五十四話『窮地』
今にも雨を落としそうな、禍々しい雲が街を覆っている。
人工でも、自然でもなくなったこの街は、どこか異質な雰囲気を漂わせていて、まるでこの世界から一歩外れたような、不気味な静けさが降りている。
人の姿こそなくなったものの、店が犇めき合っている陋巷の姿は恐ろしいほどそのままで、狭い道路を挟んで多くの建物が、生きた状態を保ったままで並んでいる。
真五郎さんは徐行で車を進めながら、周囲を見渡す。
「道が狭いなー。それに、暗くてよく見えないし」
真五郎さんの言う通り、照明などが一切ないので、車のヘッドライトが届く範囲以外はほとんど見えない。せめて、月が出てくれればと思うものの、月光は空の奥から雲に奥行きを与えるに留まっている。
「こんなとこに来いって、あんたの友人可哀想やな。ウチやったら絶対嫌やわ」
「花さんなら、平気そうですけど」
僕が苦笑すると、真五郎さんが「この子」と笑って花さんを指差す。
「お化けがめちゃくちゃ苦手なんだよ」
「こら、要らんこと言わんでええねんっ」
「花さん、お化けが苦手なんですか?」
「あんたも広げんなやアホ」
花さんは振り返って僕を睨むと、小さく溜息を吐いた。
「……いや、だってお化け、怖いやん。相手が人間やったら、襲ってきても返り討ちに出来るけど、お化けってどうせ触られへんやろ。そんなん、狡いもん」
肩をきゅっと窄める花さん。真五郎さんが「でも」と悪戯な表情を浮かべる。
「何だか、お化けが出そうな雰囲気だよねー」
花さんは「もおっ」と真五郎さんの肩を結構な強さで叩く。
「やめえや。ほんま、そういうこと言うのがあかんねんって。自分の陰口言ってんちゃうかなと思って、お化けが寄ってくるからっ」
するとその時、遠くから変な音が聞こえてきた。
「……ちょっと待って。今、何か、音聞こえへんかった?」
「聞こえます。何だろう、これ。……車?」
車にしては、数が多いような気がする。やがて、その音は次第に大きくなってきて、近付いてきているのがわかった。
「いや、やっぱり車だわっ。それも、こちらに向かっているっ」
加藤さんがそう言った、次の瞬間だった。
周囲が明るくなったかと思うと、脇道から一台のトラックが現れ、僕たちの車両に向かって、猛スピードで突っ込んできた。
真五郎さんが慌ててアクセルを踏み、何とか直撃は免れたものの、トラックは車両の後方を掠めていき、その衝撃から、車両は回転しながら壁に衝突した。
「あかん、まずいで。真五郎、すぐに車出してっ」
「無理だよっ。タイヤが溝に嵌まって、動けないっ」
ふと見ると、周囲にはトラックが数台、止まっていた。そしてどうしてか、そのトラックの荷台が全て、大きく開かれている。
「車から出ましょう。ここにいても、囲まれるだけ」
「想定はしてたけど、いきなりやな」
「幸い、路地が入り組んでいるみたいだから、中に入って逃げられると思う。開けた場所だと、大人数を相手にしないといけなくなる。撃たれて、一発でも食らったら終わりよ」
「でも、瀬織くんの友人を回収したあとは、どうするの?」
真五郎さんの問いかけに、加藤さんは「それは」と懐から拳銃を取り出した。
「それから考える。その子を守るためなら、わたしは誰が相手でも撃つ覚悟は出来ているから」
「じゃあ、ウチと瀬織で先導。真五郎と萌華は後ろから来る奴を足止めな」
僕たちは頷くと、一斉に車から出た。
そして、路地に向かって走り出そうとしたものの、そこに待ち構えていた光景に、四人の足は自然と止まった。
「……なるほど。久千管理官が言っていた『優秀な兵力』って、これだったのね」
夜陰に、無数の怪しい翡翠色の玉が浮かんでいた。その数は裕に、計五十以上はあるだろうか。
ドクダミから、契約不履行の担保として、管理官たちが手にしたもの。
それは、河童だった。
「嘘やろ。……ってかこの数はさすがに、ヤバいような気がすんねんけど」
気付けばいつの間にか、僕たちは河童に囲まれていた。河童たちはこの圧倒的に優位な状況を楽しんでいるのか、「ふひひ」と薄ら笑みを浮かべて、その瞬間の合図となるきっかけを待っている。
武器があれば、まだ希望はあったかもしれない。しかし、加藤さんが持つ拳銃一つだけでは、さすがにこの状況を切り抜けるのは厳しい。
「か、加藤さん、まずいですよ」
加藤さんはじっと一点を見つめ、そして深く息を吐いた。
