七話『愛情』
訓練を終えたあと、書類の作成方法や掃除などの庶務の仕方を教えて貰い、十八時に解散となった。そのあと、僕は八幡さんの私用車に乗せて貰い、支部から車で五分ほどの場所にある、宿舎へと向かった。
宿舎は、僕が八幡さんに迎えに来て貰った駅から近い場所にある、八階建てのマンション二棟で、八幡さんの話によると、支部の職員の中で結婚していない者は、ほとんどがこのマンションに住んでいるらしい。
「ということは、結婚したら、出ないといけないんですか?」
「いや、そんなことはないで。四人家族くらいやったら、充分暮らせるくらいの広い部屋やから、結婚してもおる人がほとんどや。ただほら、職場の人間が同じマンションに住むわけやから、どうしてもせなあかん付き合いとか気遣いとか出てくるやろ。それが面倒やからって、出て行く人は稀におる」
「なるほど。じゃあ、独身者でこの宿舎に住んでいない人も、それが理由ですか?」
「まあ、それもあるし、実家が近いから実家に住んでいる人もおるな。けど、九割の人はこのマンションに住んでる。そりゃ、家賃要らんし、かなりええ部屋やから、わざわざ他の家借りて住むなんてアホらしいやろ。借りるとしても、『緊急出動要請があった際、二十分以内に支部に向かえる場所』って規定があるから、物件も限られてくるし」
確かに、この駅周辺から少し離れると、背の高い建物はほとんどなくなり、店なども見当たらなかったので、みんな、わざわざここを出ようとは思わないのだろう。
八幡さんは駐車場に車を止めると、そのまま駐輪場へと向かう。八幡さんのあとをついて行くと、駐輪場には、ずらりと同じ形の二輪車が並んでいた。
「えっと、部屋番号にある二輪車が、瀬織くんのやから」
「僕のですか?」
「うん。緊急出動要請の時は、この二輪車で支部に行くんやで。休みの日の移動も、出来るだけ二輪車を使うようにな。ほら、この辺の道は渋滞することはないけど、台風なんかが来た時に倒木したりして、車やと通られへんようになることがある。そういう時に、こいつが一番、小回り利くから」
そういえば、施設で後方支援についた時、このバイクに乗っているハンターを見かけたことがあったな、と僕は思い出す。
「で、瀬織くんの部屋番号が二○三号室で、ほい、これ鍵」
僕は、三つの鍵がぶら下がったホルダーを八幡さんから受け取った。
「えっと、その複雑なやつが玄関の鍵。丸いのがエントランス。で、他の二つより短いのがバイクの鍵。スペアは作ったらあかんことになってるし、そもそも簡単には作られへんらしいわ。ほんで、万が一、失くしたら総務班に言ったら用意して貰えるけど、結構な金取られるから、気いつけや」
八幡さんはそう言って痛い顔を見せた。おそらく、以前に失くしたことがあるのだろう。
エントランスを抜け、階段を上がると、「ほな」と八幡さんが小さく手を上げる。
「オレは二○七号室やから。何かわからんこととかあったら、何でも訊きに来て。じゃあ、明日は探索にも参加するやろうから、今日は夜更かしせんと早めに寝えや。……あ、晩飯買ったり食ったりする場所、知らんよな」
「あ、わからないですけど、今日の晩は大丈夫です」
「大丈夫? 何、晩飯食わんのか?」
怪訝な表情を浮かべる八幡さん。僕は一瞬、言うのを躊躇ったものの、いい嘘が思い浮かばなかったので、正直に話す。
「……えっと、今日、家を出る時、親が弁当を作ってくれたので」
二十二歳にもなって親に弁当を作って貰うなんて、馬鹿にされるかもしれない。そう思ったものの、八幡さんは特に反応することなく、「そっか」と頷いた。
「じゃあ、大丈夫やな。ほな、明日」
八幡さんは小さく手を上げ、自分の部屋へと入っていった。
僕は拍子抜けしながら、二○三号室の扉の鍵を開け、新しい住居へと足を踏み入れた。
