はなんかためになることを聞いたよ。少しお前を認めてやらんことはない」
「ーー?お兄ちゃんの毎日スパスパ吸っているタバコとゲームに明け暮れている日々を直せば寝起きがよくなるよ。って言っているんだよ?」
前言撤回。妹よ、てめぇ!
「お前、最後の最後に俺をバカにするようなこと言いやがって」
「だって事実じゃん」
凡人、それに加えてまた忘れられない言葉が増えた。
本当に妹というやつは怖い
それはつくづく思うことだ
まだ朝は始まったばかりだというのに