「この自動拳銃は装填数が多いから、路地前にいる数匹は倒せる。だけど、路地に入れたとしても、河童に追いつかれてしまう。誰かが、足止めをしないと」
「それは、ウチらが引き受ける」
「いや、素手のあなたたちより、拳銃を持っているわたしがやった方がいい」
「でも、そしたらあんた……」
「そんなこと、気にしている場合じゃないでしょ。元々、不利な状況になることはわかっていた。それくらいの覚悟は全員、とっくに出来ているはず」
花さんはふっと小さく笑い、「せやな」と頷いた。
「じゃあ、三つ数えて発砲する。三、二、一、」
しかし、どうしてか突然、河童たちが慌てるように逃げ始めた。
加藤さんが「待って」と手を小さく上げる。停車しているトラックのエンジン音に混じって、別の甲高いエンジン音が聞こえてくる。
すると、激しい発砲音のあと、数匹の河童が膨張を始め、そして一斉に爆発した。そうして開けた箇所から、一台のバイクが走り込んできた。
そのバイクは急ブレーキをかけ、僕たちの前で止まる。しかし、ライトがちょうど僕へと向けられていて眩しく、誰が乗っているのかはわからない。
すると、花さんが、「班長っ」と驚きの声を上げた。
「それに、ヘリウムまで。こんなとこで何やってんの?」
僕が掌でライトを遮ると、そこには散弾銃を手に持った二人の男性の姿があった。運転しているスキンヘッドの男性と、その後ろに乗っている長髪を一つに括っている男性。どちらも、ハンターの恰好をしている。
長髪の男性はバイクから降りると、「やっほー」と僕たちに手を振る。
「何しに来たって、助けに来たんだよん。あ、花ちゃん、もしかして窮地を救ってくれた俺に、惚れちゃったんじゃないの?」
「ちょっと、ヘリウムは一旦、黙って。……班長、なんでここにいるんですか?」
スキンヘッドの男性が、黙って親指を後方へと向けた。するとそこから、もう一台のバイクがやってきた。運転しているのは、短髪の男性。しかし、後部座席に乗っている人物を見て、僕は「あ」と声が漏れた。
「……さ、相模さんっ」
相模さんは僕たちを見ると、小さく息を吐く。
「よかった。間に合った。向こうを先に整えていたから、遅れてしまった」
すると、四方から熾烈な銃撃の音と、河童の叫び声が聞こえてきた。どうやら、他にもハンターたちが複数いるようだ。
加藤さんは、構えていた拳銃を下ろす。
「これは、どういうことですか?」
「全国のハンターたちに、急遽、協力を要請したんだ。相手がなりふり構わずに武力行使してくることがわかって、こちらもそれ相応の兵力を揃えないと太刀打ち出来ないと思ったからな」
「もしかして、だから受け渡し場所をここに指定したのですか?」
相模さんは「ああ」と僕を見て頷く。
「人が多い場所で受け渡しをしてしまうと、市民を巻き込んでしまうおそれがある。それに、あの会議の中の会話から、河童を使ってくるのではないかと予想もついていたからな。人がいないこの場所を選んだ」
「なるほど。でも、大丈夫だったんですか? コインロッカーのあったビルに、血痕がありましたが」
「肩に一発、銃弾を受けた。しかし、命に別状はない」
それを聞いて、僕は安堵の息が漏れた。
すると相模さんは、「ほら」と、僕と加藤さんに、何かを投げた。慌ててそれを受け取ると、それは散弾銃とライフル銃、そしてその弾薬だった。
「ここで話している暇はない。今すぐ、その路地を進んでいけ。その先で、お前の友人を乗せた車両が待っている」
「既に、車両に乗っているのですか?」
「ああ。最優先に保護しなければならない人物だからな。ただ、油断はするな。見ての通り、奴らは大量の河童を、この街に放っている」
「わかりました」
僕と加藤さんが頷き、走り出そうとすると、「待て」と相模さんが呼び止めた。
「加藤はこっちだ。ここからは狭い路地が続く。散弾銃の扱いに長け、近接戦闘が得意なハンターがついた方がいい」
相模さんはそう言って、真五郎さんに視線を向けた。真五郎さんは頷くと、スキンヘッドの男性、北陸支部の班長から散弾銃を二挺と弾薬を受け取った。そして、その一つを花さんへと渡すと、花さんは「よっしゃ」と腕を捲る。
「ほな、この子はウチらに任せとき。そん代わりこっちは、あんたらに任せるから」
花さんはそう言うと、「ほら、行くでっ」と僕の背中を叩き、真五郎さんと並んで走り出した。僕が加藤さんに視線を向けると、加藤さんは早く行け、とでも言うように、顎を僅かに動かした。
僕は吸い込んだ息を肺に留め、路地へと入っていった。