部屋は、八畳の洋室と、十二畳ほどの広いリビング、そしてトイレと風呂が別々にあった。施設にいた頃は実家から通っていたので、一人暮らしは未経験だが、初めての一人暮らしにしては、充分過ぎるほどの広さだろう。
部屋には既に、冷蔵庫や洗濯機などの生活に必要な電化製品と、テーブルや椅子、ソファーなどが揃っている。そして、予め段ボールに入れて送っておいた、パソコンやゲーム機などの荷物も届いていた。唯一、ないのはテレビくらいだが、僕はほとんどテレビを見ないので、ゲームをするためのモニターを買うかどうか、それは後々考えることにした。
クローゼットを開けると、そこにはハンターが使用する深緑の迷彩服や、トレーニングウェア、そしてスーツなども用意されていた。
僕は迷彩服を手に取ると、服を脱いで着てみる。サイズ合わせではなく、単に袖を通してみたくなっただけ。洗面所に向かい、鏡で見てみると、憧れていた姿になっている自分がいることに対する喜びと、本当に河童ハンターになったんだな、という実感からくる緊張が綯い交ぜになって、鳩尾の辺りがきゅっと締まった。
そこから家の中を確認して回り、シャワーを浴びると、夕食を取ることにした。
僕は鞄から今時あまり見ない、唐草模様の風呂敷に包まれた弁当箱をテーブルへと取り出すと、ゆっくりと蓋を開けた。
そこには、特にいつもと変わりないメニューが並んでいた。
箸で持つとバラバラになってしまう卵焼きに、いかにも身体に悪そうな赤い色をしたウインナー。やけに味の濃い焼肉に、冷凍の唐揚げ。唯一の野菜は、へたがついたままのプチトマト。
学生の頃から、ずっと変わらない弁当。施設にいた頃も、毎日作ってくれた弁当。
「だから、詰め過ぎなんだよな」
出来るだけたくさん入れようとして詰め込んでいるから、白飯を食べようとすると、大きな一塊となって持ち上がってしまい、僕は苦笑する。これで今まで、何本の箸を折ってきたことか。あれだけ、詰め込まずに入れて欲しいと言っていたのに、結局最後まで、母は僕の言うことを聞いてくれなかった。
まず、いつも通り、卵焼きから口へと運ぶ。相変わらずパサパサしているし、味も濃い。しかし僕は、噛んでいるうちに、涙が溢れそうになってきた。
両親は、僕のハンターになりたいという夢を、ずっと反対してきた。
僕は一人息子で、両親にはとても大事にされて育ってきた。かつて、僕が河童に襲われたと連絡を受けた時、母親は電話口で腰を抜かし、そして無事だと知った時には、近所に響き渡るほど、二人して泣いたらしい。
そんな僕が、この世界において最も危険な職業であると言われている、河童ハンターになりたいと言い出したのだ。僕が親であっても、猛反対しただろう。
それでも、僕は両親の反対を押し切って、河童ハンターへの道を進んだ。そして、ハンターに選ばれたと伝えた時も、反対こそしなかったが、喜ぶこともせず、二人とも複雑な表情を滲ませていた。
その気持ちは、痛いほどわかる。僕のせいで、二人に大きな心労を与えていることも、理解している。
しかしそれでも、僕が河童ハンターを辞めることはないだろう。
両親にとって僕が大事な存在であり、僕にとって両親が大事な存在であるように、この世の中には、そうやって大切に想い合う人たちがたくさんいて、そんな彼らを誰かが河童から守らなければいけない。みんなが平穏に暮らせる世の中になるよう、誰かが河童を殲滅させなければならない。
そして僕は、一度河童に襲われ、その怖さを知っている者として、命を救われた身として、その『誰か』にならなければいけない。
その時ふと、僕はテーブルの端に置いた風呂敷から、白い何かが顔を覗かせていることに気がついた。
見てみると、それは小さなメモ用紙だった。
そこには、鉛筆で短い一文が認められていた。
『頑張ってきなさい』
僕はもう一つ、卵焼きを口へと放り込む。
目を閉じ、味わってみると、いつもよりほんのりと、甘いような気がした。




